第七話 『理想のためのあこがれを、牙に込めて』




「……難民の受け入れを、四都市で分割したってわけか」


「キティお嬢さまの交渉力のおかげだ。これで、寒空に放置されずにすむ。これが、切符だ」


 シュエは『シャル・リリィ鉄道』のトニーに、切符を渡す。


「確かに。全員分ある。『ゴーティ』の監獄に、山賊350名さま、お届けしてくるぜ」


「気をつけろよ。オレもついて行ってやりたいが……」


「安心しろって。『フーレン』の連中も薬で麻痺状態だし、『鉄腕』に親分をぶちのめされたのが、メンタルに効いちまってるみたいだ」


「カートマンも、群れのボスを倒せば効果的と言ってはいたが……」


「まあ。こっちは『ゴーティ』からも護衛が来るし、『ギアレイ』からも機械天使の護衛付きだから、問題はない」


「レミーか。いい人そうだ」


「……ああ。うん。可愛い子だよね…………シュエ」


「なんだ?」


「二兎を追う者は一兎をも得ず。そういう言い伝えがあるらしいぜ」


「ことわざだろ」


「とにかく。しっかりと、キティお嬢さまをお守りしろよー」


「任せろ。命に代えても守る。オレは、キティの『騎士』だ」


「お、おお。お前、冗談通じないというか。まっすぐな目で言うから、迫力があるよな」


「冗談が通じないか。冗談についても、戻ったら、教えてくれ」


「人付き合いを学びたくなったのか? へへへ。そいつは、良いことだ。じゃあ。そっちもジャズを聴けよ。きっと、お前の魂を成長させてくれるから!」


「ああ。気を付けて」


 トニーはうなずき、鉄道員の帽子をかぶり直す。ふー、と長い鼻息を白く残して、『ゴーティ』に向かう列車の運転席に、勢いよく上って行った。


 長距離の運転士としてのデビューだ。シュエには、言っていない。ベテランぶりたいからだ。緊張はある。何せ、山賊の『フーレン』どもを山ほど載せて運ぶのだ。


 しかも、行き先は悪名高い『殺戮卿』の本拠地であった『ゴーティ』である。身震いの一つもしたくなる。だが……後輩がこちらを見送っているのだ。緊張になど、負けていられない。


「あっちも、大仕事が待ってるんだからな。『四都市同盟』の復活。そのために、キティお嬢さまの護衛をする。お互い、やり遂げるぜ、シュエ!!」


 汽笛を鳴らす。歌を帯びた蒸気が夜空の高くまで伸びて、四秒後には冷やされて雪になる。トニーの運転する列車が、大雪原を走り始めた。


「……きっと、ジャズを聴きながら運転するんだろうな」


 仕事をしている時も、ジャズの話ばかりだった。ついさっきも、そうだ。


 シュエは、記憶を取り戻せてはいないが……新しい記憶が得られた事実を喜ぶ。


 上空に、甲高い飛行音が響いた。天使型の巨大兵器だ。この高さからでも、こちらの視線に気づいたのか、くるりと曲芸飛行をしてくれる。


「守ってくれよ、トニーは、戦いについては上手じゃなさそうだから」


「……おーい。シュエ。こっちも、仕事終わったから、戻ろうぜー」


 チュンメイに呼ばれる。スノービークルにまたがる小柄な彼女にも、大事な仕事があったが、それを終えたらしい。エンジンを吹かして、雪を巻き上げて遊んでみる。得意げに、頭上から降る雪を浴びた。


「……『蓬莱』行きの列車も、出発したのか」


「そうだ。ありがたく思えよ。私も、『蓬莱』に電話を入れたのだ。孤児を引き取ってくれとなー」


「助かる」


「身寄りのない子供たちも、あの虎どもは誘拐していた。引き取り手は、いくらでもいる。その点でも、『蓬莱』は頼りになるのだ」


「チュンメイたちの機関都市は、孤児を受け入れてくれるのか」


「うむ。まあ、その……傭兵に育てるためだがな」


 大雪原の現実は、きびしいものだ。誰しもが、誰かを利用しようとする。情だけでは、回らないほど、ヒトに居場所を与えるという行いは軽くはない。


「当たり前だが、傭兵は、よく死ぬ。人手不足なのは、慢性的なのだ」


「だから、よそから孤児を受け入れる」


「減れば、足す。わかりやすい算数だよな」


 シュエはうなずいた。素直に現実を受け入れている。だが、チュンメイはもう少し説明しておきたくなった。『蓬莱』という生まれ育った場所が、誤解されるのは嫌なのだ。


 あらゆることに、側面があった。


 現実は複雑なのである。


「あのな。別に、外から孤児を集めているだけじゃないぞ。消耗品みたいに、扱ってるわけじゃない。『蓬莱』の……夫婦の傭兵が死ねば、その子供たちは孤児になるじゃないか?」


「そう、だな」


「だから。そういう子たちのためにも、孤児院に対しては、『蓬莱』は金をかけているんだ」


「そうか」


「悪くはないトコロだぞ? 私と姉上だって、両親が亡くなってから、しばらくのあいだは孤児院にいたのだ。先生たちは、やさしくしてくれるし、ゴハンもおいしい。傭兵になると……死ぬことが増えるのが厄介なだけだが、儲かる」


 稼ぎはいい。命を危険にさらす行いに、見合った金はもらえる。大雪原は、労働の危険性に報いを与えてはくれた。


「イージュン・アインホルンも、『高給取り』か」


「俗っぽい鉄道員言葉を覚えるのは、キティお嬢さまの執事らしくないかもしれんぞー……」


「注意する」


「……でも、うん。その通りだ。姉上は『蓬莱』で一番の『稼ぎ頭』だった。だから、私たちが孤児院にいた期間は短い。姉上は、危険な仕事から受けた。報酬がいいからだよ」


「孤児院にいなくても、暮らせるだけの金を得た」


「そうだ。危険に打ち克った。姉上は、とても強いから……でも、忘れていないんだろう。孤児たちに、ごちそうするぐらいだ。ちゃんと、あの場所を忘れていない」


 チュンメイも、忘れてはいなかった。たくさんの孤児たち。世界でいちばん悲しくて、さみしい思いをしているのは、自分と姉だと信じていたが……。


「この世の中には、たくさんいるんだ。世界で、いちばん、悲しくて……さみしい。そんな気持ちになっているヤツが。キティお嬢さまだって、そうだろ……」


 何かに当たりたくなったのかもしれない。あるいは、暴れる音に誤魔化しを頼ったか。スノービークルのエンジンを吹かし、爆音と共に空転する無限軌道/ゴム・キャタピラで雪を巻き上げた。


「ハハハ! ああ……雪が、落ちてくる。楽しいよな、これー……」


「……こうするのが、正しいかは分からないんだが」


「ん?」


「ハンカチを貸そう」


「…………泣いてないぞ」


「そうか。そうだな」


「……ああ。でも…………借りておこう」


 甘い香りがするハンカチだ。花の香りを、フィックスドフラワー家の者たちは好む。チュンメイは、その香りに……ゆっくりと慣れ始めている自覚を得た。この場所は、あまりにも寒い大雪原の道理とは異なる温かさがある。


 世界でいちばん悲しくて、さみしい気持ちになっているはずの16才の少女は、この香りがあるからがんばれるのだろうか。使用人たちは、屋敷のあちこちに花を飾る。この心地良さを、皆で必死になって作っているのだ。


 ハンカチで、冷たさに凍りそうな涙をぬぐい、チーンと鼻をかんだ。


 こちらをじっと見つめたままの、記憶の足りない少年を見つめ返す。


「……「お金があれば、ほとんどの楽しみも満たせる」。姉上の言葉だ」


「言いそうだ」


「『蓬莱』のサキュバスだからなー……」


 あの列車内での恥ずべき行いは、姉の品位を疑わせるには十分であった。


「でも、あんな姉上でさえ、父上と母上が殺された時は、悲しくて、泣いたんだ。私に抱き着いて。シュエ、キティお嬢さまにやさしくしてやるように」


「もちろん。紳士的な振る舞いは、マルクからも習っている」


「マルク基準じゃ、サキュバス部門の領域までは教えてくれそうにないな」


「サキュバス部門?」


「あはは。こっちのハナシ。気にしなくていい。ただ、孤児ってのは、さみしいんだ。やさしくな……チョコレートみたいに」


「うん。笑顔にさせたい」


 シュエは飴の中に入れられていた、あのチョコレートを思い出す。『ギアレイ』に恨みを持つ少女さえ、笑顔にさせた……。


「アレン・フィックスドフラワーは、ああいう笑顔が、好きだったのか」


「会ったコトないけど。キティお嬢さまの父親というのなら、そうだろう」


「きっと、そうだ」


「うん……じゃあ。甘々のチョコレート部門の振る舞いも、覚えておけ。きっと、笑顔にしてやれるからな」


「努力する」


「ホットチョコレートも最高だぞ。孤児院でも、もらった。あれ、甘くて……安心する」


「……思い出すだけで、笑顔になれるんだな」


「そう、だな。記憶って、いいもんだ…………あ。すまん。お前は……」


「新しい記憶は、見つけられている。今度は、忘れないようにしないとな」


 うなずいた。正しい言葉を、一瞬では見つけられなくて。チュンメイも、まだまだ子供だ。子供の傭兵だ。多くの『部門』を、知らないままである。


 見つけられない言葉を探して、遠くで響いた汽笛に視線を向けた。それをマネするように、記憶の足りない少年も瞳を動かした。『蓬莱』へと向かう列車であり、そこには多くの孤児たちが乗っている。


「元気づけるために、汽笛を鳴らす」


「大雪原の、伝統だよ。ちょっとだけ、背中を押してくれる気がするだろ?」


「傭兵になる子たちが死なないでいいように、『四都市同盟』を結成させよう」


「うむ! チョコレート部門として、正しい!」


「キティも、喜ぶからな」


「あはは。違いない……平和になったら、喜ぶに決まってる。いい子だもん。平和に……ん。だ、だが、平和になると、私たち傭兵の仕事がないよーなっ!?」


「チュンメイはメイドになればいい。オレも、執事や鉄道員の仕事ばかりをしよう」


「そ、それは、それで……どーにも、刺激が足りないよーな……っ」


「刀術の相手ぐらいなら、オレがいくらでもしてやるぞ。満足するまで」


「お、おうっ。その……まっすぐな目で見つめながら言うな……っ」


「『ガンつけ』していたか?」


「俗っぽい単語を、あまり覚えるなよー。鉄道員や職人の言葉より、執事らしくだ」


「考慮する。さあ、そろそろ戻ろう。雪原にいると、風邪を引く」


「だな! よーし。乗れ」


 チュンメイの運転するスノービークルは、癖があった。急加速と、無意味な左右の横揺らし……楽しんでいるようだ。いや、楽しんでいる。


「他人様の燃料代で走らせるスノービークルは、最高だなー!!」


 また一つ、シュエは知識を手に入れる。


「覚えておこう」


 くだらない知識も、ヒトには必要だ。生きていくとは、仕事と遊び、義務と解放を、交互に踊るワルツなのだから。楽しみ方も、覚えなければならない。より良く生きるために、より良く義務を果たすために。


 スノービークルが『シャル・リリィ』の先頭車両に到着する。長い放浪の戦いを終えた『レール・ロード』が、収容されようとしていた。解体し、部品を取るのか、あるいは、回収して『シャル・リリィ』に所属する戦闘列車の一つとすべきか。技師たちは、比較データを提出するためにコスト計算を始めている。


 難民たちの受け入れがスムーズにいったおかげで、『レール・ロード』に応急処置を施した後で、大雪原に難民たちを乗せたまま旅立たせるという『冷たい』選択肢を取らなくても良くなった。


「政治的な取引のおかげだよ。『余裕』があるという点を、見せつけたいのさ」


 カートマンは戦闘報告の書類を作成しながら、ベアトリーチェの淹れてくれたコーヒーを口に運ぶ。ブラックだ。三十路になると、この味に舌が喜ぶようになる。


「はあ。最高……」


「私が作れる唯一の『料理』だからね」


「……コーヒーを、料理って呼んだヤツと出会えるなんて、長生きしてみるもんだ」


「皮肉を、どうも。でも……政治的な取引、か」


「ベテランには分かるよ。君の苦々しい表情の理由が」


「政治的な力が関わる戦場って、ろくなコトが起きないもんね」


「ホント、そうだ。読みにくくなっちゃうから、嫌だよねえ。でも、あれだ。『ギアレイ』の……『ギア・エルフ』を、先に見れたのは良かった」


「レミー・マグネリィ、最強の『ギア・エルフ』の一人」


「150年以上の、戦闘経験値だ。見た目は、乙女で、所作も十代にしか見えないのが、恐ろしいね。まるで大女優が、演技でも、しているようだ」


「猫をかぶっているのね、150才の歯車仕掛けの少女は」


「かもしれないし、たんに純粋なだけかもしれない。『ギアレイ』は、男を追い出した。色恋の経験も、そりゃ少なくなるだろ」


「女だらけのサイボーグ宗教軍事国家か。たしかに、色気が、足りないわよね」


「そだね。おじさん、『ギアレイ』に雇われなくて良かったよ」


「戦いの専門家さん。こっちと、あっち。どれくらいの戦力差がある?」


「……シュエが、『鉄腕』を、どれだけ運用できるか次第だ。天使を使ってくれるなら、広い空間が要る。そうなると、楽に戦えるかもしれん」


「やるなら、守るよりも、攻めるってコトね。『シャル・リリィ』内部で戦うより、『ギアレイ』に乗り込む方が、やりやすい」


「そうだ」


「……はあ。どうにも傭兵脳してるわね。我ながら」


「君がメイド脳に交換することを、マルクの旦那も望みはしないだろうよ」


「当然。でもね、好戦的なメイド過ぎて、ちょっと反省したくもなるわ」


「そういう子も人気だよ。大雪原では、需要がある」


「知ってるわ。だから、フィックスドフラワー家に雇ってもらえてる。不器用でもね」


 唯一可能な料理であるコーヒーを、ベアトリーチェもすする。美味い。それはそうだ。これを作るのに才能はいらない。お湯と、良い豆があればいい。


 カフェインは好きだ。頭に冴えを与えてくれる。


「……『雷虎』が、ここにいたのは偶然なハズ、ないわよね」


「ないだろうねえ。細かい事情を聞きたいが、『フーレン』の盗賊は、トップダウン」


「リーダーである『雷虎』しか、行動の理由を知らない」


「推理の出番だね。小説に出てくる、クールな探偵みたく考えてみようか」


「考えるまでも、ないわ。『雷虎』に依頼が出せるようなヤツは、そういない」


「エステルハルドは、その少ない容疑者の筆頭かな」


「ええ。二番目は、『ギアレイ』のクアン・クーラン使徒長、三番目は『ロッソール』のガリエラ伯爵」


「『ギアレイ』は、『フーレン』みたいな筋肉質な山賊を嫌う。歯車の教義と会わないぜ」


「『ロッソール』は、アーデルハイト・エステルハルドから攻撃された」


「四番目まで、考える必要はなさそうだね」


「どうせ、『ハイジ』殿の企みだもの」


「『四都市同盟』結成を、望まない。妨害を、仕掛けるか。父親亡き今も?」


「喪に服すような令嬢じゃ、大雪原の領主の娘は務まらない」


「言えてる。それに、エステルハルドは、とくにそうだろうな。『殺戮卿』の娘ね。会いたくねえわ」


「私もね。でも、『標的』の一人だから、今ここに現れるかも」


「……笑えんね。コーヒーに、ミルクを入れたくなるよ。よく眠れるように」


「あの縦に割れた、金色の瞳でにらまれる経験は、体に悪いわ」


「良いコト探ししよう。『雷虎』は死んだ。遺体は、処分されただろう」


「『ギアレイ』に回収されたのは、気になるけどね」


「情報を吸い上げるためだ。死体からでも、科学技術が無粋にデータを吸い上げる。こちらの潔白を証明するメッセンジャーにはなるよ」


「私たちと、『雷虎』の無関係さを、『ギアレイ』は自分で証明するでしょうからね。他の情報を、共有してくれるとは限らないけど。クアン・クーランは、この会談、破綻すればいいと望んでいるでしょうから」


「独り占めした方が、安心するってヤツも多いからね」


 空になったコップを見る。おかわりは、しない。ベアトリーチェが、飲むからだ。レディー・ファーストであり、衝突を避けるコツだ。その代わりに、ちょっとだけウイスキーを飲むことにした。機械仕掛けの肝臓にスイッチを入れておけば、酔うことはないから問題はなかった。


「問題は、ありません」


「ご苦労だった」


 使徒長クアン・クーランは、検死官からの報告に満足する。問題はない。『雷虎』から得られた情報は、『独占できた』のだから。


「……『鉄腕』との、交戦データ。貴重なものがな……生身も、それなりにメモリーとして使える。医学的な、解剖のおかげで」


 問題は、ない。


 あるとすれば、『想像していた以上に、強い』という事実のみ。


「記憶を失っている者が、『雷虎』を手玉に取った。記憶とは、力だ。魂そのものだ。ヒトに、自力以上の力を与えられる、魔法の根差す場所……記憶が無ければ、戦いを制するための意志は弱くなる。それでいて……ここまで、『鉄腕』を使いこなすか」


 レミー・マグネリィの『知覚』も、この情報を裏付けた。「彼は、『雷虎』の動きを途中から読んでいたようですね。歯牙にもかけない。視界に入れるまでもないような、実力差だった。そんなトコロだと思います。少し、『強すぎます』ね」。


 戦士としては、笑える。


 為政者としては、笑えなかった。


 検死官が敬礼をして立ち去ると、クアン・クーランは執務室の中で自由を得る。独り言でしか、本音を口にするのも許されない身分だ。


「……強い敵と会える。かつては、好ましいだけだったが。今の身分となってはな……」


 キティの自信にあふれる表情を思い出す。16才の小娘と過小評価はできない。


「『牙』の当主に、『流れ』が与えられている。戦いを左右するのは、力と……運命。見定めなくてはならん。負ける、わけにはいかない。これは、チャンスなのだ」


 勝者となる。『四都市同盟』のために、大物たちが集まっているのだ。『独占』を目指すなら、これほどの好機はまたとない。


 嫌悪していた男が、脳裏に浮かぶ。


 ゾルハ・エステルハルド。


 あの『殺戮卿』が、自分の立場であれば? 明白な答えを機械に置換された脳は見せた。


「……襲撃するだろう。殺して、奪い取る。歴史は、その行いを軽蔑するかもしれないが、政治的な野心は、果たされるのだ。『ギア・エルフ』ほど機械化しても、魂は、心は、他者と究極的には分かり合えない。永遠を手に入れたはずなのに、どうしてこうも……」


 心は、囚われる。


 不老不死、最も合理的な判断力の使用者である『ギア・エルフ』たち。


 この大雪原の覇者として相応しい力を持っているグループの一つであるが、他者を信じ抜く能力は未完成のまま。


「ヒトの行いなど。疑う方が、合理的だ。『ギア・エルフ』は……命を、紡がなくなった。この進化を、ゾルハは笑った。アイデンティティを保つため、魂のコピー/複製を封じ、自分を獲得したはずなのに……孤独からは、逃れられん」


 だから。


 疑わなければならない。


 減少し続ける、『ギア・エルフ』に……未来を与える唯一の方法は?


 歯車仕掛けの精密な思考が、答えを示す。


「我々が、大雪原を支配する。我々だけのテリトリーにするのだ。この星を、『ギア・エルフ』だけで満たせれば……それは、永遠にして絶対の、争いのない平穏だ」


 死んでいった者たちの記憶が、永遠の不在となってしまった者たちの記憶が、クアン・クーランの胸の奥で、カチカチと音を立てる。


「記憶は、私に意志をくれるよ。どんなに凍えそうな、どんなに人間味のない選択さえも。皆のためになら、堂々と選べる。私こそが、『ギアレイ』の使徒長クアン・クーランだ」


 為政者は、ときに誰よりも孤独となる。


 平和と安全を望みながらも、戦い続ける『ギアレイ』。複製により『自分が薄まっていく恐怖』に耐え切れず、複製を禁止したために、増えることなく減り続ける道を選んだ。


 破滅の道だ。


 それに未来を与える唯一の方法は、『ギア・エルフ』だけの『完全に分かり合えて平和な世界』を作ることのみ。大勢の仲間たちの死が、クアン・クーランの魂をその答えに向かわせた。


「血塗られた道からは、誰もが逃れられん。記憶に縛られ、頼り。理想から、少しずつ遠ざかる。それでも、獲るのだ。永遠の未来を。『ギア・エルフ』だけが、答えだ」


 自分たちだけの世界が、欲しかったわけではない。


 しかし、それしか許容できる道はなかった。


 それ以外の道は、とっくの昔に深い雪に閉ざされつつある。この星は、不完全であり、あまりにも過酷な自然が支配していた。


「何かが間違っている気もするが、何が間違っていたのかを問うのは、為政者の権利の外の行いだ。私は、背負っている。皆の死を、皆の命を……歴史を」


 しばしのあいだ目を閉じて、やがて開く。迷いはない。運命は、歴史が決めた。


「明日か、明後日か。それとも、もうしばらくの猶予があるのか。いずれにせよ、私たちは『ギアレイ』は、キティ・フィックスドフラワー。お前を、殺すよ」


 自分たちだけの平和と永遠のために。


 平和を望む、無垢な少女を殺す。


 そんな言葉を口にすると、マジメなクアン・クーランは、その胸の奥に軋みを覚えた。平和を望む、無垢な少女たちを、どれだけ見てきたか。長い歳月のあいだに、どれだけ。


 それらの記憶を、除去などしていない。応えてはやりたいのだ、平和で穏やかな日々を望んだ者たちは、間違いなく正しいのだから。


 それでも。


 歴史を背負う。この無数の正義が、食い違い、殺し合いを続けてばかりの星の上で。保証しかねる善意よりも、悪意じみた排他的な正義がもたらす安心は、合理的な価値があった。『ギア・エルフ』のために、使徒長は安全を与える。何をしても。それが、運命だ。


「矛盾を選ぼう。血塗られた、赤い道さ」


 理想から遠ざかり、妥協した理想を選ぶ。


 それが。


 どんなにクアン・クーラン自身の心を苦しめたとしても。誰もが分かり合える未来を、かつては彼女自身も夢見た少女だったのだ。


 悲劇を演じる役者のように、悲劇の確信に迫り過ぎて、その恐ろしさに心を壊してしまう天才のように、歯車仕掛けの彼女はうつむき、絶望の涙を流す。


「殺して、平和を作るんだ」


 涙の痕は、残さない。


 この部屋から外に出たら、自分以外の誰かに会えば、冷酷かつ絶対の権威、使徒長クアン・クーランに戻らなければならない。


 苦しい選択だ。


 苦しい道。


 だから、期待もしてしまう。


 収集した多くのデータから、仮説が一つ組み上がっていた。それが、もしも、正しければ。


「この手で、キティ・フィックスドフラワーを殺めずにすむかもしれんな……」


 どちらにせよ悲劇ではあるが、平和と融和を望む少女の血で、ふたたび汚れるのは辛いのだ。臆病なまでの潔癖があり、それが、返り血に穢れる覚悟もないみじめな弱者のようにクアン・クーランに期待させる。


「気づいているか? 『そいつ』が、お前を暗殺するための『スパイ』である可能性に。大雪原の風は、冷たいんだぞ、キティ・フィックスドフラワー」


 運命は、過酷なものだ。


 誰もが、幸せを掴めるほど、甘くはない。


 甘さを求めれば、相応の代償を世界は強いた。


「……困難な道でしょうね」


 執務室のキティは、マルクの淹れてくれたカフェオレを口に運ぶ。温かくて、甘さと苦さがそこには混じっていた。好きな味だ。


 お気に入りの白磁のティーカップを机に置くと、ピアノで鍛えられた指がキーボードを打ち始める。事務員が見れば、その速さと正確さに熟練を見出して、大きなリスペクトを抱いただろう。


 集中した眼差しが、いくつもの報告を読み解いて、部下たちに解決策を返答していく。


「政治的に、緊張感のある状況ですので……私が、決断を下さなければなりません」


「……ええ。難民たちの受け入れは、スムーズに進み過ぎましたからな。政治的な材料として、どの勢力も利用したがっていることの証……」


「少しでも……」


「はい」


「……あの子たちが、幸せな日々を過ごせるようにしてあげたい」


「ええ。アレンさまも、同じ言葉を口にしたでしょう」


 根回しは、重要だ。この大雪原では、無制限に難民を受け入れることは難しい。キティは多くの機関都市に対して、メールの群れを送るつもりであり……それは、すでに開始されている。


 ピアノを弾くような速度で踊る細い指たちにより、またたく間に文面が組み上がっていった。友好的な機関都市、あるいは敵対的な機関都市にまで、かつて『四都市同盟』を組んでいた者たちが、この山賊に襲われた難民たちの保護に尽力した事実を送信する。


 政治的なメッセージだ。


「四つの名のある機関都市が、難民を救うために奔走した。この事実を、理解してもらいます。私たちが助けた彼らに、害を与えようとするのなら……『四都市同盟』が、敵になると、脅すためでもあります」


「効果的ですな。正しさを主張することで、相手にも、こちらの正義に敬意を払わせる」


「あらゆる都市に、難民排斥を求める人たちもいるでしょう。でも、その逆もいます。そういった方々の善意に、訴えたい」


「その善意を、自分の政治力に組み込みたいと願う政治屋も、それなりにいます。ハイエナのような偽善者どもですが、利用できれば、我々の目的も達成されやすくなりますな」


「……はい。そういった方々にも、メールを送ります」


「……カフェオレの、おかわりはいかがでしょうか?」


「いただきます。ありがとう、マルク」


 してやれることが、少ない。当主の決断に、どこまでも協力してやるしか、マルク・ヨハンセンには選べない。心を込めて、カフェオレを作ることも、数少ない助力の一つだ。


 キティは、多くの作業をこなした。正義を主張し、政治的な圧力で脅し、善意に頼り、偽善にエサを用意して、可能な限り、多くの難民たちの未来が安定するように尽くした。


 有能な政治家としての顔を、発揮し始めている。アレン・フィックスドフラワーの教育の賜物であり、キティ自身の才能と努力、何よりも意志が大きい。


「助けて、あげたいのです。『牙』に列席する者として、フィックスドフラワー家の当主として……」


 遅くまで、その作業は続いた。


 ……ベアトリーチェが用意してくれていた風呂につかれたのは、深夜の二時になってからである。花弁が浮かぶ、温かな湯に抱き着くように腕を使った。


 良い香りだ。心が安らぐ。気遣いが、本当にうれしい。


「マラソンよりも、疲れましたから……っ」


 見事に仕事を果たしたものの、無理はしている。無理しなければ、望みに相応しい結果にもならなかっただろうし、こんな時間帯まで、働き続けられるはずもない。


 誰もが、あの質で、あの作業量を強いられたなら、泣きもする。


 花弁が浮かぶ湯に、泣き顔をつけた。はしたない子供じみた行為だが、必要であった。全身を温かい湯で、抱きしめられるような感触と……水中がくれる無音。それは、キティを落ち着かせてくれる場所の一つだ。


 プクプクとちいさな泡を吹きながら、しばらくその場所に引きこもり。空気が切れそうになると、ぷはあ、と浮上する。


「……悪癖かも、しれませんが。やめられません……」


 それから先は、お湯をのんびりと楽しんだ。体の疲れが、温かさにとろけていく。大雪原に生きる者の多くは、風呂を好んだ。サウナも好まれる。キティは、どちらも好きだ。


「はふー……最高ですよねえ、この時間……」


 幸せに細めた目と共に、鼻歌をかなでる。高さのある浴室の白い天井は、ドーム状にやさしい曲がりを帯びていて、鼻歌を高く大きく響かせてくれた。


 幸せな時間だ。


 解放感が大きい。


「……いつまでも、入っておきたいですが……そろそろ……」


 浴室の壁に埋め込まれている通話装置が、着信を告げる。入浴中で、通信に出るのは気恥ずかしさがあるものの、何か緊急事態が起きたのかもしれない。指を伸ばし、パネルに触れた。


「どうしました? トラブルでしょうか?」


『キティか、オレだ』


「しゅ、シュエさま……っ」


 浴室用に備え付けられている機器であり、当然ながらカメラ機能はない。しかし、モニターはついている。シュエの真顔が、そこに映し出されていた。キティは、脱兎のような勢いでお湯の中に身を潜ませる。


 見られているわけでもない。それは、知っているが。羞恥が強かった。鼻の近くまでお湯につかり、いつものように真っ直ぐな視線をしているシュエを見る。


「ど、どうしたのでしょうかっ?」


『トラブルが起きたわけじゃない。ただ、キティが遅くまで働いていたから、ちょっと心配になった』


「そうでしたか。大丈夫ですよ、シュエさま。シュエさまも、この時間まで起きているということは……」


『見張りだ。トニーたちも出かけて、人手が足りない。オレも、やれることはいくらでもしたい。キティと一緒に、無理をしたいんだ』


「は、はい。ありがとうございます。おかげで、安心して政治交渉に集中できました」


『だとすれば、良かった』


「たくさん働いていると、疲れますが、嬉しくなりますよねー」


『ああ。少しだけ、アレン・フィックスドフラワーの気持ちが、分かった気がする』


「そう、ですか?」


『周りの人たちが、少しでも笑顔になると……オレも、嬉しいんだ』


「はい。それです。お父さまは、そういう方でした」


『会ってみたかったよ。キティの大切な父親に』


「はい。私も……シュエさまに、お父さまと会っていただきたか…………」


『……キティ?』


「い、いえ。その。ちょっと、湯あたりしたのか……な、涙が……」


『大丈夫か?』


 困ったときの犬のように、まっすぐな視線だった。シュエのその表情を見ると、キティは嬉しくなる。アレンを思い出せた。いたずらを好む少女ではなかったが、たまにはわがままぐらい言う。そのときの、困った顔の父親を見るのも好きだった。


 大切に、思われているのが分かるから。


「大丈夫です。お父さまのことを、つい思い出してしまい。ちょっと、泣いてしまったのですが。楽しくて、温かい思い出も……私には、たくさんありますので」


『そうか。それは、良かった』


 笑う。


 笑うが、どこかぎこちなさがあるようにキティには見えた。「シュエさま……」、問いかけようとして、気づく。


「あ、あの。ごめんなさい。シュエさま……シュエさまは、記憶を失われておられるのに。ぶしつけな言い方でした」


『大丈夫だ』


「その言葉を使うときは、ちょっと無理をしている時でもあるんです。今は、無理は、しないで欲しいです」


『……そう、だな。うん。やっぱり、記憶がないと、さみしい。それに、不安になるんだ』


「不安、ですか?」


『皆には、『昔』がある。記憶があるんだ。それを、使って……戦いや、過酷な仕事にも、立ち向かえている。父親の記憶が、思い出が、キティを支えているように』


「はい。お父さまとの思い出が、私に進むべき道を、選ばせてくれています。支えても、いてくれます」


『……そういう力強さが、オレには、ない。戦いや、仕事に、必死になりたい。いや。なっては、いると思うんだが……『昔』が、ないから。どこか、オレは空虚なんだ』


「そんなことは、ありません」


『そう、かな。そうだと、いいんだが。オレは……今日も、山賊と戦う時に、必死になりたくて。だから、キティを頼ってしまったんだ』


「私を、ですか?」


『君の『騎士』として、戦いたいと願った』


「それは、とても嬉しいです」


『本心からだ。君は、いつも、すごく立派だから』


「そ、そんなことはっ」


『でも。オレは、どこか……自分の空虚さを、穴埋めしたいと感じていたのかもしれない。『騎士』になれば、それだけ戦い抜けるとか……助けてやりたいと思った人たちのために、より本気になれるかもしれないとか……それは、どこか、不純で、卑怯な気がして……』


「シュエさま、それは卑怯でも何でもありませんよ」


『そうかな?』


「助けたかったんですよね。より強くなりたかったんですよね」


『ああ』


「そのために、ヒトは願いを使うんです。あこがれを、使うんです。理想を、実現するために」


『……理想を、実現。そう、かも。オレは、本当に……』


「『騎士』になりたいという願い、それに相応しい戦いでした。強く、気高い。おかげで、多くの方を私たち皆で助けられる。その未来を、勝ち取れたのですから。シュエさまは、本物の『騎士』ですよ。私の……キティの、騎士さまです!」


『……ありがとう』


「いえいえ。こちらこそです。シュエさま……もしも、さみしかったら。いつでも、私に言ってください。会いに来てください。私は、できる限りを、シュエさまにしてあげたいのです」


『……うん。頼らせてもらう』


「はい。頼って下さい」


『迷惑じゃ、ない程度にな』


「もう。心配も遠慮もなしですよ。いつもの、お返しをしたいんですから!」


『いつもの、お返し……?』


「はい。だって、シュエさまは、いつも、私に力をくれるんです。いつも、初めて会ったあの日も、今日だって。私を笑顔にさせてくれるんです」


『……ああ。ありがとう。その言葉は、とても嬉しい。記憶がないオレにも、涙が流せるぐらい。オレにも、ちょっとずつ……新しい思い出が、できているんだな』


 キティの手が、モニターを撫でた。青い双眸は、じっとシュエを見つめる。静かな微笑みと、思い出が解凍される時にあふれるような、記憶と結びついた涙。シュエと共に生きる日々は、ゆっくりと、記憶となって刻まれていた。


 自分たちのあいだにも、振り返られる記憶が、生まれているのだ。


 そのつながりを、喜べる。


 こんなに、こんなにも大切で、尊く感じられた。


 それが。


 うれしいと思い。


 欲しい、と願う。


「もっと……たくさんの顔を、私にください。シュエさま。私の、騎士さま」


 モニターに、顔を寄せて……。


 少女は騎士に、唇を捧げる。


 ……その直後、正気に戻り、薔薇より赤くなった顔を隠すように湯の底へと潜水したが。しばらく、そのまま話をした。シュエに、夜警の順番が回ってくるその時まで。


 運命があった。


 記憶があろうと、なかろうと。


 この少年は、いつの日も、そばにいる少女に笑みを与えられる。生き方だ。『狼』がそうであるように、『騎士』もまた周りの大切な者のために、命を捧げる忠誠を尽くす。大雪原では、行いこそが、全てを物語る。


 150年前も。


 今この夜も。


 これは、『空を裂く虹色の牙と、鉄腕の雪』の物語。



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