第9話 沼地

映像が再生されると、画面は不安定に揺れていた。

カメラアームにライトとカメラを固定した状態で歩いているようだ。


ライトは暗闇を照らすが、その光は不気味な沼地の全体を照らし出すには充分ではなかった。

周囲には岩や水草が見えるが、濃い闇が視界のほとんどを覆い隠している。


沼地の水は濁り淀んでおり、水面には濃い沼気が漂っていた。

普通の沼気は有機物の腐敗したガスだが、ダンジョン内の沼気が地上のものと同じとは限らない。冒険者たちは防毒マスクを装着している。


元のダンジョンと融合した影響だろうか、沼地のあちこちに奇妙な形の岩石が連なっており、少年は苦労しながらその岩場を進んでいた。


「小物ばかりで返って面倒臭いな」


朝倉の声が聞こえる。彼は欠伸しながら言った。少年にとっては困難な道行きでも冒険者にとっては退屈なものだったらしい。


彼は発見したモンスターをあっという間に倒してしまう。あまりのあっけなさに、少年も少し困惑しているようだ。


カメラは彼の驚くべき戦闘技術を捉えるが、その動きは素早くてほとんど見えなかった。


朝倉は不満そうに尋ねる。


「どうしたんだ、少年。もっと驚いたり感動するかと思ったが……。

素直に俺の技術を褒め称えたっていいんだぜ?」



少年は少し呆れ気味に答える。


「あぁ、いえ。期待外れ……とは違うんですけど、なんだかとても簡単そうに見える、というか。凄すぎてよく分からないみたいな……」




「ふむふむ、なんだ。そういうことかよ」


朝倉はそう言って、嬉しそうに笑う。男はしばらくの間にたにたと頬を緩ませていたが、今度は少し偉そうな口調で言った。


「ちょっと待て少年、そこの水辺には決して近づくなよ。その地面もだめだ。

むやみに踏み込むと足元から水がしみだしてくる、そしてずぶずぶと沈み込んでそのまま泥の中に飲み込まれるぞ。

例えそこまでならなくても、濡れた靴で滑ったり泥に足を取られて転倒するとヤバいことになるんだ。

こういう場所の小型モンスターはわずかな隙間から服の中に潜り込んで、さらに体内まで侵入してくるような危険な奴が多いからな」


少年は驚いて顔を青くすると、岩場に駆け戻った。

カメラは水辺の地面を映した。そこには小さな穴があり、中からは細い触手が伸びている。触手はライトの明かりに照らされると、素早く穴の中に引っ込んだ。


「ひっ!! わ、わかりましたっ。絶対に転ばない様にします」


少年は乾いている場所に移動して、念入りにストックで地面を突いてから足を下ろした。



朝倉は冷静な声で話を続ける。


「危険なのはそれだけじゃないぞ。今この瞬間だって大型のモンスターが水や泥の中に隠れてこちらを狙っているかもしれない。

足元ばかり気にして周囲の警戒を疎かにするなよ」



少年は恐怖に目を見開く。

彼は不安そうに周囲を見回すが、何も見えなかった。

カメラは彼の視線に追従するが、そこには沼地の水や岩石や水草しかなかった。しかし、それらは濃く暗い闇の中で静かに動いているように感じられた。



カメラは時折奇妙な音を拾う。それは水が滴るような音ではなく、何かがぬめっと動くような音だった。姿は見えなかったが、音は近づいてきているようだ。

少年は怯えるが朝倉は構わずに先に進むように促す。


「あ、あのっ、皆さんは姿の見えない危険なモンスターをどうやって察知してるんですか?」


少年は興味と恐怖の入り混じった声で尋ねる。


「水面の気泡や波紋、水草の動き……って言っても伝わらないか。

どんな奴でも周り全てを観察することは出来ないし、少年の場合は危険な兆候が視界に入っても、そうとは気付かずに見逃してしまうだろう。

なんとなく見るべきポイントが分かる、みたいな無意識の行動や勘というやつは経験による裏付けがなければ役に立たないからな」


少年は納得しつつも残念そうに言った。


「……経験ですか?」


朝倉は慰めるように言う。


「焦らなくても俺たちが少しずつ教えてやる。徐々に学んでゆけばいいさ」



「はい、ありがとうございます」少年は素直に感謝の言葉を述べた。


「あれっ、そういえば、他の二人はどこにいるんですか?」



朝倉は前方に指をさす。


「先行して安全なルートを探しているよ。この狭い足場でモンスターと戦闘になると、どうしても少年を巻き込んでしまうからな」


「そうですか、気遣いは有難いけど皆さんが揃って戦うところも見たかったですね……」


少年は残念そうに言った。朝倉はにやりと笑う。


「そっちも焦る必要はない。そのうちに嫌というほど見れるさ」



少年と朝倉は順調に沼地を横断してゆく。

画面の奥に黒瀬と柾木の姿が見えてきた。



少年と朝倉が彼らの所に辿り着くと、巨大なモンスターの死体が彼らの傍に横たわっているのが見えた。その姿は古代魚と蛇を組み合わせたような不気味な姿で、見えている部分だけで5メートル以上ある。


モンスターの死体に恐る恐る近づく少年に向かって、黒瀬は言った。


「折角なので少年も見ておいた方が良いと思いましてね。他のモンスターは邪魔だったので水に沈めてしまいましたが」



モンスターを見た少年はとても驚いている。彼はモンスターの死体に触れることもできずに、ただその場で圧倒されていた。


彼らはモンスターとの戦闘の様子を少年に説明しながら歩き始める。


その後も小規模の戦闘を何度か繰り返して、彼らはやがて沼地を抜けた。




カメラは右の方を映す。 そこの断崖は大きく左右に割れていた。その先は暗く曲がりくねっている。 その形状はとても不可解で不気味だった。


「少年、それ以上は近づかないで下さい」


チームリーダー黒瀬の声が響く。 彼は手を振って停止の合図を出した。


「あれも新たに出来たもののように見えます。決して油断しないように」


カメラは黒瀬の顔を映す。彼の表情はこれまでになく真剣だった。

冒険者たちは黒瀬の言葉に頷く。彼らは互いに確認の視線を交わし、一歩一歩断崖に向かって歩き始めた。



映像はそこで途切れる。

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