第18話

「ふぅ。ギリギリだったねえ」

 出てもいない冷汗をぬぐう仕草をするエイリーン。しかし実際、転送されて居たら手の出しようはなく諦めるよりほかなかったので、ギリギリだったのは本当だった。

「お前達は……っ!? 何故ここに……? それにその男は……」

 アモルは化物アステラを連れたエイリーンに驚きを隠せなかった。

「やあやあお久しぶりですねアモルさん。そろそろ私共もおいとまさせて頂こうと思いまして、ご挨拶に窺った次第で。その後はどうですか? その子が何かご迷惑などお掛けしてはいませんか? うちはアフターサービスもバッチリ対応させていただいてますので、遠慮なくお申し出くださいね」

 アモルの問いを無視し、それはもう素敵な笑顔を浮かべてみせるエイリーンに対して、アモルの表情は完全に敵を見るそれだった。

「貴様ら……。そういう事か。やってくれたな……!」

「はて? 何をおっしゃられているか分かりかねますが……?」

 白々しく小首をかしげてみせる所など、実に腹立たしい。

「何時あのカードの仕掛けに気付いた?」

 アモルが初めに渡したカードには、行動記録から盗聴、バイタルデータまで、様々な情報を収集し持ち主を監視する機能があった。

「それに軍を呼び寄せたのもお前達だろう。連邦軍の動きが早過ぎる。ここにリィが居る事を確信していなければ出来ない行動だ。そしてそこの化物め!」

 化物扱いされたアステラは慣れているのか、どこ吹く風だ。

 エイリーンはニヤニヤ笑っているが、アモルの背後に居るセシリアは少しムッとした表情を浮かべていた。

「貴様が居なければここまで簡単に敷地内への侵入を許す事はなかった!」

「ほう。なるほどなるほど。確かにおっしゃられる通りその様に見えるかもしれません。しかし何故我々がそんな事をしなければいけないのでしょうか? そんな危険を犯してまで」

「リィが欲しいからだろう!」

「それなら、アモルさんに引き渡さずにそのまま逃げてますよ」

 そう。それだ。

 そこがアモルも疑問に思っている所だ。

 二人がどんな言葉を並び立てようが、二人の狙いがセシリアなのは疑いようがない。

 では何故一度アモルに売り渡し、わざわざこんな面倒で危険な橋を渡ってまでセシリアを奪い返しに来たのか。それがアモルには理解できなかった。

 それはアモルには常に有り余っていて大した価値のない物だが、エイリーンは持ち合わせていなかった物だからだ。

 そう。お金である。

 至極単純明快な理由なのだが、それ故にアモルにはそれが分からない。

 アモルにとってセシリアという計り知れない存在の前に、お金の価値など塵芥ちりあくたに等しい。

「なら、何が目的だと言うのかね? ここにはリィ以上に価値のあるものなど存在せんぞ」

「何が目的かですって? それは本気でおっしゃってる? これは実に傑作だ! あーっはっはっはっはー!」

 心底笑いが止まらないと、エイリーンは腹を抱えて笑い出す。

 それも束の間。ピタリと笑いを収めると、一転、ジロリとアモルを睨め付ける。

「誰が教えるか。バーカ! アステラ!」

 エイリーンの声にアステラは即座に応える。

 待ってましたと一瞬にしてセシリアの傍へと移動し、抱きかかえる。

「お迎えに上がりましたよ、姫」

「姫言うな……!」

 アステラの腕の中でゲシゲシと暴れるが、アステラは「はっはっは」とまるで意に介さない。

「貴様! その手を放せ!」

「そう言われて放した奴を、俺は未だかつて見た事ないぞ」

「黙れ! リィは私の物だ! 誰にも渡さん! リィ。さあ、こっちへおいで。契約がある限り、リィは私の物だ。誰が何と言おうと、何をしようと、それは変わらない。私が、私こそが、リィに一番幸せな場所を用意できる。何時までも好きなだけ研究に打ち込める環境だ。誰に何を縛られる事のない、リィが最も欲しているものだ。そうだろう?」

 そう。その通りだ。それこそセシリアが心から欲している──欲していた物だ。

 今回の作戦は決して成功率の高いものではなかった。だから失敗しても問題ない相手を選びもした。そしてそれに間違いはなかった。アモルはセシリアの事をよく理解している。ここにはセシリアが望む全てがあった。ここに居る為なら、喜んでアモルに全てを捧げる。ペネトレイト号に乗って直ぐの頃のセシリアならそう思っただろう。

 しかし今のセシリアは少し、違っていた。

 今でもそうしたい気持ちは大いにある。しかし小さな棘が心に刺さるのだ。

 ペネトレイト号に乗りこみカエル君を創った。エイリーンに頼まれてアステラを蘇生した。それからだった。

 何の記録も残っていない一万年前の古代人の魂を蘇らせようと思うのなら、生まれる前から死ぬまでの全ての情報が必要となる。それをネットワークから搔き集めたのはセシリアだ。それは人生の追体験に等しい。何時何処で、何を見、何を考え、何を思い、何を為したか。その全てをセシリアは知っている。

 セシリアは自分に普通の女の子の様な感情はないのだと思っていた。しかし、そうではなかった事を生まれて初めて知った。

 知ってしまった以上、もう全てを無かった事には出来ない。

 セシリアは研究以外にも一つ、大切な物が出来ていた。

「本当に短い間だったが、ここの暮らしは正に天国の様だったよ。だが、残念ながらお迎えが来てしまった様なのでね。これで失礼させてもらうとする」

 それは決別の言葉。言葉遣いも普段の物に戻っていた。

 セシリアはぎゅっとアステラの腕にしがみつく。それは引き剥がされたくないという意思表示──ではなく、振り落とされないための準備だ。

「待て! 契約はどうなる! 解除を拒む権利はないとはいえ、違約金は払ってもらわなければならんぞ!」

 お金の事などどうでも良かったが、経験上こういった手合いにはこれが一番効く事もアモルは知っていた。

 支払った額は先進星系国家の年間予算程度。アモルにとっては端金はしたがねだが、他の人間にとっては人生を何百回繰り返しても払える額ではない。

 人権貸与契約の途中解約は、支払った額と契約期間の残り日数を日割りした額を返金する必要がある。つまり今回の場合はほぼ全額だ。そして既に返せないであろう程使い込まれている事をアモルは知っていた。

「勘違いをされちゃ困るな。あたしは一言も契約を解除するなんて言ってないぞ。なあリア」

 セシリアはエイリーンの言葉に頷く。

 契約を解除しないのであれば違約金は発生しない。しかし、であればセシリアはアモルに従わなければならない。今の状況は重大な違反行為と見做みなされても仕方がなかった。

 仮にアモルを殺せば、アモルから金を請求される事はなくなる。しかしそれで契約不履行の債務がなくなる訳ではない。アモルの場合、おそらく最終的には天使たちが総力を挙げて潰しに来る事になるだろう。アモルを相手にするよりも厄介極まりない。

「契約書はちゃんと読んだかい?」

「当たり前だ!」

「なら、最後の一文を思い出しな」

『但し、生命身体に危害が及ぶ危険がある場合は、上記の権利と義務を停止する』

 それが最後に添えられた一文である。

 これは災害や事故、犯罪などに遭った場合の緊急措置の為のものであり、本来は特にどうという事のない一文だった。

 そして今セシリアが置かれている状況は、アモルの私兵と連邦軍が同敷地内にて戦争状態、挙句に不法侵入の男に捕まっているというのが客観的状況だ。いつその命が奪われてもおかしくない──と主張する事が可能な条件が十分に揃っていた。

 即ち、セシリアの人権貸与の契約は、現在停止されている状態だという事だ。

 これが解除されるには、危機から脱したという客観的事実が必要となる。

「てな訳で、リアは頂いてくよ! アステラ! ずらかるよ!」

「あいよ」

 今のアモルにエイリーンとアステラを止める力はない。

 走り去って行く二人と一人の背中を、ただ見送る事しか出来なかった。

 しかしこのまま済ませる訳にはいかない。

 必ずリィは取り戻す!

 アモルは一人、とある場所へと向かった。


「なあ。これ『何でも屋』の仕事か?」

 今更過ぎる事をアステラがエイリーンに尋ねていた。

「『何でも』やるから『何でも屋』なんだよ。報酬と内容が見合ってりゃあ、合法非合法なんでも御座れさ。しかし、あんたを生き返らせて正解だったな」

「実際、俺なしでこの状況、どうするつもりだったんだよ」

「あんたが居たからこの状況を作ったんだよ。リアがこれで行けるって言ったからねえ。前提が違うんだったらもっと別の方法を考えたさ」

 アステラがセシリアを見るとドヤァと、腕の中で得意気な顔をしていた。

「つまり、ここまでの全部、お前らの思惑通りって事か……?」

「まあ、おおむね?」

「驚いただろう?」

 得意気な顔をする二人。

「じゃあこれも、概ね思惑通りって事で良いんだな?」

 地上に戻って来た三人を、地上戦を制したアモルの私兵たちがズラリと待ち構えていた。



「ハアー、ハアー、ハアー、ハア…………ゲホッ! ゲホッ!」

 むせる程に呼吸を乱したアステラが、ペネトレイト号の共用スペースの床でぶっ倒れていた。全身から汗を滝のように流してはいるが、どこにも怪我はないようだ。

 命からがらペネトレイト号に駆け込むやいなや、アステラはご覧の有様に。エイリーンはそんなアステラを放置して操縦席へ。アステラの看護はセシリアに任されていた。

『それじゃ、発進するよ! ドンパチやってる宙域おそらを突っ切って行くから、ちょっと揺れるかもね!』

 操縦席と共用スペースは通信が繋げてあり、周囲の映像も共有している。

 事前にエネルギー炉を起動させていたペネトレイト号は直ぐに発進を開始した。P助が準備してくれていたのだが、お陰で船の位置はモロバレで、酷い目に遭った。今も間断なく銃撃や砲撃が加えられているが、ペネトレイト号の装甲は地上の火器など物ともしない。

 フワリとその身を宙に浮かせたペネトレイト号は、前進を開始したかと思うと瞬く間に加速。上昇ではなく直進しながら加速し、自然と上昇に転じる。惑星の重力を振り切る速度を超過し、尚も加速を続けて宇宙へと飛び出して行く。

 アモル星の近傍宙域では、二二二艦隊と到着したアモル艦隊の本隊とが激しい砲撃戦を繰り広げている。その放火の隙間を縫う様に、ペネトレイト号は戦場を駆け抜けていく。

 船を掠めていく両陣営の砲撃と、砲撃を回避するための急制動の繰り返しで、ペネトレイト号の船内はGキャンセラーでも解消しきれない揺れに襲われていた。ペネトレイト号の存在には気付いているだろうに、どちらも砲撃の手を休める様子はない。いや、止めたくても止められない状況なのだ。先に砲撃を止めてしまえば相手の砲撃で一方的にやられてしまう。示し合わせて同時に砲撃を止めた所で、次に始まるのはペネトレイト号の争奪戦だ。結局は撃ち合いが直ぐに再開されるのは明白だった。

 砲撃戦が続いていれば、お互い一定以上相手側に近付く事は難しい。なので、砲撃戦のど真ん中を突っ切って行けば、両陣営からの追撃を受けにくい。だからといってそんな莫迦を実際にやる奴は普通はいない。

「大丈夫なのかこれ!」

 もう呼吸が落ち着いて汗も引いている、化物じみた回復力をしたアステラの叫びに、エイリーンが操縦席から真剣な表情ながらも気楽そうな声で応える。

『あっはっは! あたしの腕を信じな!』

 ペネトレイト号を自分の体以上に自在に操るエイリーンは、そんな図抜けた馬鹿だった。

『バリア損耗率52%、装甲損傷率7%。まだまだ行けるよ! ゴーゴー! フゥー!』

 P助がクルクルと、楽しそうに空中で踊っている。

 ペネトレイト号が戦場を突破しつつあるのを見て、撃ち合っていた二二二艦隊とアモル艦隊の艦も、それに釣られて移動を開始する。主戦場から離れていた艦や予備兵力の艦隊は、それぞれ先回りをしてペネトレイト号の頭を抑えるつもりだ。

『アディ! 前方に敵艦無数! 具体的な数字は?』

『要らん! 突っ込むぞ!』

『ヨーソロー!』

 探査船のカテゴリーに属するペネトレイト号には、戦闘艦を沈められるような兵器は搭載されていない。だが、その装甲の堅さは戦闘艦を上回る。高速機動するペネトレイト号自体が一つの砲弾の様な物だった。

 衝突、減速、再加速。

 それの繰り返しだ。何処に避けようとも周囲は敵の艦ばかり。お陰で砲撃は飛んで来なくなった。代わりに船舶捕獲用のアンカーやら電磁ネットやら、果ては艦を複数台連ねて肉壁にしてくる連中まで現れる。意地でも逃がすまいとする執念が窺えた。

 だがペネトレイト号は外宇宙探査船。補給も救助も期待できない外宇宙を単独行する想定で造られた船だ。一番の敵は航行不能に陥る事であり、あらゆる状況を人類に可能な限り想定した対応策が用意されている。

 その中にはもちろん、敵対勢力による拿捕も入っていた。

 今の状況の方こそ、ペネトレイト号にとっては楽な状況と言えた。

 あらゆる拘束を振り切って飛ぶペネトレイト号に、アステラはふと疑問を覚えた。

「こんな事ができるなら、何であの時捕まったんだ……?」

『わざとに決まってんだろ!』

 二二二艦隊を釣り出し、一番の障害となるだろうアモルの私設軍にぶつけるためだ。

 軍艦の海を掻き分けて進み、遂にその果てを広域レーダーしかいに捉えた。

『よし。もう少し──』

『アモル星から小さいけど未知のエネルギー反応があるよー!』

 P助の忠告がエイリーンの言葉を遮る。

『あん? 未知のエネルギーだ?』

『うーん……ネットワークにも該当なし。何だろ』

 P助にもそれが何かは分からなかった。しかし、一人だけその存在を知る者が居た。

「──あっ。『まずい』」

 セシリアがそう漏らしたのを、エイリーンは聞き逃さなかった。

『P助! 亜光速ドライブ動かせ! 出力最大一秒加速! 全力回避だっ!』

 エイリーンの言葉に僅かな遅滞もなくP助が反応し、亜光速ドライブが駆動。名前の通り光速の99.9%まで加速する事が可能な、特殊な推進装置である。その加速力は通常の宇宙船のドライブとは比較にならない。

 問題は、速過ぎるその速度のせいで、細かな操縦など出来ないという事だ。特にこんなに障害物が多い場所で使う物ではなかった。

 船内に掛るGも、これまでの急制動の揺れなど比較にならない物となり、エイリーンは身体を操縦席のシートにめりこませ「ぐううっ」と苦鳴を洩らす。セシリアなどは内壁にぶつかって潰れているんじゃないかと心配したが、そこはアステラがキャッチしていた。そのアステラは二本の足で平気そうな顔をして立っている。魔法で中和でもしているのだろう。

 形振り構わない急な針路変更で、回避行動一切なしでの無数の艦との衝突。一気に装甲の損傷率が上がって行くが、そんな事を気にしていられる余裕はどこにもなかった。

 あのセシリアが『拙い』と言うのだ。

 それはもう本当に『拙い』に決まっている。

 そうしてペネトレイト号が決死の回避行動を取る中、船内の三人と一妖精はそれを見た。味方であるアモル艦隊の乗員、中継を眺めていた人々、そして──運良く標的にされなかった二二二艦隊の生き残りも、その目撃者となった。

 アモル星から放たれた幾万もの光の筋が宇宙を薙ぎ払っていくのを。

 光の筋は直線に、あるいはグネグネと曲がりながら正確に標的を貫いて行く。

 そして後に残ったのは、光の筋によって無惨に切り取られた艦の残骸。炉のエネルギーが行き場を失い暴走、爆発四散。宇宙に大花が乱れ咲く。

 光の筋を回避できたのは、危機を察知し船と乗員の危険をかえりみず回避行動に出たペネトレイト号だけだった。

「何だ……今のは……」

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