救済と制裁


「未来と過去、どっちを選ぶ?」


「は?」


「だから、もし時を操れるなら未来に進むか、

過去に戻るか、どっちを選ぶ?」


突拍子もない質問をしてきたのは、1年のとき陽と同じクラスだった東条さつきさんだった。


「どっちも選ばない。」


「つまらんね。緋凪の人生には期待も後悔もないのか。君は?えっと…」


「月乃。」


「月乃さんはどっちがいい?」


「私は…」


「いいよ、答えなくて。行こ。」


陽が私の腕を引っ張って連れて行こうとしたとき、

不意に東条さんのネクタイが視界に入った。


「ネクタイ。」


「え?」


私は東条さんのネクタイを指差した。


「ネクタイ、緩んでる。」


「あぁ。ネクタイ上手く結べないんだよね。」


「簡単な結び方あるよ。」


私は紗季さんに教えてもらった結び方を東条さんに教えた。

そういえば、紗季さんがネクタイを結んでいるところを見たことがないけど、どうして知っていたんだろう。

大人はみんな知ってるのものだと思ってたけど、紗季さんの制服もネクタイだったのかな。


「おぉ!一瞬で綺麗に!本当に簡単だし!

ありがとうね!月乃さん!」


「うん。」


「君の友達にも教えてあげたほうがいいんじゃないかなー。」


東条さんは陽を見て揶揄からかうように笑った。


「うるさいな。今の見て覚えたから大丈夫。」


「直してあげる。」


「だから大丈夫だって。」


私が陽のネクタイを直している姿を見て東条さんは笑っていたけど、揶揄っている様子はなかった。


「そういえば、最近妙な噂を聞いたんだけど知ってる?」


「噂?どんな。」


陽は面倒そうに聞いた。


「私も流れ着いた噂を聞いただけだから詳しくはわからないけど、最近教師や生徒が立て続けに学校に来なくなってるらしい。」


「なんだそれ。心霊現象?」


「まさか。風邪かなんかじゃない?」


心霊現象と茶化していたけど、陽は何か気になる様子だった。


「陽?」


「噂になるのは理由があるのかも。」


「理由って?」


東条さんが不思議そうに聞いた。


「立て続けに来なくなるって生徒だけでも只事じゃないのに、教師までなんて。

もし嘘ならそんな噂広まらないと思う。」


「確かに。」


「本当のことなのか調べてみようか。」


「本気?やめろとは言わないけど、あまり詮索しない方がいいと思うよ。

私が話したことで揉め事になったら後味悪いし。」


「ただ何人かの生徒に聞いてみるだけだよ。」


「私も手伝うよ。」


「ありがとう。」


そうして、私と陽で噂の真相を調べることになった。

調べていくと、学校に来なくなった生徒や教師には共通点があることがわかった。

教師には体罰や理不尽な指導、生徒にはいじめや過度ないじり行為といったものだ。

適切な表現ではないかもしれないけど、立場を利用した虐待行為、という印象を受けた。

私と陽が気になったことは学校に来なくなった人が " 被害者 " ではなく " 加害者 " ということ。

誰もが疑問に思いそうなものだけど、周囲の人は不思議に思いながらもあまり気に留めてはいないようだった。

噂は単なる噂で、数ある話題の中の1つでしかないのだろうか。

多くの生徒はそうでも、学校に来なくなった生徒と親しく標的になり得た生徒からは明らかに、関わりたくない、という空気を感じた。

私たちは説得するように、話しを渋る生徒たちから真相を聞き出した。

そうして浮かび上がってきたのが、黒咲結織、という生徒だった。

黒咲は問題のある生徒や教師を恐喝していたらしいけど、どんな方法で恐喝していたのかはわからなかった。

教師までも学校に来なくなるほどの脅しのネタはそう簡単に手に入らないだろうと当時は考えていたけど、冷静に考えてみれば教師のように立場のある人間からすれば、体罰や行き過ぎた指導はそれだけで命取りになり、生徒も人気があり友人が多ければ失うものも多くなる、ということだろう。

だけど、この話で重要なことは、

黒咲が何をしたか、どうして恐喝をしているか、

ではない。

重要なのは、私たちが黒咲と会って話しをしたということ。

私たちは恐怖とも呼べるほどの緊張感を持ちながら黒咲を呼び出した。

ただ普通に交流する生徒もいないのに、まるで喧嘩を売るかのように呼び出して平常心でいられるほど無神経ではなかった。

それなのに呼び出したのは正義感からか、単なる好奇心なのか。

そのどちらかにしても、そのどちらか以外だとしても、この行動が私たちの全てを変えた。


「で、話しって?」


呼び出された黒咲は全く動じていなかった。

黒咲は私たちを睨みつけるような視線を送ってきた。


「単刀直入に聞くと、君が教師や生徒を恐喝しているという話しを聞いた。」


「それで?」


否定も肯定もない。黒咲は隠しているつもりは全くなく、この圧力に怯えて周りが勝手に核心を避けていただけだった。


「どうしてそんなことを。」


「説明してどうする。

お前たちはそんなことは良くないって説得するだろうが、私はやめない。もういいか?」


「いいや、ダメだ。

いくら問題がある人間でも、君に人を裁く権利はない。」


「自分の手の届く範囲だけ手を出して、自分から見える範囲だけ見て知ったような口聞くなよ。

そいつらに苦しめられてる人間の存在すら知らないくせに。

手頃な正論振りかざして得意になりやがって。

アイツらが何をしてたのか知ってんのか?

人の揚げ足取って弱み握って、正論に見せかけた暴論を武器にして人の心を踏みにじる。

間違いを犯したなら、間違いを正すだけで十分だろ。

どいつもこいつも、不必要に人格否定や存在否定をしやがる。

アイツならああ言われても仕方ない。

あの人が言うなら正しい。

正しさは行いで判断されるべきで、立場で判断されるべきじゃないだろう。

自分の間違いも正せないくせに聖人ぶりやがって。

そもそも、私が恐喝した奴らがいじめや体罰をしていた相手は間違いすら犯してない人がほとんどだ。

理由は単に気に食わないから。

頼んでもないのにわざわざ欠点を見つけて、勝手にストレス溜めて怒りをぶつけてくる。

バカにすれば周りが喜ぶから、自分の優越感のためにどうでもいいことを大袈裟にして騒ぎやがって。

気に食わないなら放っておけよ。

勝手に自分の世界に引き込もうとするな。

勝手に人の世界に入ってくるな。

お前らも同じだとは言わない。

お前たちの信念や行動は否定しない。

だけど、これ以上は入って来るな。」


「君に、何があったの?」


一瞬、自分が口にしたのかと錯覚するほどに、

陽の問いかけと私の思考は一致していた。


「私はやめない。」


黒咲は陽を真っ直ぐに睨みつける。

立ち去っていく黒咲に、私たちは何も言うことができなかった。


「彼女に何があったんだろう。」


「わからない。でも…苦しんでる人がいたのは本当だと思うし、彼女のおかげで救われた人もいるのかも。」


「そうだけど。正当防衛や法が定めた刑罰なら正しいと思う。

だけど、そうでないなら誰かを救うために誰かを苦しめるのは正しいとは思えない。」


「彼女が裁いているのは、そういうもので裁けない人たちなんじゃ…」


「彼女の方が正しいと思うの?」


「違う!陽が間違ってるなんて思ってないよ。

ただ…彼女が間違っているのかもわからない。」


永遠とも思える沈黙が流れた。

こんな話しがしたいわけじゃない。

話したいことがたくさんあるのに。

ただ、笑って話していたいだけなのに。


「そっか。」


陽は力なくつぶやいた。

陽のそばにいたいと思って、陽の力になりたいと思って協力していたけど、東条さんに言われた通り詮索するべきじゃなかった。

ちゃんと考えて行動するべきだった。

後日、陽が額の左側に大きなガーゼを付けて登校して来た。私は慌てて陽のそばに駆け寄った。


「陽、どうしたの?大丈夫?」


「大丈夫だよ。」


陽はバツが悪そうに笑顔を見せた。


「何があったの?」


「いや…別に、ちょっとぶつけただけ。」


誤魔化す陽の態度で何があったのか察しがついた。


「黒咲さんにやられたの?」


陽は明らかに動揺している。


「許せない。」


「大丈夫だから。もう1度話してみようと思って、私も彼女を責めるような言い方をしたのが悪かったんだよ。

立ち去ろうとした彼女の道を塞ぐような幼稚なことして、押しのけられたときに体勢崩しただけだから。

桜の言う通り、彼女に少しは理解を示すべきだったんだよ。」


「私はアイツを認めたわけじゃない!」


「わかってる。落ち着いて。

本当に大丈夫だから。ごめんね。桜の気持ちも考えないで。」


「そんなこと…。」


「私は大丈夫だから。心配してくれてありがとう。」


陽は私の両手を包み込むように握ってくれた。

優しく握る手を見て、陽は黒咲が憎くて話しをしに行ったわけじゃないと感じた。

それなら、私も感情的になってはいけないと、自分を抑えた。

その日の放課後、校門前の掃除を終えたあと校舎の外階段を見ると、1階と2階の間の踊り場の手すりに座っている黒咲が目に入った。

そのとき私は、そうすると決めていたんだろうか。

覚えていない。

覚えているのは、階段の前に立つ私を、座ったまま見下ろす黒咲と睨み合っていたこと。

私には、感情と呼べるものがなかったこと。


「またか。」


黒咲は呆れたように、溜息混じりに言葉を吐いた。


「また、正義のヒーローごっこか?」


私は階段をゆっくりと上がって黒咲に近づいていく。


「私がここに来た理由は正義のためなんかじゃない。」


1歩1歩、私の心から温度が失われていく。


「お前を裁くためでもない。」


1歩1歩、心が氷に埋もれていく。


「誰かを救うためでもない。」


そして、黒咲の前に立った。


「じゃあ何しに来た。」


「知るか。」


私は黒咲を突き飛ばした。

そして、黒咲が完全に体勢を崩したところでネクタイを掴んだ。

黒咲はなんとか足だけ手すりに引っかかっているものの、もう自力で上がることはできない。


「何のつもりだ?泣いて謝れとでも?」


「泣いても謝っても、私の非力な腕じゃもう引き上げられない。」


「運が悪ければ死ぬかもな。」


「運が良ければ、でしょ。」


「クソ女。」


そして、ネクタイは私の手から離れていった。

私の視界から消えた黒咲を追うことはしなかった。

何か鈍い音がしたけど気にならない。

下に落ちた黒咲を確認する気にもならない。

そのまま階段を上がり、教室に戻り帰り支度をする。

いつも通りの放課後。


「陽。また明日ね。」




end.

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