第20話 笑わないサポーター

 湿り気はあるが、よく晴れている。海が見えるところにあるサッカー場には潮の香りが漂っていた。芝は風に揺れて色をころころと変え、何かの芸術作品のようだ。文吾は、多賀根学園の中でも、この海浜サッカー場がとびきり好きだった。



「本当にうまいんですね、文吾さん」



 インターハイ地方予選一回戦を終えて、文吾は汗のかいたユニフォームを脱いだ。次の試合は午後から。それまでコンディションをたもたないといけない。ボトルから水分を補給し、どの試合を見に行こうかとトーナメント表を確認する。そんな彼に話しかけてきたのは、無所属の政治家、遠滝汐とおたきうしおであった。



「サッカーわかるの?」


「いえ、まったく」


「じゃ、どうしてうまいって?」


「得点を入れていたので」


「君は政治家のくせに正直だね」


「私が政治家を志したのは嘘ばかりの政治に辟易へきえきとしたからです。だから、私は極力嘘をつかないようにしています」



 正義の味方のようなセリフを汐は臆面おくめんもなく言ってのける。そのような清流のような言葉を聞いて、文吾は新鮮な気持ちになった。


 文吾の家は代々政治家一族。父親も祖父も政治家で、順当にいけば兄の数緒も政治家となるだろう。家で話すのは政局のことばかり。そして彼らの話の中には、嘘と計略しかなかった。だからこそ、文吾は政治が嫌いで、絶対に自分は関わるまいと心に決めていた。


 汐は、だからこそ、政治の世界に飛び込んだという。同じものを見て、まったく反対の道を歩んだ汐に対して、文吾は何かしらの縁を感じていた。



「次の試合も勝てそうですか?」


「油断はよくないけど、勝つよ」


「愚問でしたか。私にはサッカーのことはわかりませんが、インターハイベスト4のあなた達ならば勝って当然ですかね」


「昔の成績なんて意味ない。試合はやってみないとどっちが勝つかなんてわからない。ただ絶対に勝つ。そう思ってやるだけさ」


「さすがは浜部一族ということですか。勝ちにこだわる姿勢は見習いたいですね」


「皮肉かな。よく言われるんだけど、勝負は勝つことが目的だ。勝つこと以外に何を考えるんだい?」


「一般論ですが、勝てないとわかると人は過程に意味を探し出すものです。努力することが素晴らしいとか、楽しむためにやっているとか。そうやって自分をなぐさめますね」


「理解できない。僕は目的を達成できない言い訳は好きじゃない。だから、君のことも懐疑的だね。今、君のやろうとしていることは、増税に反対するためにがんばったという思い出作りなんじゃないかい?」


「……文吾さんは、物怖じしませんね。私は一応上級生ですけど」


「誰の弟だと思っているの? 僕はあの兄貴に対してですら一回もびびったことないよ。それにピッチの上では上下関係なんてないからね。それとも先輩として形ばかりにうやまってほしい?」


「いえ、結構です。文吾さんはそのままでいてください。私はあなたの先輩になりたいのではなく、同志になりたいのですから」


「同志とは大げさな言葉だな。チームでもいい?」


「好きなように理解してください。すべては目的を達成するために必要なことです」



 汐はきりっとした顔を見せるが、ほっぺに張られたサッカーボールのシールでつい笑いそうになってしまう。紺の制服のスカートに多賀根学園と大きくプリントされたティシャツ。一応、文吾を応援にする気持ちはあったらしい。ただ、トレードマークの腰布をぶらさげ、片手にはキューブが握られており、何が何やら怪しい雰囲気になってしまっているが。



「その恰好で来たの?」


「? えぇ。おかしいですか?」


「おかしくはないけど、外の歩くのは恥ずかしいかなって」


「別にそうでもないですよ。外部なら気にしますけど、学園内ですし」


「そっか」


「インターハイシーズンですしね。サッカーの応援に来ている生徒はみんな、こんなかんじの恰好をしていましたよ」


「確かに。でも、ほっぺのシールはちょっとはしゃぎすぎじゃない?」


「そうですか。言われてみれば、ほっぺのシールを張っている生徒はいませんでしたね。一応、応援するにあたって、プロサッカーの試合を見てきたんですよ。そのときサポーターがこうしていたので真似てきたのですが」


「あぁ、やっぱりまじめなんだね。政治家さんって」


「けっこう似合っていると思いませんか?」


「あ、うん。え? それは似合っているとうれしいものなの?」


「うーん。これは年長者としての忠告ですが、女の子は基本かわいいと思うものしか身に着けません。なので、似合っているかという問いには似合っていると言うべきですね」


「答えの決まっている質問をする意味がわからないんだけど?」


「女の子とはそういうものです。確か、文吾さんは彼女がいましたよね? ちゃんとやっていけていますか? この受け答えでは少し心配になってきました」



 余計なお世話だと文吾は言ってのけたかったが、交際経験の乏しい文吾には女子の気持ちがよくわからなかった。実際に、友梨恵と話していても、さっきのような微妙な会話のすれ違いが起きている。



「まぁ、女子への対応についてはまた今度相談に乗りましょう。とりあえず今後の方針についてお話してもいいですか?」


「どうぞ」



 ちょっと女子への対応についても聞きたくなってきたが、確かに今するべき話じゃない。この暑い中、応援に来てくれたのは、汐がサッカーファンなわけでも、恋愛談義をするためではない。汐はハンカチで首筋の汗を拭いてから、本当の目的を告げた。



「プロパガンダ戦で勝利するんです」






★★★






腰布・・・遠滝汐の趣味。エスニックなデザインのストールを腰に巻いている。4年生のときに付き合っていた彼氏とマレーシアに旅行し、その際に柄に惚れた。それ以来、いろいろと衣装を集めている。彼氏とはほどなくして別れたが、衣服の好みは継続している。まだ、彼氏に未練があるとかではない。たぶん。

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