第5話


 昼休み。


 俺は鉄平、栞の三人で学食に来ていた。

 基本的にいつも一緒にいる俺たちだけど、かといって常に一緒にいるわけではない。他にも友達はいるのでそいつらと飯を食うときだってある。全員で食べるときもあるけど、こうして数人でという日だってある。本当に稀だけど、俺は一人で食べることだってあるのだ。


 まあ、もともとが教室の隅にいるような陰キャなので一人が辛いのかと言われるともちろんそんなことはなく、むしろ時々ならば大歓迎なまであるわけで。


「それにしても、絢瀬はすごい人気だよな」


 カツ丼大盛りを豪快に食べ、それを飲み込んだ鉄平が言う。


 今朝の絢瀬を取り巻く男子軍団は鉄平たちが朝練終わりで教室にやってくるときまで群がっていた。まるで大人気アイドルでも転校してきたような空気感だと一日中感じていた。


「性欲の権化とも言える鉄平が彼女に群がらないのはどういうわけ?」


 きつねうどんをちるちると啜る栞が相変わらず淡々とした声色で尋ねた。


 そんな様子を俺は唐揚げ定食を食べながら見守っている。


「あんな大勢の中に紛れても埋もれて終わりだろ。ここは奴らとは違うんだぜっていうのを見せつけるのが正解だ。つまり、少し離れたところから眺めてクールな印象を与えるのさ」


 うっわあ、朝の自分の思考を改めたい。

 別に本気で言っていたわけではないけど、冗談でも鉄平と思考被るのかよ、と俺はバレないように肩を落とした。


「鉄平には無理よ。おとなしく群れの一部になってきなさい」


「失礼な。無理とは限らないだろ」


「限るわよ。だってあなた、ばかだもの」


「バカだってできるんだぜ!」


「バカであることは認めるのな……」


 それでいいのか?

 俺のぼそりと呟いたツッコミは届いていないのか、届いた上でスルーしているのかリアクションはなかった。


「栞的にはどうなんだ?」


「どういう意味?」


「絢瀬。どういう印象?」


 俺の問いに栞はふむと小さく息を吐く。

 別にそこまで考えるほどの質問ではなかったのだけれど。


「意中の相手がいるわけでもなく、特別嫉妬深いわけでもない私からすれば別になんでもないわ。まだ会話をしたわけではないからなんとも言えないけど、きっと悪い子ではないと思う」


「なんか変な言い方だな」


「そう? ああいうタイプの女子はまずその心配をするべきだと思うわ。女子っていうのは集団でいないと生活できない弱い生き物だし、あなたたちが思っている以上に醜い生き物なのよ」


「自分も女子なわけだが?」


 俺が言うと、栞はくすりと笑う。


「まったくもってそのとおりでしょ?」


「ほんとそのとおりだな、とは言えないだろ」


 半年ほど一緒にいるけど未だに栞のことは分からない。

 分かったようで分かっていない。なんというか、彼女が自分の全てをさらけ出していないような、そんな気がするのだ。けど、それを栞が望んでいる以上、俺は深く踏み込もうとは思わない。


 俺だって、友達に全てをさらけ出しているわけではないのだから。


 全てを知らなくたって、友達は友達だ。


 友達だから嘘はついてはいけない。隠し事はしてはいけない。というのは間違っていると思う。友達だとしても隠したいことはあるだろうし、友達だからこそ秘密にしたいことだってある。


 昼食を食べ終えた俺たちは学食を出る。


「そういやさ」


 廊下を歩いているときに鉄平が口を開いた。


「今年のオリエンテーションってなにするんだっけ?」


「あー、そういや去年もあったな」


 鳴木高校は新学期が始まって少しすると親睦を深めるという意味のオリエンテーションが行われる。確か四月の中旬から下旬辺りのどこかで行われるはずだ。まだ先生からそんな話はされていないが、毎年恒例のことらしく、今年もあることは間違いない。


「なにするんだろ」


 去年は学内でいろいろとやった。

 自己紹介に始まり、大縄跳び大会、学食のメニューを無料提供などなど、一年生ながら中々の大盤振る舞いにテンションが上がったものだ。二年生となれば昨年よりスケールアップされていることが期待されるのだが。


「知ってるか?」


 隣を歩く栞に訊く。


「もちろんよ。その程度の情報を私が知らないと思われていたことが心外だわ」


 本当にそう思っているのか、ケッとつまらなさそうな顔をする。


「んで、その内容は?」


「バーベキューよ。バス移動で施設まで行くらしいわ」


「へえ」


 ちょっと豪華になっている、気がする。

 学校行事で学外に行くっていうのがもう特別なんだよな。文化祭や体育祭は楽しいけど、遠足や修学旅行はそれとは違ったわくわくが伴っている。


「そろそろホームルームでその話題が上がるんじゃないかしら」


 なるほどねー、と返事をしながら歩いていた俺はそのとき視線を隣の栞に向けていた。


 つまりどういうことかと言うと、前方への注意を一時的に怠っていたのだ。そこに曲がり角があるなんて忘れていたし、もちろんそこから人が出てくれば避けることは難しい。


 まして、相手が走っていれば不可能と言っていい。


「きゃっ」


「ぐあッ」


 ドン!

 どさっ!

 突然のことに反応できず、俺は衝撃のままに倒れてしまう。


 人間の反射反応なのか、倒れそうになったときに咄嗟になにかに掴まろうと手を伸ばすことがある。気を抜いていた俺はその反射もあってか咄嗟に手を伸ばした。それと同時に背中に鈍痛が走る。


 相手の方が勢いがあったからか、こっちが押されて倒れてしまったようだ。


「お、おい謙也」


「あらあら」


 震える声を漏らす鉄平となにやら楽しそうな栞。


 ふにっ。

 ふにっ。


 はてさて、ところで咄嗟に伸ばした手が掴んでいるこの柔らかいものは何なのだろうか。


 嫌な予感を覚えつつも、恐る恐るゆっくりと目を開く俺。一番最初に視界に入ってきたのは嫌悪感というか憎悪感というか、とにかくそんな感じで思いっきり表情を歪めきった女子生徒の顔だった。


 黒髪のミドルボブ。

 長いまつ毛に大きな瞳、小さな鼻にさくら色の唇、すっとした顔のライン。見覚えのある顔だなあと困惑する脳を動かすと彼女が転校生の絢瀬美園であることを理解する。


 ふにっ。

 ふにっ。


 どうやら俺は廊下を走っていた転校生とぶつかってしまったらしい。ファンタジー作品ならばここで「私達、入れ替わってるぅー!?」となるところだがもちろん現実でそんなことが起こるはずもなく。


 状況から考えるに、どちらかというと俺は被害者側なのではないだろうか。にも関わらず彼女は俺をこれでもかというくらいに睨んでいる。白い頬が真っ赤に染まっているのはさっきまで走っていたから……では、ないのかしらん。


 ふにっ。

 ふにっ。


 俺は気まずさから視線を逸らすように下へと下ろしていく。細い首、小さな肩、引き締まったウエストにスカートから伸びる太もももパーフェクト。遠目でも明らかだったが間近で見たらその迫力たるやとどまるところを知らない。


 それに、あれですね。


 お胸もね、素晴らしい大きさ。


 それと、あれだ、実に柔らかい。


 マシュマロのような柔らかさと表現されることがあるけれど、あれは中々に言い得て妙なのかもしれない。弾力がそんな感じだ。


 つまりどういうことかというと俺の手はしっかりと彼女の胸元を捉えていた。何度か動かしていた手はその豊満な膨らみを揉んでしまっていた。


「そろそろその汚らわしい手をどけてもらっていいですか?」


「あ、ああー、なんかやけに幸せな感触だなと思ったらお胸だったか。これは役得だなあ」


 めちゃくちゃに棒読みだった。


「言いたいことはそれだけですか?」


 俺はぱっと手を放す。


「一応言っておくと、事故だよな?」


「一度目はそうですね。その言い訳を適用してもいいでしょう」


「二度目以降は?」


「適用外です」


「な、なるほどー」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ、という怒りの効果音をバックに流しながらこちらを睨む絢瀬。その威圧感はこれまで味わったことのないほどだ。


「で?」


「で、とは?」


「他に言っておきたいことはありますか?」


「あ、ありがとうございました?」


「謝罪より先に御礼を言ってくるあたり、救いようのない変態のようですね。歯を食いしばってください」



「え、なん――」



 俺がいい終える前に凄まじい威力のビンタが俺の右頬を襲った。

 一瞬視界がぐらつき、少しして叩かれた部分がじんじんと熱くなる。


「最低ですね」


 一言言い残し、立ち上がった絢瀬はスタスタと歩いて行ってしまった。

 俺は起き上がる気力すら沸かず、床に倒れ込んだまま天井をぼうっと眺めていた。すると視界に鉄平と栞が入ってくる。こちらを覗き込んでくる鉄平が口を開いた。


「柔らかかったか?」


「想像以上だった」


「うらやまけしからんな。ぜひとも俺とポジション変わってほしかったぜ」


「奇遇だな。同意見だ」


「とりあえずクラスの男子連中に話してくるか」


「やめて? ろくなことにならないの目に見えてるからやめて?」


「もういないわよ」


 知ってる。


「童貞の謙也的にはラッキーな展開だったかしら?」


「あれと引き換えに強烈なビンタを喰らうくらいなら起こってほしくなかったイベントだった」


 言いながら、俺はゆっくりと体を起こした。

 そんな俺を見て、栞はふへっと笑う。


「本当に災難なのはこの後だと思うわよ」


「……ですよね」


 教室に帰った俺は嫉妬の炎を燃やした男子連中に囲まれてボコボコにされた。目が合った楓花に助けを求めたけれど、なぜか笑顔で無視された。

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