第13話 シーの話②

 シーはエスより早く練習所を出た。


「8時には着くよ」


 再度千智に連絡をすると、白いスポーツ帽とサングラス、白いマスクをつけた。途中、駅構内の洋菓子店でプリンを3個買うと、シーは電車に乗り込んだ。


 シーはエスほどの人気はないうえに、ただの候補生。電車でファンと遭遇する可能性を危惧するまでもなかったが、念には念を入れていた。


 実家の最寄り駅の所沢に到着すると、千智が水色の軽自動車で迎えに来ていた。千智は茶髪のショートヘアに、上下黒いジャージを着ていた。高校卒業後、千智は近くの物流企業で事務職をしている。


「お疲れ様」と千智は言った。


 シーは千智の車に乗り込むと、マスクとサングラスを取ろうとした。

「ダメだって、ファンにつけられてるかも」と千智はいうと、車を発進させた。

「ごめんね、私が事務所に履歴書送っちゃったからこんな生活になっちゃって」と千智は言った。

「芸能界はいいところだよ。高卒の僕がこんな景色見えるのは、千智のおかげだよ?」とシーは言った。ふふっと千智は笑った。


「私今日は焼肉食べたい」と千智は言った。

「オッケーわかった」

 

 焼肉といえども、近くのチェーン店に行くわけには行かない。こう千智が主張する日は、千智は既に肉を買い込んでおり、一人暮らしをしている家の冷蔵庫にきちんと保管されているのだ。千智は変に勘が鋭かった。今日は焼肉を食べるべきだ、と思ったのだ。


 オートロックもないような壁が薄いワンルームアパートに、屋根のない剥き出しの駐車場。こんな場所にまさかアイドルの卵がいるとは誰も思わないだろう。


 シーは、車を降りると、人目を憚るようにさっと、2階の千智の部屋へと上がり込んだ。


 玄関口で、シーは千智にプリンを渡した。

「ありがとう。ごめんね、いつも余分に一個買わせちゃって」

「二個だと何思われるかわからないしね」とシーは言った。物を買うときは三個、これは千智の提案だった。一人っ子のシーは家族3人暮らし。千智用ではなく、家族用のものです、と最悪言い訳できる。


「でも早く売れないと、こんな保険も意味をなさないよね。売れないアイドルがこんなことしてても……」とシーは言った。

「なんかあったの?」と千智は言った。

「別に。新しいマネージャーが来たくらいだよ」


 新見香里奈。彼女にシーは期待を寄せてしまっていた。自分たちのデビューが近いんじゃないかと。ただ、期待が高まれば高まるほど、また裏切られた時の絶望感が強くなる。もう何度も経験したことだ。


 事務所の候補生に受かった時も、ユニットを結成した時も、シーは自分自身に期待をかけた。しかし、マネージャーがやめたり、社長のお気に入りの窪田が先にデビューを決めたり、そういうことがあるたびに、何度も奈落の底に突き落とされてきた。


 千智は何も言わずに、冷蔵庫から肉を取り出した。千智は暖かな緑色だ。それもずっとだ。環境が変わろうと、シーが何を言おうと、好物のプリンを食べていようと、ずっと変わらず緑色だ。もはや、シーは千智のことしか信用できなかった。

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