第6話 ままならない

 体の怠い朝だった。

 お布団で横になっていただけかもしれない。目は瞑っていたけど、何だかずっと起きていた気がする。夢も見ていない。

 今更幸せな夢を見る気というわけではないのだ。私は私自身を自分勝手でどうしようもない人間であると評しているが、人の心までもが無いとは思っていない。人を殺しておいて、その現実から逃げようなど考えては、いない。

 きっとその筈である。

 だからこそ、今日だっていつも通りの通学路を何食わぬ顔をして歩いているのだ。

 何食わぬ顔?

 正しいだろうか。

 私は一体どんな顔をして学校生活を送らなければならないのだろうか。そもそも学校に行くというのは正しい判断と言えるのか。学校で人を殺した人間は、学校には行かないものだろうか。

 きっとそうだろう。普通の人ならそれが正しいのだ。

 私は違う。

 その選択ができるのは、真っ当に生きてきた人間だけだ。私にはふさわしくない。私は間違った判断こそが正しい生物なのだ。一丁前に模範解答を求めるだなんて失礼なんだ。見合っていない。

 一度道を間違えただけなら軌道修正も簡単だろう。少しの獣道を歩くだけで元の正しい道へとたどり着ける。

 私はそうではないのだ。もう数えることが難しいほど間違えているのだ。開き直って間違えた道を進み続けたほうが、むしろ正しい道に向かうのなら近道と言える。

 決して正しい訳では無い。

 歪になったガラス細工は元の形には治らない。

 元の形こそ美しいが、私の歪さにも一周回って美しさがあるだなんてことを言いたい。最も、私に美しいなどという言葉は似合わないが。

 

 私が抱えているものは罪悪感だけではない。

 人を殺しておいて罪の意識以外のものがあるというのは、殺された人にとっては無念な話だろう。ただ、どんな形であれ私に思われるというのは――私に気持ちを向けられるというのは屈辱だろう。

 最早、私が私自身を評価することすらも死の罪悪感から逃げる言い訳のように聞こえてくる。

 

 思えば今日一日中、朝から放課後のチャイムを聞くに至るまで、私はあの子のことではなく別のことを考えていた。

 まさしく、それは先の見えなさである。

 他人のことよりもまず先に自分の身を案ずる私はやはり、あの子から逃げているのかもしれない。いや、逃げていると断言できる。

 将来が不安とか、学力がどうとか、そういう先の見えなさというわけではない。

 私は死ぬためにあの子を殺した。私が死ぬためにあの子を殺した。単純な私利私欲のために、あの子には犠牲になってもらったのだ。まるで偉くなったような物言いだが、彼女の死に理由をつけるならばこの説明になってしまう。

 彼女が生前に悪行を積み重ねており地獄に行く運命だったとしても、私に殺されたともなれば地獄に行くこともないだろう。

 それほどに不幸なことはない。

 

 私は死ねないらしい。

 あの天国か地獄かもわからない場所にいたときに聞いたことだ。私は『魔法を使い切るまであの世にはいけない』と。

 私の持っている魔法というのはおそらく『返す魔法』だと思う。貰ったものを返す魔法。だからこそ、奪った時間を返すことが出来たし、あの子にも”借りたもの”は返せた。魔法と言うには不吉すぎる、まるで呪いのようなものだ。

 私を現世に縛り付けるこの呪いは自然消滅するわけではないらしい。

 どうにかして呪いを使い切らねばならない。どうにかして死ぬ権利を、人が持っている当たり前の権利を取り戻す必要がある。呪縛の沼の中から見つけ出さねば、掘り起こさねばならない。

 では、どうやって?

 簡単な話、魔法を使いまくればいいのだ。なりふり構わず、ただ我武者羅に使いまくるのだ。そうすれば人海戦術的にいつかはこの呪いも解けるだろう。生の呪縛から解き放たれるだろう。下界に絆されることもなくなるだろう。

 いや、待て。それじゃいけない。私は今すぐに死にたいのだ。何なら、既に死んでいなくてはならない立場なのだ。

 悠長に生を謳歌することは許されない。

 悠長に生を謳歌することは、許せない。

 魔法を使い切るのではない。貰ったものを完全に、いち早く返すのだ。

 しかし、そう決意するだけならば苦労はしない。もし、仮に。あの子のように誰かが死ぬことがあってしまったのなら。あの子のように、私に余計なものまで渡されてしまったのなら。

 耐えられない。

 そんなことをして、平気な訳がない。人を殺すかもしれないことを、平然とやってのけるほど大人じゃない。

 今更なのだろうか。私は人を殺しているのだからもう悩んでも仕方ないだろうか。『毒を食らわば皿まで』の精神でいるべきだろうか。

 私は、もう逃げたかった。

 ごめんなさい、と呟いてもやはり何も起こらなかった。


 先生に呼ばれたのはそれから間もなくのこと。

 着々と下校の準備を遂行し、HRが終了した。私は通学カバンをもって帰ろうとしたが、自分の席を立つ前に先生に呼ばれた。

 ここは職員室横の会議室である。入ったことはない。

「ごめんなさいね、時間貰って。今日は話があって来てもらったの。別に怒ろうと思って呼んだわけじゃないから、そんなに構えなくてもいいわ。ただ、素直に答えてちょうだいね。ついこの間、クラスの子が亡くなるなんて事故があったじゃない」

 事故?

 そうか。先生には、他の人には、私以外の人間には、あれは事故として捉えられているのか。

 私が殺したのに。

 怒らないなんて言わないで。先生が私の罪を咎めないなら誰が私を罰してくれるの。先生が糾弾してくれないなら、一体誰が私を磔にしてくれるの。私が殺したんだ。私が悪なんだ。 

「他の生徒からの噂なんだけどね、貴女が彼女にいじめを受けていたってことを耳にしてね・・・。あの時貴女は現場にいたらしいじゃないの。先生たちの知らないことがあったら、教えてほしいの」

 この人は駄目だ。私の罪に気づいていない。

 眼の前の人間が、どれほど卑しくてどれほど醜いのかを理解していない。まるで被害者に話すときの口調だ。弱者に手を差し伸べる時の顔だ。私はそんなんじゃない。

 きっと私がここで先生のことをカッターナイフで切りつけたとしても、先生は私を憎しまないでしょう?

 何か原因があったとか、そういうふうに私に責任がある可能性を殺し切っている。私が殺したなんて言っても信じてもらえないのは明らかだろう。

 なるほど。

 これが罰なのか。私だけが知っている真実は陽の光を浴びないのか。世間の目に当たること無く、私は罪悪感に耐えながら生きるのだろう。

 そうか。

 なら、いいではないか。

 先生の知らない事実などは無いのだ。

「あら、そう・・・。それなら良かったわ。ただ、何かあったら先生に相談してね」

 相談。

 分かり合えないというのがオチだろう。私の思っていることは、考えることは、行動することは、全てが裏目に出る。

 そう裏目に。


 自分の評価と他人の評価は違う。

 私は私のことを加害者だと思っていても、先生からは被害者にみえているなんてこともある。実際そうだ。

 何が言いたいのか。

 これは評価と言わずとも、ものの受け取り方だとも言っていい。

 私にとっては諦めから来たセリフも、先生から見れば別の意味での諦めとして受けとられるかもしれない。私は”分かり合うこと”を諦めたのに対して、先生は”いじめられた結果、人間不信になり誰かに気持ちを伝えること”を諦めたのだと思ったのかもしれない。私の口が重かったのは、私が被害者に見えている先生からすればいじめの結果に見えたのかもしれない。

「そうだ。体育の先生から貴女の体について相談を受けていたの、『傷が多すぎる』って。もしかして、いじめの傷を隠しているの?」

 安全だと思っていた。

 花畑を歩いていたら地雷を踏んでしまった、みたいな気持ちだ。この地雷が錆びているか故障しているか、とにかく不発であるかどうかは私の運次第と言える。どう処理できるかは私次第なのだ。

 この体はいじめによるものではない。いじめの要素が無いわけではないが、どちらかと言うなら、この体は親からもらったものである。私としては、小学6年生の時の二の舞いにはなりたくない。

 先生に傷を確認されるのを防がねばならない。

 いじめじゃない。

 何も問題はない。

 この体は愛情の塊なのだ。他の家とは多少違う愛情かもしれないが、私にとってはこれが愛情なのだ。これが愛情であり、パパとママであり、その二人の子であるという証明なのだ。これは親子の契なのだ。

 パパは私を愛している。この体がそう言っている。

 ママも私を愛している。この体がそう言っている。

 私も二人を愛している。この体がその証拠である、そう思っている。

 だれにも裂かせはしない。

 たとえ、私のことをか弱く思っている先生であろうと・・・。

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