第9話
高校一年の夏前からアルバイトをしている。
学校の帰り道にある駅のファミレスだ。いろんな選択肢がある中でファミレスを選んだのは別に時給が良かったからでも家から近いという理由でもなく、単純にコミュ力を強化するために接客業をしようという短絡的な考えだ。
もちろん最初は右も左も分からず、仕事を覚えるだけでも大変だというのにその上コミュ力皆無でダメダメだった俺だが、さすがに一年近く働いているとそれなりに成長する。
どころかメンバーの入れ替わりにより中堅くらいの扱いにはなってしまった。
ピークの時間を過ぎると店内はだいぶ静かになる。
ホールで客の案内や注文を取りに行くのがメインの仕事だが、こういう落ち着いた時間にはキッチンの方で皿洗いだったり簡単な手伝いをしたりする。
そんなわけでカチャカチャと溜まった皿を洗っていると後ろから肩を叩かれる。
「後輩。今日はえらくしょぼくれた顔をしているね。まるでリストラ宣言をくらったサラリーマンのような背中をしているよ」
「そこまでじゃないと思いますが?」
言いながら振り返ると、すらっとした高身長の女性店員がにいっと笑っていた。
紺色のショートヘア、スレンダーなボディラインはどこかモデルのようだ。ぴしっと背筋が伸びており、一つ一つの所作ががきれいだ。いつも落ち着いた雰囲気を纏う、俺からすると大人な女性って感じの人だ。
彼女の名前は桜明日菜。
俺よりも三つ歳上、二十歳の大学二年生。
「まあまあ、それは冗談だけど。なにか悩み事かな? 後輩くんのささやかな悩みくらいお姉さんが聞いてあげてもいいんだよ?」
カチャカチャと皿を洗う手は止めない。
「今仕事中なんですが?」
「お客さんも引いてきたし、ぶっちゃけ暇なんだよね」
「それが本音か」
ケッと俺が吐き捨てると桜さんはくくっと笑う。
「冗談だよ。そう簡単に真に受けないでくれ。私の冗談を真剣に流してくれるのが君のいいところでしょ?」
「他にないのか」
「それで?」
桜さんが隣に並ぶ。
流し台は二人並んでも窮屈に感じないくらいには広い。もちろん三人で並ぶと狭いが。
大量の皿を手に取った桜さんは俺に手本を見せるようにゆっくりと、よく言えば丁寧にお皿を洗う。
こうなった彼女は自分が満足するまで折れないので俺は諦めたように息を吐く。
まあ、これまで何度も学校生活について相談してきたわけだし、もしかしたらなにかアドバイスをくれるかもしれない。俺は藁にもすがる思いで話し始める。
「学校である女子生徒に嫌われてるんです」
導入部分だけ聞くとイジメの悩みっぽいなと自分で思う。
けれど、桜さんは茶化すことなく話の続きを促してくる。
「俺の友達がその女子生徒と仲良くなろうとしてて、けど俺がいることを気にしてそれを躊躇ってるぽい。関係の改善に臨もうとしても取り付く島もない」
言葉にすると難しい。
けど、そこまでを聞いた桜さんは「ふぅん」と小さく言う。
「ちなみになんで嫌われてるのかな?」
「……言わなきゃダメですか?」
「もち」
「黙秘権を使いたいんですが」
「拒否する」
かくかくしかじか、と俺は彼女が転校生でファーストコンタクトの際に胸を触ってしまったことを説明した。すると桜さんはにたりと笑ってこんなことを言う。
「え、なんだって? ちょっと上手く聞き取れなかったからもう一度言ってもらっていいかな? 誰が誰のなにを揉んだって?」
「いやそれもうほぼ聞こえてるでしょ」
揉んだって言ってるし。
俺がツッコむと桜さんはくすくすと笑った。
「君はその子とどうなりたいのかな?」
かと思えば、すうっと表情を切り替えて真面目モードに入る。
この人と話していると、気づけば彼女のペースに巻き込まれている。けれど、不思議とそれを嫌と思わせないのが彼女の凄いところだ。
「まあ、仲良くなれるならそれに越したことはないですけど。けど謝ろうにもそのチャンスがないし。関わろうにも避けられるし。ぶっちゃけ、手詰まりって感じで」
そこまで言い終えると、桜さんの手が止まる。
そして、洗い終えたお皿を置いて、視線は下に落としたまま口を開く。
「けど、その子も本当に君のことを嫌がってるわけじゃないと思うよ」
「……その心は?」
「顔も見たくないくらいに君に対して嫌悪感を抱いているならば友達の輪に入ろうとさえしないはず。私ならば嫌いな相手と同じグループにいるなんて絶対にごめんだもん」
とは言うが。
とてもそうだとは思えない。
「一つ、ほんの些細なきっかけがあれば固く結ばれた紐だって解けるってもんだよ。君が諦めなければきっとその機会は訪れるさ」
「そう、ですかね」
うん、と言いながら桜さんは再びお皿を手にする。
残されたお皿はあと僅かだ。
「いつだったか、君は言っていたね。漫画の主人公が送るような、きらきらした青春の日々を過ごしたいって」
「ええ、まあ」
ここでアルバイトを始めて、桜さんと話すようになった頃だろうか。
無理に笑って周りに合わせて、自分を偽りながら過ごす日々に疲れていた俺は彼女に弱音を吐いたことがある。そのときの流れで確かにそんなことを言ったような気もする。よく覚えているな、と俺は感心した。
「その子との仲直りを諦めた先に、君の言う青春の日々っていうのはないんじゃないかな」
「そんなことないと思いますけど」
「そんなことあるさ」
どうして、と思いながら俺は桜さんの方を見る。
すると彼女もこちらを見て、そしてにいっと笑った。
「だって、その主人公は諦めないでしょ?」
「そりゃ漫画だし」
あれは創作であり、これは現実だ。
全てが上手くいく世界ではない。
「人生を歩く上でさ、壁にぶち当たることってあるよね?」
「急になにを」
「どう?」
「そりゃ、まあ」
言ってしまえば、それの繰り返しが人生とも言える。
壁にぶち当たり、それを乗り越え、何かを手にし、何かを失い、また壁が現れて、挫折し、再び乗り越え、またなにかを手にする。そうやっていろんな経験をして大人になり、いろんなものを失くして、それと同じくらいになにかを手に入れる。
「その壁の大きさに戦意を失う人も少なくない」
「はあ」
なにが言いたいのだろうか、と俺は桜さんの言葉の続きを待つ。
「けどさ、神様はきっと乗り越えられない壁を創ったりはしないと思うんだよね。もし仮にとてつもなく高い壁が立ちはだかったとしても、それはその人が本気で頑張れば何とか乗り越えられる、そんなギリギリの高さの壁だと思うんだ。それを見ただけで無理だって諦めてる人がほとんどなだけで」
「つまりどういうことですか?」
俺が訊くと、桜さんは最後の一枚を洗い終え、カチャリとお皿を重ねる。
「君ならばきっと乗り越えられるってことだよ。頑張るといいさ。精一杯、目一杯ね」
話は終わりだね、とでも言わんばかりに濡れた手を拭いて桜さんはホールの方へと出ていってしまう。
「頑張れば乗り越えられる、か」
俺は桜さんの言葉を思い出し、忘れないように呟いた。
あの人の言葉はどれも無責任だ。
けどそれは仕方ない。だって、あくまでもこれは俺の問題であって、彼女からすれば他人事でしかない。
なのに。
どうしてか。
桜さんの言葉は胸のモヤモヤをすうっと晴らしてくれる。
「やるしかないか」
つぶやき、彼女の後を追うように俺もホールに出た。
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