私を私らしくする人

2022年8月




なぐさめたいってこと?」


「そうは言ってないけど。」


「でも、心配なんでしょ?」


「うん…私のせいかもしれないし。」


夏休みに入ってしばらく経った頃、

霧島さんのこと、合唱部とのこと、

そして…その一件以降の緋凪先輩のことが気になって頭から離れなくなった。

ずっと気になってたけど、休みに入って考える時間が増えたせいだろう。

誰かに話せばスッキリするかもと思い、

彩に電話して話しを聞いてもらうことにした。


「そんな怒ってたの?」


「いや…別にいつも通りだったけど。

なんかどこか余所余所しく思えて…

私が気にしすぎてるせいで、そう思うだけかもしれないけど。

そのまま夏休み入っちゃったし、モヤモヤして…。」


「会えない時間が愛を育むね。」


揶揄からかわないでよ。」


「心配なら連絡してみれば良いじゃん。」


「そんな簡単じゃないよ。連絡する理由もないし。」


「心配してるんだから、理由はあるでしょ。」


「何て話したらいいかわからないし。」


「遊びに誘ってみたら?」


「何するの?」


「緋凪先輩に何したいか聞いてみなよ。」


「自分から誘ったのに?」


「別にいいじゃん。暇だから遊びに行きましょう。緋凪先輩、何したいですか?…よくある会話だよ。」


「何もしたくない気分だったら?」


「そう言われたら、考えてあげる。」


「それじゃ遅いよ。」


「だろうね。」


「彩から誘って、3人で遊びに行く?」


「却下。」


「なんで。」


「あんた私がいたら、私に甘えてなんもしないでしょ。私1人ベラベラ話してたって、何の解決にもならないからね。」


「じゃあ、何したら良いと思う?」


「知らないよ。んー、じゃあ…今度久しぶりにお父さんの実家に遊びに行くって言ってたでしょ。それ誘ってみたら?」


「どうして?」


「何をしたら良いか、私に答えを求めたのは姫奈でしょ。」


「…いきなり?」


「緋凪先輩って、いきなりな展開好きそうじゃん。」


「それはそうだけど…今は違うよ。」


「今の姫奈と話してるとイライラする。」


「ごめん。」


「あのね、姫奈。こんなときだから言わせてもらうけど、私たち緋凪先輩がいなかったら、すれ違い続けていつか絶交してたかも。

かもってのは私の優しさ、絶対してた。

取り返しのつかないことになる前に行動しないと。

具体的に緋凪先輩が何を考えてるのか、

根掘り葉掘り聞けって言ってるんじゃないんだから。

突き放すようなこと言って悪いと思うけど、こっちはもう2時間もこの話に付き合わされてんの!

しかも朝の6時から!同じ話を!ずっとループしてる!落ち込むなら夜にして!私の夏休みを返して!」


「朝型なんだから仕方ないでしょ。」


「はぁ…私が夜型なの知ってるでしょ。

ってか規則正しい生活の人って朝落ち込むの?」


「夜は眠くなるから。」


「本当に落ち込んでんのかそれ。

迷惑かけるようなことじゃないし、心配なら連絡しな。

どんな反応されるのか不安な気持ちはわかるけど、緋凪先輩は簡単に離れていかないから大丈夫だって。」


「それなら、何もしなくても大丈夫かな?」


「姫奈がそれで納得するならいいんじゃない?

緋凪先輩のこと心配するフリだけして、

晴れてものしらべ同好会は解散だね。」


「そんな言い方しなくても。」


「優しい言い方はこの2時間で全部使い果たしたの。」


「わかった。連絡する。」


「フラれたら、私が優しく慰めてあげる。」


「それはいらない。」


「姫奈らしくなってきた。」


「クマは踊ってる?」


「踊りまくってブレイクダンスしてるよ。」


「ありがとう。」


「報告待ってる。次は夜に連絡してよ。」


彩が背中を押してくれて、緋凪先輩に連絡することはできたけど、いざ声を聞くとパニックになり、

半ば無理やり田舎に連れて行くことになってしまった…。

滞在期間は2泊3日。お父さんの提案により、

私と緋凪先輩だけで行くことになった。

私自身、空手の大会でずっと行けていなくて、

最後に行ったのは小学生の頃だったと思う。


「暑すぎ。」


最寄りの駅からは、お父さんの弟である勇次ゆうじおじさんが車で送ってくれることになっている。

最寄りとはいえ、歩けば1時間はかかるらしい。

私と緋凪先輩は、駅の外にあるベンチに座って迎えが来るのを待っていた。


「はい。」


緋凪先輩は近くの自動販売機でスポーツドリンクを買ってきてくれた。


「ありがとうございます。暑いですね。」


「うん、暑い。」


私が一気にペットボトルの半分を流し込んでいると、視線の先におじさんの車が見えた。


「来ましたよ。行きましょう。」


荷物を持ち車に近づくと、おじさんが車から降りてきた。


「姫奈久しぶりだなー。すっかり大きくなって。」


「おじさんも、すっかりおじさんになって。」


「中身は子どものままみたいだな。この子が友達?」


「はじめまして緋凪陽です。お世話になります。」


挨拶を済ませた私たちは車に乗り込み、家に向かった。


「そうか、陽ちゃんは先輩なのか。」


陽ちゃんって。


「部活の先輩だよ。」


「姫奈、部活入ってんのか?空手は?大会があるからってずっと来てなかったから驚いてたんだよ。」


「ノーコメント!そういうデリケートな話題にズケズケ入ってくるからモテないんだよ。」


「なんでモテない前提なんだよ。」


「だって結婚してないじゃん。」


「おい、それセクハラだからな。」


「あら失礼しました。ねぇ、私たちがいる間おじさんが色々連れて行ってくれるの?」


「仕事があるから無理。今日だって無理言って休憩の時間使って来たんだからな。」


「お仕事中なのに、ありがとうございます。」


緋凪先輩が運転席を覗き込むように声を掛ける。


「大丈夫、気にしないで。案内はしてあげられないけど、ゆっくり楽しんでいってよ。」


「ありがとうございます。」


「今回はどのくらい居るんだ?」


「聞いてないの?明後日まで。」


「早いな。せっかくの夏休みなんだから、

もっとゆっくりしていけば良いのに。」


「学生も色々忙しいの。先輩は受験生だし。」


「それもそうか…陽ちゃんは田舎の方に来るのは初めて?なんか物珍しそうに景色見てるから。」


「初めてではないですが、両親とも実家が今住んでいるところから離れていないので、あまり縁がありませんでした。あの、えっと…」


「おじさんで良いよ。」


「ありがとうございます。おじさんはずっとここに?」


「いや、前は東京に住んでた。

東京の大学に行って、東京の会社に就職した。」


「そうなんですか。」


「ねぇ、どうしてこっちに戻ってきたの?」


「デリケートな話題にズケズケだな。」


「これは姪っ子特権かな。」


「なんだそれ。まぁ、簡単に言えば人間関係に疲れたってとこかな。」


「何かあったんですか?」


緋凪先輩はデリケートな話題に踏み込んでも、

不思議と思いやりを感じる。

それを見て、完全に塞ぎ込んでいるわけではないんだと安心した。


「いや、単に人と関わることに疲れただけだよ。

ただ、人と関わるのは田舎でも同じだし、むしろこっちの方が強く繋がる。だけどここは居心地が良い。」


「どうして?」


「自分の居場所っていうのかな。

オレはここにいて良いんだって思える居場所。

居場所っていうのは環境的な場所もだけど、

人だったり、何か夢中になれることだったり、

形は人それぞれだけど、そういう場所を見つけられることは、幸せなんだなって感じるよ。」


「おじさん、やっぱりおじさんになったなー。」


「うるせー。」


私たちの会話を聞いている緋凪先輩は、遠慮がちだけど、いつも通りの笑顔で笑っているように見えた。

勢いで誘っちゃったけど、来て良かったかも。

そうして話しているうちに、あっという間に家に着いた。

家の前で2人の子どもが遊んでいる。…子ども。


「ねぇ、まさかあれ堅士けんじ悠真ゆうま?」


「大きくなったろ。」


「最後に会ったときはまだ赤ん坊だったのに。」


「姫奈もすぐおばさんになるなー。」


「それ、セクハラだからね。」


おじさんはすぐに仕事に向かう為、私たちを降ろしてそのまま走り去って行った。

家の方へ向かうと私たちを不思議そうに見つめる2人と目が合った。


「久しぶり。」


私が2人に手を振ると、逃げるように家の中に入って行った。


「おかーさーん!誰か来たー!」


誰かって。


「誰かって誰よ!」


私だよ、おばさん。


「姫奈ちゃんじゃない?」


ありがとう、おばあちゃん。


「姫奈はさっき回覧板持って来ただろ!」


おじいちゃん、それは多分、別人。


「賑やかな家だね。」


「私の記憶より、ずっと騒がしい家になってます。」


そのまま騒がしい夜を過ごして、緋凪先輩とゆっくり話す間もなく1日が終わった。

翌朝、緋凪先輩と子どもたちが遊んでいる声で目が覚めた。

もうすぐ9時だ。いつもならとっくに目が覚めてるのに。まぁ、いっか。

窓の外を見ると、全く何の遊びをしているかわからないけど、とにかく楽しそうにしている緋凪先輩たちが見える。


「幸せの象徴のような朝だ。」


寝ぼけて何に対しての皮肉なのかわからないことを呟き、スマホで緋凪先輩たちの写真を撮った。

彩に送ろうと思ったけど、また朝に連絡すると機嫌が悪くなるかもしれないので、活動報告として朝水先輩に写真を送った。

緋凪先輩と子どもたちは朝食を済ませているらしく、私1人で食べていると、おばさんが声を掛けてきた。


「今日はどこ行くの?」


「んー、駄菓子屋?」


「あんた、もっとマシなとこ案内してあげなさいよ。」


「だって、駄菓子屋と公園しか知らないもん。

どこか観光するとこある?」


「まっ、ないわね。」


ないのかよ。まぁ…ゆっくり散歩でもするか。

午前中は私も子どもたちと遊んで過ごして、

昼食後に緋凪先輩と色々歩いて回ることにした。

真夏に散歩なんて…我ながらセンスないな。


「暑いのに、すみません。」


「全然大丈夫。夏に田舎道を散歩するなんて、映画の世界に飛び込んだみたいだよ。」


緋凪先輩は嬉しそうに笑っている。

散歩を楽しんでくれてるみたいで何よりだ。


「姫奈。」


家を出てしばらく歩いたところで、

後ろから聞き覚えのある声が私を呼んだ。


「久しぶり。」


振り向くと、近所に住むゆま姉が小さく手を振っている。


「こっち来てるなら、顔出してよ。」


「ごめん。覚えてくれてるか、不安だったし。」


「覚えてるに決まってるでしょ。」


ゆま姉とは夏休みとお正月にしか会えなかったけど、私にとって本当のお姉ちゃんみたいな存在。

だけど、空手の大会に出るようになってからは、

ずっと疎遠になっていた。


「こちら高校の先輩。」


「はじめまして。緋凪陽です。」


緋凪先輩は頭を深く下げて挨拶をした。

そんな緋凪先輩を見て、ゆま姉はどこか安心したように笑った。


藤井祐茉ふじいゆまです。素敵な名前だね。」


「ありがとうございます。」


「姫奈、大きくなったねー。」


ゆま姉は髪をわしゃわしゃしながら、

動物を愛でるように頭を撫で回してきた。


「本当に大きくなったと思ってる?」


「思ってるよ。」


そう言ったあとに、ニコニコしながら緋凪先輩を見たので、なんだか嫌な予感がした。


「この子ね、今はクールビューティー気取ってるみたいだけど、小さい頃はゆま姉、ゆま姉、ってずっと私の後くっついてきてたんだよ。

一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たり、トイレにまで着いてこられたときは本当困ったよ。」


「ちょっとゆま姉、そんなこと教えなくて良いから。」


嫌な予感的中。


「でもね、突然こっち来なくなっちゃって結構寂しかったんだよ。」


私の頭を優しく撫でているゆま姉に、罪悪感を感じずにはいられなかった。

人との関係が終わるとき…それは大抵の場合、

劇的なものではなく、季節が移り変わるように、

当然のように終わっていく。

ゆま姉は撫でていた手を、そのまま緋凪先輩の前に差し出した。


「バトンタッチ。」


戸惑う緋凪先輩に、ゆま姉は続けた。


「寂しかったし、心配だったけど…

あなたが隣にいるのを見て、なんだか安心した。

どうしてだろう。」


「わかりません。

でも、そう思ってもらえて光栄です。」


「姫奈をよろしくね。」


「はい。」


緋凪先輩は力強く、ゆま姉と手を合わせた。

嬉しくもあり、寂しくもある。


「じゃあ、2人とも、さっさと連絡先よこしなさい!」


だけど、季節は廻るんだ。

それが希望と呼べるほど前向きなことなのかは、

わからない。

それでも、今私が感じている幸せな気持ちは、

大切にしていきたい。

こっちの家の人たちと緋凪先輩が同じ世界にいることが、現実ではないような違和感をずっと感じていたけど、ゆま姉と緋凪先輩が話しているのを見ていると、出会うべくして出会ったような、

不思議な当たり前感みたいなものを感じた。


「姫奈じゃねーか!」


ゆま姉と別れた後、怒鳴り声とも思える声に呼び止められた。

この豪快な感じ…トラウマが呼び起こされる。

この人は、お父さんの同級生で地元の空手道場で師範をしている。

そう、はじめて私に空手を指導した人だ。

親友の子だからと、特別指導として滅茶苦茶しごかれた。

子どもだろうが、女の子だろうが容赦しない。

まさに " 鋼鉄の女 " を作った張本人だ。

久しぶりに見ても、相変わらずクマみたいに大きい。


「こっち来てるって聞いてたが、挨拶行けなくて悪かったな!」


「いやいや!こちらこそすみません!」


「なに余所余所しくなってんだよ!客人がいたんじゃ仕方ねーだろ!申し訳ない!挨拶が遅れた!

村島匠海むらしまたくみだ!」


「はじめまして。緋凪陽です。」


「良い名前だ!気に入った!」


「ありがとうございます。」


緋凪先輩は、この勢いに圧倒されることなく、

ニコニコと余裕の笑みを浮かべている。…さすがだな。


「先輩、実は私、空手をやってて…」


「うん。水葵さんから聞いて知ってるよ。

では、村島さんが鋼鉄の女の生みの親ですね。」


アイツ余計なことばっかり。


「鋼鉄の女?」


「気にしないで大丈夫です!」


そんな通り名で呼ばれてると知られたら、

腕試しするとか言い出しかねない。


「師匠、元気にしていましたか?」


「当たり前だろ!有り余ってるくらいだ!」


「愚問でした。」


「敬語はよせ!昔はオレに対して親の仇みたいに立ち向かってきただろ!後にも先にもオレのこと本気で倒そうと向かってきたヤツはお前だけだからな!」


「我ながら命知らずだったよ。」


「緋凪さんは同じ学校の先輩かい?」


一瞬、緋凪先輩が答えに困っているように感じた。

部活のことを言えばおじさんのときのように、

大会の話しになり、問い詰められるかもしれないと思ったんだろう。相手が相手だから仕方ない。


「そう。部活の先輩だよ。」


緋凪先輩は少し驚いた顔をしている。


「部活か!なんだ姫奈、ちゃんと高校生やってんじゃねーか!いわゆる、あれだな、女子高生ってヤツだな!」


「何が言いたいのかよくわからないけど、

間違いなく女子高生だよ。」


喜ぶ師匠を見て、緋凪先輩は安心した表情になった。


「村島さんを見ていると、元気をもらえます。」


「そうか!有り余ってるから沢山持って行け!」


「師匠は落ち込んだりしないの?」


「そりゃあるさ!すぐに立ち直るがな!」


「ズバリ!立ち直るコツは?」


「大切なのは、他の誰よりも自分が自分に厳しいって思うことだ!」


「厳しい?自分に優しくとか、甘やかすじゃなくて?」


「落ち込んでるってことは、自分の間違いに気づいてるってことだろ。それで十分自分に厳しくした!

だったら後は自分を許すだけだ!

どいつもこいつも頭ごなしに責めすぎなんだよ。

他人や自分が責めすぎるせいで、反省する余裕すらなくなってる。

責められれば逃げたくなる、否定したくなる。

だから大切なのは、自分の間違いに気づけたなら、それを認めて許すことだ!」


「なるほどね。」


「勉強になります。」


「そうか!じゃあ君も弟子だな!」


「はい!師匠!」


「じゃあ、大切な弟子たちに1番大切なことを教えてやる!苦しいときは迷わず助けを求めろ!」


私と緋凪先輩はお互いの顔を見たあと、2人同時に返事をした。


「じゃあオレはもう道場行くから、またな!」


なんの後腐れもなく去っていく師匠の背中を2人で眺めていた。


「豪快な人だね。それでいて、とても温かい。」


「ええ、意外と繊細な人なんです。

私に空手のこと、一度も聞いてこなかったでしょ?

人の急所を瞬時に見抜く。本当に恐ろしい人です。」


「だからこそ、今の緒方さんがいるんだね。」


「なに言ってるんですか。ほら、駄菓子屋行きますよ。」


「うん。」


腹を割って話したことがあるわけじゃない。

幼馴染のように、長い付き合いがあるわけじゃない。

それでも、緋凪先輩は私のことをちゃんと見てくれていたんだと思うと、嬉しくて、照れくさい。


「うわー。そのまんま。」


思い出の駄菓子屋は、タイムスリップしたのかと錯覚するほど、思い出のままそこにあった。


「懐かしいなー。」


「ここに来るのは初めてだけど、不思議と私もそう感じるよ。」


「わかります。駄菓子屋ってそういうところですよね。」


中に入ると、見慣れたおばちゃんが座っていた。

記憶の中のおばちゃんよりも、少し小さく感じる。


「おばちゃん。来たよ。」


「あら、姫奈ちゃん。いらっしゃい。」


昔よく来ていたときも、いつもこう言って迎え入れてくれた。

あまりに自然に言うから、本当にタイムスリップしたんじゃないかと思い、自分の身体と緋凪先輩を見て確認してしまった。


「どうしたの?」


「いえ、なにも。」


「姫奈ちゃんの好きな、きなこのお菓子あるわよ。」


おばちゃんは目の前にあるきなこ棒の箱をポンポンと叩いた。


「うわー!懐かしい!私これ手と口をきなこまみれにしながら食べてました。」


「食べる?」


「もちろん!食べます!」


緋凪先輩と1つずつ買って食べていると、

緋凪先輩がおばちゃんに尋ねた。


「それにしても、よく覚えていましたね。

すぐに姫奈さんだってわかったし、好きだったお菓子まで。」


「だって、姫奈ちゃんは特別だもの。」


「特別?」


やばい。また嫌な予感。


「姫奈ちゃんはここが大好きでね。

お店を開ける前から1日中ずっとここにいて、

お店を閉める時間になっても帰りたがらなかったことがあったの。」


「お恥ずかしい。その節はご迷惑を。」


「いいのよ。最初は驚いたけど、朝お店を開けたときの姫奈ちゃんの嬉しそうな顔が今でも忘れられないの。」


「今の緒方さんからは想像できないな。

そんなにここが好きだったんだね。」


「はい。ゆま姉に何度か連れて来てもらったんですけど、段々お菓子やおもちゃに呼ばれているような気がして、たまらず朝からお店に来たんです。

なんて言ったらいいのか…お菓子もこの場所もすごく好きで。どれにしようかなって考えたり、誰かが食べてるの見て憧れたり、このセットが美味しいって発見したり。

ずっとここに居れば、全部私のものになるかも、

なんて考えたりもしてました。

童話に出てくるお菓子の家とは意味が違うけど、

私にとっては、それくらい夢のような場所でした。

最後には慌てて探しに来たゆま姉が連れて帰ってくれました。」


「祐茉ちゃんが来たら、その日あったことを嬉しそうにいっぱい話してたね。」


「うん。ゆま姉もずっと探し回ってたから本当は焦ってたはずなのに、笑ってゆっくり話を聞いてくれて…ゆま姉じゃなかったら泣いて暴れてたかも。」


「あらあら。でも今日はお姉さんが一緒だから安心ね。」


おばちゃんは揶揄うように笑いながら、

私と緋凪先輩を交互に見た。


「今でもここにずっと居たいくらい好きだけど…

あの頃はもっと輝いて見えたのに。

大人になるって、こういうことなのかな。」


「そうね。でもね姫奈ちゃん。大人になっても、

みんな子どもだったのよ。それを忘れないでね。」


「うん。わかった。ありがとう、おばちゃん。」


こうして、私たちの散歩は幕を閉じた。

緋凪先輩を励ますつもりでこっちに来たのに、

私の思い出巡りに付き合わせちゃったな。

翌朝、まだ日が登りはじめたばかりの時間に目を覚ますと、緋凪先輩はカーテンを少しだけ開けて窓の外を見ていた。

表情は見えなかったけど、緋凪先輩から優しい空気が漂っていた。

緋凪先輩はこんなにも優しく柔らかい空気を持った人だったんだと、今になってはじめて気がついた。


「先輩、山登りませんか?」


緋凪先輩は私が声を掛けたことに驚くこともなく、ゆっくりと振り返り微笑んだ。

私たちは寝ている家の人たちを起こさないように、静かに準備をして家を出た。

準備をしている間ほとんど会話はなかったけど、

不思議と通じ合っているように感じた。

山のふもとに着くと、何かに開放されたかのように話しはじめた。


「ここ、そんなに高くないから、すぐに登って降りて来られると思います。

それでも道はそれなりに厳しいので、覚悟して下さいね。」


「わかった。」


緋凪先輩は少し大変そうにしてたけど、

ときどき周りを見渡しながら木々を見たり、

山の葉が奏でる音色に耳を傾ける余裕はあるみたいだった。


「緒方さんは何度か登ったことあるの?」


「えぇ、そりゃ何度もありますよ。師匠とね。」


「あー、なるほど。」


「この山、名前のない山なんですけど、

地元の人からは " 白雪山 " って呼ばれてるみたいですよ。』


「白雪…どうして?」


「私は今まで体験したことないんですけど、

夏でもこの山だけ雪が降ったように寒いことがあるらしいんです。

だから白雪山。神様が住む山とも言われていて、

地元じゃ結構神聖な山らしいですよ。」


「きっと沢山の人たちが語り継いで、大切にされてきたんだね。」


「私は師匠のせいで嫌な思い出しかない山ですけどね。」


「そのおかげでたくましくなったでしょ?」


「物事の良い面を見ろってやつですか?

私はそういうの嫌いです。」


「緒方さんらしくて良いと思う。」


いたずらな笑顔を見せる緋凪先輩に、

私も、うげー、とふざけて笑った。


「そろそろ、山頂です。」


ようやく山頂に着いたけど、あいにく天気は曇り。霧がかった街も相まって、見渡す景色は白く染まっていた。


「晴れてたら、良い景色だったんですけどね。」


「ううん。私はとても綺麗な景色だと思うよ。」


私たちは、しばらく何も言わずに山からの景色を眺めていた。


「ありがとう。」


緋凪先輩は景色を見ながらそう言ったあと、

私を見て笑った。

私は物事の良い面を見ろ、という考え方が嫌いだ。

だけど、物事に良い面があると気づけることは、

幸せなことだと思う。

私は今…このまっ白な景色が、綺麗だと感じている。




end.

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