第3話 私のボスのお友達

 私とボスがホットコーヒーを飲んでいると、『ミミズク』の店主、黒木さんがタマゴサンドをくださいました。実は朝もお昼もご飯を食べていなかったので、遠慮する余裕が無かったのです。

「すみません、お金なら後で返しますので」

「気にするな、学生に取り立てるほど心も財布もひもじいわけじゃない」

 ボスのご厚意に思わず頭を深く深く下げました。一人暮らしを始めてからの二ヶ月で、食事を満足に摂れることがどれだけ幸せなことかを私は思い知らされていたのです。

「御嶋、お前も金なんて全然ないんじゃないか」

 仕事が一段落したのか黒木さんも会話に加わりました。確かに、失礼も承知で言うならばあの閑散としたカフェが金のなる木だとは到底思えません。

「怪しいことをやってるわけじゃないが、それなりにはあるんだ。心配するな」

 その言葉には、深く追求しても煙に巻くぞ、という意思が込められているように感じました。黒木さんもそれを察したのかそれ以上は何も聞きませんでした。

「それで、神尾ちゃんはどうしてこいつの店に?」

「借りた部屋から近かったんです。この辺も遠いわけじゃないですけど。あとは田舎の喫茶店に憧れて、みたいな」

 求人も出していない店に殴り込んだことは少々反省しています。ですが、第六感か神からのお告げか、ここで働くべきだという言葉が聞こえた気がしたのです。

「入って一ヶ月だっけ。どうだい、御嶋はうまくやれてるかい?」

「おいおい、俺の心配かよ」

 ボスはかぶりを振って、

「まぁ、今までバイトの経験がないとは言ってたがその割にはしっかりしてるよ。俺もあんまり教えるとか叱るとかしたくないし、助かってる」

「恐縮です」

 褒め言葉は素直に受け取るのが礼儀だというのが母の教えの一つです。私はいつもそれに従うようにしているのです。

「植物に水をやったり植物に水をやったり…」

 首を傾げる黒木さんをよそに私は話題を変えました。 

「そういえばさっきボスが黒木さんは店を継いだのだと仰っていたような。ここは元々お父さんとかのお店だったんです?」

 黒木さんは首肯しました。

「五年前まではね。父親が急逝しちまってからは俺と奥さんとでなんとかやってるよ」

 お嫁さんがいるのは初耳です。今は姿がお見えにならないので厨房にいるか休憩中といったところでしょうか。

「死んじまったのは残念だが、それまでに珈琲に関しての薫陶を受けたからな。親父の為にもここを潰すわけにはいかない」

 なんとご立派なのでしょう。黒木さんは顔立ちから感じさせる品格や誠実さに負けず劣らずの内面を持っていらっしゃるようです。

「修行はこいつも一緒に受けたんだが、それは聞いた?」 

 黒木さんはボスの方を指さして言いました。

「いえ、初耳です」私は驚き、首をぶんぶんと振りながら答えました。

「ははは、俺は君の親父さんには顔向け出来ないよ」

 ボスにそんな過去があったとは知りませんでした。いえ、そもそも私はボスについてほとんど何も知らないのです。

「やっぱり、一緒にここでやるべきだったんじゃないか?」

 黒木さんの表情が少しだけ固くなった気がしました。二人の間に何があったかは分かりませんが、自分の店を構える理由がボスにはあるのでしょう。

「やれるだけやってみたいんだ」

「そう思うなら、今日はもう戻って仕事をしたらどうだ」

「こりゃ一本取られたな」ボスは苦笑しました。「神尾、おかわりはもういいか。それ食べ終わったら帰るぞ」

「あ、すぐ食べます」

 ホットコーヒー(といってももうぬるくなっていましたが)とサクッとした食感が癖になるタマゴサンドを頬張りながら、私は二人の会話を聞いていました。

 黒木さんの先ほどの表情はすっかり姿を消し、他愛の無い話をする二人の表情には笑みが浮かんでいます。私はその友情に憧れました。大人になってからも続く友人関係に。

 というのも、大学に通うためにここへ越してきたので、地元の友達とはすっかり離れてしまったのです。今でもスマホでやりとりはしますが、直接会えないとなるとやはり孤独を感じることはあります。

 ですが、孤独を忘れさせてくれる存在として、ボスがいます。ご友人とは言えませんが、ボスのおかげで今の生活は楽しいものになっています。上手くいっているように思えるのです。

「神尾、どうかしたか」

 考え事が長くなったのか、食べる手が止まっていたようです。

「いえ。ありがとうございます、ボス」

 首を傾げるボスをそっちのけに再び手を動かしました。願わくば、ボスとの交友関係が長く続いて欲しいものです。

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