救うべき人

2022年11月




「あれだけ協力してくれたのに、

ご厚意を無駄にするような結果になってしまい、

すみませんでした。」


私は先日の猫の件について、黒咲先輩と朝水先輩に謝罪すべく会いに来た。珍しく朝水先輩は不在だ。


「お前、偽善者になりたいのか?」


「え?」


「助けられなかった後悔を事務的な問題にすり替えるな。

私もあの猫の命に関わった人間の1人だ。

私は私に出来る最善を尽くしたつもりだが、

結果は判断力と想像力が欠如していたものになった。

最善の対応とは言えなかった。

私はその事実を理解して受け入れている。

あの猫の命に関して君が謝罪すべき人間はいない。

君は君の最善を尽くした。そうだろ?」


「はい。」


「自分を責めても物事の本質を曖昧にするだけだ。

結果は結果として受け入れるしかない。

自分を責めてる自覚はないだろうが、

そういうのはクセになる。

自分を責めて選んだ道は大抵悪い道だ。気をつけろよ。」


「ありがとうございます。」


「慰めたつもりはない。」


「自覚がないだけですよ。」


黒咲先輩は嫌悪感を隠すことなく私を睨んだ。


「すみません。」


「その謝罪はもらっておく。

ほら、もう部室に戻れ。こっちは忙しいんだ。」


「はい。失礼します。」


振り返り扉に向かって歩いていると、カタカタと忙しなくキーボードを叩く音が聞こえてくる。


「なぁ。"ボースト"ってサイト聞いたことあるか?」


私が扉に手を掛けたとき、何の前触れもない質問が投げかけられた。

一瞬、私にではないだろうと無視しかけたけど、

今、生徒会室には私と黒咲先輩しかいなかった。


「ボースト?聞いたことないです。」


「緋凪も?」


「わからないですけど、少なくとも話題に上がったことはないです。なんのサイトですか?」


黒咲先輩は珍しく口篭っている。

私に情報を与えるべきか悩んでいるんだろうか。


「まぁ…くだらない学校内の噂話を掲載している、いわゆるゴシップサイトってやつだ。」


「うちの学校の?」


「最初はそうだったみたいだが、

2年前から他校のものも掲載し出した。」


「どうしてそのサイトのことを?」


黒咲先輩は、お腹に溜まった憎悪をすべて吐き出すかのような深い溜め息をついた。


「PTAが騒ぎ出して、火消し役に生徒会が選ばれた。

使えない教師どもが、他校にまで広がってんなら生徒会の範疇超えてんだろうが。」


怖い。


「それは何となく察しがつきましたけど、

どうして私に?黒咲先輩が何の当てもなく私に聞いたとは思えなくて。」


黒咲先輩は再び私を睨んだ。だから怖いって。


「ものしらべ同好会の信者覚えてるだろ。

アイツらはみんなゴシップサイトの被害者だ。

まぁ、前任者と接点がないから何も知らなくて当然。

ただ、接点がなくても同じ屋号の同好会だ。

何か情報を得たら教えてほしい。」


「わかりました。」


「あと、サイトのことは、とりあえず緋凪には伏せておけ。」


「じゃあ…これは、ものしらべ同好会にではなく、私個人への依頼ですか?」


「どう捉えても構わない。

ただ、言ったことはそのまま受け取れよ。」


黒咲先輩の言葉は恐ろしいほどに端的で効率的だ。

理不尽に聞こえなくもないけど、変な気遣いをして遠回りされるより、伝える側も聞く側も話が早くていい。

部室に戻ると陽先輩はいなかった。

伏せておけと言われてるし、

今のうちにゴシップサイトを見てみるか。

確かにくだらない噂話が多いけど、

その書き方に悪意を感じる。

要点を取り出せば大した内容はなく、

誇張や憶測によって感情を煽るような攻撃的な文章が目立っていた。

2年前から他校にまで広がっていったと言っていたけど、発端は恐らくこの " ひいらぎつばさ " の記事からだろう。

その後も他校の記事は2割程度だから、

投稿者は燕ヶ丘の生徒で間違いないだろう。

今年の3月以降は更新頻度も、記事のエリアも

まばらということは卒業生か?

この程度なら黒咲先輩も気づいているよな。

そもそも、被害生徒と同好会の信者を結びつけるのも容易じゃない。

それを断言できるほどに調べ上げてるなら、

私に介入の余地はないか。

そのとき、部室の扉が開き、

陽先輩と見知らぬ女子生徒が一緒にいた。


「入って。」


「失礼します。」


女子生徒は礼儀正しく入り口で足を止め、

一礼してから入ってきた。


「はじめまして。2年の緒方姫奈です。」


「はじめまして。1年の青葉美希あおばみきです。」


さっきよりも深く頭を下げて挨拶をする姿は、

とても同じ高校生とは思えない落ち着きを感じた。

頭を上げる途中で、机に置いたゴシップサイトを開いたままのスマホに目が止まっていた。


「どうぞ、座ってください。」


不思議とバツが悪い気持ちになり、誤魔化すようにスマホを取って、私が座っていた席へ誘導した。


「それで、今日はどうして?」


陽先輩が尋ねると、彼女は陽先輩と私を交互に見た後、再び陽先輩に視線を戻し、話しはじめた。


「私の姉、青葉心希あおばここのはこの学校の卒業生です。

今年卒業しました。

そして先月、自ら命を断ちました。

原因はこの学校で起きたいじめです。」


あまりに突然の告白に言葉を失った。

陽先輩が声を掛けようとしたけど、それを遮るように続けた。


「今日お2人に会いに来たのは、お願いがあるからです。

姉は遺書と共に1通の手紙を遺しました。

その手紙は姉の同級生で、この同好会の前部長である " 泉海栞雫いずみかんな " さん宛です。

遺書は家族1人1人に宛てた手紙のようなものでした。

家族と同じように遺したものなら、私は本人に届けたいと思ったんです。

両親は手紙の内容を見てから判断しようと言ったんですが、私は反対しました。」


青葉さんは何かを堪えるように言葉に詰まった。


「だって、そうじゃないですか。

勝手に手紙読むなんて、

お姉ちゃんが死んだからできることでしょ?

私は、そんな形でお姉ちゃんの死を受け入れたくないんです。」


青葉さんが今にも泣き崩れそうな気持ちを必死に押し殺していることが痛いほどに伝わってくる。

陽先輩は何も言わずに、青葉さんの隣に席を移った。

声を掛けてあげたい気持ちはあるけど、

今の青葉さんには慰めや励ましの言葉ほど、

残酷に聞こえてしまうような気がする。

呼吸を整えた青葉さんは再び話しはじめた。


「学校に事情を説明して泉海さんの家の連絡先を教えてもらったんですが、泉海さんは高校卒業後に家を出ていて、今は家族でも連絡がつかないらしいんです。

今の同好会が泉海さんとの繋がりがないのは知っています。

だけど…誰を頼ったらいいのかわからなくて。」


「私たちで良ければ協力するよ。」


「私と陽先輩で、同じ学年の人に聞いて周れば知ってる人がいるかもしれない。」


「あの、もしかしたらなんですが、泉海さんと…

姉とも接点がある人に心当たりがあります。」


「誰?」


「先生に頼んで連絡先を教えてもらいました。

一応先生の方から本人に許可をもらっています。」


青葉さんは紙に書かれた連絡先を差し出した。


「まだ私からは連絡していません。

" 空賀英二くがえいじ " という人で、

その人も同好会にいたらしいです。

勝手なことばかりで申し訳ないのですが、

私はその人に会いたくありません。ただ、あの…」


「その人に会ってみるよ。」


これ以上青葉さんが話さなくて済むように、

陽先輩が言葉を受け取った。


「ありがとうございます。」


青葉さんは鞄から静かに手紙を取り出して、

陽先輩に渡した。


「1週間後に姉の葬儀があります。

手紙を読んで、もし来ていただけるなら、

姉に会いに来てほしいと伝えてください。」


「わかった。」


「それでは、私はもう失礼します。」


「うん。何かわかり次第報告するよ。」


「ありがとうございます。」


青葉さんは、今にも爆発しそうな感情を必死に抑えているようだった。

足早に部室を出ようとしていたけど、

部室の扉に手を掛けたまま立ち止まり、

再びこちらに振り返った。


「あの、よろしくお願いします。」


深々と頭を下げた彼女には、決意のような力強さを感じた。

陽先輩が空賀英二に電話すると、ある程度話しが通っていたこともあり、特に警戒されることもなく話しが進んで会って話すことになった。

ただ、青葉心希さんが亡くなったことで親族の方から話しがあると聞いていたらしく、陽先輩からの連絡に少し動揺していたらしい。

陽先輩は自分がものしらべ同好会を引き継いだことと、泉海栞雫さんに会って伝えたいことがあることを付け加えて説明した。

そして、明日の放課後に駅近くのカフェで会うことになった。

指定されたお店は『旅ノ人』という名前のこぢんまりとしたカフェ…というより喫茶店というのが相応しい、親しみやすい雰囲気のお店だった。

扉を開けると、扉に付いた鈴がチリンチリンと音を立て、小さくて狭い店内に響いた。


「いらっしゃい。待ち合わせかい?

好きな席に座って。」


低く渋みのある声の店主が出迎えた。

店内を見渡す様子を見て察したのか、

店主の勘なのか、慣れたように誘導した。

店内には椅子が5脚並んだカウンター席と、

2人用と4人用のテーブル席が2組ずつある。

私たちは4人用のテーブルに隣り合うように座った。


「先に何か飲むかい?」


「じゃあ、コーヒーを。」


「私も。」


「無理にコーヒーを頼まなくても大丈夫だよ。

ジュースとまでは言わないけど、紅茶とかもあるから。」


「いえ、コーヒーの良い香りがするので是非。」


「私も同じです。」


店主は嬉しそうに頷くと、ゆっくりとコーヒーを淹れはじめた。

店内にはレコードがかかっていて、油断すると何をしにここへ来たのかを忘れてしまうほど居心地が良い。

運ばれてきたコーヒーはすごく良い香りで、

正直コーヒーなんて数える程度しか飲んだことがなく、飲み切れなかったらどうしようと不安に思っていたけど、その香りだけで不安が消え去り、

コーヒーにして良かったと気持ちが高揚するほどだった。


「とても美味しいです。」


「うんうん!」


「それは良かった。おかわり欲しかったら遠慮なく言って。」


店主が淹れたコーヒーを飲み、2人ですっかりリラックスしてしまった。

そして、もう一度コーヒーを口に運ぼうとしたとき、再び鈴の音が店内に鳴り響いた。


「いらっしゃい。」


「どうも。

申し訳ない。待たせたみたいだね。」


どうやらこの人が空賀英二のようだ。

お洒落で清潔感のある好青年という印象だけど、

どこか影があり、不思議な威圧感を纏っていた。


「すみません。オレにもコーヒーを。」


店主に告げると、私たちの前の席に座った。


「まさか、同好会を引き継いでいる生徒がいるとは思わなかった。」


「私たち2人とも、ものしらべ同好会のことは知らなかったので、引き継いだというより、

偶然が重なって看板を借りる形になりました。」


「そう。君たち2人だけ?」


「はい。」


「なら、きっとオレたちのときより健全な同好会になってるな。」


含みのある言い方が気になるけど、その辺に立ち入るべきか悩んだ。

妙な緊張感があるのは、青葉美希さんが言っていた、空賀英二には会いたくない、という言葉が頭をチラつくからだろう。

どうして、という気持ちが今になって強く湧いてきた。

陽先輩も同じ気持ちなのか、間合いをはかっているように感じる。

気まずい沈黙になりかけたのを助けるように、

店主がコーヒーをテーブルに置いた。

空賀さんがコーヒーを一口飲んだ後、陽先輩が本題を切り出した。


「今日は青葉心希さんが亡くなったことと、

泉海栞雫さんについてお聞きしたいと思っています。」


「おっと。」


店主のとぼけたような声が聞こえてきたかと思うと、店の裏に行ってしまった。

気を遣ってくれたのだろうか。

店主に向けた視線を戻し、空賀さんは話しはじめた。


「話せば長いが、君たちはそんなこと気にしなさそうだね。」


「はい。知っていることを全て話してください。」


「じゃあ全てのはじまり。ものしらべ同好会の話からだ。

ものしらべ同好会は、最初ミステリーオタクの集まりだった。確か10人くらいだったな。

ミステリー小説や映画について語り合う集まりが、次第に学校で起こった不思議なことについて推理するようになっていった。

と言っても、せいぜい無くした物を探すくらいのものだったが、そのうち悩みを抱えた人の相談に乗るようになった。

泉海は元々面倒見の良い性格だったから、そういった活動に前向きだった。

泉海の人柄もあって相談者は日に日に増えていった。

性格の良さだけでなく、泉海は人との距離感の取り方が上手かった。

問題を解決するというより、話を聞くことに専念して深く立ち入りすぎないようにしてた。

そういうところが相談する方からすれば良かったんだろう。

だが、そんな良い雰囲気は長くは続かなかった。

オレも泉海も、まともに同好会に顔を出していたのは1年までだ。

そうなった原因は"ボースト"というゴシップサイト。

そして 、そのボーストを作ったのがオレだ。」


まさか、ここでボーストとバッティングするとは。


「どうやら、ボーストのことを知ってるみたいだな。」


動揺したのを見抜かれた。


「はい。今、問題になってるみたいで、

うちの生徒会で調べているらしいです。」


言った後に、陽先輩には伏せておけと忠告されたことを思い出した。

だけど、陽先輩はあまり気に留めている様子はなく、話の続きを待っていた。


「そうか…じゃあボーストについても説明しよう。

泉海と青葉のことを話すなら、どのみち避けられない話だ。

人の悩みを聞いてるうちに、オレはあることに気がついた。

人が恐れているのは " 自分が傷つけられること "

ではなく" 自分が他人を傷つけること " だと。

端的に言えば " 加害者として扱われること " を恐れて " 被害者として扱われることを望んでいる " ということだ。」


「それは随分、ゆがんだ見解だと思いますが。」


「だが事実だ。人間関係のひずみは大抵そこからはじまる。

みんなが被害者の椅子を奪い合って必死になってる。

誰か自分以外の人間を加害者の椅子に座らせないと落ち着かないんだ。」


「それでゴシップサイトを?」


「そう。ゴシップサイトを使って被害者の椅子を提供していた。」


していた?


「ボーストはブラフの語源、要はハッタリだ。

真実なんてない。架空の加害者を生んで誰も傷つかないようにしていたんだよ。」


「あの、さっきから過去の話みたいに言っていますけど、サイトは今も稼働していますよね?

それにあなたの言うように、誰も傷つかないとは思えません。」


「話を急ぐな。ちゃんと説明する。

君の言う通り、今のボーストはオレの理想とはかけ離れてる。

実際ボーストの運営はオレの手から離れてるしな。

同好会が悩みを聞くようになったのは、1年の夏休み明けだった。

ほどなくしてボーストを立ち上げたが、共同で運営していたヤツがいた。

パソコンに詳しかったから手伝ってもらっていただけで記事はすべてオレが書いていた。

オレの目的は伝えていたし、理解してくれていると思ってた。

だが、2年になって間もなく、そいつは暴走した。

君は今のボーストを見ているみたいだから、わかるだろう。

そいつはオレの考えとは真逆の、加害者の椅子を用意するサイトに変えやがった。

記事はオレが書いていたが、サイトの管理はそいつがやっていたから、暴走しても止めようがなかった。

もちろん止めようとしたが、結局は決裂してサイトを手放した。

泉海がどの時点でボーストの存在に気づいたのかはわからないが、オレが手放してからボーストが原因での悩みが急増した。

その辺りから泉海は同好会にあまり顔を出さなくなった。

泉海の保つ距離感じゃ何も救えなくなったから。

泉海は部長として同好会に席は置いていたが、

表立った活動は他の部員に任せていた。

詳しくは知らないが、アドバイザーみたいな立ち位置だったんだと思う。

本当は関わることすら辛かったはず。

良くも悪くも責任感が強い人間だから、投げ出すことは出来なかったんだろう。

部員のことも心配だったんだろうし。

泉海は同好会のサポートとは別に、悩んでいる人や困っている人の話しを聞いて支えていた。

泉海の距離感で救えるように。

そこで出会ったのが、青葉心希だ。

オレは青葉と同じクラスだったが、特に印象に残るタイプじゃなかった。

根暗でもなければ、根明でもない。

クラスで浮いた存在ということもなく、むしろ問題なく馴染んでいると思っていた。

まぁ、これだけ曖昧な表現しか出てこない程の、

ただのクラスメイトだった。

だけど、青葉はいじめにあっていたらしい。」


「同じクラスなのに、気づかなかったんですか?」


「じゃあ聞くが、君は同じクラスのヤツなら昼に何食ったか把握してるのか?

何を見て、何を話して、どんな表情をしているか。

人は自分が思っている以上に他人を気にしていない。

例え目にしていても、いちいち記憶していないし、

知っていると思っていても、そんなのは氷山の一角で、本質を捉えるには不十分だ。

いじめはドラマみたいに派手なものばかりじゃない。

実際は普通の会話の様に聞こえる。

だから抜け出せないんだ。被害者も、加害者も。

泉海はクラスが違っても、青葉のいじめに気づいたらしい。

オレは青葉と同じクラスだったし、同好会立ち上げメンバーだったこともあって、泉海から相談された。

情けなかったよ、泉海から話しを聞くまで全く気がつかなかった。

知ったところで何もできなかったけどな。

あからさまに暴言や暴力を振るう姿を見れば止められたんだろうが、そんな単純じゃなかった。

いじめの恐ろしさを痛感したよ。

泉海は青葉が気持ちを溜め込みすぎないように努めた。

電話やメッセージで学校以外でも話しを聞いていた。

その中で青葉に勧めたのが、ポジティブノートだ。

後ろ向きな気持ちを前向きな言葉に変えてノートに書いていた。

2人で言葉遊びをするように楽しみながらやっていたみたいで、青葉の笑顔も増えていったらしい。

その笑顔を壊したのが、ボーストだ。

ポジティブノートの存在をどこで知ったのかはわからないが、それを悪口ノートなんて嘘の記事を書きやがった。ご丁寧に青葉の名前も添えてな。」


「ふざけてる。」


たまらず声が漏れたように、陽先輩が言った。

私も怒りが込み上げてきた。

心希さんだけはでなく、

美希さんの無念を思わずにはいられなかった。


「いじめの存在に気づいても、

止めるどころか、加担するヤツもいる。

本人はそんなつもりないんだろうけどな。」


力なく語る空賀さんからも、無念や後悔を感じる。


「青葉は学校に来なくなった。

泉海は青葉を支え続けていたみたいだが、

オレにも何も話さなくなったから、

2人がどんな関わり方をしていたかはわからない。

ただ、一度だけオレも青葉に会いに行った。

記事を書いたのはオレじゃなくても、ボーストを生み出したのはオレだ。

自己満足かもしれないが、ちゃんと謝りたかった。

青葉は、オレのせいじゃないと言ってくれたよ。」


空賀さんは涙を堪えるように、言葉を振り絞っていた。

きっと、そのとき美希さんは空賀さんの存在を知ったんだろう。

そのときどう思ったのかはわからないけど、

心希さんが亡くなったとき、怒りの矛先が空賀さんに向かった。

空賀さんには悪いけど、真っ当な反応に思える。


「これが、オレが知ってることの全てだ。

経緯がどうであれ、

青葉のことを知らせてくれてありがとう。

泉海とはオレも連絡がつかない状態だが、心当たりがある。

君たちが会えるように、できる限りのことはするよ。」


「ありがとうございます。」


お礼を言う陽先輩に続いて、私も軽く頭を下げた。

心希さんの葬儀のことを伝えようか迷ったけど、

陽先輩が葬儀について触れようとしないのなら、

私もそうするべきだと思った。

落ち着かない気持ちを逃すように、私たちはコーヒーへ手を伸ばした。


「おっと。」


すると、お店の奥から店主の声が聞こえてきた。

3人が声のする方に目を向けると、店主が顔を出した。


「コーヒー冷めただろう。おかわりサービスするよ。」


3日が経った頃、空賀さんから連絡があった。

相当苦労して、ようやく泉海さんと連絡がとれたらしい。

心希さんが亡くなったことや、手紙のこと、

そして、私たちが空賀さんから聞いた話しを伝えたみたいだ。

空賀さんはどんな想いで話したのだろうか。

そして泉海さんはどう思ったんだろう。

それは想像することすら難しいけど、

泉海さんは私たちに会ってくれるみたいだ。

本人の希望で、ものしらべ同好会の部室で会うことになった。

心希さんの葬儀を2日後に控えた日に。

迎えはいらないので部室で待っていてほしいと言われたので、私も陽先輩も放課後部室に集まって待っていた。

部室は不思議な緊張感に包まれている。

緊張しますね、と言って空気を変えようと思ったけど、その言葉も出ないほどに落ち着かなかった。

そのとき、ドアをノックする音が部室に響き渡った。

ゆっくりと優しい音が、強張った身体から力を抜いた。


「どうぞ。」


陽先輩が応えると、ドアが開いた。


「こんにちは。」


泉海さんは控えめな笑顔を私たちに送る。

私はその笑顔を見て、ドキドキと胸が高鳴るのを感じた。

緊張とは違う、不思議な高揚感。

この感じには…身に覚えがある。


「こんにちは。どうぞ座ってください。」


挨拶を返すことも忘れ、ただ泉海さんを見つめるだけの私をよそに、陽先輩は優しくも冷静に招き入れた。


「ありがとう。」


家族とも絶縁状態で、友人との関係も絶っていると聞いていたので、もっと塞ぎ込んでいると思っていたけど、泉海さんはとても穏やかで落ち着いている印象だった。


「久しぶりね。」


「覚えていてくれたんですね。」


「もちろん。あなたが私のことを探していると聞いて、会いに来ることを決めたの。」


「ありがとうございます。」


「あなたが同好会を引き継いでくれたことには驚いたけど、嬉しかった。」


「私も、泉海さんがものしらべ同好会の人だと知らなかったので、驚きました。」


やっぱり2人は知り合いだったのか。

今回、泉海さんの名前が出たとき、前に陽先輩が泉海さんの名前に反応していたことを思い出して、

ずっと気になっていた。


「あなたが緒方さん?」


空賀さんから聞いていたのか、

泉海さんは確認するように尋ねてきた。


「はい。はじめまして。緒方姫奈です。」


「はじめまして。泉海栞雫です。

今日はありがとう。」


「こちらこそ、ありがとうございます。」


私たちの会話を見届けた陽先輩は、机の上に用意していた心希さんの手紙を泉海さんに手渡した。


「これを、泉海さんに。」


泉海さんは手紙を見つめた後、陽先輩に視線を向けた。

不安そうにも見えたけど、その感情を察するには、

私は泉海さんのことを知らなさ過ぎる。


「青葉心希さんの妹さんから預かりました。

遺書は家族1人1人にと、泉海さん宛のものだけだったそうです。

私たちはもちろん、ご家族も内容は知りません。

妹の美希さんは、手紙を読んで、もし良ければ葬儀に来て欲しいと言っていました。」


「そう。今ここで読んでも良い?」


「もちろんです。」


「ありがとう。」


泉海さんはゆっくりと便箋から手紙を取り出した。

緊張しているというより、手紙を大切に扱っているような感じだった。

1つ1つの所作や、手紙を読む視線にまで優しさが滲み出ていた。

手紙の内容がどんなものなのか、

泉海さんがどんな想いで手紙を読んでいるのか、

何もわからないけど、詮索する気にもならない。

泉海さんを見守るように、とても静かな時間が流れた。

手紙を読み終えた泉海さんは、手紙を丁寧に便箋へと戻した。

そして…手紙を見つめながら、泉海さんは想いを語りはじめた。


「私はね、私に悩みを打ち明けてくれる人の未来を守りたくて話しを聞いてきたの。

心に負った傷を癒してあげたくても、やっぱり何もなかったことにはできない。

なかったことにしてあげたいけど、無理なの。

だから私は、この先の未来は心配ないよ。

大丈夫だよって伝えたかった。

悩むことだって、傷つくことだってある。

罪悪感に押し潰されそうになることも。

だけど、それと同じくらい…ううん、それ以上に、

自分のやりたいこと、楽しいと思うことに、

ワクワクしながら生きていて良いんだよって。

その人の痛みを同じように感じることができないことはわかってる。

無責任だってことはわかってる。

だけど…伝えたかった。

あなたが…私のそばにいてくれることが嬉しいって。

ずっとそばにいてほしいって。

あなたに…生きていてほしいって、伝えたかった。

私は、私は…。

未来がある、そのことに恐怖を感じることもあるよね。

私…なにもしてあげられなかったのに。

私のことなんか、気にしなくて良かったのに。

どうして?…心希ちゃん。

ずっと、ずっと笑っていてほしかったよ。

ごめんね。…ごめんね。」


泉海さんは、子どものように声を上げて泣き出した。

何度も、何度も謝って。

まるで心希さんを抱きしめるかのように、

手紙がくしゃくしゃになるまで握りしめて、

顔をうずめて泣いている。

私も涙を堪えられなかった。

悲しいから?悔しいから?

わからないけど、泣いちゃいけない気がして。

泉海さんに知られちゃいけない気がして。

スカートを力いっぱい握りしめて、歯を食いしばって我慢しようとした。

それでも、涙は溢れ続けた。

気がつくと、陽先輩は泉海さんの横に立っていた。

そして、手紙を握りしめる泉海さんの手を握った。


「私は泉海さんに未来を救われました。

人と関わることに悩んでいた私を泉海さんが助けてくれました。

泉海さんに出会えて良かったって思っています。

泉海さんは私に言ってくれました。

あなたは一人じゃない。

あなたが感じている痛みや苦しみは、

きっとどこかで、誰かも同じように感じている。

あなたが幸せだと思うこと、希望に感じることは、きっとどこかで、同じように想っている人がいる。

寄り添って温もりを感じることができなくても、

ちゃんと繋がっている。

孤独な人なんていない。孤独を感じてしまうだけ。

心希さんにも必ず伝わっています。

泉海さんがそばにいてくれたことが幸せだったと想っています。

大切な思い出になっています。

泉海さんは私の未来を救ってくれました。

私も泉海さんの未来を救いたい。

これは泉海さんの想いが繋いだものです。

泉海さんは立ち上がれる。前に進める。

私は信じています。心希さんも信じています。

辛いことです。受け入れられないことです。

でも、あなたが心希さんの想いを絶ってはいけない。

あなたは心希さんが生きた証なんです。

泉海さん、あなたは一人じゃない。」


陽先輩の目には涙が滲んでいたけど、一滴もこぼれ落ちることなく、真っ直ぐと強く、泉海さんを見つめていた。


「ありがとう。」


泣きながら笑う泉海さんを見て、

私はもう…涙が堪えられなくなっていた。


「あなたが同好会を引き継いでくれて本当に良かった。」


泉海さんが私の方を向いた。


「あなたもありがとう。一緒に涙を流してくれて。」


私は声が出せず、小さく首を振るのが精一杯だった。


「この部室…最後に片付けたのは私なの。

私物は持ち主に返して、学校から借りていたものも全部元あった場所に戻して、床も窓も全部掃除した。

みんな手伝うって言ってくれたけど、意地になってたんだと思う。

罪滅ぼしか、単なる自己満足か…

もしかしたら、私なりの復讐だったのかも。

人も物もなくなった部室で1人ただ座ってた。

何を考えていたのか…考えていたことが多すぎて、言葉にするのは難しいけど、望んでいた結果にならなかったことをずっと悔いていた。

だけどね、1つだけ願いが叶ったの。

それは、あなたたち。

部室の外にものしらべ同好会の名前が残ったままだったでしょ?

本当は部室を離れるときに外そうと思ってたんだけど、わざと残したの。鍵も開けたままにしてね。

この名前が、私をまたここに導いてくれる。

私を救ってくれる。そんな気がしたから。」


泉海さんは陽先輩の手を握り返した。


「ありがとう。」


そして、再び私を見た。


「ありがとう。

あなたたちが救ったのは私だけじゃない。

美希さんと、心希ちゃん。本当にありがとう。」


泉海さんは涙を拭い、ゆっくりと深呼吸をして呼吸を整えたあと、再び手紙を見つめた。

しばらくの沈黙のあと、これまでとは違う、

強い眼差しで私たちを見た。


「私には救うべき人がまだいる。あとは任せて。」


これが本当の泉海さんなんだ。

この人は優しいだけじゃなく、強い意志を持った人だということが、その一言で伝わってきた。

私は泉海さんが関わったものしらべ同好会にいることができて良かったと思えた。

陽先輩を通じて、泉海さんの意志を引き継ぐことができて良かったと思えた。

後日、美希さんが同好会にその後のことを話しに来てくれた。


「泉海さんのこと、ありがとうございました。

泉海さんがお姉ちゃんの葬儀に来てくれて、

本当に良かった。

この前、泉海さんと一緒にお姉ちゃんの部屋を整理したんです。

どうするべきかずっと悩んでたんですけど、

お姉ちゃんの思い出を大切に取っておく為にやるべきだと思ったんです。

お姉ちゃんもそれを望んでいると思うし。

泉海さんがいなかったら、きっとできなかったけど。

ほとんど私と泉海さんとで分けっこして大切に使っています。

お姉ちゃんの部屋から、泉海さんとの思い出を綴った日記も出てきました。

幸せそうな言葉ばかりで嬉しかった。

勝手に読んだこと謝ったけど、許してくれるかな。

私も知らなかったんですけど、2人は最近もよく会っていたそうです。

お姉ちゃんが亡くなる数日前に、泉海さんと撮った写真が日記に挟んであって、そこに写ったお姉ちゃんははじめて見るような幸せいっぱいの笑顔でした。

お姉ちゃんにはもう会えないけど、お姉ちゃんが辛い思いばかりを抱えて…旅立ったんじゃないんだってわかって、勝手だけど少し安心しました。

泉海さんは私や両親のことを支えてくれています。

親身になって寄り添ってくれています。

お2人には本当に感謝しています。ありがとうございました。」


美希さんの表情にはまだ悲しみが残っているけど、以前のように感情を溜め込んでいる様子はなかった。

悲しいときは悲しいと言う。

嬉しいときは嬉しいと言う。

単純だけど、簡単じゃない。

だからこそ、

生きていくためにはすごく大切なんだと思う。


「ゴシップサイトの運営者がわかりました。」


空賀さんがあまり気が進まないと前置きして私に運営者の名前を教えてくれた。

もちろん私が詰め寄ったわけではなく、空賀さんが自主的に教えてくれたので、あの人なりの贖罪なのかもしれない。

私は空賀さんから得たゴシップサイトの情報を全て黒咲先輩に話した。


「ご苦労様。」


「あの、この人どうするんですか?」


「どうって?」


「私はこの人のこと許せません。

もし会って話すなら、私も立ち会わせてください。

コイツには自分がやった事の重さをわからせてやらないと…」


「お前、話聞いてたのか?

ゴシップサイトの対処は生徒会の役割だ。

お前に口出しされる筋合いはない。」


「…すみません。」


「お前コイツのこと吊し上げたいのか?」


「いや…」


「そっちの道に進むな。

正しい意見を持っているときこそ、

自分の行いに用心しろ。

お前のその目には見覚えがある。

前に話したこと覚えてるか?

自分を責めるな。お前のせいじゃない。」


見透かされたようだった。

私は私でも気づかないうちに、得体の知れない罪悪感に押し潰されそうになっていた。


「とにかく、ゴシップサイトのことはこっちに任せろ。

然るべき対応をしてちゃんと後悔させてやるよ。」


「ありがとうございます。」


「ただ…一つ頼みたいことがある。

聞いてくれるか?」


「もちろんです。なんですか?」


「ゴシップサイトに新しく上がった記事が気になる。

どうするべきか悩んだが、その記事のことを緋凪に伝えてほしい。

緒方、お前を信頼して頼む。

その記事のことを伝えたら、緋凪から目を離すな。約束してくれるか?」


「はい。約束します。」


黒咲先輩が信頼という言葉を使って人に頼み事をするなんて、これは異常事態という他ない。

その言葉の重みがプレッシャーとなり、

恐怖に等しい不安が迫り来るのを感じる。

だけど今は、信頼という言葉を素直に受け取ろう。

私は私にできることをやるしかない。

私に救える人がいるなら、救うべき人がいるなら、絶対に救わなければいけない。

私はものしらべ同好会を通じて感じた、たくさんの想いを抱えながら、ゴシップサイトの最新記事を読んだ。

そこに書かれていたのは…



___________________


2022.11.10


水先高校で女子生徒が心中自殺!!


女子生徒の名前は…


藤田 唯


月乃 桜

___________________



end.

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