第11話

「アモルの旦那。こちらが御注文のセシリア様だ。ほら」

 エイリーンに促されたセシリアが、アモルと呼ばれた中年男の前に歩み出る。

 アモルはエイリーンと同じくらいの背丈で、男性としてはやや小柄。小太りな体型だが、薄めの金髪を短く揃え身形はキチっと整っており清潔感はある。朗らかな笑みで愛嬌もある人の好さそうな男だった。

「セシリア・ベーガ・ヒューレリア・プリオーンだ。セシリアで良い」

 無表情に淡々と個人識別の電子タグを表示し、アモルに提示する。間違いなく本人だと確認したアモルは歓喜を体全体で表していた。

 セシリアを抱擁しようとしたアモルを、エイリーンが「待った」と制止する。

「そういうのは後でお願いしますよ。先に本契約と受取の承認をお願いします」

「おお! そうだったそうだった。済まないね」

 事前に取り交わしていた契約文書を、セシリアとアモル、両者が提示し、改めて内容に相違がない事、そしてこの内容で問題ない事を確認する。それが済めば両者の個人タグを読み込ませれば契約成立である。

 次にエイリーンが提示した受取証をアモルが認証。セシリアが何でも屋への依頼書に完了登録を済ませる。これで何でも屋エイリーンの仕事は終了だ。

「はい。オーケー。これで正式にセシリア様はアモルの旦那の所有物だ」

 トンと、促す様にエイリーンはセシリアの背中を押す。

 セシリアは自らの意志でアモルの腕の中へと身を投じた。

 歓喜に打ち震えるアモルはその衝動のまま、セシリアを抱擁する。先程までの態度が嘘だったかの様に、セシリアもアモルに応える様に腕を伸ばして抱擁を返し、歓迎していた。

「おお! おお! 本当にあのセシリア様をこの手にできるとは! 正に奇蹟だ! ああ! 何と素晴らしい日だろう!」

「私も嬉しく思います。アモル様」

 アモルの腕の中から、セシリアは媚びるような熱っぽい視線でアモルを見上げる。

「ですが一つお願いがございます」

「おお。何だね?」

「セシリア『様』はお止め下さい。私の事はどうか、敬称はなしで。それかアモル様から新しい呼び名を頂戴致したく存じます」

「おお、おお! それはいい考えだね。後でじっくりと考えるとしよう。それではセシリアさ……おっといけない。セシリア。行こうか」

「はい。アモル様」

 アモルはセシリアを腕の中から解放すると、エイリーンへと顔を向ける。

「エイリーン殿にも感謝を。直ぐに立たれるのかな?」

「いえ。折角の機会ですので暫く遊んで行こうかと思っていますよ」

「おお、そうかね。それが良い。では、そうだ──これを」

 アモルは一枚のカードを懐から取り出すと、エイリーンに手渡した。

 実物のカードとはまた古風な。と思ったが表情には出さず、素直に受け取った。

「これは?」

「私からのほんの感謝の気持ちだ。それを見せればこの星の全ての施設で色々と便宜を図ってくれる。存分に楽しんで行ってくれたまえ」

「ああ! それは良いですね。ありがとうございます」

「大した事ではないさ。本当なら君に星の一つ、いやさ、銀河の一つくらいプレゼントしたい気分なのだよ!」

 大袈裟なジョークとも言い切れない所が、このアモルの恐ろしい所だ。

 銀河の一つや二つくらい、宝飾品を買うくらいのつもりでポンと買えるだけの資産を、このアモルは所有しているからだ。

 流石にそんな物をもらっても持て余すだけなので丁重にお断りをすると、エイリーンはそっとアモルに耳打ちする。

「くれぐれも契約内容にはご留意ください。難しい所のある子ですので」

「ああ。分かっているとも」

「旦那には無用な心配でしたね」

 身を離すと、エイリーンはアモルと握手を交わし別れの挨拶を済ます。

「それじゃセシリア様。また星を立つ前に顔を出しますよ」

 構いませんか? とエイリーンはアモルの顔を窺うと、笑顔で勿論と頷いた。

「達者でな」

「ありがと。助かった」

 エイリーンとセシリアは一度視線を交わすと、それぞれの道を進み始める。

 エイリーンはペネトレイト号へ、終始無言で石像と化していたアステラを連れ帰る。

 セシリアはアモルの腕に抱き付くと、自身がこれから暮らす館へと歩いて行った。



「かーっ! いい仕事だったなあ! なあ兄弟!」

「誰が兄弟か。それより、どういう事だ!」

「どういう事って、何がだい?」

「あ・れ・は! 人身売買だろ!」

 ドン! とアステラはテーブルを強く叩く。

 向かい側に座るエイリーンは、ビールが零れない様にとジョッキを持ち上げて回避する。

 そして──当然ながらこのテーブルにセシリアの姿はなかった。

 石化が解けたアステラは不満を爆発させていた。

 騒ぎに周囲の客の視線が二人に向けられる。

 あまり騒ぐようだと店員に追い出されるかもしれない。

 二人は今、開放的な酒場のテラス席で一杯引っ掛けていた。時刻は夕刻天気は晴れ。客入りも悪くないため、突き刺さる視線の数もその分多かった。

 そんな周囲の反応など、今のアステラにはどうでも良かった。

「おいおい。人聞きが悪い事を言うなよ。人身売買は違法だぞ? 人を犯罪者みたいに言わないでおくれよ」

「お前が犯罪者じゃなけりゃ、何だって言うんだ!」

「そりゃあ、善良で真面目に仕事をこなす苦労人?」

「はっ!」

 エイリーンの自己評価を鼻で笑うアステラ。

「まあまあ落ち着きな。取り敢えず座りなって。おーいお兄さん! こっちにも生の大一つよろしくー! いけるだろう?」

 尋ねるエイリーンに無言で一つ頷くと、渋々だが椅子に座り直す。

 直ぐに運ばれて来た大ジョッキをアステラは一息に呷り、その場でもう一杯注文する。

「おお! 良い飲みっぷりだねえ。でも一気飲みは体に悪いよ」

「余計なお世話だ。で? それなりの言い訳を聞かせてくれるんだろうな? 事と次第によっちゃあ……」

 アストラは運ばれて来た二杯目のビールも一気に飲み干す。最早ヤケクソ感すら漂わせている。

 飲み干したジョッキを、運んで来た店員にそのまま渡すと「同じのを」と追加する。店員にも「体にさわりますよ」とそれとなく注意されたが知った事か。店員は渋々と行った様子で注文を受けていた。

 この店は観光客などが陽気に飲み、喰い、はしゃぐ場所であって、ヤケ酒を引っ掛ける様な場末の酒場ではない。店の雰囲気にそぐわない客に店員は若干迷惑そうだった。

「……実力行使も持さん」

 ジロリ、とアステラはエイリーンを睨みつける。

 エイリーンも自分のジョッキを一口呷って口を湿らすと、半眼で笑顔のまま睨み返す。

「他人事みたいに言ってるが、そもそもあんたも共犯だぞ。いや、犯罪じゃないから共犯はおかしいか。協力者……? しっくり来ないな。一蓮托生、運命共同体……。まあ何かそんな感じのモンだ」

「はあ? 何で俺が……っ!」

「依頼はあたしじゃなく『何でも屋』が受けたんだから当然だろ」

「それがどうした。俺は関係ないだろ」

「関係あるある。会社として受けた仕事なんだから、その責任の所在は会社にある。ひいてはその会社の責任者に、だな。そしてあたしが経営する『何でも屋』の社長は当然このあたしだ。そしてあんたは社員っていう事になってる。因みに、役職は副社長にしといたから、あんたも会社の責任者の立場って事になってる訳だ。まあ二人だけの零細じゃ役職なんて関係ないけどね、実際のトコロは」

「じゃ……じゃあ、何か? 俺もアレに加担した事になってんのか!?」

「公式の記録ではそうなってるねえ」

 エイリーンはニヤァと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「実際、海賊相手の大立ち回りに、軍に一緒に捕まって一緒に逃げ出したじゃないか、向こうさんは完全にお仲間だと見做してるよ」

「あああああああ………………」

 それまでの怒りは消え失せがっくりと項垂れ意気消沈するアステラを、暢気にビールをぐびぐび呷りながら眺めるエイリーン。

 面白い奴だなーと思いながら、料理を口に運びビールを飲む。

「ぷっはー!」

 何が面白いかと言えば、アステラはセシリアの事が人身売買だとショックを受けているのだが、それが犯罪だからって訳ではなさそうな所だ。なにせそもそも家出の手伝い自体が未成年者略取って犯罪であるし、軍相手に脱獄脱走大立ち回りした事は、良くて公務執行妨害悪ければ国家反逆罪だ。特にあそこの軍は王家所有の軍で、文民統治の軍ではない。基本は軍事裁判任せだが、王の意向が優先されるのは言うまでもない。

 それらの事に気付いているのかいないのか、全く気にした様子はない。

 軍と一戦交えるのに僅かな躊躇いすら見せなかった。というか、戦う事、命の遣り取りに関して躊躇いが無さすぎる。種の存亡を掛けた戦争を戦い抜いて来たからだろうか。間違っても敵には回したくない相手である。

「まあまあ、そんな気にするなって。別に騙して売り飛ばした訳じゃあないんだ。確かに相手はあたしが探して来たけど、ちゃんと相手も契約内容もリアには伝えてあったし、それにオーケーしたのもリアだ。あたしら『何でも屋』は仲介と運搬を請け負っただけで、リア自身の事はリアと相手が直接契約を結んだんだ。むしろ需要と供給をマッチさせる素晴らしい仕事だと胸を張っても良いんじゃないか?」

 慰めているのか呷っているのか分からない様な事を言うエイリーン。

 ショックが抜けきらないアステラの返事には力がなかった。

「子供のした事じゃないか。俺が暮らしてた国じゃ親の許可のない子供の契約は無効だったぞ」

「そりゃあ現代いまだってそうさ。基本的にはね。ただ、人権意識が行き過ぎてねえ……。人権って分かるかい?」

「知らない言葉だな」

「一言で言えば人が人らしく生きる権利ってとこだ」

「結構な事じゃないか。そんな考えがあるなら何であんな契約がまかり通ってるんだ」

「それが『行き過ぎ』って言った意味さ」

 串に刺された何かの肉に食らいつくと、タレの塩味と甘味が舌に残って居る内にビールで洗い流す。

「まあ色々と頭のよろしいお偉いさん方が長年話し合った結果、『人の生き方を他人が強制してはならない』とこうなった訳だ。何がそいつの幸せかは、そいつが決めるって事だね。そしてこれは全ての人間に対してだ。年齢も性別も種族も何も、関係なくね」

「……つまり?」

「『私、奴隷になりたい!』って奴が、そこそこ居たって話さ」

「そんな馬鹿な」

「あたしもそう思うけどね。居るもんは居るんだからしょうがない。とはいえ、だ。人権を剥奪するような事はあってはならないって訳で、考え出されたのが『人権の一時的貸与』だ。要はレンタルだね」

「レンタル……」

 苦し紛れの言い逃れみたいな言葉遊びにしか聞こえず、アステラは呆れていた。

 そんなアステラの表情に、エイリーンは苦笑を漏らす。

「レンタルの条件は結構厳しくてね。契約は最長で一年。その度に再契約が必要になるし、その際必ず警察が立ち会って本人の意思確認を行う。それに加えて、貸主側が一方的に契約解除する事も出来る。これは相応の理由が無ければ違約金を取られるって事になってるけど、そうなった事例は極々僅か。貸すに当たっての条件も詳細に決められるし、それを破った場合、相当な重罪が課せられる」

「抜け穴は幾らでもありそうに思えるが」

「そりゃあそうさ。完璧な法なんてないからね。ただまあ、あたしらが思いつく程度の抜け穴は、全て塞がれてるよ。詳細は面倒なんで省くけどね」

「だから姫さんの身の安全は保障されてるってか? ふざけた話だな」

「そうは言ってもリアが持ちかけて来た依頼だからね。そこの所は間違えないでおくれよ。確かにアモルを紹介したのはあたしだけど、それだって複数の候補の中の一人に過ぎないんだ。選んだのはリア本人さ。契約の条件も最初から用意してたからね。行動力があり過ぎるってのも困りもんだね」

「何でこんな依頼を受ける気になったんだ」

「あたしだって最初は断ったさ。何せプリオーン王家の軍を敵に回すのは確実だからね。そうは言ってもあたしだってプロの『何でも屋』だ。相手が軍だから芋引いたと思われちゃあかなわないじゃないか。それに随分『熱心』に説得されちゃったからねぇ……」

 エイリーンの言う含みのある熱心に、アステラは何かを察したが言及はしなかった。

「だからまあ、あんたが気に病むようなことは何も起こってないのさ。あくまでも本人たちの合意の上さ。あたしは『何でも屋』であって人買いじゃないんだからね」

 理屈はそうなのだろうが、どうしても感情が納得してくれないアステラは、自己嫌悪と怒りの向かう先を見付けられないでいた。

 鬱屈した気持ちのままもう何杯目になるか分からない酒を煽り、料理をヤケ食いしていると、何者かの視線を感じた。

 酒に酔った程度で勘が鈍る様な鍛え方はしていない。

 嫌な気配だが殺気はない。普段ならこの時点で何かしらの対処をしただろうが、とにかく今は面倒くさかった。殺気がないなら放置しておいても構わないだろうと、無視を決め込んでいた。

 しかし視線の主はこちらに何か用があるようで、ズンズンと近付いて来る。

 チラと一瞬だけ視線を向ける。アステラの時代にも居た、風体の悪い連中だった。男ばかりが三人。年は三十から四十の間くらいか。背も高く体付きも悪くない。身形は派手で、ニヤケたその面からは品性というものが抜け落ちているなとアステラは評価した。

 その男たちは真っすぐにエイリーンとアステラが座るテーブル席に向かって来ると、先頭を歩いていた男がドン! と派手な音を立ててテーブルに手を着いた。

「よう、リィィィン。探したぜぇ? 随分と良い女振りになったじゃねぇか」

 男はエイリーンの顎を掴み自分の方を向かせると、顔をグッと近付けた。

 リンとはエイリーンの昔の愛称だろう。

 エイリーンは男にされるがまま、逆らう様子は見せなかった。いや、逆らえなかったと言った方が正確だろうか。いつもの姐御肌な雰囲気は消え失せ、そこに居たのは無力な只の女の様に見えた。

「どうして……」

「そんなこたあどうだっていいだろ。俺がお前の所に出向いてやったんだ。お前のやる事は一つだろ? 違うか?」

「あ……、はい……。分かってます」

「おう。分かってりゃあ良いんだ。付いて来い」

「はい」

 男に促されるまま、エイリーンは席を立って男に従っている。

 その間アステラは黙ったまま男たちを一瞥もせず、ただ黙々と料理と酒を平らげていた。

「おい、兄ちゃん。これからお楽しみだったんだろうが、悪いな。こいつは今から俺たちが使うからよ。飽きたら返してやるから、それまで大人しく家でマスでもかいてるこったな」

 ギャッハッハ! と何が可笑しいのか、耳障りな笑い声を上げている。

 取り巻きと思しき二人の連れも「こいつビビッて声もでねぇみたいだぜ!」「女奪られてダンマリとかマジクソダセェ!」などとアステラを罵りながら笑い声をあげていた。

 見かねた店員が「申し訳ありませんが……」と男たちに声を掛けると、リーダーの男がチラリとその店員に何かを見せた。すると店員の態度は一変し、大人しく引き下がってしまった。

 アステラは男が店員に提示した物を見逃さなかった。

 それはエイリーンがアモルから受け取ったあのカードと同じ物だった。つまり、あの男はアモルからあのカードを渡されるくらいの人間であるという事を意味している。

 が、今のアステラにはそれも至極どうでもいい事だ。

 何の反応も示さないアステラに早々に興味を失った男たちは、エイリーンを引き連れて店を去って行った。

 何処に行くかなど考えるまでもない。

 周囲の客たちから、同情と憐れみの視線が向けられるが、それもまたどうでもいい。

 男たちはエイリーンを囲むようにして歩きながら、ベタベタと体のあちこちに触れているのが見える。それをエイリーンも抵抗せず受け入れている。

 そうして去って行く四つの影を、アステラはただ黙って酒を煽りながら横目で見送っていた。

 只の一度もエイリーンの手が震えていなかった事に、アステラだけが気付いていた。

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