第30話 心変わり

「どうしたんだよ! 急に恋愛税に賛成するって!?」



 文吾が詰めると、遠滝汐はまったく目を合わさずにすたすたと歩き去っていった。連絡がまったくつかなくなって三日。文吾は、汐の所在を突き止め、なんとか彼女が校舎から出てくるところをおさえた。


 そう、普通に校舎から出てきたのだ。もうすぐ生徒総会ということで、クラス代表の連中は授業免除で政治活動を行っている。汐も汐で先週などはいろんなところを走り回っていると言っていた。それなのに、急に連絡がつかなかったと思ったら、彼女は普通に授業を受けていたのだ。


 生徒としては普通の行為だが、この多賀根学園でのクラス代表としては異常だ。


 汐は、文吾の質問に対して手元のキューブをカチカチと鳴らしながら、言いにくそうに口を開いた。



「……その話はもう済みました」


「済んだってなんだよ! 僕はまったく聞いてないんだけど!」


「すいません。立て込んでいまして、連絡が遅くなりました」


「遅くなったって」


「とにかく、もう恋愛税に関する話は、先方と話がついているんです。これ以上、私がやることはありません。文吾さんもご協力いただいてありがとうございました。ですが、もう結構です」


「もう結構って。待てよ。先方と話したって、誰と話したんだ? 話にならないって言っていたのに?」


「……」



 話がついたなんて、そんな牧歌的にことが進んだのではない、というのは汐の陰のさした表情が物語っている。いつものポーカーフェイスはどうしたんだと言いたいくらいに、暗い気持ちが顔に出てしまっていた。


 カチカチと鳴るキューブの音が彼女の心音のように早くなっていく。


 察してくれ、とでも言いたいのだろうか。暗い顔をしていれば、許されるとでも思っているのだろうか。普通の男子だったら、女子のこの表情に情けをかけるのかもしれない。しかし、文吾は、浜部家の血筋はそんな甘えを許さない。そんなふうには育てられてこなかった。



「違うな。一方的に話をされたんだ。話が済んだんじゃなくて、話を終わらされたんだ。つまり、君は負けたんだな? 僕の知らないところで!」


「まったく、兄弟そろって、人の話したくないところをえぐってくるんですね」


「兄弟って、兄貴に会ったのか!?」


「えぇ。お話をしていただきました。私としては、現状の学園の財政状況を鑑みれば、恋愛税も止む無しと判断しました」


「!? 話が違う! 財政状況は健全って言っていたじゃないか!」


「状況が変わったんです。私はそれ以上何も言えません」


「状況が変わった? ふざけるな! 君が僕に行った話じゃないか! 偉そうに講釈を垂れたんじゃないか! 僕は覚えているぞ!」


「えぇ! 言ったかもしれません! けれども変わったんです! 財政規律だってまったくおかしな話ではありません。これから歳出が増えるとするならば、それに見合った最低限の増税は必要です」


「僕をバカにしているのか? そんな180度違う話をして納得するとでも思っているのかよ」


「考えが、変わったんです」


「君が急に考えを変えるはずない。汐さんのことはまだそんなに知らないけれど、何年も政治家として戦ってきた君がこんな簡単に負けを認めるわけがない。つまり、脅されたんだな? 何て言われた?」


「もういいんです!」


「よくないだろ! 減税したいって言っていたじゃないか!」


「減税は、されます」


「え?」



 話の流れにそぐわないことを言われて、文吾は理解できなかった。汐は、恋愛税という増税を防ごうと活動している。そして、その活動を阻害されたから、こうして落ち込んでいるのではないのか? 減税されるとはどういうことだ?



「減税はされるんです。次の生徒総会で、甘味税を期限的に減税する校則案が提出されることになりました。これで、私の望みは叶います」


「!?」



 甘味税といえば、最も嫌われている税金だ。多賀根学園内でのカフェテリアの乱立を防ぐためにできた税金と言われているが、生徒の評判がすこぶるわるい。その甘味税を期限的にでも減税するというのは、あまりに魅力的だ。


 しかし。



「これ、釣り、だよな」



 汐は応えない。ただ、カチカチとキューブの音だけが、放課後の校舎前で鳴っている。苛立たし気に、いや、というより怯えるように。何かへの恐怖を取っ払うかのように、黙り込んだまま、ただ強く、強く鳴らしていた。



「甘味税の減税は、すごい成果に見える。でも期限付きだ。1年間ってところか? それじゃ、こんなのお金を配っているのと一緒だよな? だって1年後にはもとに戻っちゃうんだもん。給付金とか助成金と一緒じゃん。こんなの減税じゃないだろ」



 うまくできている。あのクソ兄貴が考えそうなことだ。減税派からすれば、これほどおいしい餌もない。期間限定とはいえ、減税の成果を得られる。これに飛びつかない者はいない。もしも、ぶらさげられれば食いつき、そしてどんな交換条件でも吞んでしまう。


 その条件が、増税であっても。


 だけど、それは本末転倒だ。



「減税には変わりありません。学園の歴史上、初めてのことなんです。だから」


「だから、恋愛税には賛成するって、そんなの、そんなので、納得できるのかよ。こんなの施しじゃないか。君が勝ち取ったわけじゃない。えさを与えられて、いいように手懐てなずけられただけだ」


「減税は、減税です! 私が何年も、何年も、何年も、何年も、何年も! 学生生活のすべてを懸けて取り組んできたことが、やっと叶うんです! それが、どんな形であれ。どんな形であれ」



 汐の声は震えていた。断末魔のようにカチカチと鳴らしていたキューブが急に音を止めて、ぽとりと地面に落ちて転がった。追うようにして汐が膝から崩れ落ち、何かが落ちていってしまうのを拾うようにして両手で顔を覆った。


 指の隙間から、泣き声が漏れ出でる。今まで気丈に保ってきた心が壊れてしまった。そんなふうに、涙が嗚咽と共に流れ出てくる。必死に拾おうとするけれど、もう止められないようで、決壊した心の器の割れ目から、零れ落ちてくる。


 感動ではない。


 長年の夢が叶ったことに対する感動は、微塵みじんもない。


 あるのは、惨めさ。


 怒りと情けなさが交じり合って、しかし、どこにもぶつけられず、ただ涙となって溢れてくる。文吾の知る遠滝汐という政治家は、減税は減税と割り切れるような器用な性格をしていない。それでも、そう唱えなければもう立っていられなかったのだろう。


 そのなけなしのプライドを、文吾が壊してしまった。その罪悪感にかられながらも、それでもこんな終わり方は納得いかないと、汐の肩に手をかける。しかし、その手は、パッと汐に払われた。



「もういいんです」


「汐さん」


「もう、私には何もできません」


「だめだ、汐さん。こんなところで諦めちゃ。僕がなんとかする。だから、もう一度、一緒に戦おう」



 本心で告げた言葉であった。しかし、文吾の思いは、汐には伝わらず、彼女は、ふっと自嘲気味に笑った。



「お願いですからもう私に関わらないでください。その声を聞きたくないんです。あなた達兄弟の声は、よく似ているので」






★★★





甘味税・・・スイーツを食べるなんてあまえ、という古き時代の校則。この校則のせいでカフェでは、砂糖を制限した脱法的な甘味もどきが多く提供されることとなった。何度も甘味税撤廃の案が出るが、今のところ、撤廃される気配はない。正直、政治家もみんな撤廃したいと思っているのに、なぜか撤廃されない。多賀根学園七不思議の一つである。

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