第十五話

「さて、全員無事に揃ったことだしテストの説明をはじめよう──」

 なぜかそこで言葉を止めて、谷内先生は体育館の出入り口にちらちらと何度か目を向けた。外に誰かいるらしい。

「アテレコと朗読はそれぞれ別の部屋でやる。アテレコは視聴覚室、朗読は会議室を使わせてもらう。テストの順番もまずはアテレコで、次に朗読だ──」また外を確認する。「テストはビデオで撮影しているので後日、解説をまじえて反省会も開く、ちなみに──」三度目の余所見よそみ。谷内先生はどこか観念したようにため息をつく。

 この先生が何かに集中力を奪われている状況が、生徒たちには新鮮で不思議だった。

「──ちなみに、今回この日本初の声優科の初の試験ということで、実は審査員に名乗りを上げてくれた人がいる。さっきからきみらの前に出たくてしかたないようなので、そろそろお呼びしよう。どうぞ、お入りください」

 教師の声に招かれて体育館に足を踏み入れる人影。それが誰かを理解した刹那、声優科の新入生たちは最も失ってはならないものを失った。

 ──声だ。

 例えば、竹を知らない国があったとする。

 その国に一本の竹が生えてきた。そこの住人はそれを見てなんと思うだろう。

 これはなんだろう。おそらく植物だろう。どういう植物だろう。

 食べられるのかな、毒はないのかな。美しいな。奇妙だな。

 意見は千差万別だろう。

 しかし、葉ノ咲高校声優科の生徒たちはその竹の意味を知っている。

 それは絶対。

 それは揺るぎないもの。

 それは象徴にして、頂点。

 それはすなわち──当代、竹詠かぐ沙。

「やあ」と声優の神は言う。「新しい芽を見にきたよ」

 その外見は目の前にいる五十八人の少女たちと寸分もたがわない。

 その人はもうすぐよわい四十代半ばを迎えると明かしたところで、戯言たわごとだと一笑され一蹴されるだけだろう。

 竹詠かぐ沙を継ぐ者は、不老の秘薬を与えられる。

 そんな風説に本人の存在が信憑性を付与していた。

「おはよう」と彼女は近くにいた生徒に話しかける。

「あ、ああ、あ……、あ」声をかけられた少女は口に手をあて、喉をふるわせ、涙を滲ませた。あまりにも光栄で、おそれ多い。「あ、お、おは、おはようございます──と、当代」

 そう言われて、当代、竹詠かぐ沙は小さく笑う。

「当代だなんてそんなかしこまった呼び方しなくても、普通に竹詠さんでいいのに」そこまで言って、当代、竹詠かぐ沙は一人の少女に目を向けた。「ああ、そうか。そういえばここには、ぼく以外にも竹詠さんがいるんだった」ややこしいよね、と言って、にこっとする。

 当代の視線の先には、次代の少女。

「お忙しいところ、ありがとうございます」谷内先生は一礼をする。

「なに言ってるの、繚夏ちゃん。ぼくが無理を言ってこさせてもらってるのに」

 当代、竹詠かぐ沙の出現にも驚いたけれど、あの谷内先生が誰かに対して及び腰でいることにも、生徒たちは驚きを禁じ得なかった。

「まあ、というわけだ諸君。当代の前で恥ずかしくない振る舞いと演技に期待する。それでは移動開始」

 五十八人の生徒は、二手に分かれて、試験会場へと向かう。

 当代、竹詠かぐ沙の周辺には不可侵の結界でも張られているかのように、一定の間隔が空けられていた。結界の外側にいる少女たちは、そこから神様を凝望ぎょうぼうする。

 ただ一人、その結界を破ったのは、神と同じ名を名乗ることを許されている少女。

「いらっしゃるなんて聞いてませんよ」

 相手のそばに寄って、次代は当代に述べる。

「言ってないからねえ」

 どこか愉快そうに、当代は次代に答える。

 一方、愛与は恋守に何か声をかけてやりたい気持ちでいたが、喋ることはできないし、お互い人波にのまれて離ればなれに。

 そして試験は、はじまる。

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