第五話
親しみやすい笑顔の女性リポーターが朝の校門前からこちらに向かって語りはじめる。
「特別第三次産業規制緩和──いわゆる芸能法の施行により、これまでは一部を除いて、ほぼ完全に世襲制だった作家や役者、歌手や芸術家といった業界への道が、多くの国民に開かれ、日本各地で新しい才能が
恋守と愛与は、深夜アニメを見ていたとき以上にテレビに釘づけでいる。
画面は学校から、突然、くたびれた中年のイギリス人男性の顔に切り替わる。
その男性の口の動きにあわせて、こんな声が聞こえる。
「……私ですけど?」表情と違和感のない、奥深い響きの日本語吹き替え。
そして、優しい女性のナレーションがはじまる。
「世界一有名な私立探偵、アルバート・アルメイダ。原作はすでに累計二億二千万部を突破。ドラマも本国イギリスでは今年で十二シーズン目を迎え、三本目の劇場版制作も決定しています。日本でも大人気の本作ですが、日本では四年前から原作、ドラマ、映画の全てが出版も公開もされていません。その理由は本作の原作者ジャック・キャメロン氏の意向によるものです。一体それはどういうものなのでしょう」
画面は切り替わり、どこかの会社の中で、メガネをかけた女性が映っている。テロップによると、出版社の部長らしい。
「ジャック・キャメロン氏は原作と映像作品は
『もう何年も日本で新作が発売されていないということは、日本の声優に不満を持たれているということなのですか?』
画面端に表示されたテロップに対し、部長はこう返答した。
「そうではありません。むしろ逆と言っていいかもしれません。例えば日本版のアルバート・アルメイダの声を担当した男性声優の一云一さんの演技にジャック氏は感銘を受け、最もアルを理解しているのは一云一さんだと発言したのは有名ですし、原作のシリーズ七作目に登場する日本にいるアルの親友のモデルは一さんだと公言しています」
『つまり一云一さんが亡くなったことで、日本でアルを演じられる役者が不在となってしまい、アルバート・アルメイダシリーズが日本ではお蔵入りになっていると?』
「そういうことです。そしてジャック氏は一云一さんの熱心なファンでもあり、映像化される予定の自作品の全てに彼の起用を決定していました。ご存知の通り、ベストセラー作家であるジャック・キャメロンの作品は全て映像化が決定しています」
『ではもう日本で、ジャック・キャメロンの作品が公開されることはないということなのでしょうか?』
テロップの問いに部長のメガネが曇る。
「実は国内未発表のジャック・キャメロン作品の多くは翻訳作業は完了しています。作品ごとに特色があり、全て名作といっても過言ではないので、これを日本のファンに楽しんでいただけないのは会社の人間としてではなく、一個人として本当に心苦しかったんです」心情を吐露したあとで、なぜか部長の表情は晴れやかになった。「だけど、その苦しさも昨日まででした」
「昨日まで?」おどけた様子のナレーションが挿入される。「一体どういうことでしょう?」
画面は出版社から再び先ほどのくたびれたイギリス人男性、ドラマ版アルバート・アルメイダの一場面に切り替わる。
「……私ですけど?」当然、さっきと同じ吹き替え音声が流れる。
「ところでみなさん」女性ナレーションが問いかけてきた。「こちらのドラマのシーンですが、アルの声はもちろん一云一さんだと思われましたよね。でも実はこの声を出しているのは──」
「……私ですけど?」
画面が切り替わり、恋守の顔がアップで映る。
今朝の体育館での一件を客観的に見せられる。
恋守は微動だにせず、テレビを見つめている。
そんな恋守を愛与は心配そうに見つめている。
「この映像の音声に編集は一切施してありません」自分の手柄であるかのように得意な声で、ナレーションはつづく。「こちらの可愛い女の子は、葉ノ咲高校声優科の一年、恋芽恋守さんです。お聞きのとおり、恋芽さんの声は聞き分けることができないくらい、一云一さんの声質と一致しています。これは何を意味するのでしょう」
恋守の顔のアップで停止していたテレビの映像は、どこかの会社の重役室といった
値の張りそうなテーブルの奥で値の張りそうな椅子に腰かけた年配の男性が神妙な面持ちで手を組み「まさに運命としか言いようのないことです」と神妙につぶやく。
恋守と愛与はその男性に見覚えがあった。
今朝、恋守の声を聞いて涙ぐんでいたスーツの男性だ。
テロップによると、はじめプロダクションの副社長とのこと。
「一云一の没後、アルバート・アルメイダのシリーズを筆頭に凍結せざるを得なかったプロジェクトがいくつもあります。ついにそれらが日の目を見る可能性を帯びてきたのです」
『素人意見で恐縮なのですが、恋芽さんの声が一さんと似ているのは理解できますが、演技力に問題はないのでしょうか?』
テロップからの質問に、よくぞ聞いてくれましたと副社長は前のめりになる。
「無論、芝居の技術は重要です。しかし、一云一の唯一無二と言われたあの声も必要不可欠な要素です。一云一は四十二歳で声優の世界に入った遅咲きの役者。恋芽さんはまだ十代と若い。そして弊社には一云一の残した門外不出の教えと優秀なトレーナーたちがいます。恋芽さんが望めば、きっと彼女は一云一以上の声優になれると確信しています。待っていますよ」
この映像を恋守も見ていると信じて疑っていないような、鋭い目で副社長は訴える。
「伝説の男性声優の後継者となることを期待される小さな美少女声優の卵は、果たしてどのように
ナレーションの終わりを待たずに、テレビのスイッチがオフにされた。
槍で突くように腕を前に伸ばし、愛与がリモコンを操作していた。
「何これ……」愛与は歯を食いしばる。「こんなの最低でしょ! 恋守の気持ちを知ってるくせに、デタラメな編集して 」
風を噛むように口は動いても、言葉は出なくなる。今日の声を使い切ってしまった。
「どうしよう、アイアイ……」
焦燥した瞳で、不安をもらす。
「…………」
かけてあげたい言葉がいくつも浮かぶのに、それを出すことができない。
もどかしくて、苦しい。
「……私」
思い詰めた表情。緊迫した中年男性の声で恋守は
「私──美少女だって!」
本日、あと一言だけ声を出すことができたなら、間違いなく愛与はこうもらしただろう。
は? と。
「どうしよう、どうしよう」
そうでもしてないと頬がこぼれてしまうのか、両手で顔をおさえて、にこにこしながら部屋をちょこちょこ動き回る。
「私、美少女だって、美少女!」
四十代から五十代の男性といった声で、美少女美少女と連呼する少女。
顔だけ見れば、確かに美少女。声だけ聞けば、変質者。
本人が気にしている様子もないので、なんだか脱力してしまった愛与は、実家から送ってきた荷物の整理をはじめ、存分に美少女と口にして満足したのか、恋守は代筆の作業に戻った。
高級な厚紙に、祖父が孫に送る応援のメッセージを書く。
書き出しで小さなミスをして、その紙を破棄する。予備の紙でもう一度書いたものの、また同じミスをした。三度目の正直で今度は納得のいく仕事ができた。
ここに愛与の知らない情報が一つある。
普段、恋守は代筆でミスをしない。
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