第37話 称え合う勝者達

「どうやって世良副会長を説得したんですか!?」



 前代未聞の生徒総会の終わった後、緊張も解け、抜け殻となっていた文吾に声をかけてきたのは、遠滝汐であった。


 学民党のごたごたで中断している最中、いちばん慌てていたのは議長であった。本来、議長が何かをしているところをあまり見ない。質問者と回答者の名前をコールするくらいしか役割がないものと思っていたが、校則案の撤回という前例の少ないことが起こり、どうしたらいいのかわからなかったのだろう。遠滝汐の推薦によって文吾が代理発表者になったときも困っていたと聞くから、この議長は、最もとばっちりを受けた人だろう。後で、挨拶にいった方がいいかもしれない。


 中断後は、皆、心ここにあらずといったふんわりとした雰囲気で進行した。たぶん誰も話を聞いていなかったのではないだろうか。少なくとも文吾は何も覚えていない。それも仕方ないといった大騒動であった。


 汐はさすがに話をちゃんと聞いていたか。いや、彼女の興奮具合からみると、きっと何も聞いていなかっただろう。そんな汐に、文吾はちょっと笑って、おそらく拍子抜けするであろうことを告げた。



「別に、世良さんとは話してないよ」


「じゃ、どうして?」


「知らないよ。きっとあれは別の話だ。僕がやったのは自分の言いたいことを言いたいように言っただけさ」


「信じられません。それで増税を撤回させるなんて」


「さぁね。意外と汐さんのプロパガンダが効いていたんじゃないかな。他にもいろいろと問題があったんじゃないか? そもそも恋愛税なんておかしかったんだよ。土壇場に来て、無理が出たんだと思う」



 それでも汐は納得いっていない様子だった。彼女からしたらに落ちないだろう。念願の増税反対がこんな形で実現するなんて。いや、彼女は減税をするのが目的だから、まだ足りないのかもしれないが。


 とにかく、恋愛税を撤回させることはできた。二か月に満たない政治闘争。短いようで、ものすごく長い時間を費やした気がする。だけど、終わってみるとあっという間だったような。


 だが、達成感は、あまりない。


 サッカーの試合だったら勝ったらうれしい。けれども、今回は勝ったといっても文吾は何もしていない。正直、肩透かし感が否めなかった。文吾のやったことは勝敗には何の影響もなく、言いたいことをまくしたてただけで、まったく別のところから風が吹いて、試合の勝敗を決めた。


 政治とはそういうものかもしれないが、勝敗のきっちりつかない試合というのは気持ちが悪く、歯がゆい思いがぬぐえない。やはり、政治なんて関わるもんじゃないと、文吾は心底思った。



「それでも、ありがとうございます」



 汐は、深々と頭を下げた。彼女の背負うものを、文吾は知らない。文吾の知らない仲間の思いや、これまで費やしてきた時間や、増税に反対し続けてきた努力の日々。きっと、想像よりも多くのものを背負って走り続けてきたのだろう。転んでも立ち上がって、今日と言う日までたどり着き、どんな形であっても、こうして報われてよかったと文吾は素直に思った。



「こっちこそありがとう。汐さんがいなかったら僕は何もできなかった」



 顔をあげた汐は、目を赤くしていた。目の端を少しだけ濡らして、初めて穏やかに笑ってみせてくれた。そうして、どちらからともなく手を差し出し、ぐっと握手を交わした。



「文吾くん」



 声をかけられて、文吾はそちらを向いた。葉山友梨恵。ちょうど恋愛税が発表されたときに付き合い始めた文吾の彼女。もしも、タイミングが少し違えば、兄と敵対しようとは思わなかったかもしれない。そういう意味では、彼女との出会いによって始まった戦いであり、思わず、運命なんて恥ずかしい言葉を使ってしまいそうになる。


 友梨恵を見て、汐はかるく一礼して去っていった。入れ替わるように、友梨恵は文吾の前に立った。



「お疲れ様」


「うん。終わったよ」


「終わったね」


「勝ったのかな?」


「勝ちだよ。文吾くんの勝ち」


「勝ったのか、兄貴に」


「ふふ。私、絶対に勝てるって言ったでしょ」


「あぁ。ありがとう。友梨恵ちゃんが、いてくれなかったら、とっくに諦めてたよ。本当にありがとう」


「そんなことないよ。文吾くんががんばったんだよ」



 文吾にとって、嘘偽りのない言葉だった。友梨恵がいてくれたから、今日と言う日を迎えられた。彼女の支えがなければ、ずっと前に諦めていただろう。


 今までずっと、挑戦は一人で行うものだった。浜部家への反抗も、サッカーの練習も、一人で戦ってきた。そういうものだと疑うことはなく、今回の恋愛税反対運動も一人で挑もうとした。けれども、それでは限界がある。大きな挑戦は一人ではできない。モチベーションを保つためにも、新しい発見をするためにも、無条件に同じ道の先を同じように見てくれる人がいる。それだけで、ずいぶんと遠くまで来られる。そんなことを、つい最近、文吾は知った。



「友梨恵ちゃんと出会えてよかった」



 実のところ、文吾には、恋愛というものがまだよくわからない。けれども、友梨恵とのこの支え合える関係が、恋愛だとするならば、それは確かに素晴らしいものだ。


 兄貴の言っていることも、あながち間違ってはいなかった。



「次はサッカーのインターハイだね」


「あぁ。これで心置きなくサッカーに打ち込めるよ」


「じゃ、優勝だ」


「うん。絶対に優勝するよ。友梨恵にトロフィーをプレゼントする」


「楽しみ!」



 そう言って笑う友梨恵はあまりにかわいらしくて、文吾は人目もはばからずつい抱きしめてしまった。後から思い返すと絶対に恥ずかしいことであったが、今はいいだろうと文吾と友梨恵は強く抱き合った。


 これで、全部終わった。恋愛税は撤回され、兄の生徒会長は責任をとらされるだろう。完璧だった兄の経歴に泥がついた。おそらく親父もご立腹だろう。しばらく家には帰りたくないと文吾は、これから起こるお家騒動を想像した。


 ただ一つだけ。



「一つだけ気になることがあるんだ」


「何?」


「兄貴が負けたってこと」


「それがどうしたの? 文吾くんの方がすごかったってことでしょ?」


「別に兄貴が負けることは珍しくないんだけど、負けるときはだいたい負けることも計算の内なんだ。ただ負けるってことはほとんどない」


「今回は違うんじゃない? だって、すっごく悔しがっていたよ」


「うーん」



 今になって、文吾は生徒総会で起きた一連の騒動を思い出す。学民党の動き、生徒会長と副会長の喧嘩のような言い争い。そして、苦々しげに膝を叩いた兄の様子。そして、文吾は素朴に思う。



「何か、嘘くさかったんだよな」

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