第8話 イーの話①

 イーは窪田悟と養成所の同期だった。窪田の方が先にデビューを遂げたが、イーはあまり焦りを覚えていなかった。大学も卒業したし、最悪どこか就職口はあるだろう、それくらいに考えていた。


 気がついたらイーは25歳になっていた。来年までにデビューできなければ、この世界は諦めよう。そう考え出したちょうどその時、デビューが決まった。デビューが決まった、とマネージャーの新見香里奈に言われた時、まさか自分が泣き出すなどと思ってもいなかった。


 デビューが決まると、養成所からは少し離れた場所にある『事務所』への出入りが許されるようになった。事務所は社長や新見香里奈らが事務作業をしたり、タレントが集まりパーティーを開く場所だ。


 イーらは頻繁に会議という名の接待に駆り出されるようになった。エスなんかは明らかに疲労の色が溜まっている。どうせ俺らに仕事の決定権なんてない、てきとうにやればいいのに、とイーは思った。


「やっとお前と事務所で対等に話せる日が来たな、長かったよ」

 事務所で窪田とすれ違った際にそう言われた。イーは窪田を無視した。


 デビューが決まってから喜べる時間はほんの一瞬だった。デビュー曲がおそろしくダサかったからだ。タイトルだけは無駄にかっこいいのに、振りも、歌詞も、曲調も全部ダサい。正直、やる気が出なかった。だから、練習もテキトーに終わらせた。


 しかし、それでも80万枚も売れてしまった。練習なんて無意味だ、というのが売上を見た時の正直な感想だった。


 セカンドシングルは『20万がない!』


 デビュー曲を超えてさらにダサかった。もはやイーは感想すら出てこなかった。窪田はすれ違うたびに明らかにイーに聞こえる声で、シングル名を嘲笑った。イーは言い返せなかった。その通りだったからだ。


 これは新見香里奈が提案したプロジェクト「目指せ20万!」の一環だった。ネット配信購入回数、ちょうど20万回を目指そうと言う取り組みである。なんとか成功させたいファンは購入せず、なんとか失敗させたい奴らが買い続ける。結果、プロジェクトは話題を呼び、絶妙にダサくて耳に残るフレーズで、デビュー曲以上のセンセーショナルを生んだ。


 特に子供からの人気が強く、この曲は教育番組の主題歌に抜擢された。


ーバカと天才は紙一重とはこのことか


 イーは新見香里奈に対してそう思った。面白れぇやつだな、と興味さえ湧いた。ならいっそ、香里奈について行ってもいいかもしれない。その先にどんな景色が待っているだろうか。

 

 新見香里奈が多忙で倒れた日、イーは初めて香里奈にメールを送った。

「ありがとう」香里奈からの返信はそれだけのそっけないものだった。イーは香里奈が余計に気になった。


 あとで知った。シーが看病していたらしい。くそっ、あいつ独り占めしやがって。イーはそんな感情を持つ自分に驚いた。


 

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