第九話

 声優科の新入生、五十八名は体操服に着替え、体育館で教師の到着を待つ。

 ほどなくして現れた谷内先生の手には大砲を彷彿ほうふつさせる大型のCDプレーヤーがあった。

「おはよう、諸君」

 おはようございます、と五十八人からの返事。

「毎日、座学ばかりで飽きてきただろう。だから今日は体を動かそう」

 谷内先生はプレーヤーのスイッチを入れる。

 スピーカーから放たれる独創的なリズムの電子音。

 このところ、いたるところで流れているユーロビートの旋律が館内を駆け巡る。

「さあ、踊りたまえ」

 ところが生徒全員、踊るという言葉の意味を忘れたみたいに棒立ちだった。

 谷内先生は一時停止ボタンを押して、音楽を止める。

「どうした、ノリが悪いな。紡椿は喜んで踊り出すと踏んでいたのだが」

 こういうときこそお前の出番だろうと、谷内先生は白烏に目を向けた。

「ごめん谷内っち」申し訳なさそうに苦い笑顔で白烏は手をあわせる。「このマのイベではしゃって、キッツーなんだよ」

「お願いだから日本語で喋ってくれ」

 今の白烏の言葉を略さずに紹介すると『この間のイベントではしゃぎすぎて、筋肉痛になっている』となる。

「まあ、きみらの考えは手にとるようにわかるぞ」CDプレーヤーをフローリングに置いた。「ここには声優になるためにきたのであって、ダンサーになりたくてきわけじゃないと」

 当たらずとも遠からず、という表情を数人の生徒がしていた。

「ダンスは人類の根源的な表現の一つだ。役者としての幅を確実に広げてくれる。知らなければ演じられない、なんて乱暴なことをいうつもりはないが、いろとりどりの花を描きたいならポケットの中の絵の具は多いに越したことはない。そうじゃなくても日常でそれを生かせる日がくるかもしれない。無駄な経験などないよ」それに、と谷内先生はつづける。「今回のこれは採点の対象にしない。本当にただ体をほぐしてほしいだけだ」

 もう一度、谷内先生はプレーヤーのスイッチを入れる。

 音楽が踊り出す。生徒たちは誰も踊らない。

 音楽を止める。

「なるほど、恥ずかしがり屋さんばかりなのかお手本がないとダメなのか、まあいいだろう」谷内先生は、一人の少女を指名する。「おい竹詠、ちょっと舞ってみてくれ」

 谷内先生の呼びかけに応じて、竹詠かぐ沙は集団から抜け出して、教師の隣に立つ。

「どうすればいいですか?」かぐ沙は問う。

「任せる」

 そして、三度みたび、音楽は叫ぶ。

 電子的で欧州的で官能的なエッセンスのあるユーロビートは、極めて和の印象の強い竹詠かぐ沙との相性はよくないように思われた。

 ところが、長い黒髪の少女は、音楽に身を委ねながら、腕を伸ばし、脚を曲げ、大胆なくらい体をくねらせ、見る者を魅了させる。

 渾然一体こんぜんいったいの美。

 ダンスそのものに興味のなかった数名の少女たちも、まばたきを忘れて見入っている。

 食わず嫌いしていた料理を一口食べたら、大好物になった、そういう顔つき。

 自分の世界に新しい扉が開いた合図。

 風のように音楽に溶けていた竹詠かぐ沙に、混ざるように接近する影が一つ。

「さすがだね、カグツチ」

 紡椿白烏だった。

 舞いと舞いで会話をするように、かぐ沙の動きに呼応する白烏。

「あなた、踊れないんじゃなかったの?」

「カグツチのダンス見てたら、イテテモだよ」

 ちなみに、ても立ってもられなくなった、の略である。

 繊細なかぐ沙に対して、大胆にこたえる白烏。

 かと思えば、かぐ沙は大胆に転じ、白烏は繊細に変貌する。

 入れ替わり立ち替わり。

 シーソーのような二人。

 周囲の少女たちは、うっとりとそれを見つめていた。

「あなた、一体何なの?」

「私は紡椿白烏だよ。そういえばまだ現場では一度も一緒になったことないよね」

「そうね」

「今度一緒にラジオでもやる?」

「遠慮しておく」

「えー、やろうよ。カグツチ、一つもラジオやってないじゃん」

「人を変な名前で呼ばないで」

「なんで? いい名前じゃん。神様の名前だよ、カグツチって」

「私の名前じゃない」

「でも竹詠かぐ沙って声界せいかいじゃ神様みたいなもんじゃん」挑発的な視線。

「ねえ、入学式のときからずっと、あなたから敵意のようなものを感じていたのだけど、そろそろやめてもらってもいい?」

「なんだ、気づいてくれてたんじゃん」白烏は素直に喜んでいる。

「何が目的?」

 白烏はかぐ沙の肩を抱いて、大きくらせる。そして顔を寄せる。

 二人の顔と顔の間には、折り紙一枚程度の隙間しかない。

 いつの間にか二人を円状に囲んでいた少女たちは満悦至極といった声を上げる。

「ノーメイクなんだね、カグツチは。お肌綺麗でうらやましいな。でもメイクなしが許されるのは中学生までだよ」

「お生憎様、ここはあなたのやってきた惑星とはルールが違うから、そんな決まりはないの」形成を変えるように、かぐ沙は体を起こし、今度は白烏を反らせる。「そもそもあなたこそ、その髪はなに。金に染めたりして、不良」

「古いなあ、カグツチは」白烏は水面から飛び立つように上半身を起こす。「もうすぐ二十一世紀だよ。女の子がもっと自分を好きになっていい時代なんだよ?」

「おっしゃっていることが、よくわからないのだけど」

「私はねカグツチ、全部の女の子の憧れになりたいんだ」

 白烏は両手を広げ、声を弾ませた。

「だったら声優じゃなくて、モデルでも目指したらどう? そのお綺麗な容姿を活かして」

「わかってないなあ、カグツチは。私は声優が一番女の子が輝ける場所だって信じてる。でも、声優になりたい女の子が百人いたら、百人とも竹詠かぐ沙になりたいって言うと思う。私はそれを壊したい。いつか全部の女の子が紡椿白烏を目指すような、全部の女の子の憧れになる!」

 常識的に考えて、それは不可能だろうと思ったかぐ沙だったが、自分の信念を何一つ疑っていない白烏の瞳に、少しだけ気圧けおされた。

「だからね──」とん、と白烏はかぐ沙を突き放す。二人の間には、教室の机一台ぶんほどの距離ができる。「宣戦布告しちゃうよ、カグツチ」

 ウィンクをして、親指と人さし指を伸ばし銃にした右手を、ぱん、と向ける。

「……ご自由に」

 いつもなら無言で相手に背を向けているところだが、なぜか無意識にそうつぶやいていた。

 突然、歓声が沸く。

 かぐ沙と白烏はもう踊っていない。

 歓声は、離れた場所で孤独に舞っていた少女に集中していた。

 鋭い体の動き、だけではない。回転や飛翔も加えた、熟練の舞踏。

 その少女は高く飛び跳ね、空中で体勢を変え、床に飛び込むように頭から落下していく。

 誰もが等しい重力の下で生きている。だから少女の頭は間もなく体育館の床に叩きつけられる。誰もがそう思った。だがそうはならなかった。

 頭頂部が床に接触する寸前に、彼女は右手で危機を食い止めた。

 腕一本での逆立ち。美しい垂直。その状態を少し保った後、ゆっくりと右腕を伸ばしていく。

 誰もが等しい重力の下で生きている。もしかしてそれは嘘なんじゃないかと疑いたくなるような光景。

 それから少女は脚で半月を描くように体を回転させ、立ち上がる。

 テレビの中でしか見たことのないような、テレビの中でも見たことないような一幕だった。

「意外な特技だな」最初からそれを見ていた谷内先生は舌を巻く。

「やるじゃん、アイ」

 紡椿白烏は、予想外のダンサー、愛々愛与に称賛をおくる。

「アイアイ、かっこいい!」

 恋守からの惜しみない喝采かっさい

「ほらほら、お前たちも見てばかりじゃなくて、体を動かせ。もう一度言うが、これは評価の対象外だ、好きなだけ体を動かして、今を楽しむんだ」

 こうして体育館は即席のダンスホールとなる。

 ダンスを通して打ち解けていく生徒も少なくない。

 谷内先生は当初の目論見が達成されつつあることに満足した。

 しかし、どうにも気になる生徒が一人いる。

「ところで恋芽よ、お前だけさっきから何をしているんだ?」

「え?」恋守は疑問符を浮かべる。「ダンスですけど?」

「そうか。てっきり戦争で崩壊した世界に佇むロボットを表現した前衛ぜんえい芸術かと思ったぞ」

 ガキンゴキンと音が聞こえてきそうな錆びついた動きを見せる恋守を興味ぶかく教師は見守っていた。


「懐かしい本を読んでいるのね」

 昼休み。昼食をすませて体育館のそばにあるベンチに腰かけ、一人で読書をしていた恋守に竹詠かぐ沙が話しかけてきた。

 愛与は、ダンスを教えてほしいとせがむ女子たちに連行され、体育館でレッスンをしている。耳をすませば館内からユーロビートと、はしゃぐ少女たちの声が聞こえてくる。

 恋守が手にしているのは『テーラー・ジェントル』の文庫本。愛与が持っていたので、かしてもらった。

 この話、有名なの? と訊く恋守に《有名》と愛与はメモに書いて答えた。

 どれくらい有名なの? と訊く恋守に、愛与は《桃太郎くらい》と答えた。

 つまり、とてつもなく有名なのだ。

 物語の内容は不思議な仕立屋につとめる紳士と、そこにやってくる様々なお客様との交流を描いたものだった。

 お客様の悩みに仕立屋がそれに応じた服をこしらえて、同時に紳士の矜持きょうじも伝える。

 そういう流れの物語。

 先日の『天使は明日もパンを買う』ほどではないけれど、確かに面白い。子供のころに出会っていたら、もっと夢中になれたかもしれないなと恋守は感じていた。

「竹詠さん、この本好きなの?」

「ええ、好きよ。恋芽さんはどうして今読んでいるの?」

「……それは」

「一云一を継ぐ気にでもなった?」

 息が詰まる。

 恋守がこの本を読む意味をわかっている口調だ。

「別に、そういうわけじゃ……」

「続編を待っている日本のファンは大勢いるのに?」

「…………」

 恋守が返答に躊躇とまどっていると、目の前を歩いていた数人の生徒の内の一人が、恋守に気づいて声をかけてきた。

「こんにちは。恋芽恋守さん」

「あ、副会長」

 生徒会副会長の薙寅泣希だった。

「昨日は何だか中途半端なことになってごめんなさいね」

「いえ、私こそ急にいなくなって、ごめんなさい」

 薙寅副会長は恋守が手にしている本とそのタイトルに気づき、優しく微笑んだ。

「それを読んでくれているってことは……」

 逃げ出したくなるくらいの、まっすぐな期待のまなざし。

「いや、あの、これはですね──そ、そういえば副会長はこれからどちらへ?」

 いくらなんでも強引すぎると自分でも思った。もう少し不自然ではない話題の軌道修正はできたはず。しかし、副会長はとくに訝しむ様子もなく、答えてくれた。

「私はこれから被服室にいくところよ。みんなが使わなくなった服がいっぱい集まったから、なおしにいくの」

「副会長ってそんな仕事もしてるんですね」

 恋守の言葉に薙寅副会長は照れ笑いを浮かべる。

「これは生徒会の仕事じゃないの。私の──趣味みたいなものかな」

「趣味、ですか」

 仕立屋の物語が好きだから、その影響なのだろうかと恋守は推察する。

 途端、薙寅副会長は咽せるように何度も咳いて、その場にしゃがみ、また大きく咳いた。

「ちょっと!」副会長と一緒にいた生徒が叱るように声を上げる。「やっぱり全然、体調良くなってないじゃない。無理しないでって言ったのに」

「ごめんなさい」うずくまった姿勢で、副会長はその女子に謝っている。「本当に今朝は調子が良かったんだけどなあ」くやしそうにこぼす。

「ほら、立って」口調は厳しいけれど、それ以上に副会長を心配しているのが伝わってくる。「保健室に行こう? ね?」

「……うん」立ち上がって、うつむいたまま、こくんとうなずく。

「…………」

 そんな副会長を黙って見つめている。

「変なとこ見せてごめんなさいね」薙寅副会長は申し訳なさそうに恋守に頭を下げる。

「いえ、そんな……」

「それじゃあ恋芽さん、よかったらまたいつかお話をしましょう。それからありがとう、妹もすごく喜んでくれてるのよ」

 どうやら薙寅副会長は恋守が一云一を継ぐ気であるかのようなことを、もう妹に伝えてしまっているようだった。

 そしてそれは恋守にとっても喜ばしいことなのだと信じて疑っていない様子だ。

 声優科の生徒が声優になれるのだから、疑念を抱く方がおかしいだろう。

 いえ、私にまだそのつもりはありませんけど。

 ともだちの肩をかりて、保健室に向かっていく副会長の背中に、胸中でつぶやいた。

「副会長や妹さんとも知り合いなの?」かぐ沙が訊いてくる。

「いや、知り合いってわけじゃないんだけど」

 恋守の言葉に、かぐ沙はまゆひそめた。

「だからその……」どこからどこまでを言うべきなのか、恋守は迷う。「副会長さんの妹さんは美馬みまちゃんっていうんだけど──美しい馬と書いて美馬って読むのね」だから、どうでもいい情報しか口にできない。

午年うまどしに生まれたから?」かぐ沙は、ぽつんとつぶやく。

「え?」恋守は、ぽかんとした。「──どうしてそれ、知ってるの?」

 午年に生まれたから美馬という理屈は、一番最初に生まれたから一郎、みたいに、ある程度普遍的に共有されている感覚ではないはずだが。

「え?」かぐ沙は怪訝けげんな表情をつくる。「ねえ、その子が今何歳かわかる?」

「確か、今年で十歳って言ってた気がするけど」

 かぐ沙は目を細め、人さし指をあごにあてる。「病弱で、本が好き?」

「そう、だけど……竹詠さん、美馬ちゃんに会ったことあるの?」

「ええ、よく知ってる子よ」そう言って、かぐ沙は副会長が歩いていったほうに目を向けるも、そこに人影はなかった。「どうしてあの子が副会長の妹なんてやってるのよ」

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