第13話

 その後、残った仕事すべてを片付けて教室を出たのは三十分後のことだった。

 まだひりひりする頬を抑えながら職員室に向かう。教室のカギを返し、終わらせた書類を先生に提出して俺は一人廊下を歩く。


 すると。


「あれ、間宮じゃん。こんな時間にガッコいるの珍しいね?」


 振り返ると奈緒がいた。

 この時間ならば部活中のはずだが、どうしてか奈緒は制服に着替えていた。それを不思議に思い、俺も疑問を口にする。


「そっちこそ部活はどうした?」


「質問に質問で返すのはどうなのかな?」


 にやにやと笑いながら言ってくる。

 確かに、まずは奈緒の質問に答えるのが先か。


「オリエンテーション係の仕事だよ。今終わったんだ」


「なーる」


 納得したように呟く奈緒にそっちは? と視線で尋ねる。


「今日の部活は早めに終わったの。なんか体育館が使えなくなってさ」


「なんかあったのか?」


「さあ。明日は普通に使えるらしいから間宮が思ってるようなことじゃないと思うよ。体育館がっていうよりは顧問の先生がって感じなのかもね」


 詳しい話は奈緒たちも聞いていないらしい。

 どこかにガタが来ていて補修工事でも行うのかと思ったが、そういう話でもなさそうだ。そういうのはこんな新学期早々にしたりしないか。


「じゃあもう帰るのか?」


「うん。間宮も?」


「ああ」


 俺がそう答えると、何を言うでもなく奈緒は隣につく。

 一緒に帰ろうという意味なのはもはや聞くまでもなく、ましてそれを断る理由はない。なのでそのまま歩き始める。


 少し歩いていると奈緒がじいっと俺の顔を見ていることに気づく。


「俺の顔になにかついてるか?」


「んー」


 奈緒は曖昧に唸る。


「ついてはいないけど」


「けど?」


 まあ、言いたいことは分かっているのだが。


「その顔どったの?」


 絢瀬に蹴られたあとがまだ残っている。何も知らない人がこれを見れば何事かと思うのも無理はない。俺が奈緒の立場でも同じことを言っただろう。


 だから俺は懇切丁寧にすべてを洗いざらい話す。


「あはは、さすが間宮。美園との相性が相変わらず最悪だね」


 おかしそうに言うが、笑い話ではない。


「せっかく関係の修復に成功したかと思えばこれだよ」


 俺がやれやれと溜息をつくと、それ以上の盛大な溜息が後ろから聞こえた。

 何事かと思い振り返ると恨めしそうな瞳で俺を睨む鉄平がいた。体育館が使えないということは男バスも部活終了ってことだし、いてもおかしくはないか。


「うおっ、びっくりした。なんだよ」


「お前ばっかりいい目に遭いやがって。羨ましい」


「お前は便所に入った上履きで思いっきり顔を蹴られるのが羨ましいというのか?」


 言うと、鉄平はわずかな時間に黙り込んで考えた後に笑う。


「羨ましい」


「俺はお前のその性格が羨ましい」


 鉄平はそんなことを言いながらちゃっかり奈緒の隣に並ぶ。

 まあこの流れで一緒に帰らないほうがおかしいしな。


「間宮はこの後用事ないの?」


「ないけど」


 今日はバイトのシフトも入っていない。

 うちのバイト先の店長は驚くほどに融通が利く人で、とにかく学校行事を優先してくれる。テスト前はもちろん文化祭前とかシフトに入れてもらえないまである。この前なんて放課後に「クラスの女子と放課後デートすることになった」という理由でバイト先の高校生が休んでいた。


 子供は青春を謳歌すべき、というのが店長の教訓らしく、その理由に対しては寛大だ。シフトに穴が空いたせいで忙しくなるかと思いきや店長がバカほど働くのでいつもより楽なまである。本当にいい店長だと思う。


「じゃあちょっと付き合ってよ」


「いいけどどこに?」


「それはついてからのお楽しみだよ」


 そんなわけで学校を出る。奈緒と鉄平は自転車通学なので鉄平の後ろに乗る。目的地も分からないまま進むこと十分ちょっと。鉄平はルートから何となくの目的地を察したのだろうが、この辺の土地勘があまりない俺にはまだ皆目検討がつかない。


「ここだよ」


 言って、奈緒がききいっとブレーキをかける。

 俺は目の前にある建物を見上げる。そこにそびえ立つはバッティングセンターだった。


 カキーンと金属バットのスカッとする音が聞こえてくる。

「なんでバッセン?」


「ちょっと体動かし足りなかったからさ」


 自転車を駐輪場に置きながら奈緒が答える。


「それに、間宮もちょっとくらい体動かしたほうがいいと思って」


「俺が?」


「そー」


 別にそういう気分だったわけではないが。

 けど、絢瀬の件でちょっとだけ落ち込んでいたというか、凹んでいたのは事実で。もしかしたら奈緒はそれを感じ取ってくれたのかもしれない。


「さあ、レッツゴー」


 先導する奈緒についていく俺と鉄平。

 バッティングセンターの中に入るとさっそく奈緒がやる気満々にネットの中に入っていく。急速は九〇キロ。初心者が打つならばまず最低速度の八〇キロだろうから、それなりに経験を積んでいるということか。


「いきなり九〇でいいのか?」


「ウォーミングアップにはちょうどいいっしょ?」


 ホームに立って金属バットでブンブンと素振りを始める。

 そのスイングは見事なもので素人のものには見えない。


「奈緒ってよくバッセン来てんの?」


「話は聞くけど、俺もこうして一緒に来るのは初めてだ」


 鉄平でも初めてというのは意外だ。

 俺たちは分け隔てなく接する仲良しこよしグループではあるが、奈緒と鉄平は同じバスケ部ということもあって何となく特別仲が良いイメージがあったから。


 ある程度体が温まったところで機会にコインを投入する。


 奈緒はバットを構える。


 遠くからモニターに映った仮想投手がピッチングモーションを始めた。映像が腕を振り下ろしたタイミングでボールが勢いよく投げられる。


 ブンッ!


 と、いい音を放ち空振りした。

 しかし当てずっぽうにバットを振ったわけではなく、きちんとボールを見て狙いを定めていたのは後ろから見ても分かった。


「あれぇ、おっかしいなあ」


 呟きながら再び構える。

 再びボールが放たれると、奈緒はタイミングをしっかりと合わせてバットを振る。


 カキン!


 今度はしっかりとバットに当てた。芯は外したらしく気持ちよく飛ぶことはなかったけれどこれが実際に野球ならば間違いなくヒットにはなっていたであろう当たりだ。


 そんな調子でバットを振り続けた奈緒は最終的にはしっかりと芯で捉えるようになっていた。なんという運動神経だ。この子バスケ部だよね? ソフトボール部じゃないよね?


「さっ、間宮もやりなよ」


「まあ、せっかくだしやるか」

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