第3話 エスの話①
大塚プロダクション、通称大塚プロは男女10組ほどの人気アイドルユニットを抱える大手芸能事務所。大塚プロはデビューを目指すための養成所も運営しており、およそ200人がデビュー候補生として歌やダンスのレッスンに励み、切磋琢磨しあっていた。
エス、イー、シー、アールの4人が養成所のトップデビュー候補生だったのは5年前のこと。4人はユニットを結成しており、誰の目から見てもデビューまであと少しという状況だった。
しかし、その、あと一歩がどうしても長かった。デビューを決めるのは事務所の人間。もっと言えば社長だろう。社長が何を判断基準にデビューを決めているのかがわからず、歯痒い日々を送っていた。
養成所は都内にあった。3階建ての施設には、練習スタジオやオーディションへの応募のための録音設備が整っていた。
エスが香里奈と出会った頃には候補生になって既に7年が経過していた。4人組ユニットを結成してくれた当時のマネージャーは既に事務所を辞め、名もないユニットは一部のアイドルオタクからは、まずまずの人気を得ている頃のことだった。
「一旦練習ストップ!」
エスは、イー、シー、アールとダンスの振りの確認を、練習スタジオでしていた。
練習スタジオに、似合わない赤い高級ブランド服を身に纏った敏腕女社長、大塚幸恵と、ブカブカのリクルートスーツを着た知らない若い女性がやってきた。
若い女性は髪を一つに束ね、手にメモ帳を持っていた。
「お疲れ様です!」と4人は元気よく挨拶した。
「新しいマネージャーよ、前の子がいなくなってから随分経ってしまったでしょ。ほら、あなたも挨拶して」と大塚は言った。
「新見香里奈です。皆さんの教育を担当します。よろしくお願いいたします」香里奈は深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
4人はそういうと、戻っていいわよ、という大塚の声を合図に再び大鏡を前に振り合わせを続けた。
エスは入口にチラリと目をやった。大塚は香里奈と何かを話している。そこへ、既にデビューした先輩、窪田悟が通りかかった。大塚は、エスらと同様に、香里奈を紹介し、香里奈は窪田に満面の笑みで挨拶をした。窪田は真顔で軽くお辞儀をするとそのまま通り過ぎていった。
ー媚びる女は嫌いなんだよ
エスは心の中で毒づいた。エスの父親は、エスがまだ小学生の頃に女を作って出て行った。母親1人に育てられ、中学を卒業すると、家出するように養成所に入り、それから母親とは一切会っていない。マンションも事務所の用意したところに住んでいる。エスは女が嫌いだった。もちろん、誰にも話していない。
「エスずっと見てんじゃん」とアールはニヤニヤして言った。アールは身長が160cmくらいで小柄の茶髪の男性だった。中性的な顔が母性本能をくすぐるのか、高齢女性からの人気が高かった。「わかるよぉ。新人マネさん、かわいいよねぇ」
「そうでもなくね」とイーがぶっきらぼうに言った。
「あ、僕の話に乗ってくれるなんて久しぶりだねぇ、イー。いやいや、あのマネは顔がタイプなんだよ。社長に嫉妬されないといいねぇ。前の子みたいに辞めることになっちゃう」
イーはアールを無視して、練習室の奥に置いたバッグを取りに行った。冗談だよぉ、とアールは言って、イーに擦り寄って言った。
「おい、マネなんかどうでもいいだろ。そんなことより練習に集中しろよ!このままだとデビューできねぇぞ!」
「今日はもうみんな疲れているし、これくらいでいいんじゃない?」とシーが言った。
「シー、お前、今、携帯触っていただろ」とエス。
「僕はこのあとも練習するけど、残りは自主練にしようよ」とシーは爽やかな笑顔で言った。エスは黙り込んだ。
シーは175cmくらいで黒髪だった。真面目で、穏やかで、4人がユニットを組んでいられるのはシーのおかげと言っても過言ではなかった。
アールはイーに、飯行こうよ!、と言っていた。パス、とイーは言いながら、練習室を出て行った。
「えー、イーのケチ。シーは?焼肉行こうよ!奢るよぉ。シー焼肉好きじゃーん」
「僕は少しやること残しているから。また今度行こう」
「えー、いつもは焼肉っていうと目の色変わるのに。シーもケチ」
『ねぇイー、僕今日レポート出し終わったんだよぉ。打ち上げしたいんだよぉ』と言いながら、アールはイーを追いかけて言った。
シーは練習室を出て、どこかへ行ってしまった。しかし、しばらくすると練習室に戻ってきて、さぁ、練習を続けよう、と言った。
エスとシーは2人で黙々と練習を続けていた。突然、シーが練習を止めた。
「僕は香里奈さん、相当優秀だと思うよ。僕らに足りないものを補ってくれそう」とシー。
「お前がそう言うなら、信じるよ」
エスはそう言うものの、内心焦りでいっぱいだった。
ーどうすればデビューできるんだ
エスは舌打ちをした。
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