第二十四話『リトルガールエンカウント』

 ──夜。

 明日から本当に声優科としての高校生活がスタートする。恋守は新入生代表になった。

 紆余曲折あったものの、幸先は悪くないように思い、恋守と愛与は少しうかれていた。

 そんな二人の部屋のドアがノックされる。

 来客なんてはじめてだ。

 そもそもこの寮には今のところ、恋守と愛与しかいない。

「はい、どうぞ」と言いながらも、ドアに近づいて、開けた。

「こんばんは」

 竹詠かぐ沙が立っている。

 思わずドアを閉めた。

「ねえ恋芽さん、私、あなたにそれなりの非礼を働いてきたけれど、だからってこれはあんまりじゃない?」

 ドアの向こうで竹詠かぐ沙が無表情な声で抗議してくる。

「た、竹詠さん?」恋守はドアを開けた。「どうしたの?」

「私も今日からここで暮らそうと思って」

「どうして?」恋守は右に首をかしげる。

「どうして?」かぐ沙は左に首をかしげる。

 だから二人は目を合わせるかたちとなる。

「学生が学生寮に住んでなにか問題でも?」

「いや、ないけど」

「そうだよ。みんなで楽しもうよ」

 言いながら、かぐ沙の背後から紡椿白烏が顔を出す。

「白烏!」恋守は目と口を丸くする。

「こがしこ! アイ!」白烏は白鳥のように両手を広げて自己主張する。「んばんは!」

「白烏もどうしたの?」

「私も今日からここで暮らすんだよ。夢だったんだよねえ、学生寮」

「そうなんだ」一気に賑やかになったなと恋守は思った。

「じゃあ、そういうことだから、何かわからないことがあったら教えてね。また明日、恋芽さん、愛々さん」

 白烏を無視するように、竹詠かぐ沙はその場から離れていく。

「あ、待ってよ」

 それを追いかける白烏。

「どうしてあなたがついてくるの?」かぐ沙は問う。

「どうしてって──」

 まばたきの練習をするみたいに、白烏は何度もまぶたを動かした。


『竹詠かぐ沙』

『紡椿白烏』


 こういうことだから。

「…………」かぐ沙は、絶句する。しかし、頭をよぎる数々の誰かに対する無礼なふるまい。だからこれを「──天罰だと思うことにする」と受け入れた。

「今日からよろしくね、バブマロ」と白烏は言う。

「待って」聞き捨てならないことを言われた気がした。

「どうしたの?」白烏は疑問符を浮かべる。「バブマロ」

「そのバブなんとか、というのは何?」

「バブマロはバブマロだよ。バブマロのニクネじゃん」と白烏は笑顔だ。

 ニクネがニックネームの略だというのは文脈でわかる。問題はバブマロのほうだ。

「それも神様の名前なの?」

「違うよ。バブマロはバブマロのためのニクネだよ」

「由来を伺っても?」

「なんていうのかな──」首をひねりながら白烏は「バブマロって、バンブーの麻呂って感じじゃん──だから!」と解説した。

 なにが、だから、なのか。接続詞の使い方がおかしいではないか。意味がわからない。

 こんな人と同じ部屋で生活することになるなんて、この先を想像するだけで、頭痛、めまい、たちくらみに襲われそうになる。

 しかし、それも「──天罰だと思うことにする」と受け入れた。


 部屋のドアがノックされ、返事をすると、竹詠かぐ沙が入ってきた。

「紡椿さんが教えてもらいたいことがあるみたいだから、恋芽さん行ってみてくれる?」という依頼に了承して、恋守は、かぐ沙たちの部屋に向かった。

 かぐ沙は愛与に近づく。その手には、サメ型のカセットプレーヤー。

「これ、うちの師匠から愛々さんに。かしてくれてありがとうって」

 愛与はうなずいて受けとった。

「それから、ごめんなさい」と深く頭を下げる。「あなたに本当にひどいことを言ってしまったって心から反省してる。本当に愚かだった。でも口では何とでも言える。だからこれからの生活で、ちゃんと示していくつもり」

 とんとんと、愛与は優しく、かぐ沙の肩をノックする。

《気にしてないよ。気にしないで》

 顔を上げたかぐ沙の目に映ったのは、そのメモと愛与の笑顔だった。

 困った。

 こんなに一瞬で許されてしまっては、もっと気にしてしまうではないか。

「そうだ。これを受けとってほしいの」

 そう言って、銀のカセットテープと新品のイヤフォンを愛与に差し出す。

 受けとれないよ、と首を振った。

「違うの。これはお詫びとかそういうのじゃなくて、プレーヤーをかしてもらった先生からのお礼だから、気にせず受けとって。それじゃあね、また明日。おやすみなさい」

 無理やり握らせて、かぐ沙は部屋から出ていった。

 愛与の手に、銀のカセットテープとイヤフォン。

 カセットテープは非売品のようだけど、イヤフォンはかなり高価なものだった。

 ただの勘にすぎないけど、このイヤフォンはかぐ沙からの贈り物のような気がした。

 申し訳ない気持ちと同時に、すごく嬉しいのも本音だ。

 せっかくなので、さっそく銀のテープをフカヒレにセットして、もらったばかりのイヤフォンを耳につけて再生ボタンを押す。

 聞いたことのある声の、聞いたことのない旋律に包まれる。

 まぎれもない、これは──当代、竹詠かぐ沙の歌。それも鼻歌だ。

 竹詠かぐ沙の鼻歌には、不治の病をも癒やす力があるといわれている。

 もちろん、何一つ根拠のない言い伝えにすぎない。

 だからこそ、このテープに録音されているのは、純粋な、願いの結晶。

 ありがとう、竹詠さん。

 声は出なかったけれど、口の中は感謝であふれていた。


 自分の部屋に戻ろうとする恋守とかぐ沙が廊下で鉢合わせる。

 ぶつかる前に立ち止まる。

「恋芽さん」

「竹詠さん」

「…………」

「…………」

「──ごめんなさい!」

 恋守とかぐ沙は同時に同じことを口にして、頭を下げる。早さで恋守に軍配が上がった。

「どうして?」

 自分が恋守にあやまるのは当然だが、恋守が自分にあやまる意味がわからなかった。

「この間、竹詠さんのこと本物じゃないとか言って、ごめんなさい。あの後、すごく失礼なこと言ったなって、後悔してたんだ。竹詠さんは竹詠さんだし、絶対に当代になれるって信じてるから、だから──」

 恋芽恋守は竹詠かぐ沙に手を伸ばす。

「これからよろしくね、竹詠かぐ沙さん」

 しばし呆気にとられた竹詠かぐ沙だったが、少し笑って「ええ、こちらこそよろしくね──恋芽恋守さん」

 その手を握った。


「ただいま。あれ? アイアイ、そんなイヤフォン持ってたっけ?」

 説明に時間がかかりそうだったので、ひとまず、うなずく。

 そこで思い出したことがあり、恋守を手招きする。

「なになに? どうしたの?」

 愛与はピンク色のカセットテープを取り出した。

 恋守はそれに覚えがある。

 確か、これからの生活で一番使いそうな声を録音したものだとか。

《せっかくだから聞いてほしい》

「うん。わかった」

 手渡されたイヤフォンを耳につける。

 それを確認した愛与はテープをセットしてボタンを押す。


 そして声が再生される。


【恋守】と普通に呼ばれる。

【恋守】どこか不機嫌な声。

【恋守】声からわかる笑顔。

【恋守】注意をされている。

【恋守】あきれられている。

【恋守】うんざりしている。

【恋守】げんなりしている。

【恋守】喜んでくれている。

【恋守】応援してくれてる。

「恋守」手をつないでくれる。


 幾通りもの自分を呼ぶ声に、自然と口元はほころぶ。

 自分の手を握る愛与の手の上に、手のひらをそえる。

 愛与と瞳を合わせる。

 どうしても伝えたい言葉があった。

「……なんか、しかられてるっぽい声、多くない?」




   リトルガールエンカウント fin

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リトルガールエンカウント キングスマン @ink

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