月を照らす光

2022年12月




目が覚めると、私は病室にいた。

意識は朦朧もうろうとして、身体の感覚もない。

夢でも見ているんだろうか。

夢…。藤田さんと2人で真っ白な世界にいた。

あれは…夢だったんだろうか。

目を覚まして、しばらくすると、周りが騒がしくなってきた。

声を掛けられても、視界がぼやけて、音も水中で聞いているような、ぼんやりしたもので、相手が誰なのかもわからなかった。

当然、私は返事をすることができなかった。

1週間程して、ようやく普通に会話ができるようになり、事情を聞きに来た刑事さんが私の記憶にない部分を補完するように話しをしてくれた。

私は1ヶ月近く意識が戻らなかったらしい。

話を聞いていると、思い出したように全身が痛みだした。

自分の話しには全く関心を持てず、話しを遮るように藤田さんが無事なのかを聞いた。

一瞬、困惑した表情になった刑事さんを見て、全身の痛みを忘れてしまうほどの恐怖を感じた。


「大丈夫。」


刑事さんはゆっくりと、丁寧に説明してくれた。

藤田さんは無事だった。

それも、私よりずっと軽症らしい。

刑事さんによると、私の呼びかけに応えた生徒が沢山いたらしい。

文化祭の準備中というのも、私たちを救う要因になった。

周りに生徒が大勢いたし、クッションになるものも沢山あった。

体育倉庫からマットを持って来た生徒もいたらしい。

みんなで声を掛け合って、連絡を取り合って、

私たちを救ってくれた。

それでも、私が蹴り出して飛び込んだこと、

2人分の体重が乗ったことで勢いがつき、私はかなりの衝撃を受けたみたいだ。

医者も生きていることが奇跡的だと言っていたらしい。

目が覚めても、藤田さんとはまだ会えていない。

身体は無事でも、心配なのは藤田さんの心だった。

だけど、しばらく藤田さんに会わせることはできないと言われた。

私たちの精神面を心配しての判断らしい。

警察官が病室の前に立ち、面会も制限されている。

過剰反応のように思えなくもないけど、最初は事件性も疑われて事情聴取をされたくらいだし、起きてしまったことを考えれば当然なのかもしれない。

それに、私たちを守るためだと言っていた。

さっき来た刑事さん…名刺には捜査一課と書かれていた。

私が疑問に思っていると、正式な捜査官ではないと言っていた。

ただ、私と話がしたいと。

どうしてかはわからないけど、私は私に起きたすべてのことを話した。

母のことも、陽のことも。そして…私が犯した罪のことも。

そして、刑事さんは私に言った。


「君に起きたことを理解できるとは言わない。

だけど、君が苦労してきたことはわかる。

大人はみんな、もっと苦労してる人は沢山いると言うだろうが、辛い思いに " もっと " も " ちょっと " もない。

それでも、君がしたことは犯罪だ。

許されることではない。

被害届や、告訴されていないことを幸運なんて思ってはいけない。

だから、約束してほしいことがある。

もし、今度君に抱えきれないことが起きたとき、

ほんの些細なことでも、刑事が対応する事態ではなくても、必ずオレに連絡してほしい。

必ず助ける。約束する。君も約束してくれるね?」


あんな綺麗事と言われるようなことをハッキリと口にする大人にはじめて会った。

そのとき、病室のドアをノックする音が響いた。

私は痛みに耐えながら身体を起こした。


「はい。どうぞ。」


ドアを開けたのは…陽だった。


「久しぶり。」


私は、言葉が出てこなかった。

まだ夢を見ているんじゃないかと疑ったけど、全身の痛みがそれを否定する。

陽は何も答えない私にゆっくりと近づき、ベッドの横にある椅子に座った。


「髪、切ったんだね。」


「うん。」


「似合ってる。」


まるで、はじめて陽に会ったときに戻ったみたいだった。

陽の言葉に、どう答えていいのかわからない。

ずっと会いたかったのに…それを伝えていいのかわからない。


「どうして…ここに?」


「話せば長いんだけど…

うん。桜が心配だったから。

桜のことが心配だから、私は今ここにいる。」


「…そっか。」


「桜。私の正直な想いを聞いてくれる?」


「うん。」


「私はずっと怒っていた。ずっと許せなかった。

桜が黒咲にしたことを、間違いを犯したことを。

そんな桜にちゃんと向き合おうとしなかった自分を、ずっと許せなかった。

私の未熟な正義感が、すべてを壊した。

私も間違いを犯した。私も桜を傷つけた。

桜のことを忘れた日はないよ。

ずっと会いたかった。ずっと想ってた。

桜に会える日を信じてた。」


陽に伝えたかった想い。

陽から聞きたかった言葉。

同じ気持ちだとわかったのに…私は何も答えられない。

だって、また私から離れていってしまうのが怖いから。

みんな私から離れていく。みんな私が傷つけてしまう。

私は誰とも関わっちゃいけないんだ。

陽を遠ざけるように何も言わずに俯いている私を、陽は優しく抱きしめた。


「私の名前を呼んでみて。

私は太陽から注がれる光。

太陽そのものじゃない。

月が輝いているなら、光は月に触れている。

私はそばにいる。

もう二度と離れたりしないよ。」


塞ぎ込んだ私の心に、木漏れ日のような微かな光が煌めいた。


「私も…私もずっと陽に会いたかった。

陽に、ずっとそばにいてほしかった。」


私は涙が止まらなかった。

病院の匂い。人に抱きしめられる温かさ。

お母さんのことを想わずにはいられなかった。


「陽…お母さんが死んじゃったよ。

どうして?どうして私を残して死んじゃったの?

ずっとそばにいてほしかったのに。

お母さんに会いたいよ。

抱きしめてもらいたいよ。

愛してるって言ってほしいよ。」


そのとき、私ははじめてお母さんの死を受け入れることができた気がする。

お母さんが死んだことに涙を流したことは今まで一度もなかった。

お母さんの死を悲しむことは、お母さんの意思に背くことだと思っていたから。

だけど、それはお母さんが死んだことを、お母さんがくれた愛を否定しているだけだった。

今はじめてお母さんの愛を受け取ることができた。

お母さんありがとう。愛してる。

私が泣いている間もずっと陽は抱きしめていてくれた。

私の気持ちが落ち着くまで何も言わず抱きしめ続けてくれた。


「陽。身体が痛い。」


「おっと。ごめん、ごめん。」


照れ隠しの冗談でもあったけど、落ち着いてくると全身の痛みが思い出したかのように騒ぎ出した。

陽はゆっくりと私をベッドに寝かせた。


「陽。ありがとう。」


「お礼を言われるようなことはしてないよ。」


「ううん。してくれた。

陽は私にお礼を言わないの?」


「会わない間に随分と強引な人になったね。

でも、ありがとう。会うの嫌がられるかと思ってた。」


「そんなわけない。でも強引な人なのは陽でしょ?

今は面会が制限されてるはず。」


「別に強行突破したわけじゃないよ。

最初はそうしようとしたけど、後輩に止められて。」


「後輩?」


「うん。部活の後輩。」


「陽が部活?どんな?」


「ものしらべ同好会って言うんだけど。」


「それが名前?変なの。あ、ごめん。」


「まぁ私がつけた名前じゃないし。」


「それで何をしている同好会なの?」


「悩んでいる人の未来を救う活動をしてる。」


「陽らしい。でも…なんでものしらべなの?」


「だから私が考えたわけじゃないって。」


「後輩は?どんな子?」


「鋼鉄の女。って呼ばれているらしい。」


「なにそれ。」


「身体も心も強い人だよ。私を桜のところまで導いてくれた人。」


「それなら私も頭が上がらないな。」


「桜の後輩は?どんな子?」


「藤田さんは…お母さんみたいな人。

守らなくちゃっいけないって思う人。」


「君は守った。」


「ううん。守れなかった。

こんなことになる前にちゃんと話しをするべきだった。」


「確かに、藤田さんや桜の命に関わるようなことはあってはいけない。

そんなことになる前に救えることができたならと、後悔する気持ちはわかるよ。

でも、起きてしまったことに対して桜は行動した。

たとえ落ちたときに備えていたとしても、

もし、藤田さんが1人で落ちていたら…

助からなかったと思う。

救えたかもしれない命を救えずに、

後悔する人もいる。

人を救うことは、とても勇気のいること。

正しいことだとわかっていても、

その一歩は、とても大きく重い。

正しいことだからと言って、

当たり前のことではない。

正しいことをするのは、難しい。

私がその場にいたら、

飛び込もうとする桜を止めていた。

それが正しいと思って。桜を救いたいと思って。

私がとったかもしれない行動。

桜が実際にとった行動。

どちらも正しい。

正しさは衝突するんだよ。

だからこそ人は恐れる。

自分の行動が正しいのか葛藤する。

人を救うために。人を傷つけないために。

答えのない問いに苦しみ続ける。

正しい行いに、絶対的な答えはない。

だから私が今思うことは、

藤田さんが生きていて良かった。

桜が生きていて良かった。

それだけだよ。」


「うん。ありがとう。」


「話長かったかな?」


「うーん。ちょっとね。」


「桜が口数少ないせいだよ。もっと話して。」


「話したいことが多すぎてまとまらない。」


「じゃあ、ゆっくり待つとしよう。」


陽は立ち上がってゆっくりと窓に向かって歩き出した。

静かに窓を開けて空を見上げる。


「ほら。空が白くて綺麗だよ。」


私もベッドから空を見上げる。

はじめて私から声を掛けたあの日からすごく長い時間が経った。

本当の時間よりも気持ちで感じる時間は永遠のように思えた。

だけど今は陽がそばにいてくれる。

この先もずっと一緒にいられる。

私はもう自分の気持ちを隠さない。


「陽…寒い。」



end.

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