第7話 14年間の否定
ここには一度来たことがある。前に来た時のことを鑑みると、ここは死後の世界ということになる。
あの男の人と、マネキンの人のいた世界。
私が首を切ったあとに来た、天国でも地獄でもないところ。
「お久しぶりですね。貴女が来るのは一週間ぶりでしょうか」
あの時のマネキンの人がいた。今度は裁判所というわけではなくて、教会のようなところにいる。
裁判所にいるのなら私のことを裁いてくれる期待はできるが、教会ともなればそんなことは望めない。私は裁かれるはずの人間なのに、どうして神聖な教会ともあろう場所にいるのだろうか。
「以前と変わらず悲観的な人ですね。変わったのは心持ちでしょうか。貴女は全く幸せそうに見えません」
私が他人に迷惑をかけていると教えたのは他でもないこの人だ。どうして他人に迷惑をかけている私が幸せな顔をできるのか。いくら私でも、そんな酷いことはできない。
「いいえ、貴女はやはり間違っている。貴女は不幸だった。そのことに変わりはありませんが、その不幸の責任は貴女にはありません。貴女は世界の被害者なのです、迷惑を被ったのは貴女の方だ」
被害者。私が、被害者?
それは違う。私は被害者ではない。正反対とも言える『加害者』だ。私は人を殺している。
「私は貴女に『還す』力を与えました。それは貴女の魂の傷を癒やすための力であり、同時に傷を『与えたもの』のところに還す力でもあります。あの子が死んでしまったのは、同時に食らったのならば死んでしまうほどのダメージを貴女が負っていたからであり、直前に想起したことは無関係です」
マネキンの人はやっぱり嘘つきだ。
お世辞にも体の強いとは言えない私が、内側に傷を抱え込んでいたのだとしたら、私は死んでいるに決まっている。
「以前に言いました、覚えているでしょうか?魂と体は同体で連動しています。貴女の体が耐えられたとしても、貴女の魂までは耐えられなかった。だから貴女は以前ここに来たのです。違いますか?」
何も、あの子が死ぬことはなかった。
私が死んでおしまいだったのに。私のところで傷は止まってよかったのに。どうして私にこんな力を寄越したの?
生きていても何もいいことがないから、死んだのに。私にも、周りにも。
「この世には色々なサイクルがあります。よく知られているものはお金のサイクルとか、命のサイクルとか」
知っている。
私はお金を持っていなくていいし、食物連鎖も最下位でいい。すべての苦しみは私が背負う、これで問題は無いのだ。
「サイクルというのは必ず全ての人に関係があるのです。傷にだってサイクルはあります。何もおかしなことでは、ないのです」
だから、傷だって私が全て背負う。
私のかわりに誰かが傷つくなんてことはあってはいけない。
私一人犠牲になって、傷のサイクルの程度が易しくなるならそれでいいだろうに。自意識過剰かもしれないが。
「幸福にもサイクルが、順番があります。不幸は貴女に蓄積されていたので、どうやらこのサイクルは順調には回っていなかったらしいですね。今こそ、正しくサイクルを回すべきときなのです。貴女にも、幸せになる権利はあります」
ならば殺してくれ。
今すぐにでも地獄に行ければ私は幸せになる。
「どうしても悲観的な考え方は治りませんね。やはり、貴女はその考えのままでは幸せにはなれない。貴女は普通の幸せを、幸せとは思えなくなってしまっている」
普通の幸せなんて望んでない。私の幸せのことだ。
今更、人のことを考えるなど偽善かもしれないが、私が幸せになっていい気持ちになる人はいない。
私一人の不幸で、一体どれほどの人間が幸せになるだろうか。
「とは言っても、貴女には地獄に行く権利は無いのです。地獄で焼ける罪を持っていない。かと言って天国にもいけない。原因は分かりますか?」
私だからだ。
「まあ、ある意味では貴女だからかもしれませんね。問題なのはその性格です。腰が低く、それでいて自分を過剰に卑下している。自分が不幸であることが当たり前とは、普通に生きていたなら身につくものではありません」
私は普通じゃない。
型にはまることすら出来ないのに、みんなと同じことが出来ないくせに、みんなと同じくらいのことが出来ない。オンボロの出る杭。価値など無い。
「普通じゃないのは環境です。貴女の周りのせいにしないというのは生まれつきですが、それができる人は中々いない。貴女の心が綺麗だという証拠ですよ。そうですね、学校にも環境の問題はありますが、一番の原因は『親』ですか」
親?パパとママのこと?
そんなことは、無いはずだ。
今この場では無いが、私の体には愛情が形になって残っている。いくらこの人が偉い人だったとしても、私にとって親とは、あの二人だけなのだ。
「あなたの心には間違いなく愛情が傷になっている。あの暴力が愛情だと思うのも、何があっても親をかばうのも、子供心と言ってしまえばどれだけ楽でしょう。貴女の心は『親の愛情』によって壊されてしまった。歪になってしまった・・・」
歪でもいい。
あの二人にとって、子供は私だけなのだ。
私が感じずに、一体誰があの二人の『親の愛情』を感じ取るのだ。
「貴女は理想と現実が混ざってしまっている。幸せな家庭は貴女の理想だったが、あまりにも現実とは距離があった。貴女の理想の中にあるものが、現実には無いということも少なくなかった。だから貴女は錯覚するようになった。一方的ないじめを友情と思い、虐待を愛情と思った。そこに乗じて貴女の卑屈さは、それらを『貰ったもの』と思い始めた。違いますか?」
違うはずだ。
私は現実を見ている。貰ったのは紛れもない事実じゃないか。
きっと違う、はず。
「貴女は優しい心の持ち主だ。だからこそ、親の愛情を必死に感じようとしている。親の心子知らずとは言いますが、無いものは無いのです。存在しない親心は、知りようがないのです」
パパとママに親心が無い?
それはおかしい。それじゃ、辻褄が合わないというものだ。
『愛情』。私がこの身で感じ続けていた愛情は、どこへ行ったのだ。元から無かったなんて、そんなのありえない。
私の根底にあるこの気持ちは、一体何だ。
動揺していることが目に見えて表に出ていたなんてことは無いと思う。私に『子心』があれば、こんな戯言のようなことをいともたやすく聞き流せていただろうから。私が動揺するわけ無いのだから。
しかし、まるで私の心に外の世界とをつなぐチューブがあるかのように、マネキンの人は私にこういった。
「無理にとは言いません。幸せとは積み重なっていくだけではなく、時にはマイナスも必要なのです。貴女が普通の幸せを望んでいるのであれば、貴女がまず先に還すべき相手は・・・」
■■
昨日は雨が降っていた。あの土砂降りの日に面談をした。
気まずい空気のBGMかの如く雨音は激しかった。まるで私の心が天気を操っているようだったが、かと言って、支配による高揚感などは無かった。
あの日ほど終業のチャイムに救われたことはない。
私の体の傷を見られてしまっては、私の計画というものが台無しになる。計画と言っても簡単な動作一つで終わることだが、私にとってこれほどまでに重大なことはない。
どれだけマネキンの人に私の人間性を褒められたところで、この下がりきった自己評価を0に戻すことは容易ではない。
ぬかるんでしまった泥道は、道そのものを、周囲のものを汚す。幾ら元の道が綺麗だったとしても、汚れてしまっては素なんてものは関係ない。
昨日とは打って変わった今日―――快晴。
そんな泥道も遂に固まった。
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