第3話 せんぱいとわたし1
アユちゃんからあいさつの原稿をたのまれた次の日の放課後、わたしはいつも通り閲覧室に向かう。
今日は〝宿題よりもアユちゃんのあいさつ優先〟って思いながらドアを開けた。
瞬間、またびっくりした。部屋の中で昨日の先輩が読書をしてたから。
目が合ったからまたペコって頭を下げた。
人がいるなんてことがあんまりないから、なんとなく気まずい。教室の半分より少し広いくらいの閲覧室の、できるだけ先輩から距離をとれる席に座ることにした。
今からあいさつを考えようと思ってたけど……見られたりしないかな、宿題をやった方がいいかな、なんてぐるぐる考える。
「
先輩が急に言葉を発したことにも、その単語にも、頭がまっ白になった。思わず、机の上のノートに向けていた視線を先輩の方に向ける。
「やっぱり、雨音先生なんだ?」
ニヤッと笑う先輩に、鼓動が早くなってうまく言葉が出てこない。
〝雨音〟それは、わたしが小説サイトで使っているペンネーム。
なんでそれを先輩が知ってるの?
「あ、あの……」
いつも以上にか細くてうわずったような声しか出せない。
「なんで……」
うまく質問できないわたしに、先輩はほおづえをつきながら部屋の奥のパソコンを指さしてみせた。
「え……?」
昨日のことを思い出してみる。
昨日は小説を書いている途中でアユちゃんとの待ち合わせの時間になってしまった。それであわててカバンに荷物をつめていたら、この先輩が入ってきて、びっくりしてよけいにあわてて部屋から飛び出した。
もう一度はじめから思い出し直しても、パソコンの電源を落とした記憶がない。
パソコンをつけたまま、小説サイトに〝雨音〟としてログインしたまま、この部屋から出てしまったんだ。最悪。
この先輩、運動部で顔が広そうだからぜったい友だちに言いふらしてまわし読みされてバカにされる……最悪の未来がうかぶ。
「もしかして雨音先生ってこと、ヒミツ?」
人なつっこい笑顔で聞かれて、絶望した顔でコクリとうなずく。
「あ、あの、このことは」
われながら、ポツリポツリとなさけない声。
「言わないよ、誰にも」
「え」
思ったよりもいい人なのかも、なんて考えたわたしを、続くひと言がまた絶望させる。
「こんなおもしろいこと」
これってオドされたりするヤツなんじゃ……この先輩が卒業するまで……ううん、附属高だったらその後も、おこづかい全部とられちゃうヤツ……持ち前の想像力が働いて、思わず半泣きになってしまう。
「急にいろんな人に知られて、雨音先生が続き書けなくなったら困るしね」
「え?」
「昨日書いてた話って、続きいつ読めるの?」
先輩は何を言っているんだろう。
「めちゃくちゃおもしろかったから、昨日最新話まで読んじゃったんだよね。早く続き読みたい」
「最初から読んだんですか?」
おそるおそる聞いてみる。
「うん。本当はちがう小説読むつもりだったんだけど、あっちの方がおもしろくて」
裏のなさそうな笑顔でそう言うと、先輩はわたしの小説のどこがどうおもしろかったのか、たのしそうに聞かせてくれた。
サイトでときどき感想をもらうことはあったけど、こんなふうに実際に読んだ人から感想を聞くことなんてなかったから、すっごく照れくさいけど……うれしい。
「あれってもうすぐ終わるよね?」
「は、はい……たぶんあと2ページくらいです」
「うわー早く読みてー」
「……あの……今から書きましょうか? 少し時間かかりますけど」
思わず提案してしまった。
結末までの構想はできてるし、今日はアユちゃんとの待ち合わせもしてないから時間にもよゆうがある。
あいさつのしめきりもまだ大丈夫だし。
「マジ!? やった!」
先輩があまりにも無邪気によろこぶから、おもわずクスッと笑っちゃった。
それから結末まで書きあげるのに、結局一時間くらいかかって、もう下校時間。
「ありがとう雨音先生! もうおそいから家で読む」
「あ、あの……」
よろこぶ先輩に、ちょっとだけ困る。
「ん?」
「雨音先生は、ちょっと……先生なんかじゃないし、ナイショなので」
「ああそっか、そうだよね。雨音先生って名前なんていうの? ていうか何年? 雨音先生小さいね。身長何センチ?」
「え、えと」
いかにも運動部らしい矢つぎ早のハイスピードな質問にあわてる。
「あ、俺は三年の
「は、拝島空、二年です。145センチです……」
青沢先輩が右手をスッと差し出したから、わたしもつられて差し出して握手をした。
「よろしく、雨音先せ……じゃなかった。よろしく、空」
し、下の名前で呼びすて。さすが運動部。
「よろしくおねがいします。青沢先輩」
「宙でいいよ」
「……宙先輩」
何の〝よろしく〟なのかよくわからなかったけど、そのとき宙先輩と握手した手が、なんだかすごく力強くてあったかかった。
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