恋にも満たない何か。

柑月渚乃

まだ0話。

 昨日は夢を見なかった。

 

 別に何も変わらないんだけど、少し足りない気がしてしょうがない。


 登校中、電車に揺られながらも何故か異常にその事が気になって。周りがスマホを見る中一人、窓の流れる景色を長らくボーッと眺めてた。


 ここ最近、見る夢はいつも一緒で。ある人と向かい合って話すだけ。

 ほとんどは別に特段面白くもない取り留めのない会話だけれど、たまに普段ならその人に言えないナルシスティックなことも言ってみたり、彼の口から彼が言わないだろう思わせぶりなセリフが聞こえたり、そんな会話。


 そんなことをする、それだけの夢。本当にそれだけなんだけど見れないとなんだか寂しくて。


 学校に着いてもまだ友人は来ていなかった。贅沢にも時間を浪費する感覚を覚えながら、私は友人を教室の中で待つ。



 教室の時計の針が今日は妙にうるさい。


 

 時計の針はチャイムの鳴る十分前を指した。その教室の時計を見ると私は不思議と何かに導かれるようにドアの方を振り返る。

 その時だ。私はドアの方を通り過ぎる一つの人影を見た。


 それは、彼だった。


 いつもと違って、なんだか座っているままだと居心地が悪い気がどことなくして私はすぐさま席を立つ。

 そして教室に入ろうとする彼と廊下ですれ違うようにして教室を出た。


 すれ違うその一瞬、挨拶でもしようか、そんな考えが頭をよぎる。確実にできる距離。私は別にコミュニケーションが不得意なわけでも、男子と話せないわけでもない。

 だけど、その瞬間を見逃した。街中のテレビのカメラをわざと見なかったことにした時のよう。


 シュミレーションは夢の中で何度もしたはずだ。だけど喉から言葉が出ない。

 髪型とか確認しておけば良かった。声も朝から全然出していなかったから、どんな声が出るか分からなくて怖かった。


 いつか話しかけないと。何故だか今日はそう思う。それが絶対飛び越えないといけないハードルかのように。


 夢のようには上手くいかない。


 でも、挨拶しようなんて思いかけたのは今日が初めてだ。昨日夢を見なかったせいか。

 というより、昨日私が私に夢を見せてくれなかったのはそのせいか。


「おはよー!美玖!」

 

 背中が強く押された。


「おはよう、向葵」


 今日初めて出した声は少し元気がなかったかもしれない。

 彼と話すきっかけを今日も探してる。


 別に話しかけて何かあるわけでもない。ただ、話したいだけ。それ以上の望みは本当にない。

 だから、神様。少しは背中を押してくれないでしょうか。夢を見なかっただけでは私は覚悟を決めることはできなかった。今日こそはできる気がしたのだけれど。


 私は彼のことを恋愛的に意識しているわけではない。ないはずだ。


 ただ、彼にちょっと気付いてほしいんだ。私がどんな男子に話す時よりも勇気を使って話しかけていることを。それが欲張りな要求なのは分かってる。でも……


 この先の言葉を分かってほしい。

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