月明かりとうさぎのボク


高校入学に合わせて私は髪を短く切った。

心機一転気持ちを新たに、というわけではない。

黒く長い髪は母を真似て長く伸ばしていた。

母とは似ても似つかない私には相応しくない。

ただ、それだけ。

中学のときと同様に高校でもこれまでの私を知っている人はいない。

私はこれから先も人間関係をリセットしながら生きていくのだろうか。

その必要性がある生き方をしていくのだろうか。

高校生活は退屈そのものだった。

さほど勉強をしなくても成績上位に入ってしまったことも、その一因となった。

目立つことを避けるために手を抜いていたほどだ。

体育の授業で手を抜くのは骨が折れた。

運動に関しては手を抜いているのが判別しやすく、それを見抜かれるとかえって目立ってしまう。

学力においても、運動能力についても、それらが向上したのは生まれ持った才能ではなく、紗季さんの影響だ。

影響、というのはかなり控えめな言い方で、紗季さんは甘やかし過ぎだと感じるほど優しい人だけど、勉強や運動に関しては、修行と言って良いほどに厳しかった。

紗季さんに気づかれないように手を抜くのも骨が折れた。

でも、勉強も運動も好きだったので、気を紛らすにはちょうど良かった。

だから、やっぱり、高校生活が退屈に感じた原因となったのは人間関係だ。

これまでも同じだったけど、高校ではこれまで以上に、リセットした人間関係を更新する気にはなれなかった。

だけど、また、出会いによって私の運命は変わった。

1年のとき、同じクラスに"柊つばさ"という生徒がいた。

役者の仕事をしていて、入学時からあまり登校していなかったので、ほとんど顔を合わせたことはないし、話したことは一度もなかった。

私が無知なだけなのか、実際にそうだったのかは曖昧だけど、入学時はそれほど有名ではなかったと思う。

しかし、その年の夏に有名な監督の作品に主演で出演すると宣伝が流れて、一躍時の人となった。

当然学校でも話題になり、たまに登校してくるとすごい騒ぎになった。

夏休み中に映画は公開され、夏休み明けにはさらに人気が加熱していた。

人気が出れば、妬む者も出てきてしまう。

まして嫌でも他人と比較される学校という環境下ではそういう話題には敏感になる。

日頃の鬱憤を晴らすかのように、柊つばさへの嫌がらせが日ごとに増えていった。

中でも酷かったのが 、黄原茉里きはらまりという生徒の嫌がらせだ。

映画の共演者に黄原の好きな役者がいたということもあったらしいけど、結局は単なる妬みだ。

陰湿ないじめへと発展していくのを見て何度か止めに入ろうかと思ったけど、その度に陽の顔が頭を過り踏み止まった。

その個人的な感情が、後悔に変わる日はすぐに来た。

ある日、黄原をはじめとする仲良しグループが柊つばさを取り囲んでケタケタと笑っていた。

そして、1人の男子生徒が柊つばさに抱きついてキスをした。

その上、その瞬間をスマホで撮影までしていた。

一線を越えた。そう感じた。

何が面白いのか、狂ったように笑う姿はまるで知性を感じない。

こういう人間に限って、自分が賢いと思い込んでいるからタチが悪い。

堪らず立ち上がると同時に、柊つばさは駆け出して教室から出て行ってしまった。

黄原たちを糾弾するべきか、柊つばさを追いかけるべきか悩んでいるうちに、結局私は何もできなかった。

それから、柊つばさを見なくなった。

学校でも、役者としても。

黄原たちを許せないと思う気持ちが強くなるほど、私から感情という温度は失われていった。

そして、私は自分を制御できなくなった…

最初に、グループで1番体格の良い男子生徒に近づいた。

その男は黄原の彼氏だった。

バスケ部ということもあり、背も高く体格の良さを自慢するように喧嘩が強いといつも威張っていた。

黄原が強気でいられたのはこの男の存在が大きいだろう。

当然だけど、空っぽな人間には中身がない。

本当に嫌気が差す。

私は体育倉庫にあったテニスラケットを持って、

背後から声をかけた。


「ねぇ。」


振り向いたところでラケットを喉仏目掛けて振り抜いた。

痛みからなのか、呼吸がうまくできないからなのか、倒れ込んで喉を押さえてもがいている。

力を入れ過ぎて骨や気管を損傷させてしまうと、死に至る可能性もあるけど、幸い手を抜くことには慣れていた。

しばらくすると、私を見上げて睨みつけてきた。

食いしばる歯をラケットで殴りつけ、そのまま関節や骨を狙うように何度も殴り続けた。


「やめてくれ!オレが何をしたんだよ!」


「理由が必要なの?知らなかった。

柊つばさはあなたたちに何かしたの?」


「は?お前、柊つばさの何なんだよ!」


「また理由。面倒くさい。」


私が再び殴りはじめると、男は泣きながら謝っている。


「ねぇ。先生呼ぼうか?それとも警察?

いや、まずは救急車かな。酷い怪我。」


「お前イカれてんのか!」


「友達に助けてもらうのが1番だよね。

ほら、早く連絡して。」


私は男のポケットからスマホを取り出し、黄原に連絡させた。


「スピーカーに。」


スマホから黄原の声が聞こえると、男は助けてと叫んだ。

スマホを叩き落とすように手を殴打し、そのままラケットが折れるまで殴り続けた。

私が殴ることをやめても、男は大きな身体を丸めてブルブルと震えている。

床に落ちたスマホを手に取り、電源が入らないことを確認して、その場を離れた。

次の日、男子生徒3人が私のところに来た。

正義感のつもりか、悪ぶりたいだけなのか。

彼らは気づいていないが、結局は自己心酔による軽薄な仲間意識から生まれた偽善的な報復ごっこ。

くだらない。

わかりやすく私を狙っている気配がしたので、人目のつかない体育倉庫に入ってみると、得意げな顔をして取り囲んできた。

1人はニヤニヤと笑いながらスマホで撮影している。

何をするつもりなのかは容易に想像できた。

私に向かって、イカれ女、と凄んできた男の右手を両手で握りしめた。


「深呼吸して。」


そして、一気に人差し指と中指をへし折った。

叫びながら膝をついてもがいている男の右手を踏み潰した。


「テメェ!」


そう言って私の胸ぐらを掴んできた男の両耳に付いていたピアスを引きちぎった。

両耳を押さえて前屈みになったところを顔を押し出すように蹴り飛ばした。

スマホで撮影していた最後の1人を見ると、怯えて撮影をやめていた。


「ちゃんと撮った?」


「え?」


「撮影してたの?」


「い、いや。」


私は溜息をついた。


「私もう帰るから、その2人よろしく。」


私が立ち去ろうとする姿を見て、2人に駆け寄った。


「あ、そういえば柊つばさに抱きついてキスしてたのあなただよね?」


「え?」


私は男が振り向くよりも早く、近くにあったロープで首を絞めた。

後頭部を踏みつけて抵抗できないようにして、さらにキツく絞めていく。


「どのくらいの時間だったかな?

あなたが柊つばさに抱きついてキスしてた時間って、どのくらいだった?

同じ時間絞めてようと思ったけど、思い出せないから死ぬまででも良い?」


「た、たすけて。」


他の2人は助けようと思えば助けられたはずだけど、完全に腰を抜かしていた。


「助けてって言って助けてもらえるなら、あなたたちはこんな目に合ってないでしょ?」


男から力が抜けた。

単に気を失っているのか、死んでしまったのか確認するために、顔を踏みつけて鼻を折った。

男は目を覚ましてパニックになっている。

私は乱れた呼吸を落ち着かせて、それぞれのスマホを壊して立ち去った。

私の知る限り、仲良しグループの残りは黄原と、

もう1人女がいるだけ。

黄原は最後にするとして、次はもう1人の女子生徒。

その女は着飾ることが好きなタイプで、いつも新しいネイルを自慢していた。

私は身だしなみの範疇を超えたファッションに好感を持てない。

例外もいるけど、今の話には関係ない。

放課後、女がトイレで1人になったところで声を掛けた。

私を見ると一瞬怯えた表情を見せたけど、すぐに睨みつけて威嚇するような表情に変わった。


「こっち来んなイカれ女!」


私を殴ろうとする手を掴み、洗面台に押さえつけた。


「綺麗な爪。」


そして用意していたペンチで人差し指の爪を引き抜いた。

女は叫びながら私を叩いたり殴ったりしていたけど私は気にせず中指、薬指、小指、親指、と続けて抜いた。


「何でこんなことするんだよ。」


「また理由か。」


私は女のスマホを壁に叩きつけ立ち去った。

次の日から黄原は学校に来なくなってしまった。

面倒ではあるけど、予測していなかったわけではない。

以前、黄原の家に遊びに行くと話していた生徒数名に家の場所を尋ねると、すぐに教えてくれた。

怯えている様子から、私がしていることの噂が広がり出していることが推測できる。

まぁ…どうでもいいか。

次の日の朝、黄原が登校していないことを確認すると授業を受けずに黄原の家に向かった。

黄原のマンションに着くと、珍しい名前のおかげですぐに部屋がわかった。

インターホンを鳴らしても反応がない。

両親が共働きなので日中親がいないことは聞いていたけど…入れ違いで登校したのか?

諦めて帰ろうと何気なくマンションの下を見ると、黄原が入って来るのが見えた。

コンビニにでも行っていたのだろう。

私は隠れて黄原が上がってくるのを待った。

そして、黄原が家に入ろうとドアを開けたところで後ろから抱きつき、耳元で囁いた。


「捕まえた。」


黄原は発狂するように叫んで腰を抜かし、後退りして家に入っていった。

そのまま私も一緒に家の中に入った。

黄原は震える手でポケットからナイフを取り出して私に向けている。

手が震えてナイフのカバーを外すのにも苦労していたし、両手で握りしめていてもガタガタと震えて刃先がまるで落ち着かない。

とはいえナイフを持ち歩いてるなんて、私が思っていた以上に私のことを警戒していたようだ。


「出てけよ!家から出ていけ!イカれ女!」


ナイフを私に向けて叫ぶ黄原を目の前にしても、

私の心は動揺することはなかった。

むしろ私は、好都合だと感じていた。

ずっと、そのきっかけを待っていた。

私はもう生きていく意味を見失っている。

リセットではなく、終わらせるという選択肢を選ぼうと思った。


「ごめんね。私は、クソ女だから。」


私は黄原と向き合うように腰を下ろした。

ナイフを持つ黄原の手を、私も両手でしっかりと握り、自分の左胸に突き立てた。


「黄原さん、私の目を見て。」


そして、ゆっくりと刺していく。

刃先が身体に入り込んできて、制服に血が滲み出す。

痛みを感じないわけではない。

恐怖を感じないわけではない。

ただ、それを上回る安心感を感じてしまっただけ。

もっと深くに刺そうと力を入れたところで、黄原は気を失った。

しばらく気を失った黄原を見つめてどうするべきか考えた後、自室と思わしき部屋に黄原を寝かせて家を出た。

後日、担任の木村に呼び出された。


「何人かの生徒からお前がクラスの生徒に暴行を加えていたという話しを聞いたが、本当か?」


加えていた、ということは本人たちから告発があったわけではないようだ。

私がどんなことをしたのか、そもそも誰が暴行を受けていたのかも把握してないのかもしれない。

しかし、私は言い逃れするつもりはない。

刑に服すことになっても、それは当然だと思う。


「はい。間違いありません。」


木村は困惑していた。

学校としての対応を危惧しているのだろうか?

木村は深く溜息をついた。


「これだけは言わせてもらう。

やりすぎだ。もう二度と同じことはするな。」


「はい。」


「後の対応はこっちでやる。

お前はこれ以上関わるな。もう十分だろ。」


木村はそう言ったけど、

私はこれでは不十分だと感じた。

もちろんまだやり足りないという意味ではなく、このままでは柊つばさがないがしろになったままだ。


「先生、柊さんに会いたいです。」


木村は全て自分に任せることを約束させて、柊つばさの住所を教えてくれた。

正直、柊つばさに会ってどうするかは何も考えていなかった。

柊つばさの家は閑静な住宅街にある。

気づかれるリスクは少ないかもしれないけど、一度気づかれれば色々面倒そうだ。

目立つようなことをするつもりはないけど、あまり深追いしないように気をつけよう。

インターホンを鳴らすと、柊つばさが出た。


「同じクラスの月乃桜です。

少し、話しをさせてください。」


応答がないまま、インターホンは切られてしまった。

当然の反応に諦めて帰ろうと思ったとき、柊つばさが出てきた。

まるで来客が来るとわかっていたかのように、身だしなみは整えられていた。


「夕方には親が帰ってくるの。

それまでに帰ってもらえるなら。」


柊つばさの知名度を考えるなら、ほとんど外に出ることはできなかったはず。

それなのに部屋は整頓されていて綺麗だった。

定期的に換気もされているんだろうと感じるほど、部屋の空気も軽かった。

何よりも目についたのは、机に勉強していた形跡があることだ。

撮影に追われながらも高校に進学したのだから、通学していなくても普段から自宅で勉強する習慣があったんだろう。

部屋の入り口から右回りに勉強机、本棚、ベッド、クローゼット、部屋の中央に小さな丸いテーブルがある。

私は入り口とテーブルの間に座り、彼女はベッドに腰を下ろした。

しばらく沈黙が続いた後、私は聞いた。


「学校はどうするの?」


「まだ決まってないけど、通信制の高校に転入するかも。」


「役者の仕事は?」


「続けたいけど、もう無理かな。」


「ごめんなさい。」


「どうして、あなたが謝るの?」


「良くないことが起きてるってわかってたのに、見過ごしていた。」


「いじめを黙認した人も、いじめに加担したのと同じ。

いじめられている本人以外で、そんなこと言う人はいじめに関わったことがないか、いじめられている人の気持ちをわかってないのかも。

助けてほしいとは思うけど、黙認した人が加害者になるわけじゃない。

街中でナイフを振り回す人がいたら逃げろというのに、いじめを見たら立ち向かえなんて理不尽だよ。」


「でも、困っている人は助けないといけないのに。」


「いじめを黙認したって葛藤しているあなたは、

困っている人にはならない?

大事なのは何を見たかじゃない。

それを見て、何を感じたかだよ。

いじめを黙認したことで、一生後悔して生きていく人がいるかもしれない。

自分を責めて、他人に責められて。

その人は、もう被害者だよ。」


私たちはしばらく見つめ合った。

そして彼女は立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出した。


「ボクには絶望に立ち向かう勇気はあっても、

希望に立ち向かう勇気はないらしい。」


そして、その本を私に差し出した。

『月を照らす光』という児童文学小説。

太陽が失われて、夜しかない世界で生きる動物たちの話。


「役者の仕事、無理って言ったけど、実はまだ協議中なの。

事務所の人たちや役者の先輩たちも続けてほしいって言ってくれてて。

もちろん契約のこともあるから、そういう事情での協議でもあるんだけどね。

でも、それだけじゃないって。

また一緒に仕事したいって言ってくれてるの。

私ね、はじめはただ憧れだけで役者の仕事をはじめたの。

だけど、仕事を通じてたくさんの人たちと知り合って、情熱や真剣に取り組むことの意味がはじめてわかった。

みんなで同じ目標に向かっていることが、幸せだって思えた。

そんな人たちに戻ってきてほしいって、また一緒に仕事しようって言ってもらえるなんて。

今すぐにでも、戻りたい。

でもね、もしみんながあの写真を見たら?

大好きな人たちに軽蔑されるのが怖い。

希望が強くなるほどに、恐怖が増していくの。

みんなに嫌われたくない。

恐怖が付き纏う希望に飛び込むより、平穏な絶望の中にいる方が私はいい。」


黄原たち全員のスマホは壊したけど、バックアップがあれば意味がない。

私が黄原たちにしたことと、木村が対処したことで、もし写真が残っていたとしても写真が出回る可能性は低くなったとは思う。

万が一、写真が出回ったとしても、彼女が失望されることになるとも限らない。

それを伝えようと思ったけど、それで彼女の恐怖が消えるわけじゃない。

たとえその恐怖が実現しないと確約されたとしても、彼女の恐怖が消え去ることはないだろう。


「四季の声っていう集会サイトがある。」


「集会サイト?」


「うん。柊さんの役に立つか、わからないけど。」


私が高校に入学する前の春休みに、紗季さんから四季の声の運営を再開することを告げられた。

紗季さんが母の後を継ぎ、代表となった。

紗季さんならピッタリだと思ったし、素直に嬉しかった。

そして、紗季さんから父も運営に携わることを聞いた。

そもそも四季の声の再開は、父の提案だったらしい。


「匿名で参加できるし、たくさんの人と話せば、

気持ちが楽になるかもしれない。あと、私の連絡先も。」


彼女はしばらく四季の声のURLと、私の連絡先が書かれたメモを見つめていた。

そして、突然に笑いだした。


「月乃さんって、すごい行動力あるよね。

家に押しかけてきて、自分の連絡先まで。」


「ごめん…なさい。」


「ううん。嬉しいよ。

月乃さんはきっと私を軽蔑したりしないでしょ。

いや、むしろ私が嫌がっても付き纏うタイプだね。」


「そんなことは、しないよ。」


「いや、する。

月乃さんにはそういう安心感がある。」


恥ずかしかったのか、単に困惑していたのか、

私は俯いて黙っていた。


「月乃さんは、私にとっての月明かりだ。

お返しにその本あげる。」


「うん。ありがとう。」


彼女がくれた本には、こう書かれていた。


『太陽の光がなくても、ボクには月の光がある。

太陽の光は見つめられなくても、月の光はボクを見つめてくれる。

月の光は、ボクとボクのいる世界をいつも優しく照らしてくれている。』


うさぎのボク。

後に、柊さんが四季の声に使う名前だ。



end.

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