第十六話

 アテレコ組、三十名が視聴覚教室につどう。

 遅れて一人の生徒が入ってきたが、彼女は声優科の生徒ではなかった。

「きたわよ」生徒会副会長、薙寅泣希なとらなきは竹詠かぐ沙の隣に立って、つぶやく。「ねえ、先生の隣にいる人って、当代の竹詠かぐ沙よね」

「知ってるの?」どこか意外そうに、かぐ沙は口にする。

「そりゃまあ、声優に興味のない人でも、竹詠かぐ沙くらいは知ってるでしょ」

 そこまで無知と思われるのは心外だと、不服そうに薙寅泣希は頬をふくらませる。

「よし」手を叩いて谷内先生は生徒たちの意識を向けさせる。「では、はじめよう」

 用意されていた箱に手を入れて、クジを引く生徒たち。クジには番号が振ってあり、それが試験を受ける順番となる。

 愛与は十番だった。

 開始前にルールの確認をする。

 泣いている少女のイラストになぜ泣いているのか、少女になりきってアテレコをする。

 制限時間は十秒だけれど、多少前後してもかまわない。ただし、極端に短い、もしくは長いと減点あるいは失格となる。

 何か質問は? という谷内先生の問いに誰も手を挙げなかったので、早速試験開始となる。

 視聴覚室には大型のスクリーンがあり、そこに少女のイラストが表示されている。

 スクリーンの隣にマイクが用意され、生徒たちはそこで声をあてる。

 まず一人目の生徒。彼女は突然、大きく歓喜の声を上げる。夢だった声優科に合格できた。これからもっともっと夢を叶えて、みんなの夢を応援できるような声優になると、喜びの涙を表現してみせた。ここにいる生徒たち全員の願いを代弁しているかのような見事な演技。

 確かにイラストの少女は、そういう理由で泣いているように見えた。

 二人目の生徒は、悲しみの涙だった。しかし、設定がっていた。実は彼女はおばけであり、人間たちを驚かそうとたくらんでいたのだが、逆に人間たちに驚かされてしまい、自分が泣いてしまったのだ。ちょっとおっちょこちょいで、臆病なおばけ。

 聞いていると、確かにそういうイラストにも見えてくる。

 物語に重点を置いた演技に、小さな拍手がわく。

 三人目、四人目、五人目──みんな、それぞれの涙を考えて、演じきれている。

 もうここにいる全員、合格でいいんじゃないか、そう思えてくるくらい、上手い。

 九人目も拍手で終わり、愛与の番がやってきた。

「じゃあ次は十番」

 呼ばれて愛与はマイクの後ろに立つ。

「自分のタイミングではじめてくれ」

 谷内先生の指示にうなずく。

 幸運なことに今朝、街を歩いていると閃いた、とっておきのアイデアがある。

 それをすればいいだけ。

 愛与は口を開く。

「  」

「  」

「  」

 他の生徒たちは、一向に演技をはじめようとしない愛与に、不穏な表情を向けていた。

「  」

「   」

「    」

 ──出ない。出せない。なぜなら、使ってしまったから。今日の声を全部、今朝。

「    」

 バカなことだけど、愛与は本気で奇跡を信じていた。

 例えもう使ったとしても、十秒くらいなら、声が出せるのではないか、今日だけは。

 何も死んだ人を生き返らせてほしいだとか、時間を巻き戻してほしいといった、無理難題を願っているわけではない。

 十秒間、声を出させてほしいだけなのだ。

 ほとんどの人はそんなこと、願いもしない。

 だって、十秒声を出すなんて、誰にだってできるから。

「    」

 ボロボロと涙がこぼれてくる。だけど声は出ない。

 これは演技ではない。ただ泣いているだけだ。くやしくて。ふがいなくて。

「    」

 魚にされてもいい。一週間、いや一ヶ月、どうしてもというのなら半年だってかまわない。

 だから、今、十秒だけ声を出させてほしい。

 誰に願っているのかわからない。だから、誰も彼女を助けられない。

「よし、ここまでにしよう」

 背中から優しい声と、あたたかな手。

 当代、竹詠かぐ沙が、背後からやわらかく愛与の肩を抱いてきた。

「きみの体のことは聞いている。声優を選んでくれてありがとう。何があったのかはわからないけど、今日はもう声を出せないんだね?」

 こくんと、うなずく愛与。

「わかった。じゃあきみに宿題を出そう。後日、ぼくの前で追試を受けてもらう。いいね?」

 こくんこくん、愛与は何度もうなずく。

「それじゃあ席に戻って。試験をつづけよう」

 涙を拭いながら、愛与はマイクから離れて、席につく。

 自分だけ特別な重力の影響を受けているかのように項垂うなだれる頭を、必死に両手で支える。

「……ばっかみたい」

 薙寅泣希は、退屈そうにつぶやいた。

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