第28話 演奏場に流れるは悪魔の歌

「やぁ、奇遇だね、遠滝クラス代表」


「……こんにちは、浜部会長」



 遠滝汐クラス代表は、なんとか表情に出さないように努めていた。この手のスキルは政治家の必須スキルであるが、もう少し笑顔をつくった方がいいと数緒は思った。


 吹奏楽コンクールの会場。そのエントランスホール。多くのが学生が楽器を担いで会場入りしており、緊張で顔を強張らせていた。それを見守るのは数緒のような来賓者達。吹奏楽部のOBであったり、家族であったり、ただの吹奏楽好きであったり。騒がしいが、ピンと張りつめて静か。この空気感を数緒は気に入っていた。漂う空気と同じように、遠滝は緊張の糸を強く張る。


 

「そういえば、浜部会長のパートナーは吹奏楽部でしたね」


「もう5年生だからコンクールには出ていないけどね。彼女の演奏を聴いているうちにはまってしまって。たまに聴きにくるんだ」


「そうですか」


「君も吹奏楽が好きなのかい?」


「えぇ、まぁ。吹奏楽に限りませんが、学園の関わる音楽行事にはわりと参加しています」


「そうか。いや、音楽はいいね。心が洗われるようだ。政治という荒々しい業界にいると疲れてしまうからね。たまにはこうやってリフレッシュしないと」


「良い心がけだと思います。演奏を聴いて、浜部会長の心が少しでもきれいになれば、この学園の政治も少しはまともになるかと」


「今はまともでないと?」


「まともだと思っているんですか? この学園の腐敗臭は、もはや消臭剤では消えません。根元から掃除しないと」


「なるほど。では、君は清掃業者というわけか。ぜひともがんばってほしいね。俺はきれい好きなんだ」


「っ……! はぁ。やめませんか? お互いに聞きたくない話をするのは。今日、私は音楽を聴きにきたんです。政治の話はしかるべき場所でやりましょう」


「まったくだ。音楽は雑念を消して楽しむべきものだからな。ただ意外だったんだよ。遠滝クラス代表がいたことがね。パッと見気づかなかったよ、


「……」



 遠滝は制服姿ではなかった。かといってカジュアルな私服でもない。吹奏楽コンクールでは聴く方もある程度フォーマルな恰好を求められる。ただ学生の場合は悩む必要などない。制服を着てくればよいのだから。


 しかし、遠滝はスーツ姿であった。きちっとしたスラックスとジャケット。髪をきれいにまとめあげ、大人びた雰囲気をかもしていた。いつものカジュアルというか、エスニックな装いとのギャップが大きく、注意しなければ同一人物と気づかないだろう。その装いはまるで。



「まるで変装しているようだ」


「心外です。私だって気分を変えたいときもあります」


「そうかい? 俺はてっきり君との関係を秘密にしておきたいのかと思ったよ」


「!?」



 遠滝は、驚愕の表情を見せた。彼女のことはよく知らないが、おそらく人生でいちばん驚いた顔をしたことだろう。表情筋の制御ができておらず、あまりに大げさであった。



「何のことだか」


とぼけるならば、顔に出してはいけないな。少しだけ君のことを調べさせてもらった。君と弟さんの二人姉弟きょうだい。幼少期に両親が離婚し、君は母親に、そして弟さんは父親に引き取られた」


「……」


「苗字が違うから気づかなかったよ。それにしても生き別れの姉弟が多賀根学園で再会とは運命的じゃないか。どうして隠そうとするんだい?」


「……」


「2年生の安田七生やすだななお。吹奏楽部でホルンを担当し、コンクールでは3年生を差し置いて1年からレギュラーを勝ち取っている。うちの吹奏楽部は強豪だからね、すごい、優秀じゃないか」


「……」


「こんな優秀な弟がいるというのになぜ関係を隠すんだい?」


「……」


「ところで未成年の飲酒、喫煙についてどう思う?」


「……」


「君も知っているだろうが、吹奏楽部のOB会で未成年に飲酒させたという疑惑が報道されたんだ。いや、根も葉もない噂だったんだけどね、危うく吹奏楽部がコンクール辞退に追い込まれるところだったよ」


「……」


「未成年の飲酒は禁止されているからな、もしもそんなことがあれば活動停止もやむを得ないご時世だ。厳しいものだと思うが仕方ない。今回は俺の方でなんとかもみ消したが、次はどうだか」


「……」


「しかしね、素行のわるい生徒というのはいるものだ。不思議なことに、これは無能か優秀かに関係ない。素行の悪さというのは一種の病気だな。どれだけ優秀なホルン吹きであっても、品行方正な生徒であるとは限らない」


「……」


「喫煙」


「……」


「煙草なんてものは臭いし体にわるいし、百害あって一利なしだと俺は思うがね。なぜか手を出すものがいる。しかも、この学園の中では手に入らないだろうから、もし吸っている者がいれば裏ルートから仕入れたんだろう。まったく、二重に愚かしい」


「……」


「未成年の喫煙となれば、さすがに吹奏楽部の活動停止はやむを得ない。飲酒疑惑程度ならば生徒会長権限でもみ消し、と思っただろうが、喫煙の証拠があればさすがの俺でも難しい」


「……」


「コンクールも辞退することになるだろう。一人の過ちが組織に波及する。社会の世知辛さを体感させる良い文化だ。原因の、一人になったものはたまらないだろうがね。どれだけ才能があろうと、その後、音楽の道に進むことはできないだろう」


「……」



 遠滝は、ひどく青ざめた顔をしていた。その表情だけで話の共有は既に終わっていたといえる。それでも彼女は気丈にも言葉をつくった。しかし、その声は震えており、もはや威勢はない。



「脅しですか?」


「何がかな?」


「私は! そんなことに屈しない! 吹奏楽部を活動停止にしたければすればいい!」


「まぁ、落ち着きなさい。ここはコンクールの場だ。声を荒げてはいけない。ところで、君はどうしてここにいる?」


「は?」


「どうして吹奏楽コンクールに来ているのかと聞いている。4年までは来ていなかっただろう。君が吹奏楽コンクールに来るようになったのは5年から。ちょうど安田が入学してからだ」


「偶然です」


「苗字が違っても弟は弟。晴れ姿は見に行きたい。素晴らしい姉弟愛だ。見習いたいね。うちは兄弟仲がわるくて困る」


「違います!」


「そんな君に身内が切れるかな? いや、できないね。愚かな弟とはいえ、彼の未来を絶つことが君にはできない」


「……クズが!」


「言っておくが先に手を出してきたのは君の方だ。優等生としてクラス代表をまっとうすればいいものを、欲をかいてをするからこうなる」



 数緒は、トンと遠滝の肩を叩いた。



「こっち側に来るなら容赦はしない」



 遠滝は何か言おうとして、スッと俯いた。そのとき、数緒と彼女との間での交渉は終わった。この程度のことで話がついてよかったと数緒は内心思っていた。もしも材料がなければ、彼女の持つすべてのものを取り上げることになったのだから。


 数緒は、メガネをくいと直して、にこりと微笑んでみせた。



「すまないな。君が言った通り、こんな話は無粋だ。今日は演奏を楽しもう。多賀根学園が健闘することを共に祈ろうじゃないか」






★★★






吹奏楽部・・・多賀根学園は、吹奏楽部の強豪校で、伊勢と千恵美の代で全国コンクール2連覇しており、まさに黄金世代であった。伊勢と千恵美はそれぞれ部長を務めていたが、評価は正反対で、伊勢は聖母と呼ばれいてたのに対し、千恵美は魔王と呼ばれていた。ただ、千恵美は恐れられていたことは確かだが、一方でその技術の高さと助言の的確さで尊敬もされていた。その後、千恵美が上級生になってからは飲んだくれのお姉さんと認識されており、意外と下級生からは慕われている。

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