第38話 ヴァーレ要塞

「どうする? ディアドラさんには話す?」


 ティタマがそう尋ねてきたけれども、私はすぐにかぶりを振った。


「あの人には、黙ってて。自分の娘に、見知らぬ人間の魂が宿って、中身が別人になっているとか知ったら、すごいショックだろうから」


 そう、この世界で元々別人格として生きていたはずのスカーレット。そこに、私は宿ってしまった。生まれた瞬間から始まる、とかならまだしも、この年齢までしっかり育ってきた少女の意識をどかして、私が代わりに居座ってしまったのだ。


 そんな事実、ディアドラには知られたくなかった。


「わかった。秘密にしておく」


 こうして、私達が共通の秘密を抱えたところで、道ばたの木陰で休んでいるディアドラに声をかけた。


 馬車は再出発した。ヴァーレ要塞に向けて、平野の道を進んでいく。


 やがて、遠くに見えていた山が近付いてきて、そこに寄り添うようにして築かれている立派な城塞が視界に入ってきた。


 真っ白な構造物で出来ている、美麗な建築が、山肌いっぱいに広がっている光景は、圧巻のひと言。同時に、あれが難攻不落の要塞と言われている理由が、戦記物とかろくに読んだことのない私でも、よくわかる。


 近くまで来ると、見上げんばかりの高さの城壁に、思わず感動のため息が漏れた。ティタマも、島から出たことがないのだろう、こんな建物を見るのは初めて、と言わんばかりに、「わああ、すごい!」と目を輝かせて、はしゃいでいる。


 ロディだけは、仏頂面で、フンと鼻を鳴らした。


「こんなの、うちの城のほうがずっと立派よ」


 その物言いに、私は思わずクスッと笑ってしまった。


「なに? 何がおかしいの?」

「ううん、別に」


 映画では無邪気な、人間界に憧れる人魚姫だったロディが、すっかりやさぐれて、ツンデレヒロイン風味を醸し出しているのがおかしかっただけ。ちょっと可愛いな、と思ったのもある。


 もし映画と同じルートを辿るなら、王子様と出会って、素敵な恋をして、純粋なプリンセスとなっていたことだろう。でも、色々あったから、すっかり人間界のことを憎んでいるようだ。その元凶は、まあ、私なんだけど。


 城塞の前には幅の広い堀があり、渡る手段はない。向こう岸に、橋が直角に立っているのが見える。


「ディアドラよ! 橋を下ろして!」


 そうディアドラが大音声で告げるのと同時に、音を立てて、橋がこちら側へ向かって倒れてきた。向こう岸のほうで、兵士のおじさん達が、ハンドルのような物をキリキリと回しているのが見える。


 重々しく、橋は、堀の上にかかった。


 馬車に乗ったまま、橋を渡っていくと、目の前にある吊り上げ式の城門が、轟音と共に引き上げられていく。これもまた人力で上げているのだろう。すごい厳重な守りだ。内側から仕掛けない限りは、確かに、並大抵の軍だったら攻め込むことは困難だと思う。


 城の中に入ると、豊かな髭を蓄えたおじいさんの騎士が、十数人の兵士達を引き連れて、馬車に近寄ってきた。


「おー! ディアドラ! 久しぶりに会えて嬉しいぞ!」


 ビリビリと馬車の幌が震えるくらい、強烈なまでの大きな声。雷が落ちたのかと思った。


 おじいさんの騎士は、大柄で、着ている鎧もきっと特注品なんだろうなあ、と思うくらい大きい。鎧の隙間から覗いている二の腕はすごい筋肉で、はち切れそう。見るからに豪傑、といった風情の老将だ。


「ガレオン! あなたも元気そうで何よりだわ!」


 ディアドラは馬車から飛び降りるや、老将ガレオンに駆け寄って、その胸に飛び込むようにハグした。ガレオンもその大きくて太い腕に似合わないくらい優しい手つきで、ディアドラのことを抱きしめ返す。


 それから、二人は少し体を離すと、ちょっとしんみりした様子で話し始めた。


「アリアスのことは、残念だったな」

「仕方がないわ。それがあの人の天命だったの」

「とは言え、あの若さで、病で亡くなるとは……惜しい男を亡くした」

「プリチャード家と、あの人が建てた商会は、私が守っている。それらさえ無事なら、あの人の意志はいつまでも残り続けるわ」

「だが、寂しくはある。それに、早馬で聞いたが、王都は大変なことになっているそうだな」

「ええ。実際にこの目で、混乱が起こるのを、見ていたわ……」


 そこで、ガレオンは、後から馬車を下りてきた私達のことを見てきた。そして、ティタマに背負われたロディに目を止めると、ギョッとした表情になる。


「その娘は……⁉ 人魚なのか⁉」


 周りの兵士達も、驚き、ざわざわした。


「あまり見ないで」


 むう、とふくれ面で、ロディは文句を言ってきた。公式の設定で、その歌はとても綺麗というロディの声を聞いて、兵士達はどこか惚けたような顔で、彼女のことを眺めている。


「あの子は、娘の友人よ。変な目で見ないで」


 ディアドラの言葉に、兵士達はたちまち正気に戻る。のと同時に、ガレオンもまた、頭を下げてきた。


「すまない。他意はないが、人魚というものを初めて見たので」

「それよりも、本題に入りましょ。これからのこと」

「ああ。そうだな。時間的な余裕はあまりなさそうだ」


 ガレオンは、王都のほうへと目を向けた。


 私達も、振り返って、自分達が来た道のほうへと振り返る。


 向こうの空が暗雲に包まれてどんよりとしている。明らかに異変が起きている様子。そして、その暗雲は、どんどんこちらへ向かって迫ってきている。


 私は、胸の奥から湧き出てくる恐怖を抑えるように、グッと拳を握り締めた。

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