第15話 本の形をした禁断の果実・②
「……活版印刷、ですか」
別邸の執務室。
メイド二人は隣室で休んで貰っているし、二人きりにならないよう、マクラーンさんに立ち会って貰っていた。
俺は心臓が潰れそうな思いで口にしたのに、エレーナ嬢と来たら、
「ええ、文字の大きさや形を決めて、金属で作ってしまって、組み合わせて版を作り、そう、ページごと一気に印刷するのです。専用のインクも開発して本を大量に生産する……いかがでしょう?」
綺麗に微笑んでいるんだもん。
地味豚公爵に反対なんか出来るわけがない。
「……」
マクラーンさんがぽかーんと口を開けたままこちらを見ている。
俺だって正直ぽかーんとしたい!
「で、ではエレーナ嬢の特許にするとして……やってみましょうか」
「分かりましたわ!これが成功したらもっとやらせて下さるのですわね」
もっと、って……もっと案があるってこと!?
この活版印刷だって、とてつもなく恐ろしい提案だぞ。
本が欲しいけれど大量には買えない下級貴族相手や、少し裕福な家向け、教科書に使ったっていい。下手すりゃ今は王家や貴族が独占しているような古くからの文書にある知識でさえ、平民にぶちまけることが出来る。
マオン辺りは本の売価の計算とかを算段を真っ先に始めそうだけど、これが貴族層に知られたら俺は真っ先に暗殺されるだろう。
マクラーンさんの顔が少し青いのは、恐らくそこまで悟ったからだ。
「うふふ、楽しくなって参りましたわ」
生き生きとしているエレーナ嬢に、俺はおずおずと聞いてみる。
まさか貴族の彼女が、貴族の既得権益を我先にぶち壊すような提案をするとは予想していなかった。
「あ、あの、あの」
「どうされましたの?」
「ドレスとか、宝石とか、お茶会とか、ダンスとか、その、あの、」
そう言う、一般的に大貴族の令嬢が求めるであろうものは……要らないのだろうか?
貴族の、平民を人間とも思わないほどの傲慢で凄まじい既得権益に対して、思い入れは無いのだろうか?
「実は、あまり好きではないのです」
少し悲しそうな顔で、エレーナ嬢は言った。
「えっ、えっ」
「あの人達からも誰からも『それが貴族として当たり前』と言い含められていましたが、ずっと……苦痛でしたわ」
令嬢なら馬車に乗るのが当たり前。
従者がいるのが当たり前。
豪華なドレスと宝飾品を身につけるのが当たり前。
夜会でダンスを踊るのが当たり前。
大貴族と結婚して子供を産み、夫を立てて生きていくのが当たり前。
それが当たり前。
それ以外は、異端。
「もっと勉強がしたい、己の手で何かを成し遂げてみたい、せめて領地経営に携わりたい、そう口にすることさえ異端と言われてしまって……」
決して『当たり前』がおかしいと言いたいのではない。
少しだけでいい、『当たり前』じゃないことをやってみたかっただけ。
「いつも窮屈だったのです」
「えっ、あっ、はい」
「……お嫌ですか?」
嫌じゃない。
嫌な訳がない。
どうしてか俺は凄く楽しかった。
バレたら暗殺されるかも知れないのに、とてもワクワクしていた。
俺と彼女の二人で実現したら絶対に楽しいだろうと言う確信があった。
実現した先で、この世界に恐ろしい、とんでもない、新しい何かをもたらすかも知れない。
まるで禁断の果実が目の前にあって、それを食べるか食べないかの判断を俺達に委ねられているようだった。
俺だけだったら怖くてためらうか、きっぱりと諦めただろう。
でも、既に彼女は果実をその白い手の中に収めて、艶やかな唇に触れさせてしまっている。
――俺がどうして彼女の『共犯者』になることを恐れる必要がある。
否、俺から果実に食らいつくべきだったのだ!
「いいえ。成し遂げましょう、必ず!」
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