第2話 私達のライバル

 外に出ると、予想以上に暑い日差しが街を刺すように照らしていました。去年の五月はこんなに暑い時期だったかと、これは毎年のように思っているような気がします。

 午後三時頃、「Rコール」を出てすぐに私たちは自販機の前で止まりました。「戦の前には水分補給をば」と、ボスは小銭を取り出しています。

 財布ごと店に置いてきてしまった私はお茶を奢って貰いました。対するボスは迷わずコーラのボタンへ手を伸ばしました。

「カフェの店長がコーラですか?」

「何かを好きでいつづける為だとか立場の為だったりで他のものを嫌うのは間違っているぞ。好きなものは多ければ多いほど人生が豊かになる」

 ボスは時々含蓄のある正論を披露します。ぐうの音も出ないので「確かにそうですね」と相づちを打ってからお茶を開けました。

「いただきます」

「ん。では俺も」

 そういってボスもキャップを回したのですが、自販機の中で豪快に振られたのでしょう。軽快な音と供に茶色の泡が吹き出して、たちまちボスの左手は泡を被りました。

「コーラは好きだが…まぁ、少なくとも自販機で買うことはもうしない」

 

 手を洗ったボスと私は最寄りのバス停で待つことにしました。どうやら徒歩だと少しかかるようです。

 ここ七和町は駅を中心に栄えていますが、バスに乗って十分もすると都会と言っても遜色ない街並みはいつの間にか閑静な住宅街に様変わりしてしまいます。色あせたアパートが並び、今時では珍しい田んぼだっていくつもあります。「Rコール」はそんな都会の喧噪から離れた場所にあるのです。目印になるものなんて隣のコンビニかコーラ購入厳禁の自販機か。私の思う立地の悪さとはこのことなのです。

 対して、今から向かう敵地は栄えに栄えた駅の近くにあるそうです。バスに揺られながらボスは敵地について教えてくださいました。

「敵地と言っても、俺の友人の店なんだ。うちとは違って繁盛している」

「じゃあ、何度か行ったことのあるお店なんですね」

「何度かどころか月に二回くらいは行く。奴が店を継いだのが五年も前だから、かれこれ…まぁいいや」

 ボスは指を折って数える素振りを見せましたがすぐに諦めたようです。それにしても、ならば偵察の意味はあるのか、と問いただしたくなりましたがあまり機嫌を損ねてはお茶代が出なくなってしまうかしれません。私は飲み込む仕草をしてぐっと堪えました。

 

 バスというのは窓の外を過ぎていく風景を眺めているだけで、幸せな気分になれます。

 短い間隔で建ち並ぶファストフード店とカラオケ店、小さくても異彩を放ついかがわしい雰囲気のアクセサリー屋。子供の時分、親に連れて行ってもらった事を想起させるようなレトロなおもちゃ屋。他の店とは幅も高さも一線を画すショッピングモール。自分の足で全てを回りきることは出来ないかもしれません。でもだからこそ、街並みに想いを馳せることが出来るのでしょう。知らない場所にも誰かの日常が溢れていて、なんだか自分をちっぽけな人間に感じてしまいますが、同時に世界は希望に満ちていると思えるのです。

 そして、幸せな時間というものはあっという間に終わってしまうものです。私はボスの声で窓の外の幻想から我に返りました。

「次ので降りよう」

 ボスはまた小銭を渡してくださいました。バス代丁度ぴったりのようです。私は滅多にバスに乗ることがないので知りませんでしたが、ボス曰くお釣りをなるべく出さないようにするのがエチケットだとか。

「この辺りは詳しくないのか?」

 外ばかり眺める私にボスがそう尋ねました。

「はい、大学に通うために最近引っ越してきたので」

「大学生だったのか」

「店にも近いあの大学ですよ」 

 少し暖かくなってきた四月の末に、店へ履歴書も持たずに私は面接を受けたのです。住所も電話番号も身の上も、ボスは私については何も知らないのでした。少しのお話で採用をして下さったのは嬉しいのですが、それは経営者としてどうなのでしょう。

 バスを降りるとビル街と言っても差し支えないような街並みが目前に広がりました。駅の近くと言えど私の借りている部屋と駅との道順とは外れた道なので、私にとっては新境地です。

 屹立するビルの間を縫うように歩いて少し、私たちは敵地もといボスのご友人のお店に辿り着きました。看板を見るに店名は「ミミズク」というようです。

 白や灰色のコンクリートの建物が並ぶ中で、セピア色をしたウッド調の外装と、「Rコール」のよりも大仰な観葉植物がよく映えていました。店の前にあるウッドデッキには少数ですが丸いテーブルと椅子が設けられています。

 店内に入ると珈琲の匂いが鼻腔をくすぐりました。この深みある香りを楽しめるようになっただけでも、私は自分を幸せ者だと思えます。 

店内はキッチンカウンター席とテーブル席とで分かれていて、内装を木を基調にしているところ含め『Rコール』となんとなく似ているなと私は思いました。

 ですがここでは悲しいかな、幾人かのお客さんが座っていました。勉強道具を広げる学生や談笑するご老人方、井戸端会議で盛り上がる主婦達。まだ夕食の時間には早いので、皆さん供珈琲や軽いデザートのみを注文しているようです。カフェと言えば私はサンドイッチを想像するのですが、ここにもちゃんとあるのでしょうか。私は空腹でへこんだお腹をさすりました…。

お客さんは全員テーブル席だったのでボスと私は正面のカウンター席につきました。すると、「お、御嶋か、どうかしたか?」

 カウンターの向こうから店主らしき男の人が声をかけてきました。御嶋というのはボスの名字です。つまりきっとこの方がボスのご友人なのでしょう。精悍で整っている顔立ちをしております。繁盛の理由がこのハンサム顔にあると言っても納得してしまいそうなほどです。閑散としている店を経営するボスの顔も決して悪いとは思いませんが。

「暇だから一杯引っかけにきたんだ」

 店主さんはやれやれ、とかぶりを振りました。「店を空けてきたんじゃ来る客も来なくなるぞ」

 ボスはそれに溜め息で応じます。

「来る客を増やすために偵察に来たんだ、どうすれば儲かるかね」

「真面目にコツコツと頑張ることが前提だろう」

 ここで店主さんはこちらをみやりました。

「それで…この子は」

「ああ、紹介するよ。神尾だ」

 私は「初めまして」と会釈だけしました。我ながらぎこちない応対になってしまいました。幾つになっても気の利いた自己紹介というものは分かりません。

「まさか御嶋、お前」

「違う違う。我が店の従業員一号だ」

 いらぬ誤解を招いてしまったかもしれません。確かに、店長とバイトが二人きりで出かけるなんてあまりないことだというのは人生経験に乏しい私でも分かります。

「従業員と言ってもまだ入って一ヶ月のアルバイターですけどね」

 そう付け加えておきました。すると店主さんは「そうかそうか」と呟きました。それはなんとなく、ホッとしたような声色に感じられました。

「ごめん、まだ名乗っていなかったね。黒木と言います、よろしく」

「こちらこそ、お願いします」

 私は黒木さんの倍くらい深くお辞儀をしました。

「ま、アルバイトだけ置いて店をほっぽっておけないだろう。だから連れてきたんだ」

 とにかく、とボスはメニュー表を手に取りました。

「コーヒーを貰うぞ。神尾もホットでいいか?」

「えっと、サンドイッチもいいでしょうか」

 私の腹の虫はもう限界でした。

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