第5話

あの日から彼の姿を見なくなった。

きっと、彼はもう来ることがないだろう。

あの顔を見ればわたしでも分かる。

いくら人ならざる者でも感情が表に出てしまったみたいだ。

初めて会った日の最後、わざわざ呼び出しておいてたった一言『「君」でいいや』。

あまりにも中身のない返答に失望したのだろう。

魂が回収されるまでおよそ3ヶ月。

たった3ヶ月と考えるべきなのか、3ヶ月しかないと考えるべきなのか。

後悔とか今のうちにやっておきたいことなども特に思いつかない。

その時、病室のドアが開いた。

ドアを見てはいないが、この時間からして担当の看護師さんだろう。

「失礼しまーす。空弧ちゃん、夕食持って来たよー。」

声がした方を見ると、いつも見る女性の姿があった。

「ありがとうございます」

「はーい、じゃあ食べ終わったら連絡してねー」

「はい」

チラリと見た看護師さんの表情には特に変化は見られず、いつも通りの笑顔だった。

昔色々な目に遭ったから、人の表情からある程度の感情を読み取ることはできた。

だが、看護師さんの様子から、わたしの死期が近づいていることにまだ気づいていない感じだった。

わたしが母からの虐待を受け、入院生活が始まった頃にはわたしの身元は児童保護施設に受け渡されていた。

しかし、それから数年経った今でもわたしはその施設に一度も行ったことがない。

当然、学校もだ。

以前は教科書やプリントなどが届けられていたが、わたしの方から全く連絡をよこさなかったためかいつのまにか届かなくなっていた。

中学3年生のわたしだが、学校行事である文化祭や体育祭には参加したこともないし、入学式だって名前だけの参加でその場にはいなかった。

その時は確か、学校長や担任など数名の教師が後日病院にやって来てひっそりと行われていた。

あと一年もせずに卒業式だが、クラスメイトの誰とも面識のないわたしは一体どうするのだろう。

クラスメイトは入学後一度も会ったことのない顔も声も知らないわたしのことをどう思っているのだろう。

いや、存在ごと忘れ去られているということも普通にあり得る。

でもまぁ、それらは今となってはに過ぎない。

だってわたしは、あと3ヶ月で死ぬのだから。

いや、今更始まったことではないのかもしれない。

3ヶ月。

改めてわたしの余命について考えてみた。

通常の余命宣告をする期間としては少し短めなのだろうか。

病気やその人の精神などにもよるだろうが、余命は分かった瞬間からすぐに行動を開始するのが普通かもしれない。

その時、先程の看護師さんの様子が頭に浮かんだ。

きっとあの人には「人間らしさ」と言われるものがあるから、わたしの命がもう残り僅かだと知ったら表情に出してしまうだろう。

だが、あの表情を見るからにそういったことはまだ知らないように見える。

もしくは、医者からの余命宣告もなく、は突然起きるのだろうか。

いや、案外それもあり得るかもしれない。

点滴やいくつものチューブに繋がれたこの体は、案外いつ死んでももおかしくない状況だ。

実際、一命を取り留めた、なんてことは何度かあった。

3ヵ月後、わたしは一体どんな状態で死ぬのだろうか。

まぁ、そんなことどうでもいっか。

そろそろ食べようかと思ったその時、突然壁の向こうから怒声のような声が聞こえた。

しかし、その怒声には助けを求めるような、悲鳴のような声も混じっているように聞こえた。

確か、隣の病室にいるのは先日倒れただかで救急搬送されたおじいさんだった気がする。

何かあったのだろうか、そう思ったものの、気になるわけでもないので、いずれ来るであろう担当の看護師さんを待っていた。

しかし、しばらく経っても隣の部屋に担当の看護師は現れなかった。

それどころか、おじいさんの声は次第に弱々しくなっていき、最後は聞こえなくなった。

しかし、どうやらおじいさんは誰かと喋っているらしく、さっきまで聞こえた声は誰かと会話しているようだった。

そして、その会話の相手は何やら若い男性のような声で、今も何かを喋っているようだった。

話の内容は聞き取れないが、話している人は落ち着いた様子だ。

そんなことをしている間にわたしは食事を終えていた。

回収してもらうのと一緒にさっきのことを伝えておこうと思いナースコールに手を伸ばした。

わたしがナースコールを押そうとしたその時、部屋の窓から急に風が吹き込んだ。

わたしが窓に顔を向けた時には視界の一部が暗くなっていた。

と同時に、ナスコールを握っているわたしの手に何かが触れた。

そして、

「押さないでください」

という声がした。

その声は、なんだか聞き覚えのある声だった。

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