憧れの先輩

2022年9月




「夏休み明けてすぐに文化祭の準備なんて、

学校って結構呑気だよね。」


黒板に書かれた文化祭の出し物案を見て、

彩は呆れたようにつぶやいた。


「文化祭っていつだっけ?」


「それ、本気で聞いてる?」


「うん。」


「本当、姫奈って学校行事に興味ないよね。」


彩は黒板を指差した。

そこには10月8、9日と書かれている。


「驚愕の事実だ。」


「こっちのセリフ。水咲は11月だって。

1ヶ月も違うのに、うちと同じで今から準備してるらしいよ。」


「水咲?何で他の学校のことなんて知ってんの?」


「前に大会で水咲の子と当たって、仲良くなった。」


「人付き合いが上手いのか下手なのか、よくわからないな。」


「姫奈よりは上手いと思う。」


「なにそれ。そういえば、私も同じ道場に水咲の子がいたような…。」


「ほら、その曖昧さ。」


「うるさいな。」


「ものしらべ同好会は何かやらないの?」


「ものしらべ同好会で何すんの。」


「人生相談?」


「文化祭楽しめなくなるわ。」


「楽しんだことないくせに。」


「平均値くらいは楽しんでます。」


「そんな平均値知らない。

でも、今年は学校側もかなり気合い入ってるみたいだよ。」


「そうなの?」


「なんか例年にはない規模の装飾をして盛り上げるらしい。もう、ほぼ改装工事レベルだって。」


「ふーん。どうして?」


「さぁ?周年イベント?」


「テーマパークじゃないんだから。」


「でも、さもありなんって感じでしょ?

姫奈は生徒会と仲良いし、知ってるかと思った。」


「そんな学校の事情を逐一教えてもらえるほど、

仲良くはないよ。」


朝水先輩ならともかく、黒咲先輩はよほどメリットがない限り、ペラペラと話したりしないだろう。

まぁ、文化祭の装飾くらいのことなら雑談程度に…

いや、まずあの人と雑談なんかできないな。


「もうすぐ3年生も卒業かー。」


彩は独り言のようにつぶやいた。

私を見て少し寂しそうな表情をしたけど、

それは自分の感情というより、私の感情を察してのことだと思う。


「あと半年、あっという間だね。

出会ったばかりなのに、もうお別れなんて寂しいんじゃない?」


「…うん。」


「私も。お互い心残りないようにしないとね。」


心残り…か。

卒業後も、私たちの関係は続くんだろうか。

私だけになった同好会はどうなるんだろう。

関係が続く保証も、同好会を存続させる義理もない。

それは、何だかむなしい気がする。

この空虚な気持ちを打ち消す為にできることがあるのなら、私は私にできる限りのことをしたい。

それが心残りのないようにってことになるのかは、わからないけど。


「やぁ!君が噂の後輩ちゃんだね!」


放課後、部室の扉を開けると、見知らぬ女子生徒が近づいてきた。すごい顔近い。


「陽先輩のお友達ですか?」


女子生徒の顔を避けて陽先輩を見ると、

朝水先輩も陽先輩と向かい合うように座っていた。


「こんにちは。その子、緋凪さんの幼馴染の、

東条さつきさん。」


「幼馴染じゃない。」


2人は声を揃えて否定した。


「ただ中学が同じだっただけ。」


「ちなみに、朝水さんとは友達で連絡先も交換している。」


その情報必要か?


「それで、何かご用ですか?」


「そう!ご用なんだよ!」


だから近いよ。


「陽先輩の友達は変わり者ばかりですね。」


「あら、ごめんなさい。」


「いやいや!中学の同級生は、って意味で。」


「黒咲さんに伝えておこうか?」


「え?黒咲先輩も?」


「今、確かに変わり者ばかりって思ったでしょ?」


「もう勘弁してください。」


「2人とも、本人を前に失礼な会話は控えてもらいたいんだけど。」


「あ、すみません。」


「まぁ、立ち話もなんだから座ってくれ1年。」


「2年です。」


「意外と相性良いかもね。」


「良くないですよ。」


なんだか、ものすごくカロリーを消費しそうな予感がしながらも、私は陽先輩の隣に座った。


「実は出たんだよ!」


東条先輩はスタスタと朝水先輩の隣に座ると、

すぐに話しはじめた。


「出たって何がです?」


「幽霊。」


「どこで?」


「隣の資料室。」


私は無言で席を立ち、陽先輩に深々と頭を下げた。


「すみません。短い付き合いでしたが、

本日をもって同好会を辞めさせていただきます。

失礼します。」


「待て。」


急ぎ足で逃げようとした私の腕を陽先輩が掴んだ。


「勘弁してください!私オバケ嫌いなんです!」


「可愛いところあるじゃないか1年。」


「2年です!」


「姫奈が幽霊を信じるタイプだとは知らなかった。」


「子どもの頃、サンタクロースの話を聞いてから怖くて夜眠れなくなりました。」


「サンタクロースって怖い話だったっけ?」


「地域によるんじゃない?」


「いや、よらないでしょ。」


「海外には悪い子を連れ去るサンタクロースがいるって。」


「なまはげ?」


「だから海外だって。確か黒いサンタクロースだったかな?」


「悪者をなんでも黒くすればいいってもんじゃないよね。」


「わかりやすくていいんじゃない?」


「どうして悪いイメージがあるのかな?」


「ってかそのサンタクロースって悪者なの?」


「悪の定義は難しいね。」


「とにかく!私の前で怖い話はやめてください!」


「なんだよ、つまんないなー。

じゃあもう用事なくなったし、帰るか。」


「ねぇ。」


東条先輩が席を立ったとき、

朝水先輩が陽先輩に声を掛けた。


「私の話し聞いてくれる?ものしらべ同好会として。」


「もちろん。」


陽先輩は、まるで朝水先輩にそう言われることがわかっていたかのように、静かな笑顔で受け入れた。




******




これは、私が8歳のときのお父さんとの話。

お父さんは物静かな人で、

感情を表に出すタイプじゃなかった。

いつもお父さんはどんなことを考えているんだろうって気になってた。

お父さんがテレビを見たり、本を読んでいると、

私はじっと見つめて観察してたの。

何も言わなかったけど、落ち着かなかっただろうな。

お父さんが毎週日曜の朝早くからどこかに出掛けているのを知ったとき、私はたまらず聞いたの。


_お父さんはいつもどこに行ってるの?


_海だよ。


物静かで、運動とは無縁に見えるお父さんが海?

って興味を引かれたのを覚えてる。

今考えれば、泳ぎに行ってるわけじゃないってわかるけど、当時の私は海=海水浴だったから。

お父さんも、もっと説明してくれればいいのにね。大抵一言で済ませちゃう人だから。


_私も行きたい!


あの時の私の気持ちは、言葉では言い表せないな。

実際何も考えてなかったし。

だけどね…ずっと遠くにいると思っていたお父さんが、すごく近くにいるって思えた気がした。

子どもだったし、泳ぎたいってのも少しはあったけど、1番は私の知らないお父さんを知りたいから。

だから、一緒に行きたいと思った。


_そうか。じゃあ、しずくも一緒に行こうか。


お父さんは私の頭を撫でて、嬉しそうにしてくれてたと思う。

日曜日の朝、私は頑張って早起きして、眠い目を擦りながら車に乗った。

だけど、いくら走っても目的地にはつかない。

お父さんは寝てていいよと言ってくれたけど、

私は半ば意地になって起きていた。

ようやく目的地に着いて、お父さんが車のトランクから取り出したのは釣り道具だった。

海は海でも、海水浴とは程遠い堤防釣りだった。

勝手に海水浴と勘違いしたのは私だけど、騙されたような気分になった上に、車に続いてまたひたすら座り続けるだけ。

退屈な時間が続くと、ある疑問が頭をよぎった。

お父さんはどうしてこんなことをしているんだろう。本来の目的である、お父さんへの好奇心。


_退屈か?


_ううん。お父さん、これ好き?


_釣りか?好きだよ。


_どうして?


_楽しいって思えるからだ。


_どうして?


_釣りが好きだから。


当時の私には、なぞなぞみたいな答えだったけど、今ならわかる気がする。

私はお父さんにずっと話しかけてたんだけど、

お父さんは嫌な顔を全くしないで答え続けてくれてた。

ここでなら、お父さんと沢山話せる。

私は、いつの間にか釣りの時間を楽しんでいた。

また行きたかったけど、さすがにもう連れて行ってはくれないだろうと諦めてた。


_しずく、明日も釣り行くか?


翌週の土曜日、お父さんは当たり前のように私を誘ってくれた。

それから毎週日曜日は、私とお父さんで釣りに行くことが日常になった。

私は釣りをやらなかったけど、お父さんと話してるだけで良かった。

一回釣竿持たせてもらったんだけど、怖くてすぐに返しちゃった。

私にとって、あの堤防は釣りをする場所じゃなくて、お父さんと話す場所。

家にいるときよりいっぱい話せるし、いっぱい笑っているお父さんが見られる。

堤防だけじゃない。車の中でもいっぱい話した。

お父さんのお気に入りの曲を聞かせてもらって、

一緒に歌ったりもした。

日曜日はいつも知らないお父さんに会えた。

楽しい話も、悲しい話も、悩みごとの相談も沢山話した。


_お父さん、いつもありがとう。


_いつか、しずくが大人になったら、

今度はお父さんの話しをいっぱい聞いてくれるか?


_うん!いっぱい聞く!


_約束だぞ。嫌がっても聞かせるからな。


私が嫌がって、無理やりにでもお父さんが話しを聞かせる…それはそれで、新しいお父さんが見られて幸せだったんだろうな。

だけど、そんな未来は、もう…来ない。

その日も、私とお父さんは車に乗って海に向かっていた。

その日はね、私の好きな曲を歌えるようになったって、お父さんが歌ってくれてたの。

すごい下手だったけど、私のために練習してくれてたんだよね。

嬉しくて、でも下手なのが面白くて笑ってた。

そんな私を見て、お父さんも笑ってた。

幸せだったな。

だけど…楽しい時間は、幸せな未来は…

突然、奪われた。

覚えているのは、すごい衝撃と音。

気がつくと、私は海にいた。

いつもの堤防の、いつもの場所。

隣にはお父さんもいた。他には誰もいない。

私と、お父さんだけ。


_しずく。平気か?


_うん。


_そうか。良かった。


_お父さんは大丈夫?


_お父さん、もうここには来れない。


_どうして?


_しずくにずっと笑顔でいてほしかったから。


_お父さんと一緒なら、ずっと笑ってるよ。


_そうか。しずくは良い子だから、

お母さんのこと大切にしてくれるよな?


_うん。お父さんもお母さんも大好きだもん。


_ありがとう。


_お母さんに愛してるって伝えてくれ。

しずく。約束守らせてやれないけど、

お前のこと、ずっと愛しているよ。

お父さん、しずくのお父さんでいられて幸せだったよ。ありがとう。


お父さんに声をかけようとしたけど、意識が遠くなって、気がつくと今度は病室で寝ていた。

目を覚ました私を見て、お母さんは泣きながら私を抱きしめた。

お母さんは多分、ずっと泣いていたんだと思う。

私を心配して。

そして…お父さんの死を悲しんで。




******




朝水先輩はとても悲しい表情をしているけど、

涙を流したり、取り乱す様子はなかった。


「ごめんね。重いよね。」


「大丈夫。」


「事故の詳細は聞けないままなの。

あのとき何があったのか、どうして私だけ助かったのか。誰も私に話さないし…私も聞けない。

私ね、当時はお父さんと会えたんだって本気で思ってた。全く疑ってなかった。

最期にお父さんがくれた言葉を、ずっと大切にしてた。

だけど…少しずつ信じる気持ちが薄れていくのを感じてるの。

信じたいって思ってるってことは、もう信じてないってことなのかもって。

あれは、私が見た夢だったのかもって。

ねぇ、緋凪さん。緋凪さんは今の話どう思う?」


「私は信じるよ。」


「どうして?」


「朝水さんを信じてるから。」


朝水先輩は驚いた顔をした後、私に視線を向けた。私も強く頷いた。

続けて視線を向けられた東条先輩も、激しく首を上下させている。


「朝水さんは私たちのことを信じてくれる?」


「うん。信じる。」


陽先輩は、朝水先輩の言葉を大事に受け取るようにゆっくりと頷いた。


「私は、信じたいという気持ちが疑いだとは思わない。

朝水さんは今、子どもの頃には理解できなかったお父さんの言葉や気持ち、そして自分の気持ちを理解できるようになった。

お父さんがくれた想いを取りこぼさないように、

一生懸命になってるだけだよ。

お父さんの言葉に耳を傾けてみて。

朝水さんなら、きっとお父さんの想いを受け取れる。」


「ツライときは私たちがいるよ!」


「お前がいても邪魔なだけ。」


「おい緋凪!お前は…お前なんか嫌いだ!」


反論が小学生。いや、小学生に失礼か。

2人のやり取りを呆れながら見ていると、

朝水先輩の視線を感じた。


「緒方さん。」


「はい。」


「緒方さんがオバケを怖がるのは、

そういう存在を信じてるからでしょ?」


「まぁ…そうですね。」


「私の話を聞いて、どう思った?」


一瞬、質問の意図がわからなかったけど、

すぐに朝水先輩が何を考えているのかわかった。


「ものすごい怖いです!」


私は朝水先輩を真っ直ぐに見つめて答えた。


「ありがとう。」


朝水先輩は照れくさそうに笑ってくれた。

いつも冷静で、実は憧れをも抱いていた頼れる先輩は、こんなふうに笑うんだ。

いつも困っている私に優しく寄り添ってくれるけど、どこか別の世界の人のように感じていた。

でも、今は私のすぐ近くにいる。

やっぱり、朝水先輩はすごいな。

陽先輩のように、私も誰かを救える言葉を…

いや、どんな言葉でもいいから、何か言わなくちゃいけないって、いつも思っていた。

だけど、ずっと言えないままだった。

朝水先輩は私にその機会をくれた。

大切な一歩目を踏み出せるように、優しく手を引いてくれたんだ。


「朝水さーん!辛かったねー!悲しかったねー!

君の奇妙なほどの寛容さはお父さんとの絆なんだねー!」


東条先輩は顔から出せる体液を全て出して朝水先輩に抱きついていた。


「なに急に!?ってか奇妙ってどういう意味!?

鼻水つくから離れて!ヨダレまで!?汚いから離れてよ!」


無理やり引き離された東条先輩に、私はハンカチを渡した。


「ありがとう、1年。」


「2年です。」




end.

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