第12話
その日の放課後。
担任の佐藤よりオリエンテーションの係は今日のホームルームで決まったことをまとめて提出するようにとの命令を受けたので仕方なく居残り。
二人それぞれ別の作業を進めているが、さっきからかれこれ二十分、一言の会話もない。
気まずいというか居心地が悪い。
このままなにもしなければ何事もなく時間が経って、作業が終わって解散するだけだろう。問題があるのかと言われるとなにもない。ただ別の問題は一切解決に向かわない。
「……あのさ」
俺は意を決して口を開く。
すると、動いていた絢瀬の手がぴたりと止まる。けれど顔は上げない。
「初めて会ったときの、あれは謝る。本当に悪気はなかったんだ」
そもそもの発端。
俺と彼女の関係がこうなってしまった原因はあの日、俺が彼女の胸を触ってしまったことにある。あれで最悪の印象を与えてしまい、それ以来汚名返上する機会もなく今に至っているのだ。
思い返すと、最近は楓花や奈緒と話すことがあったからか一言程度に言葉を交わすことはあったけど、タイミングが違うと思い謝罪はできていなかった。
関係を改善しようとするならば、まずはあの日のことを謝らなければならない。
「――す」
なにかが聞こえた。
まるで口から吐息が漏れたような音だった。
それが絢瀬の口から出たものだと分かるのはすぐだった。なにせ、この教室には俺たち以外に誰もいない。グラウンドからは野球部やサッカー部の元気な声が聞こえてくるが、もちろんあんな風が吹いたらかき消されそうなか細い声ではない。
「え?」
けれど、聞き取れはしなかった。
なので俺は聞き返す。
「――いです」
震える声が聞こえた。
けれども、やっぱり何と言ったのかまでは聞き取れない。
「あの、もういっかい」
だから恐る恐るもう一度聞き返す。
すると絢瀬はすうっと息を吸い込んだ。
そして。
「もういいです!」
大きな声でそう言った。
「あ、ごめ」
また怒らせてしまった、と俺は思わず謝罪の言葉を口にしようとする。
が。
「ちがいます」
と俺の言葉と被せるように絢瀬が続ける。
「その、初めて会ったときのこと……もういいです」
ばしゃばしゃと視線を泳がせながら絢瀬はかき消えそうな声でそんなことを言った。
それがあまりにも想像していたものとは違っていて、俺は一瞬絢瀬の言っていることを理解できなかった。けど、時間が経つにつれて彼女の言葉が脳内をぐるぐると巡り、ようやくその言葉を飲み込むことができた。
「そ、そう」
「ええ。私の方こそ、その、すみませんでした。あなたを避け続けてしまって」
「いやそれは全然」
避けられて当然のことをしたんだ、とは自分でも思っていた。
もちろんわざとではないし、あくまでも不可抗力だった。結果的に俺が幸せな思いをしてしまったことは事実だが、神に誓ってそれは言い切れる。
ちら、と彼女の方を見ると居心地悪そうに視線を逸らしている。
ここはあまり触れないほうがいいだろうと思い、俺は作業に戻る。それに気づいたのか絢瀬も手を動かし始めた。
誤解を解いたというか、仲直りをしたというか、ようやく謝罪を済ませることができた俺たちだけど、それでも急に関係が変わるわけではない。さっきの今で会話があふれるようなことはないのだ。
しかし、この沈黙はさっきまでと違い心地よいとさえ思う。
嘘だ、それは言いすぎた。さっきまでの空気が悪すぎたからよく感じているだけでめちゃくちゃ普通の空気だと思う。
胸に引っかかっていたモヤモヤがなくなったからか作業をする手も自然と速くなる。
しばらくの間、グラウンドから聞こえてくる運動部の活発な声をBGMにかりかりとシャーペンを動かしていた。視界に入っていた絢瀬の手が止まった。ちらと彼女を見やると、ぐぐっと体を伸ばしていた。
グラビアモデル顔負けのスタイルをしている彼女の胸が主張される。それを見ているのが申し訳なく、俺は慌てて視線を逸らす。足が机に当たりガタリと揺れたせいで置いてあった消しゴムが床に落ちてしまった。
「あ、と」
「なにをやってるんですか」
これまでならば冷たい声色だったであろう絢瀬の声は、呆れているようにも聞こえたがどこか穏やかだ。
俺はイスを引いて消しゴムを探す。どうやら机から落ちた消しゴムはそのまま足元まで転がってしまったようだ。面倒だなと思いながら俺はお尻を上げてしゃがみこむ。
ちょうど机の下辺りに落ちた消しゴムを手にしたところで顔を上げると目の前にあってはならない光景が広がってしまっていた。
スカートから伸びる太もも、そして暗がりの中にかすかに見える白のアレ。俺はしまったと慌てて顔を背ける。ガタンと頭を机で打ったところで絢瀬は机の下で起こっていることに気づいたのか、足を閉じてスカートを抑える。そしてイスを引いてこちらを覗き込んできた。
「あ、いや、これは違くて」
「あなたという人は、やはりさっきの謝罪は取り消させてもらいますッ」
言いながら思いっきり足が飛んできた。思いっきり蹴られた俺は後ろにふっ飛ばされる。
「あとの仕事はお願いします!」
そして、絢瀬は荒ぶった声で言い残し教室を出て行ってしまった。
あまりに突然のこと過ぎて、ちらと白いあれがまた見えたなあ、なんて場違いなことを考えてしまっていた。多分、脳が考えることをやめていたんだと思う。
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