寄り添う心と擦れ違う気持ち


_月乃桜が黒咲結織を殺した。


私の知る限り、噂が最も盛り上がったのはこの言葉が出回ったときだろう。

実際は殺していないし、2週間の検査入院の後に黒咲は目立った外傷もなく登校してきたので噂はすぐに鎮静化された。

しかし、鎮静化された最大の要因は事情を聞かれた黒咲が噂を完全に否定したことにある。

どうして黒咲は私に突き飛ばされたことを言わなかったのだろう。

弱みを見せるのが嫌だったから?

いや、黒咲はそんな単純な人間ではない。

そもそも、黒咲が問題のある生徒や教師を恐喝していた理由はなんだったのか。

陽が黒咲を問いただしたときに黒咲が語ったこと。

あれはまるで " 被害者の叫び " だった。

黒咲もいじめや体罰で苦しんでいたんだろうか。

でも、それだけではない気がする。

もっと根深い苦しみや悲しみがあったように感じる。

黒咲の奥深くにある何かを知ったとき、私は黒咲に対して何を思うのだろう。

真相はわからないけど、私と黒咲は似ている部分があると思う。

私が黒咲を突き飛ばした理由は、そのことを認めたくないという拒絶反応だったのかもしれない。

黒咲が私に突き飛ばされたことを話さなかった理由も、私の中に自分と同じものを感じたからではないだろうか。

そう解釈することは、さすがに都合が良すぎるのかもしれないけど。

仮に私と黒咲に共通する心理があったとしても、

私と黒咲とでは根本的に大きな違いがある。

期待と失望。私が期待で、黒咲は失望。

心の奥深くに悲しみや苦しみを抱えていることが同じだとしても、世間に対する認識に決定的な差がある。

あくまで憶測だし、それも、あの当時の黒咲と私についてだけど。

母の死後、私は絶望の中でも紗季さんに出会えた、陽に出会えた。

絶望から脱け出す期待が持てた。

黒咲は自分以外の他人に敵意を剥き出しにしていた。

それは復讐などではなく、自分の力だけで絶望から這い出るという執念のように思える。

黒咲はいつも冷静で動揺することがなかった。

他人を信じていないからこそ、ただありのままの事実を受け入れることが出来たのかもしれない。

敬意、と言えば都合が良すぎる。

だけど、油断するとそういった感情が沸いてくる。

黒咲は恐喝していても、怪我を負わせたりはしていなかったので、私よりも黒咲の方がいくらか理性的だったのかもしれない。

理性的という言葉が当てはまらないのならば、計画的というところだろうか。

私が突き飛ばしたとき、黒咲に目立った外傷はなかったけど、全身打撲に脳震盪のうしんとうを起こしていた。

感情的で衝動的、それが私だ。

陽を突き飛ばして怪我を負わしているので、黒咲にも感情や衝動はあると思うけど、黒咲の場合は人間的の範疇だと思う。

黒咲を突き飛ばしたあの当時は、罪悪感なんてまるでなかった。

今はただ一言謝りたいとも思うけど、黒咲は謝罪なんて受け取らない。

もし黒咲に再会したなら、こう言おう。

" クソ女 " と。



私が黒咲を殺したという噂は、意識を失って倒れている黒咲が発見される前後に私が外階段に向かう姿や、外階段から校舎内に入る姿を数名の生徒が見たことから広まった。

殺したという噂は鎮まっても、私が黒咲に危害を加えたという噂は根強く残っていた。

それに関して言えば噂ではなく事実なので、当然といえば当然だ。

最終的には単なる噂なのか、紛れもない事実なのかはどうでもよくなっていった。

人から人へ伝わっていくことにより、噂の造型は様々なものに変わっていったけど、結論は1つだった。


_月乃桜と黒咲結織には関わるな。


噂に陽の名前が加わることはあったけど、

結論に名前が上がるのは私と黒咲だけだった。

周囲の人から見ても私と黒咲は同じ穴のむじなに見えるのだろう。

面白半分か、本当に恐れているのかの真意はともかく、私と黒咲と関われば何かしらの危害を加えられる可能性がある、それが結論であり学校内共通の認識となった。


「月乃さん、見て見て。」


しかし、周囲の人が私たちを避ける中でも、東条さんは周りの目を気にすることなく話しかけてくれた。


「ネクタイ、上手く結べてるでしょ。」


「本当。上手く結べてる。」


「月乃さんに教えてもらったおかげだよ。」


「良かった。」


「高校受験、志望校は制服がネクタイのところにしようかな。」


「うん。良いと思う。」


「受験を前向きに捉えられるなんて、月乃さんは私の救世主なのかもしれないよ。」


「ううん。私は悪者。」


「違うよ…。だって、ほら。悪の定義って難しいんだよ。」


「うん…、ありがとう。」


「あの、月乃さん…」


「東条さん。私は大丈夫だから。」


東条さんは困惑していた。

東条さんはきっと謝ろうとしていたんだと思う。

自分が噂について話したことで、良くない結果を招いてしまったと思っているんだろう。

東条さんに罪悪感を抱いてほしくなくて話しをさえぎったけど、結果的に東条さんを苦しめることになってしまった。

しかも、当時の私はさらに東条さんを追い詰めた。


「ねぇ。この前の質問。」


「え?」


「時が操れるなら未来に進むか、

過去に戻るかってやつ。」


「うん。」


「私なら過去に戻る。

過去に戻って、閉じこもって出てこない。」


「…そう。」


「うん。あの…ごめん。」


制御できない感情から逃げ出すように、私はその場を立ち去ろうとした。


「私は出て来てほしい。」


「え?」


「私は閉じこもらないで出て来てほしい。」


東条さんは自分のネクタイに触れた。


「うん。ありがとう。」


これが東条さんとの最後の会話になった。

もちろん東条さんが避けていたわけではない。

私だって避けるつもりなんてなかった。

だけど、当時は黒咲に対しての怒りも収まっていなかったし、私が人と関わる危険性を他の誰よりも私自身が感じていた。

私と話すことで、東条さんも白い目で見られることへの罪悪感もあったけど、今となってはただの言い訳でしかないとわかる。

本当に東条さんの気持ちを考えるなら、東条さんの優しさを素直に受け取るべきだった。

罪悪感と後悔。そして…それを上回る感謝の想い。

" ごめんね "と " ありがとう "

これが、ずっと東条さんに伝えたいと思っている言葉。



噂は当然、陽の耳にも入っていたはずだけど…陽はその話題に触れようとはしなかった。

陽が黒咲の話題に触れないこと、私も黒咲の話題を出さないこと、それが問いかけであり、答えになっていた。

次第に私たちの距離は精神的にも、物理的にも遠くなっていった。

言い訳になっても、嘘をついたとしても、言い争いになったとしても、黒咲の話題に触れるべきだった。

私たちなら分かり合えたはずなのに、その先にある和解より、目の前の衝突が怖かった。

ある日、ピアノを弾いている陽を見かけた。

弾いていた曲は、あの曲。

陽の未来を描いた曲。

陽はどんな気持ちでこの曲を弾いていたんだろう。

私が陽に惹かれたのは、私に持っていないものをたくさん持っているから。

" わからない " その気持ちが " 興味 "に変わって " 魅力 " を感じた。

根本的な違いが私と陽を繋げて、

その根本的な違いが私たちを引き裂いた。

陽の隣に、もう私はいない。

陽の進む未来に、私はいない。



_ねぇ。桜はどこの高校受験するの?


_まだ決めてないけど、多分、燕ヶ丘高校。

 紗季さんが薦めてくれたから。


_燕ヶ丘?すごい頭良いとこだよね?

 桜、頭良いからなー。私には絶対無理。


_陽だって頭良いよ。

 陽はどこの高校か決めてる?


_私は無難に水咲かな。近いし。


_そうなんだ。バラバラに…なっちゃうね。


_でも大丈夫。いつでも会えるよ。


_うん。


_私たち、ずっと一緒だよ。


_うん。ずっと一緒。



end.


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