第13話 私が飼い主?

 唐突に訪れたボス代理の時間でしたが、それは長くはありませんでした。山田さんが溜め息が会話の口火を切ったのです。

「神尾ちゃん、里親なれないわよね?」

「里親?」私はオウム返しに聞きました。

「ええ、実はね…」

 彼女曰く、山田家の一人娘であるシャロちゃんが突然妊娠し、つい先月に3匹もの子供を産んだそうなのです。大きな屋敷で一匹玉のように可愛がられている彼女が妊娠したタイミング、それは一つしかないでしょう。

「あの脱走は駆け落ちみたいなものだったのでしょうか」

 思い返してみればシャロちゃんの隣にはもう一匹かわいこちゃんがいました。つまりあれが彼氏だったのです。

「なんだか可哀想なことをしちゃったのかもね。けどそうは言ってられなかったわよ。相手は野良だから検査に連れてったり出産の準備をしたり大変だったんだから」

 そして今はその子供達の世話をしながら里親を探している、と言うことです。出来ることなら協力してあげたいですし、それは孤独な一人暮らしに大きな光を与えてくれるものに違いありません。しかし…。

 頭の中で様々な考えが逡巡して、それらを吹き飛ばすように息を吐きました。

「その、すみません」私はそう前置きして言いました。「生活が忙しい…とかではないですが、やっぱり親としての責任を負う覚悟は持てないです」

 山田さんは気にしないで、という風に首を振りました。

「いいのよ。学生さんだしお金のこともあるわよね」

「はい…あ、そもそもうちのアパートペット禁止だったような」

 真剣に悩んだのが馬鹿らしいと思えるくらい私には遠い話だったようです。

「それボスには聞きました?」

「ええ、前に来たときに聞いてみたわよ。神尾ちゃんと同じようなこと言ってたっけ」

「そうですか…」

 なんだか他人事には思えなくなってきて、私は肩を落としました。そうなってくると後は…。 

再び店内が沈黙に包まれて、今度こそ気まずい空気を実感しました。

 ボスはこういう時どうするんだろう、と考えました。そもそもボスにこんなシチュエーションが訪れたことがあるのでしょうか。というかボスは今厨房で何をやっているのでしょうか。

「あ、空いたお皿お下げしますねー」

 助け船を求めることにした私は丁度樋口さんが完食してくださった後のお皿を下げることにしました。沈黙の中にお二人を置いていくのは忍びないですがこれも業務なのです。

「丁度良かった、これ運んでくれ」

 助け船は浮き輪を投げることさえせず、厨房に入ってすぐの私にケーキとコーヒー二杯を運ぶよう促しました。

「あれ、このコーヒーは誰の分です?」

「樋口さんへの食後のサービスだ。受け取らなかったらお前が飲んで良いぞ」

「了解です」私は少しの期待を含んで首を立てに振りました。

「こっち片付けたら行くから頑張れよ」

「…頑張ります」

 なんだか私の心が見透かされているような気がして癪ですが、任されたからにはやらなければなりません。茶色く四角い木製のお盆に飲み物等を乗せた後、心の中で深呼吸を挟みバックヤードから出ました。

 目に飛び込んできたのはお二人の話し込んでいる姿でした。わざわざ聞きはしませんでしたがお二人は知り合いではないはずです。一体どういうことかと私は気になって尋ねました。

「ええ、初対面よ。樋口さんが里親になりたいって言ってきたから」

「ああいや、まだ本気でなると決めたわけじゃ…」樋口さんは山田さんから受け取ったスマホをまじまじと見つめながら言いました。「しかし可愛いね」

 おそらく子供達の写真を見せてもらっているのでしょう。心なしか彼の口角が上がっているように見えました。

 私もそのご尊顔を拝みたい気持ちに駆られましたが業務を果たさなければなりません。私はお盆を机に下ろし配膳を始めました。

「樋口さんも良かったらこれ、サービスです」「丁度今頼もうと思っていたんだが、いいのかい?」

「ええ、私の奢りですので。さあ写真を見せてください」

 樋口さんから受け取ったスマホを見ると、そこにはやはり玉のように可愛い子猫達がいるではありませんか。

「ぎゃっ」私は口を手で押さえました。「か、可愛い…」

 やはり子猫を見ると同じ哺乳類を名乗ることさえおこがましいと感じます。その比類無き可愛さは神々しささえあると言えるでしょう。

「流石シャロちゃんの子よね。この白い子とかそっくりじゃない?」

「確かに…目がまん丸で羨ましいですね」  

「それで」私と山田さんは同時に樋口さんの方を見て声を揃えて言いました。「どれにするんです?」

 樋口さんは頭の後ろを掻きました。

「だからまだ飼うと決めたわけじゃ…」

「さて、飼うなら一応いくつか質問するから答えてね」

「は、はぁ」

 樋口さんの渋い物を口に含んだような顔を正面から見据えながら山田さんは質問を浴びせました。一緒に暮らす事にあたっての責任感、収入に余裕はあるのか。そして、

「同居人はいるのかしら?」

 家族。今の樋口さんにはデリケートな話題ですが、だからこそ今こういう状況に発展したとも言えるのではないでしょうか。

 同じ事を思ったのか、樋口さんは訥々と語り始めました。前に私に話したように、奥さんと上京した娘さんのことを。

 話す彼の表情は沈鬱なものでした。ですが、今日のこの時が彼の心を快方へと運んでくれるに違いないと私はそう確信しています。猫に救えぬ人などいないからです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る