第5話 増税の理由

 生徒会長室に戻った数緒は、ネクタイを緩め、倒れるように椅子に座り込んだ。背中が汗でしっとりと濡れており、雨にでも降られたかのようである。懇親会に出る前に一度着替えた方がいいかもしれないと、シャツのボタンを一つ外した。



「お疲れ様です、会長」



 そんな数緒に労いの言葉をかけたのは湊であった。彼女も生徒会役員の書記として、数緒の横に列席していたはずなのに、余裕そうな面を向けている。



「本当に疲れた。ライオンの檻に放り込まれたウサギのような気分だったよ。生きた心地がしなかった」


「現役の議員もいらしてましたね。さすがは学民党です。私もさすがに緊張しました」


「本当か? まったくそんなふうに見えなかったぞ。一人だけ能面をつけているのかと思った」


「とってもかわいい能面でしょ。A〇azonで買ったんです」


「俺のも買っておいてくれ。どうにもポーカーフェイスは苦手だ。見たか、あの四方木先輩の顔。どうやったらあんな貫禄のある雰囲気を出せるんだか」


「会長が化け物と言っていた理由がわかりますね」


「俺もひげを生やそうか」


「絶対にやめてください」


「やっぱり男は髭だと思うんだよな。四方木先輩の髭はかっこよかった」


「会長には似合わないので絶対にやめてください」


「何だよ。全否定だな」


「もしも生やしてきたら、私が剃刀かみそりで処理しますから」


「そこまでするか。まぁ、学生の内は生やさないよ。髭がない方が当選しやすいというデータもあるからな」


「明日から剃刀を常備しますから」


「だから、しないって」



 湊と雑談して、数緒はギアを一つずつ下げていく。彼女の淡白なもの言いと頭の回転の速さは、気を落ち着かせるのにいい。数緒は脳内を整理するのに、彼女との会話を重宝していた。



「この後、懇親会があります。ジャケットにしわなどつけないようにしてください」


「わかっているよ」



 一仕事終わったことだし、生徒会役員で打ち上げでもしたいところだが、残念ながらそうもいかない。同じ生徒会とはいえ、派閥が異なる者もいる。それに今は先輩のもとに挨拶に行っているのだろう。とはいっても、後で全員をねぎらっておこう。



「ふぅ、やっとここまで来た」



 数緒は息を吐く。まだ、校則案が通ったわけではない。しかし、校則案を通すためのいちばんの難関はこのOB会だと言われている。学民党OB会を何とか通すべく、いろいろ根回しをしてきた。それが実を結んだことがうれしかった。



「そういえば、前から聞きたかったのですが」



 安堵する数緒に、湊は世間話の延長のように尋ねてきた。



「どうして会長はこの増税校則案を通したいのですか?」


「ん? 何だ? 愚弟と同じレベルの論争をするのか?」


「いえ、建前はどうでもいいのです。その辺りの理論武装はできているし理解しているつもりです。そうではなく、会長はポイント的にもう十分ではないですか?」



 多賀根学園は、日本海に浮かぶ学園都市である。もちろんただの学校ではなく、いくつか特殊なルールがあり、その一つがTコインたがねコイン、多賀根学園内で流通する電子マネーだ。


 学生はTコインを得て、そのお金で生活する。Tコインは普通にバイトをしても得られるが、それだけでなく、試験の点数、部活の成績などに応じても得ることができる。より豊かな生活をしたければ学業を通じて稼がなければならない。


 生活の面だけでなく、学生はがある。


 卒業チケットを買うためだ。


 多賀根学園は、エスカレータ式に卒業できるようなぬるいシステムではない。卒業するためには、学生としてTコインを稼ぎ、卒業チケットを買わなくてはならないのだ。


 そのために、学生は必死でTコインを稼ぐ。期限は最長7年間。この7年間の内に多賀根学園を卒業できたということが、実力の証明そのものであり、後々の社会活動の多大なるアドバンテージとなる。



「会長は何度も生徒会役員を務めていますから、ずいぶん前から卒業するのに十分なTコインを持っているはずです。それでも、学園に残っていたのは生徒会長をやるため」


「何かおかしなところがあるか?」


「いえ、そこまではわかります。今後、政治家として生きていくのであれば多賀根学園で生徒会長をやっていたという経験と実績は卒業を延期してでも絶対にほしい。しかし、それで十分では? わざわざ増税というリスクを冒す意味がわかりません」


「簡単な話だよ。生徒会長として学園の未来のために増税が必要だと判断したからだ」


「ですから、建前はいいんです」


「傷つくな。俺にだって愛校心はあるんだぞ」


「会長がそんな聖職者でないことは知っています。もう半年以上も一緒にいるんですから」


「そんなに経つか。時間が経つのは早いな」


「で、何でですか?」



 湊の問に、数緒は仰々しくデスクに肘をおいてから答えた。



「卒業チケットを買うためだ」


「? ですからそれはもう買えるはずじゃ」



「!?」



 卒業チケットには3種類ある。いずれのチケットも効力は同じで、多賀根学園を卒業できるというもの。では、なぜ3種類もあるのか。それは卒業の価値が変わるからだ。


 ほとんどの生徒はプレーンチケットで卒業する。それだけで十分に誇れる成績だ。一方で、ほんの一握りの優秀な生徒だけが手にすることのできるゴールドチケット。このチケットを手にすれば、もはや人生の成功が約束されたようなものと言われている。


 そして、プラチナチケット。


 である。その取得条件は、7年間では到底達成不可能な大量のTコインを稼ぐか、比類ない偉業を達成するか。


 いずれにしろ、最高難易度の卒業チケットであり、その存在を疑われるほどの代物だ。おそらく真剣に目指している者は本当にごく少数であり、湊が驚くのも無理はなかった。



「プラチナチケットなんて冗談以外で言う人初めて見ました」


「まだ2年生だろ。君の学年は夢がないな」


「夢というか、普通は不可能です。目指そうとすら思わない」


「だから普通でないことをするんだ」


「それが増税ですか」


「文科省の裏報酬だ。増税を成し遂げると臨時ボーナスが与えられる。プラチナチケットを得るにはこれしかない」


「だとしたら、増税なんてできるのでしょうか? それだけ難しいということなんですよね?」


「できるかではない。やるんだ。俺達は今、その道の途中にいる」



 完全にかっこつけ過ぎた。まだ学民党OB会の余韻が残っていたようだ。数緒は少しだけ後悔したが、言ったものは仕方ないと精一杯平然を装い、


 

「かっこいい」



 と湊が珍しく感動していたので、とりあえず良しとした。





★★★




Tコイン・・・多賀根学園の経済圏で流通する電子マネー。学園内では他の貨幣は使えず、すべてTコインで決済する必要がある。それらの取引は中央で管理されており、脱税はかなり難しい。ただ抜け道はいくらでもあるもので、物々交換による闇取引が横行している。取り締まりに生徒会は苦労しているのだが、それはまた別の話。

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