第6話 天から選ばれた少年

「あ、浜部先輩!」



 懇親会の立食パーティ。講堂から場所を移して、しばらく歩いたところにある洋館で行われる。ダンスパーティなども行われる場所だが、今は白いクロスのかけられたテーブルが置かれ、料理がずらりと並んでいる。


 OB会の打ち上げと言ってしまえば、その通りなのだがOB会以上に重要な場である。現役生は今後の進路としてOB達と交流を求め、OB側は優秀な現役生を囲い込もうとする。そういう意味で、少なくとも現役生にとってOB会の本会よりも重宝されていた。


 数緒もOB達と談笑していた。彼は生徒会長という身分もあり、OBの方からひっきりなしに会いに来る。その中に一人、小柄な青年が笑顔でこちらに駆け寄ってきた。



「安藤、もう先輩じゃないと言っただろ」


「は、すいません、浜部学生。なかなか慣れなくて」



 安藤新兵衛あんどうしんべえはえへへと人懐ひとなつっこく笑って頭をかいた。彼は数緒よりも一つ年下だが、既に多賀根学園を卒業している。そのせいで先輩後輩関係がおかしくなっているのだが、多賀根学園ではよくあることで、現役生のことは学生付き、卒業生の方は好きに呼んでいいとなっている。


 数緒も初め年下の卒業生に対する呼び方で迷っていたのだが、先輩と呼ぶと彼らがびびってしまうので、もう普通に呼ぶようにしている。



「やっと話せますよ。今日はずっと浜部学生の周りがかなくて」


「一昨年はそうだっただろ」


「二年前のことなんてもう忘れましたよ」


「安藤らしいな」



 これを本気で言っているのだから恐ろしいと、数緒は苦笑する。学生時代のことなど忘れてしまった。学生生活が薄れてしまうのは何もおかしくない。ただの学生生活ならば。


 第73代生徒会長、安藤新兵衛。


 彼は優秀な生徒会長であった。その功績はいくつかある。マクロ経済学に基づく多額の学債発行や、ドローン宅配事業の規制緩和など。だが、彼を語る上でいちばんにあげられるのは、功績ではない。


 彼が生徒会長になったのは2年生のとき。入学してわずか2年で生徒会長の座に上り詰めた、史上最年少の生徒会長。それが安藤新兵衛の代名詞であった。


 そして、生徒会長として過ごした激動の1年間を簡単に忘れてしまう。その楽観性が安藤という男の驚異的なところであり、苛立たしいところでもあった。



「それにしても増税ですか。僕は反対ですね」


「そんなこと言いに来たのか?」


「僕と浜部学生が会ったら政策談議と決まっているじゃありませんか」


「昔から君とは考えが合わなかったな」


「何度も朝まで語り明かしましたね」


「記憶を捏造ねつぞうするな。君は明け方まで起きていたことなどないだろう」


「そうでしたっけ? もう忘れました」



 都合のいい頭をしている。実に政治家向きだ。数緒は思う。将来、この安藤という男を中心にこの国の政治は動いていくのだろうと。同世代に生まれたことが頼もしいと感じるし、一方でうとましくも思う。



「別に増税を全否定する気はありません。ただタイミングがよくないでしょ」


「今日の議論を聞いていなかったのか?」


「四方木OB会長としたのは政局議論でしょ。僕は議論がしたいのです。多賀根学園の経済状況を見たとき、このタイミングでの増税は愚策です」


「それは違うな。多賀根学園の景気がわるくなった原因を考えろ。簡単な話だ、生徒の質が落ちた。これは学園運営を行う俺たちの責任だ。つまり、生徒を鍛え直す必要がある。そのための増税。これは経済を立て直すために必要なものだ」


「景気がわるいのは度重たびかさなる増税のせいです。出まわっている貨幣量が少ないから購買力が弱くなる。単純な経済理論です。生徒の質うんぬんの話は関係ありません」


「金をばらまいてインフレを起こせと? その金はどこから出てくる? 学債か? 今学園の借金がいくらあると思っている? 財政規律の授業をしてやろうか?」


「学園の借金って、そんな子供騙しを僕にしないでくださいよ。パランスシートを見れば学園の財政は健全そのものだ」


「壊れたオルゴールか。どこぞのエコノミストの意見を復唱しているだけじゃないか。だいたい金だけまいて見かけ上の景気をよくしても根本の解決にはならない。生徒の質の向上、それなくして経済の回復はありえない」


「景気さえ回復すれば、生徒の活動は活発になりますよ。生徒会がわざわざ介入する必要はない。この学園の生徒は優秀です」


「違うな。生徒は基本怠け者だ。金があれば無駄に使ってしまう。この学園の厳しい環境が、彼らを鍛え上げているだけだ。この学園の生徒が優秀なのではない、この学園の生徒が優秀に育ってられている。俺たちの手によって。だから、俺たちは金を集め、適切に使ってやらなければならい。それが生徒会の使命だ」


「相変わらずですね。いつも平行線だ」


「まったくだ。この話も何度したかわからない」



 話しつつ、数緒は彼と過ごした日々を思い返す。先輩と後輩。共にこの学園を良くしようと誓い合い、話し合い、論じ合った日々を。しかし、それは過去の話だ。彼は卒業して、今や学園にはいない。どれだけ語ったところで実権を握るのは数緒なのである。


 そのことをお互いに理解して、紛糾する議論をいいところで切り上げる。



「まぁ、卒業生の僕が何を言っても決めるのは現役生ですけれど」


「そういうことだ。卒業生は高みの見物でもしていてくれ」


「そうですね。この話はいずれ国会でしましょう」


 

 屈託なく安藤は笑う。この笑顔が、数緒は苦手だった。否が応でも思い出してしまう。2年前、安藤に生徒会長の座を奪われた日のことを。





★★★





OB・・・卒業生を指す言葉。オールドボーイの略であり、いささか時代遅れ。女子生徒から使用をやめるようにという意見もあがっており、近いうちに使われなくなると思われる。しかしながら、オールドガールと呼ばれるのも嫌だという女子の意見もあり、じゃ、いったいなんと呼べば? という疑問が湧く。普通に卒業生でいいという考えもある。

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