第7話 魔性の女

「ねぇ、このブラかわいいでしょ。今日のために買ったのよ」


「あぁ、とてもかわいい」


「こら、すぐに脱がそうとするな。もうスケベなんだから」



 中谷千恵美なかたにちえみは、数緒の手をパッと払いのけて、ベッドの横にある袖机からグラスを取った。ぶらんと行き先を失った手を、数緒は彼女の太ももに置いた。


 無事にOB会を終えて、数緒はへとへとになって帰宅した。そこで先に待っていたのは彼女の千恵美であった。特に何か労うこともなく、千恵美は平然とベッドの上でスマホをいじっている。そんな彼女を横目に数緒はシャワーを浴びて、ガウンを羽織り、千恵美の横に倒れ込む。そして、ちょうど彼女の柔肌に手を伸ばしたところであった。


 赤い煽情的せんじょうてきな下着姿で数緒の横に腰掛ける千恵美は、そのきれいな金髪の髪をすらっと背中に垂らし、片手に持つグラスを口元に運ぶ。手足が長く、すらりとした体形でまるでモデルのようだ。それは自然とそうなのではなく、彼女の努力に依るものだろう。指先まで行き届いた美意識が、彼女を美女たらしめている。


 その意識が外に向くことはない。千恵美の美意識は自らにのみ注がれる。自覚のあるナルシストであり、許容されないことを許さない。それが、中谷千恵美という女である。



「いい? 私がブラの話をしたんだから、ちゃんとブラを褒めなきゃだめでしょ?」


「褒めたじゃないか」


「テキトーだった。ちゃんと見て心の底から褒めなきゃだめでしょ」


「あまりにかわいくてつい目を逸らしてしまったんだよ。見惚れてしまってずっと見ていたくなってしまうからね」


「ブラを褒めてもだめなのよ。私がブラの話をしたら、このかわいいブラを選んだ私の素敵さを褒めないと」


「もちろん全部、君の話だ。うん、君によく似合っている。本当に君はセンスがいい」


「もう、調子いいんだから。そんな交渉術で政治家なんてできるの?」


「君と駆け引きなんてしない。全部、俺の本心だよ」



 そう言って、数緒は千恵美にキスをした。唇は柔らかく潤っている。そのまま溶けてしまいそうで、狂おしいほど気持ちがいい。むさぼりたいという欲求がたかぶる。けれども、それはまだできない。


 ベッドの上での作法は、法案を通すのに似ている。


 手続きが必要なのだ。中身はさほど重要ではない。無駄なこととわかっていても、一つ一つ対話を重ねて、相手の許可を得ていく。


 願わくばもっとプロセスを減らしてほしいものだが、と数緒は内心文句を垂れる。しかし、千恵美という女にそれを期待するのは無理だ。むしろ、このプロセスを楽しんでいる節まである。まったく理解しがたい。


 

「ねぇ、今日の会議、うまくいったんだよね?」


「ん? あぁ、そうだ。うまくいった。今日まで準備してきた甲斐があったよ」


「ふーん」


「何か?」


「いや、あんまりうれしそうじゃないなと思って」


「そうか? 君がなかなかご褒美をくれないからかもしれないな」


「そういうんじゃなくて」



 いやらしく肌の上を滑らせた数緒の手をぺちんと叩いて、千恵美はスッと目を覗き込んできた。



「安藤くんと会ったでしょ?」


「……OB会だからな」


「やっぱり。それで機嫌悪かったんだ」


「いや関係ないよ」


「2年前に生徒会長になれなかったのまだ根に持っているくせに」


「……もう、根に持ってない」



 2年前、数緒が生徒会長になるはずだった。当時、多賀根学園3年生、浜部数緒、生徒会長になるならば最も順調な進路となる。順当にいけば数緒が生徒会長になるはずだった。


 しかし、風が吹いた。


 選挙期間の少し前、たまたま発生したコンビニ強盗事件を安藤新兵衛が見事に解決した。逃げてきた犯人を一本背負い。その一部始終が防犯カメラに写っており、報道で大々的に扱われた。


 安藤は一躍有名人。そうとなれば、生徒会選挙で彼を推さない理由が学民党上層部にはなかった。


 機を逸した。数緒は翌年も生徒会長の選挙に出られなかった。これは多賀根学園以外の者には伝わらないのだけれど、3年卒業というのが一つのブランドとなっている。だから3年生での生徒会長というのは、一種の黄金ルートであり、選挙でも有利に働く。しかし、翌年の数緒は4年生。そのブランドを失った数緒は、生徒会長になるという点において非常に不利な立場となった。


 安藤さえいなければ。


 彼を憎んでいた時期も確かにある。だが、それも昔の話だ。いろいろ手を尽くした結果、5年生にて悲願の生徒会長になることができた。彼に思うところはないと数緒は確信している。



「プラチナチケット」



 しかし、千恵美は数緒の確信をいとも簡単に崩してかかる。その大きな宝石のような瞳をきらりと怪しく光らせて、数緒の心をいやらしく覗いてくるのだ。



「何でほしいのかな?」


「それは、夢だからだ。多賀根学園に入学した以上、プラチナチケットを狙うのは当然だろ」


でしょ?」


「……」


「安藤くんが最年少生徒会長になって、3年で卒業しちゃった。しかもゴールドチケットで。それがあなたは悔しくて仕方ない」


「……」


「すごい成績よね、安藤くん。そんな彼に勝つ方法は一つしかない。それがプラチナチケット」


「理由は、まぁ、いくつかある」


「後輩に負けたのが悔しくて、無理を通そうとするなんて小さい男」


「負けてない!」



 数緒は、千恵美の持っていたグラスを奪い取って、ぐっと飲みほした。それから顔をしかめ、ゲホゲホとせき込む。



「酒か?」


「いいでしょ。お互い二十歳なんだから」


「外では飲むなよ」


「わかっているわよ。それより私のお酒勝手に飲むなんてひどい」



 千恵美がムッと眉を曲げたので数緒は強引にキスをした。彼女に嫌がる様子はなく、むしろ求めてくる。おそらく手続きは終わったようだ。



「俺は負けてない」


「えぇ、そうね」


「最後には俺が勝つんだ」


「そうよ」


「あと、小さくない」


「私、小さい男好きだけど?」


「このっ」


「あはは、ごめんごめん、くすぐったぁい、だめぇ」





★★★




防犯カメラ・・・多賀根学園は実験都市ということもあり、防犯カメラの数が異常に多い。その中で犯罪を犯しても絶対に成功するはずがないのに、なぜか犯罪数は減らない。犯罪を犯すか犯さないかは、成功するかしないかではないらしい。毎年、防犯カメラを減らすように生徒から要請があがるが、年々増えている。

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