希望と絶望


柊さんとの出会いは偶然でしかない。

柊さんが役者の仕事をしていなければ、

柊さんが有名にならなければ、

黄原たちに目をつけられなければ、

私が柊さんに会いたいと思わなければ、

私たちは、お互いの存在に気づくことすらなかったかもしれない。

それでも…あの、ほんの少しだけの時間は、異質な存在となってしまった私たちを、にしてくれた気がした。

私と柊さんとでは、置かれている状況も人間性も全く違うはずなのに。

あの日、向き合って話をしたとき、とても近くにいるように感じた。


"友達になりたい"


私の中に、まだそんな感情が残っていたなんて。

だけど、私は私のまま。

どんな結末を望んでも、それを叶えたいと望むことはない。

あの日以来、柊さんと話すことはなかった。

あの後すぐに学校を辞めてしまったけど、それからどうしていたのかも知らなかった。

だけど、1年以上経ってから電話が掛かってきた。

あれはちょうど2年生の文化祭のときだった。


「久しぶり。」


電話に出るべきか悩んだほど緊張していた私とは対照的に、柊さんの声はとても柔らかかった。

私でも手の触れられない私の大切なものを、

ひょいと持ち上げられたような、そんな不思議な気持ちがした。

私は少しだけほっとした。

多分、嬉しいと感じていたんだと思う。

柊さんでなければ、こんな気持ちにはならなかっただろう。


「ごめんなさい。

本当はもっと早くに連絡したかったんだけど何か良い報告ができるときにって思ってて。」


「気にしないで。連絡ありがとう。

心配だったから声が聞けて安心した。」


「ありがとう。学校辞めるときに連絡するべきだった。」


「ううん。それで…何か良い報告があるの?」


「うん。まだ仕事が決まったわけじゃないんだけど役者の仕事に戻れそう。

まずは学業に専念して問題なく卒業できたら活動再会してもいいだろうって。」


「すごい。良かったね。」


「うん。月乃さんのおかげかも。」


「私はなにも。」


「報告したい人がいるって案外励みになるものだよ。」


「良い報告が聞けて嬉しい。」


「そっちは?学校どう?」


「昨日まで文化祭だった。」


「文化祭かー。いいな。

今は通信制の高校に通ってるんだけど卒業に必要な登校しかしてないし、文化祭とかイベントはあるみたいだけど参加する気にはなれなくて。」


「私は文化祭とか好きじゃないから。」


「そんな感じする。でも勿体ないよ。学校生活楽しまないと。って私が言っても説得力ないか。」


「私は…そういうのもういらない。」


「なら。私をおもてなしして。」


「え?」


「来年の文化祭。私に学校生活を楽しませて。

月乃さんと一緒に。」


柊さんの口調は強かった。

お姫様のような言葉を王子様のように語る。

それが柊さんらしさだと感じた。


「わかった。約束する。」


私が後ろ向きだった学校生活に前向きになれたのは柊さんのおかげだろう。

文化祭実行委員、そして委員長になったのはすべて柊さんのためだった。

柊さんが心から楽しめる文化祭を作れるように、

私にできることはすべてやると誓った。

だけど…私には柊さんを守ることはできなかった。

文化祭実行委員の活動がはじまって間もなく、

柊さんは自殺した。

正確には未遂に終わったので、自殺を図ったと言うべきだ。

最初は連絡しても全く繋がらず、ようやく話せても、まるで別人のように弱く脆くなっていた。

柊さんが自殺を図った原因は"ボースト"というゴシップサイトの記事だった。

その記事が柊さんの事務所の目に留まり、活動再会はもう無理だろうと言われたらしい。

ずっと活動再会の日を楽しみに頑張っていた柊さんからすれば、絶望的な知らせだったと思う。

私は記事の存在に全く気がつかなかった。

恐らく、対処に当たっていた木村も気づいていないだろう。

柊さんの知名度を考えれば、ネット上にも注意を払うべきだった。

2年も前に出ていた記事だ。せめてもっと早く気づいていれば。

木村が柊さんや私のことについて箝口令を敷いたことが裏目に出てしまったんだろう。

だけど…その記事を読んで、ターゲットは柊さんではなく、私だと確信した。

これは私が暴行を加えた誰かがリークしたものだろう。

私が余計なことをしなければ。

柊さんの夢を潰したのは…私だ。

柊さんは疑問に思っただろう。何の関わりもなかった私の名前が記事に出ていることを。

私は真実を話した。私がしたことのすべてを。


「それは私のためにしたこと?」


わからない。

私は私をコントロールできなくなっている。

悪人を見つけて憂さ晴らしをしていただけかもしれない。


「ごめん。」


謝ることしかできなかった。

これは、自分に期待した代償だろうか。

他人の期待を裏切った罰だろうか。

を欲した私に、どれほどの罪があるんだろう。

私は、私から逃げられない。

私はついに心の置き場所を失ってしまい、感情のコントロールが以前にも増してできなくなっていった。

私の様子がおかしいことに気づいて心配してくれた紗季さんに、暴言や暴力を振るったこともあったほどだ。

それでも紗季さんは、子どものように泣き叫んで暴れる私を抱きしめて落ち着かせてくれた。

それが何日続いても。何度でも抱きしめてくれた。


「月乃先輩は私の月明かりです。」


藤田さんの存在を知ったのは文化祭実行委員の活動がはじまるよりも前のことだった。

普段使われていないはずの地下から上がってくるのを見かけて気になっていた。

当時名前も知らない子に関心を持ったのは、藤田さんがどことなく母に似ていたからだと思う。

表情や見た目だけではなく、儚げで目を離すと消えてなくなってしまいそうな危うさが母を思い出させた。

藤田さんに対しての気持ちは、柊さんとのことがあってから私の中で極端に乖離していった。

藤田さんを守りたいからこそ距離を置くべきだと思う気持ちと、他の誰も近づけたくないほど執着する気持ち。

その不安定さが藤田さんを追い詰めてしまったんだろう。

私は気持ちが不安定になったとき、ピアノを弾いて心を落ち着かせた。

陽が教えてくれた曲。陽の未来の曲。

私が知ることのない陽の未来に想いを馳せていた。

あのとき黒咲のことを詮索しなければ、

私が黒咲を突き飛ばしたりしなければ、

私は今も陽の隣にいられただろうか。


「唯、どうしたんだろう。」


「連絡も返してくれないし、何かあったのかな。」


文化祭が目前となったとき、藤田さんは実行委員に顔を出さなくなった。

清瀬さんと埜坂さんの会話から察すると、学校にも来ていないんだろう。

何があったのか。心配する気持ちが強くなる程、コントロールできない冷たい感情に再び支配されていった。

こういう場合、何があったのかを探るのは思いのほか簡単だ。

私は2年の教室がある廊下を歩いて生徒の会話を聞いた。


「アイツ目障りだったから来なくなってマジでスッキリしたわ。お前らオレに感謝しろよ。

文化祭にあんな根暗いたら楽しめないだろ?」


ほら。聞こえてきた。


「月乃先輩?」


声を掛けてきたのは清瀬さんだった。


「どうしたんですか?」


「藤田さんが来ていないか気になってね。」


「そうですか。まだ来てないみたいです。

連絡も繋がらないし、心配です。」


「清瀬さんがあまり思い詰めすぎないようにね。

困ったことがあったら何でも相談して。」


「ありがとうございます。」


相談してほしいと言ったのは決して嘘ではない。

藤田さんのことを心配して落ち込んでいる清瀬さんのことが心配だった。

だけど、このときの私は、それらの良心的な感情を飲み込む程の憎悪に支配されていた。


「ねぇ。清瀬さん。」


「はい?」


「あの男子生徒は、なんて子?」


「あぁ。糸杉です。糸杉且行いとすぎかつゆき。」


清瀬さんのようなタイプの人が呼び捨てにしたということは、親しい間か、悪い印象を持っているかのどちらか。

声の調子や、藤田さんの話しをしているときよりも表情が強張った様子を見ると後者か。


「どうしてですか?」


「私の友達が気になってるらしくて。」


「そうですか。やめた方がいいですよ。」


女関係に難があるのか。


「うん。ありがとう。友達に伝えておく。

じゃあ私教室に戻るから、また実行委員でね。」


その日の放課後、糸杉を意味ありげに誘い出すと、簡単についてきた。


「これ。良かったら飲んで。」


缶コーヒーを渡すと糸杉はニヤニヤと嬉しそうに笑った。


「それで?話しってなに?」


「最初に言っておくけど、下らないやり取りを何度も繰り返す気はないから。」


「なに?」


「藤田さんに何をしたの?」


「は?」


私が何も言わずに糸杉を見ていると、勝ち誇ったような笑顔を見せた。

自分を強く見せているつもりなのかもしれないけど、挙動を見れば動揺しているのは明らかだ。

哀れなのは、本人がそのことに気づいていないこと。

糸杉がコーヒーを飲んだ瞬間に、缶を押し込むように手のひらで殴りつけた。

大抵の人は気まずい状況になると手に持っているものに意識を逸らそうとする。

糸杉の口からは血が流れている。

私も手を痛めたけど気にはならない。


「聞きたいことが聞けないのなら、あなたと話す気はない。」


「なんで…」


「それ、聞き飽きた。」


「は?」


「藤田さんに何をしたの?」


「ふざけんなよ!」


糸杉は私を殴ろうと迫ってきた。

軸脚になる左足を踏み込む瞬間、膝を押し出すように蹴った。

鈍い音がして糸杉は叫びながら倒れ込んだ。


「クソッ!なんで!なんでだよ!」


「はぁ…。犬はワンワン。猫はニャーニャー。

糸杉はなんでなんで…。うるせーよ。」


私は糸杉の顔を蹴り上げた。

そして仰向けに倒れた糸杉の右膝に私の両膝を乗せるように体重をかけて、両手で踵を持って引き上げた。

再び鈍い音が響いて糸杉は泣き叫んだ。


「もう許してください。藤田がオレがいじめてるところ見てたから口止めしようとしただけで。」


「だけ?」


「いや…そういう意味じゃ。」


私は糸杉の横に膝をついて座り、重ねた両手で肋骨を探り体重を乗せて一気に押し込んだ。


「手ごたえはあったけどヒビが入っただけ。」


糸杉はもう叫ぶ気力すらなくなっていた。

私はそのあと糸杉が気を失うまでずっと顔や身体を踏みつけ続けた。何度も何度も。

私はもう歯止めが効かなくなっている。

私はもう完全に壊れてしまった。

誰か…助けて。


「もう大丈夫だからね。」


藤田さんを見つけて、私は嬉しくて思わず抱きしめてしまった。

だけど、もう藤田さんは心を失っていた。

私は、また私のしたことで人の希望を奪ってしまった。

私は人と関わってはいけない。

私は私に関わったすべてを壊してしまう。 

文化祭を翌日に控えた日、これほどまで実行委員長になったことを後悔した日はないだろう。

ただ普通に学校に来るだけでも憂鬱なのに、楽しい文化祭を作るため右へ左へ大忙しだった。

そして校舎の外の装飾や出店の確認をしていると、周りにいる生徒が校舎を見上げてざわざわと騒ぎ出した。

最初は装飾を見て盛り上がっているんだろうと無視していたけど、ただならぬ雰囲気に私も校舎を見上げた。

息が止まるようだった。

屋上の淵に藤田さんが立っている。

怖くて身体に力が入らない。

私が…。私と出会ったせいでまた…。

どうしていいかわからないまま茫然と見上げていると、藤田さんと目が合った。


_さよなら。


聞こえるはずのない声が、私の耳元で囁いたような気がした。

そのとき…私の心が叫んだ。





"動けっ!!"





「先生を呼んで救急車を!!クッションになるものを用意して!!早く!!」


私は周りにいる生徒に叫んだ。

そして校舎に入り、階段を駆け上がる。


「屋上から生徒が飛び降りようとしてる!!

何か受け止めるものを!!」


駆け上がりながらも、私は叫び続けた。

間に合って…

間に合って…

藤田さん、まだそこにいて。

私が勢いよく屋上の扉を開けると、藤田さんはまだ立っていた。良かった。

だけど、声を掛けようと思っても息が切れて声が出せない。

叫びながら走ったせいか、酸欠状態で頭もクラクラする。


「月乃先輩?」


私を認識できていることが奇跡だと思えるほど、藤田さんの目には正気がなかった。

私は呼吸が落ち着かないまま、藤田さんに話しかけた。


「藤田さん。お願い。こっちに来て。」


藤田さんは再び下を向いた。


「そっちを見ないで。話しを聞かせて。

ごめんね。私のせいだよね。不安にさせてごめん。」


このときほど自分のことを憎く思ったことはない。

母に育てられ、紗季さんに見守られ、陽と出会えた。

優しい人たちに支えられて生きてきたのに、私の口からは人を救う言葉が出てこない。

私は人を傷つけることしかできない。


「月乃先輩のせいじゃないですよ。」


「え?」


「私…疲れちゃったんです。もう、何も考えたくない。」


再び私に向けられた視線は、私の瞳を捉えて離さない。

私を信じてくれているの?

今なら、私の言葉が届くかもしれない。

今なら、助けることができるかもしれない。

今なら…


「…ごめんなさい。」


その言葉と共に、藤田さんの身体はゆっくりと傾いた。


「だめっ!!」


私は藤田さんに駆け寄った。

だけど…藤田さんの身体はもう引き上げられないほど傾いている。

藤田さんが屋上から離れて、私の視界から消える。

もう、考えてる時間なんてない。

言葉で人を救えないなら、身体を動かせ!

私は屋上の淵を蹴り出して、下に向かって飛び込んだ。

まだ届く距離だ。蹴り出したおかげで、一気に藤田さんに追いついた。

私は藤田さんを抱き込んで、自分が下になるように体制を入れ替えた。

藤田さんは既に気を失っている。

私は、藤田さんを力いっぱい抱きしめた。

お願い。藤田さん、どうか無事でいて。


「お母さん。この子を助けて。」





end.


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