第2話 ダンジョンの底

揺れる画面に映し出されたのは、涙と鼻水で汚れた少年の顔だった。彼はそれを拭くこともせず、息を切らせながらカメラに向かって報告する。


「や……やあ、皆さん……き、聞こえてますか? えっと……、ボ、ボクは生きています。ダンジョンの最深部に到達しました」


少年の声は恐怖に震えており、弱々しかった。


「えっと……そ、そうだ、散らばった荷物を集めないと。こ、これは予定通りなんだ。ちゃんと一番下まで降りることが出来たんだ。だ、大丈夫、予定通りなんだ」


声には不安と動揺が滲み出ている。カメラに話しかけることで、彼はかろうじて理性を保っているようだ。


周囲の様子が映し出される。唯一の頼りは光に照らされたわずかな領域だけだ。闇に包まれた空間が広がっている。


「そ、それから、うん、カメラは壊れてないみたいだね。と、と、取り合えず廻りの状況を確かめないと」


しかし、少年はなぜかその場から動かない。

1分が過ぎ、2分が過ぎ……。3分が過ぎてもまだ動かない。

10分が過ぎてから、彼はようやく動き出した。


少年もさすがに気まずかったのか、しどろもどろになりながら言い訳を口にする。


「べ、べつに怖くて動けないとか、そういうんじゃないんです。ただ、ちょっと心の準備というか落ち着くための時間が必要だっただけで……」



カメラの映像はじりじりと前に進む。歩いているのではなく四つん這いで進んでいるようだ。ライトの光と共に、カメラも頻繁に左右に振られる。

その映像を見る人間にとってはかなり不快だが、今の少年に視聴者の画面酔いを気遣う余裕はないようだ。


少年の頭に取り付けられたライトは照射角が狭く、時折光量も不安定に変化する。


「ひぃいィっ、ま、待って消えないでくださいっ」


既に数回繰り返されているが、そのたびに少年は情けない悲鳴を上げている。彼はライトを直そうとあちこち弄っているが改善する様子はない。どうやら落下時の衝撃で故障したらしい。


「に、荷物の中に予備のライトもあったはずなのに……」


少年は鼻をすすりながら涙声でつぶやく。

散らばった荷物をリュックに詰めながら、かなり離れたところまで探し歩いている。


「やっと壁に辿り着いた……。ここはすごく広い空間みたいです」


カメラの光が何かを照らし出す。


「こ、これは?」


岩の壁は一部分だけ崩れており、引っ搔いたような傷が残されていた。


少年の息遣いと足取りから、彼の緊張がカメラ越しにも伝わってくる。

少年は荷物の回収作業を止めて、腰からナイフを取り出した。

腕を突き出すように前方に構えて、壁伝いにゆっくりと後ずさる。


少年はしばらくの間そうやって、元居た場所まで戻ってきた。

彼は大きく息を吐き、少しだけ安心したようすで報告する。


「こ、ここで戦闘があったようです。モンスター同士の争いでしょうか? 

あっちの方。ずっと奥の方まで痕跡が続いていました……」


少年は周りに残された激しい戦闘の傷跡に戸惑っているようだ。

カメラは周囲を映す。暗闇の奥には何かが潜んでいるような不気味さが漂っていた。


「!!っ」


少年は一瞬息を詰め、そのままの体勢で暗やみを凝視している。


「な、なんか、音が聞こえる気がするんだけど……。

気のせい……なのかな?」


少年の表情は恐怖と不安に歪む。

その時カメラのマイクからも、かすかに異音が聞こえてきた。


「!!! きっ、聞こえましたか? 今の音……」


「ま、まだ荷物も拾い終えていないのに……。ど、ど、どうしよう? 」


カメラが大きく左右に振られ、少年はあちこちにライトを向けながらグルグルと回転している。音の出どころを探っているらしいが、混乱と恐怖で正確な方向がつかめないようだ。


「ど、どっち? どこから聞こえてくるの? と、とにかく、ここはまずいです。

とりあえず、壁のあるところに移動します」


少年は不安定な明かりを頼りに、なんとか壁まで辿り着くが、最初の位置からずいぶん遠くまで来てしまっていた。


いつの間にか音は聞こえなくなっている。

少年は疲れ切ったようすで壁にもたれ掛かる。そこには小さな穴が等間隔で連なっていた。


「これって……?」


さらに地面に落ちていたものに目を奪われる。


「ここに……他の冒険者がいたんだ、間違いない」


少年は薬莢を拾い上げた。


「そんなに古くは見えない、むしろすごく新しいものに見えます」


少年は薬莢を見つめたまま思案している。


「ち、ちょっと甘く考えていたのは事実です。出来れば合流したい……です。でも、今は逃亡中だし……、また他人に期待して裏切られるのも……。それでも……」


少年はしゃがみ込んだままブツブツとつぶやいていたが、突然立ち上がって壁を殴りつける。


「クソッ! なんなんだボクは……。

死ぬ覚悟をして、ここまで来たはずなのに……、あまりに……あまりにも情けなさすぎる!」


少年はカメラをまっすぐ見つめて言った。

「も、もう、ビビるのはお終いにします! 

折角なので、あと少しだけこの周辺を調べてから荷物集めを再開します」



少年は冒険者の痕跡を求めて奥に向かう。息を殺して慎重に進む中、彼の足音だけが暗闇に響く。


「うっ、嫌な匂いがする。これって……」


少年は顔をゆがめる。

彼はしばらく立ち止まって悩んでいたが、自身の足をこぶしで強く叩き、己を叱咤するようにしてまた歩き出した。


少年が進むにつれ、闇の中で無機質な光が反射される様をカメラは捉えた。

そこには壊れた武器や装備が散乱していた。


さらに注意深く歩みを進めるうちに、画面には凄惨な光景が映し出される。


黒い染みが地面を湿らしていた。

そしてバラバラになった死体の一部。



「ひぃっっ!!!!」少年は悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押える。



震える画面の奥、ライトの明かりがかろうじて届く位置に人の形を保った死体が見えた。


少年は恐る恐る近づいてゆく。


「み、みんな、……死んでる!」


そこにあった死体は一つではなかった。


少年はしばらくの間、恐怖と驚愕で身動き一つできずにいた。

それでも、死体の近くで固まっていることの方がより危険と思い出したのか、気を取り直すようにしてカメラに報告する。


「こ、こ、ここに……。ぼ、冒険者の死体が複数あります。

埋葬はできないけど、冒険者証は持ち帰って後日報告したいと思います」


少年は倒れた冒険者のそばにひざまずき、装備品を調べるために震える手をのばす。


「こ、この人……日本人じゃない」


少年は小さく呻る。声はかろうじて聞こえた。

ためらいながらも、さらに手を伸ばす様子が映される。


「どうして……こんなところに外国人の冒険者が?」


少年の顔に疑問が広がり、それに不安が混じる。




そのとき後ろから何かが動く音が聞こえた。


「モンスター? い、いや死体が動いてるっ!?」


少年は恐怖と驚きに固まったまま死体を凝視している。

苦痛にもだえるように、時々ビクンと動く。


「ち、ちがう! 生きてる人がいたんだっ」


少年は駆け寄ろうとするが、その前に何かが起こった。

横たわった体から、黒い影が次々と飛び出す。


「な、何だこれっ!?」


少年はパニックに陥りながらも、必死にナイフを振り回す。

転がるようにしてその場を脱し、やってきた方向にむかってがむしゃらに走り出した。


「こ、ここはだめだ……死体から……もっと、もっと離れなきゃ!」


少年は恐怖に囚われて錯乱しそうになりながらも、元いた場所へと必死に逃げ帰ろうとしている。


「ここはヤバイ、やばい! 戻らなきゃ……戻らなきゃ!」


逃げる少年の声は断続的に途切れ、その足音は暗闇に響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る