第3話 断頭台への一節
校門を通り過ぎて私を待っていたのは昇降口へと続く階段だった。
私は処刑台に登るかの如く歩みを進めた。
まさしく学校とは、私を処刑するには相応しい場所であり、そもそも何故私が処刑されるかと言えば、私が強欲で怠惰な人間だからだ。
惰性と言う言葉を最近覚えたが、それほどまでに私を形容するに適した言葉は存在しないと思うくらいだった。
惰性——今までの勢い。
私は今までの勢いでこれからも生きていこうと思っていたし、何よりそんなことに対して無意識というほどに私は何も考えてなかった。
惰性というより白痴。
私は愚か者だ。
人から何かを貰うことを当然と勘違いし、そして他人に何も与えることをしなかった。出来なかったと言っていいかもしれないけど、とにかく私は自分の意味について何も考えてなかった事実がある。
どうして私が生きているのか、どうして私は他人から多くのものを譲り受けているのか、そして何故に私はそれを返す努力をしなかったのか。こういうことを考えずに生きている人は私以外にもいるのだろうけど、その人たちはきっと、どこかしらで他人に対して恩返しをしているのだろう。
私は、何も返していない。何も返せていない。
私に価値はなくとも、生きている意味というのは誰にだってあると思っている。そう信じている。
一歩一歩着実に歩きを進める。
階段の一段一段が私の罪のように、重い気持ちを持って踏み締める。
人間の心構えというのは凄いもので、何の気も抱かずに歩いていたはずの階段が以前からこの重い空気を発しているかのように感じた。
いや、重い空気なのは私であり、この後に及んで何かのせいにしてしまうことほどの愚行はないだろう。私は学習能力がない。
確かに足元には注意していた。
表現ではなく、俯いていた私は結果として足元を見る形になっており、その上歩くスピードとしても遅いくらいだった。
しかし、私は階段から落ちた。
落ちたという表現が合っているのか分からない。何かに当たったという気もしたし、何かに押されたような感じもしたけれど、そんな表現だと悪意を持った誰かが私にそれをぶつけたと言っているようである。
そんな性格の悪い考え方をしているようじゃ、私はいつまで経っても救われない。
一度でも死んだ意味がない。
二度目の人生に意味がない。
そんなことを考えている最中にも、私の体は宙に浮いている。
それは落下寸前であり、瞬間的に捉えるのであれば浮いていると言っても間違いではないけれど、そのまま落下中と言った方がいいかもしれない。
あ。
私が元々いたところの数段上には、こちらを見て笑っている女の子達がいた。
先程の何かに当たった感覚というのは彼女達だったのかもしれない。でもそれじゃあ、彼女らが悪意を持っているかのようだし、そして私は他人に気にかけられるような人間ではない。
彼女らの顔を鑑みると、こういう考え方も間違ってないかもしれないけれど、誰かの顔なんてものは人によって写り方は変わる。
どんな笑顔も、人が見れば微笑ましいかもしれない。一方の人が見れば恐ろしいかもしれない。
何より、私が他人の顔色を伺うならまだしも、私が他人の顔を判定するなんてものは烏滸がましい他何でもない。
私は謙虚に生きていかなければいけないのだ。
しかし、そんな私の思考は鈍い衝撃音と同時に、まもなく停止する。
⬛︎⬛︎
ベットだった。
私が目を覚ました場所はベットの上だった。
久しぶりのマットレスの感触を味わいつつも、どうにか状況を整理したい気が強かった。
病院かと考えたけど、病院にしてはベットが少ないし、窓の外には校庭が見えた。
やはり、私の勘が当たることなんてない。
校庭には誰の姿も見当たらないことを考慮すれば、今は放課後であり私は一日を無駄にしたということになる。
折角新しい気持ちで登校したのに、私にはそれすら許されないらしい。
考えようで言ってしまうなら、私が許されない人間なのだから死ぬことも許されなかった。死ぬことすら許されなかった私が心機一転学校生活に勤しむなんてことは許されるわけがない。
正直、私としてはそれ程までに無様な自分が身分相応であり、私の計画通りに事が進むと考えている時点で尊大になっていた。
私はこれでいい。
いつまでも地べたに這いつくばって、必死に生きていけば良い。
死が必要な私にとって必死とは皮肉だろうけど、私はこの世界で生きていくしかないのだ。
何せ、私は死ぬことから拒否されたのだから。
そんな後ろを向いた私が保健室の先生に気づくのは、こんな事を考えたすぐ後だった。
知らぬ間に入り口にいたことに対して驚いている私もいたが、保健室の先生もまた驚いていた。
保健室に保健室の先生がいることなど当たり前のことだし、不在の時こそイレギュラーなことだったのにも関わらず、私はその当然のことを考えもしなかった。
つくづく嫌になる。
つくづく良い気になる。
何を驚いているのかと尋ねてみると、私が保健室に運ばれてきてから十分も経っていないらしい、ということにあった。
つまり、誰もいない校庭の理由としては、未だ授業が始まっていないからであった。
十分も経たずに気絶から目を覚ます人はいるのかもしれないけど、元より体の弱い私が倒れて直ぐに目を覚ますというのは驚くべきことだったのだろう。
学校の保健室にお世話になるのは一度や二度ではない。むしろ頻繁に行っていたことから、私は先生から『体の弱い女の子』というレッテルが貼られていたのだろう。
別に何の間違いもないし、私もそれは認識している。
しかしなぜだろうか。
保健室の先生は、もう一つ驚いたことがあるらしく、それは私の体に傷一つなかったことであるらしい。
階段から落ちた私は後頭部を地面に強打する形で気絶したと言われているが——実際私は階段から落ちて気絶したのだが、その際傷がついていないというのは不自然らしい。
『らしい』と言っても、私も実際おかしなことだと思うし、どうして傷がついていないのか分からなかった。
生き返った私の身体に何か異変があるのだろうかとも考えたが、今の私にとってはそんなことなど些細なことでしかなく、大した重要性を感じることができなかった。
なぜなら私に対して起こった不幸だから。
私が不幸になって不幸にならない人間なんてものは、きっといないだろう。
この世の中で素の自分を受け入れてくれる人がいるだろう、なんて思う人もいるだろうし、そして実際に『素の自分』を受け入れてくれた人もいるのだろうけど、私には無縁の話だと思う。
私を運んできてくれた生徒曰く、私は全三十段ある内の十三段あたりから転落したらしい。
そう考えると、傷はおろか、出血してないのは不幸中の幸いだったらしく、私は命を落とさずに済んだらしい。
私としては、そのまま頭を打って死んでしまえたら良かったのに、なんて思ったが、私にはやることが残っている。一人前に死ぬわけにもいかない。
そもそも、私がまた死んでしまったのなら、きっと顔を見ただけでこっちに返されてしまうだろう。
やることといえば、私は借りたものを返すことである。
そんな借り物を沢山している私は、今もまた、運んできてくれた生徒。そして保健室の先生に手間と時間をかけさせてしまった。
返すべき私がこの期に及んで借り物をするとは、それほど迷惑なことがあってはならない。
ああ、そんな時間も返せたらいいのに。
私に誰も構わなくて良いのに。
本当に申し訳なく、自分の弱さに不甲斐なさを感じる。私が誰より弱いということは知っていたのに。未だに迷惑をかける自分に対して負い目を感じる。私一人の欲のために他人が迷惑を被るなら、私はあのまま死んでしまえればよかった。どうして生き返ってしまったのだろう。あの人はどうして素直に私を死なせてくれなかったのだろう。許して、どうか私を許して。私の背負ってしまった罪を許して。許して、許して、赦して。ああ、目が回る。こうしてまた気を失うのだろうか。私はまた気を失って他人に迷惑をかけるのだろうか。誰でも良いから赦して。私の罪を赦して。私そのものを赦して。ごめんなさい、ごめんなさい、赦して、許して、私を許して、時間を使わせてしまった事を許して、手間をかけさせてしまった事を許して、私に関わらせてしまった事を許して、許して許して、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい——
『ごめんなさい……』
⬛︎⬛︎
目が覚めた。
今度はベットの上ではなく、コンクリートの上で目が覚めた。
どうしてベットの上にいた私はコンクリートの上で寝そべっているのだろう。
起き上がって周囲を確認してみたところ、先ほど私の数段上にいた女の子たちがこちらを見ていた。
他にも登校中の生徒が大量におり、不思議そうに私を見ていた。
一番不思議に思っているのは私であり、一体何故、私はこんな所にいるのだろうか。
さっきのは夢とも思ったが、あれほど鮮明な記憶が夢とは思えず、やはりどうしても実体験のような気がした。
まさかとは思うが、本当にまさかとは思うが、私は時間を戻ったのだろうか。気絶する直前に戻ったのだろうか。
あの人の言っていた『返すこと』とはこのことだろうか。
運んでくれた生徒と、そして手間をかけさせてしまった先生に対して時間を『返すこと』とはこういうことなのだろうか。
これは時間を『返した』結果であり、私はその効果で時間が戻ったのだろうか。
この『返す』行為で、『返す』魔法で、私は罪を数えなければならないことを直感で理解した。
早く返さなければ。
贈り物で出来た私を、返さなければ。
返しきって、私は私を殺さねば。
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