幼馴染

2022年6月




「私、可愛い?」


「妖怪にでもなるつもり?」


「なにそれ?」


彩は怪訝けげんそうな顔で私を見ている。


「メイク変えたの。気づかなかった?」


「気づかなかった。」


「さっきからスマホいじって何してんの?

また普通の女の子らしく、をやってんの?」


「違う。同好会に相談しに来やすくなるように、

何か良い案がないかなって。先人の知恵をね。」


「結構真面目にやってんだ。」


「活動の目的が " 人を救う " だからね、

中途半端なことはできないよ。」


「空手は大丈夫なの?そろそろ夏の大会に向けて追い込みかける時期じゃない?」


「今年は大会出ないから。」


「どうして?」


「別に、理由はない。」


「そっか。」


私は気まずい気持ちをごまかすように、スマホを操作する手を忙しなく動かした。

視線を感じて顔を上げると、私を見る彩と目が合い反射的にスマホに目を逸らしてしまった。


「姫奈、あそこでクマが踊っているよ。」


「もう、それいいから。」


これは彩が私の背中を押すときに使う言葉。

どこかの国のことわざだったけど、どこの国かも、どんな意味かも忘れた。


「私、ものしらべ同好会に行こうかな。」


「部員の募集はしてないよ。」


「違うよ、相談に。」


「なんで?」


「クマが踊ってるから。」


「意味わかんない。」


「それでもいいから。連れてって。」


彩をものしらべ同好会に連れて行くのは、気が進まない。

だけど、そう思っている自分に気づいたとき、彩が背中を押す言葉を使った意味がぼんやりと理解できたような気がした。


「わかった。」


メッセージで緋凪先輩に彩を連れて行くことを伝えようかと思ったけど、どう伝えたらいいのかわからなくてやめた。


「何か差し入れとか持って行ったほうが良いかな?」


「いらないよ。」


「でも、日頃お世話になってるし。」


「お母さんか。」


改めて誰かと一緒に歩いてみると、ものしらべ同好会までの道のりは意外と長い。

ようやく部室に着き、ドアを開けると…


「うわっ!」


目の前に耳をそばだてている緋凪先輩がいた。


「大丈夫?」


揶揄からかうように彩が聞いてくる。


「大丈夫!先輩何してるんですか?」


「足音が2人分聞こえてきたから、もしかしたら誰か相談に来たのかと。」


犬か。


「先輩、耳良いんですね。」


褒めてるのか馬鹿にしてるのか、もしくは他に意図があるのか、彩の考えていることは意外とわかりにくい。


「ここは静かだから。」


「そんなことしたら、せっかく相談に来てくれた人が逃げ帰っちゃうから、二度とやらないでくださいよ。」


「はーい。それで、そちらは?お友達?」


「はい。」


「はじめまして。水葵彩みずきあやです。

姫奈とは幼馴染なんです。」


「幼馴染!いいね。私は緋凪陽。よろしくね。」


「素敵な名前ですね。」


「ありがとう。じゃあ、どうぞ入って」


「はい。失礼します。」


普段は私と緋凪先輩が横並びに座り、相談者が緋凪先輩の前に座るけど、今回は私と彩が横並びに座った。


「すみません。何か差し入れでも持って来たかったんですが、急に思い立って来たので手ぶらです。」


「気にしないで。むしろ私たちの方が何か用意しておいた方が良いかもって話してたところなんだよ。ね?」


「ええ、まぁ。」


「今度おすすめのお菓子持って来るんで、参考にしてみてください。」


「それは助かるよ。ありがとう。」


「姫奈はしっかりしてるけど、生意気なとこあるから迷惑かけてないですか?」


「ちょ、本当そういうお母さんみたいなこと聞かないでよ。」


「いいじゃん。心配なんだから。」


「迷惑なんて何もないよ。私は色々考えるのが苦手だから、緒方さんには助けてもらって感謝してるよ。」


「もう、2人ともやめてください。

話すことないなら今日はお開きにしましょう。」


「だめ。」


彩は静かに私を制した。


「緋凪先輩。今日は相談があって来たんです。」


何かを訴えかけるような圧を感じる彩にひるむことなく、緋凪先輩は少しだけ口角を上げて笑ってみせた。


「わかった。」


彩は少し安心したような表情を見せた。


「私、中学のときテニス部入ってて、高校でも流れでテニス部に入ったんです。

そう…流れで。テニスもそんな好きじゃないし、

部活にもあまり思い入れはないんです。

それなのに、3年生が引退するからって部長を任されたんですが、正直あまり気が進まなくて。」


「中学の頃も部長やって評価されてなかった?」


「能力があるからって、やりたいとは限らないよ。」


そう言ったあと、ハッとしたように緋凪先輩を見た。


「嫌味っぽいですよね、すみません。

こういうところなんです。私どんなことでも割と器用にこなせちゃうタイプなんですよ。

努力も苦労もしてないのに、それなりに良い結果が出る。勉強も運動も、人付き合いも。

だからその分、思いやりが足りなくて。

わかっていても直せない、癖みたいなものなんですかね。

普通に人と接するだけでも埋められない溝みたいなものを感じるのに、部長なんて立場で話したら余計に溝が深まるばかりな気がして。

でも期待されているなら、それに応えたい。

私の力で良い部活が作れるなら、そうしたい。

はたから見れば贅沢な悩みなのかもしれない。

私が悩んでいること自体、嫌味なのかもしれない。」


彩の話しを聞いて、緋凪先輩は小さく息を吐いた。


「私は、納豆が嫌いなんだ。」


「なんです?急に。」


「緒方さんは納豆好き?」


「好きですよ。」


「水葵さんは?」


「私も嫌いです。」


「私は常々思っていることがある。

納豆が好きな人に、納豆が嫌いな理由を説明しても、理解してもらえないと。」


「常々、そんなこと考えてるんですか?」


「わかります!納豆好きってなんであんなに偉そうなんですかね。」


「いや、そんなつもりないけど。

身体に良いから食べた方が良いってだけじゃ…」


「そこなんだよ。他の食べ物のときは興味なさそうにするのに、納豆嫌いって言ったら鬼の首取ったように納豆の魅力を語ってくる。」


「ですよね!納豆嫌いなだけで非常識な人みたいに扱われて最悪です!」


「ちょっと待ってください。緋凪先輩、これ何の話ですか?」


「あぁ、ごめんごめん。つい熱くなってしまった。」


この人の熱くなるポイントがわからん。


「つまり、その悩みを抱えていない人に、自分の抱える悩みを理解してもらうことは難しいんだよ。

辛いことだけど、悩みは人の数以上にあるからね。表面上は同じ悩みを抱えているように見えても、

深層心理では小さな違いが出てくる。

物理的に存在する食べ物ですら感じるものが違うのに、目には見えない精神的に感じるものが一致するわけないよね。

だから、その全てを理解してあげることも、

理解してもらうこともできない。

それは相手に敵意や悪意があるからじゃない。

ただ " わからない " だけなんだよ。

水葵さんの悩みは嫌味なんかじゃないよ。

どんなに避けようと思っても悩むことからは逃げられない。

辛いことだけど、悩むことは何かをする上で必ず付いてきてしまうものなのかもしれない。

だからこそ、自分が悩んだこと、考えたことを、

大切にしてあげて。

それは水葵さんが自分と向き合った大切な時間だから。」


緋凪先輩が彩の方に身体を乗り出して、内緒話をするように口元に手を添えた。


「納豆嫌いの同志に1つアドバイスだ。

私はね、納豆が嫌いなことに劣等感を感じたりしてないんだよ。」


なんだそれ。と言いたいところだけど、何を伝えたいのか何となくわかったような気がした。

彩にもきっと伝わった。そう思うような穏やかな表情をしていた。


「水葵さんはテニスや部活には興味ないかもしれない。だけど、人と関わること、人と繋がることは好きなんだよね。

それでも、人間関係って疲れることも多い。

意図的ではなくても、余計なことを言って傷つけてしまったり。

責めるつもりはないとわかっていても、責められたように感じて傷ついたり。

人と関わることって、簡単じゃないんだよね。

それが当たり前のことだから目を逸らしてしまうけど、当たり前のことなんて一つもない。

"ありがとう"も"ごめんね"も 、

それを伝えることは、すごく勇気のいること。

言葉の1つ1つ。1人1人の気持ちが、

かけがえのないものなんだよ。」


緋凪先輩はゆっくりと、私たち一人一人を見た。


「相手が何を考えてるかわからないと不安になるよね。でも、相手を想っているなら大丈夫。

大切なことは、小さな一歩で良いから近づいてあげること。

離れたり、隠れたりしたくなるときもあるけど、

それは自然な反応だから大丈夫。

自分を責めたくなったり、相手を疑いたくなったら、ゆっくり休もう。

人間関係って、ゆっくり休む間も与えてくれないけど、だからこそ自分に言ってあげて。

ゆっくり休もうって。

頭の中で声が鳴り響くときは口に人差し指を当てて、しーってしてみて。

大切な、心の声が聞こえてくるはずだから。」


緋凪先輩は口に当てた人差し指を前に出した。


「1つ、忘れないで。納豆が嫌いな理由を理解してもらえたとしても、好きな人は食べ続けるし、嫌いな人は食べないまま…だから…」


「先輩、なんでも納豆の話でまとめようとしないでください。さすがに無理があります。」


「そう?私には伝わったよ。

緋凪先輩、ありがとうございました。」


「良かった。こちらこそありがとう。」


2人の間で何が通じ合ったのか私にはよくわからなかったけど、2人が笑っているのを見ていたら、

まぁいいかと思えた。


「さ、今日はもう帰ろうか。

納豆の話ばっかりしてたら気持ち悪くなってきちゃったよ。」


「どんだけ嫌いなんですか。」


「わかります!」


「もういいよ、その結託。」


「ほら、戸締まりは私がやっておくから、

君たちは早く帰りなさい!」


「え?別に一緒に帰れば…」


「ほらほら姫奈ちゃん。先輩の好意に甘えるのも、後輩の役目だよ。」


彩が私を部室の外に出そうと背中を押す。


「緋凪先輩、今日はありがとうございました。

今度は遊びに来ますね。」


「うん、いつでもおいで。

そのときは、おすすめのお菓子よろしくね。」


「はーい!」


思えば、彩と一緒に帰るのは久しぶりだった。

最後に一緒に帰ったのがいつか覚えてないけど、

もしかしたら高校に入ってからは初めてかもしれない。近くにいると思ってたけど、いつの間にか遠くに離れちゃってたんだな。


「彩があんな悩み抱えてるなんて知らなかった。

ずっと一緒にいたのに、気づかなかった。」


「ずっと一緒にいたから、じゃないかな。

私たち2人とも無駄に強く生きようとしすぎてたんだよ。だから、お互いに弱いところを見せられなくなったんだと思う。」


「そう、かもね。」


「どうして空手の大会出ないの?」


彩の真っ直ぐな問いかけに、私は言葉に詰まった。


「話してほしかったけど、私も話せないことたくさんあるなって気がついたんだ。

なんでも話してほしいとは言わないけど、

私は話してもいい人だって知ってほしかった。

ううん。思い出してほしかった。

まぁ…結局、私も素直になれなくて、緋凪先輩の力を借りちゃったけどね。」


寂しそうに話す彩が遠くに行ってしまいそうで、

私は考えがまとまらないまま口を開いた。


「大会に出ない理由は、私にもわからないの。

自分の信念を貫くために必要としてるものが、

空手をやることで得られると思ってたけど、

今は自信がなくなってる。

だけど、空手を辞めても自分に何ができるのかもわからない。だから…考える時間がほしかったの。」


気まずいとは思わない程度の、ほんの少しの静寂の後、彩が口を開いた。


「姫奈さ、小学2年のとき、一緒に動物園行ったの覚えてる?」


「そのくらいのときは、どっちかの親に連れられてよく行ったよね。」


「そのうちの1回。私は今でもハッキリと覚えてる。

その日は両方の親が来てて、歩き疲れたから見える範囲で自由にしてなって言われてさ。

そうは言っても、あんま動き回れるわけじゃないし、親たちは話すのに夢中で全然動こうとしないし、姫奈は抜け殻みたいになってゾウをじっと見つめてるしで退屈してた。

だけど…そのとき出会ったんだよ。踊るクマに。」


あっ。


「今考えると、興奮して暴れてただけかもしれないけど、びっくりして姫奈に教えた。」


_姫奈、クマが踊ってるよ。


_そんなわけないでしょ。


「全然見ようとしない姫奈に怒って、

私が無理やり顔をクマの方に向けたら…」


_わぁ!ねぇ!彩!クマが踊ってるよ!

 クマが踊ってる!


「私が教えたんだけどって思ったけど、あんなに楽しそうにはしゃぐ姫奈を初めて見て、私それが嬉しくてさ。

姫奈ってこんな風に笑うんだって、

ずっとこんな笑顔を見ていたいなって思った。

だからね、私は姫奈が選んだ道の先に、

あの笑顔が待っていてほしいって思ってる。

ううん。そうなるって信じてる。

また姫奈がやりたいことを見つけたら教えて。

私はもう大丈夫だから。ありがとうね。」


「うん。ありがとう。

クマが踊ってるように見えたのは、

彩が踊ってるって教えてくれたから。

そうじゃなきゃ、たとえ本当に踊っていたとしても、暴れるクマにしか見えなかった思う。

どんな景色だって、

楽しい世界に変えてくれた彩には感謝してるよ。」


「ふぅー。これでお互いスッキリかな?」


「今話せることは、全部話した。」


「うん。私も。」


「あっ。クマのことわざって、

どこの国の、どんな意味だっけ?」


「忘れた。」


「なにそれ。」


「いいじゃん。私にとっては、姫奈が笑顔になった魔法の言葉なんだから。」


「魔法の言葉…。」


「そうだ。私もまだ聞いてないことがあった。」


「なに?」


彩は私の前にぴょんと跳ねて、無邪気な笑顔を見せた。


「私、可愛い?」


魔法の言葉なんかじゃない。

私が笑顔になれるのは、この笑顔のおかげ。

私が笑えば、彩も一緒に笑ってくれる。

その安心感が、私を笑顔にする。

それを伝えるのは、まだ照れくさいからなぁ。

仕方ない。今日は答えてあげるか。


「可愛いよ。」




end.

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