第2章

ものしらべ同好会

2022年4月 燕ヶ丘高校




普通の女の子らしくしなさい。

何度も言われた。

普通ってなんだ?女の子らしくってなんだ?

それなりに疑問や憤りは感じるものの、残念ながら私はそれらに抗うほどのアイデンティティを持ち合わせていない。


「ほんと腹立つ。」


あやはいったい何度この言葉を言っただろうか。

いや、もしかしたらこれこそ普通の女の子らしさなのかもしれない。

放課後の教室で友達の愚痴を親身になって聞いているフリをする。これは実に普通の女の子っぽい。


「ねぇ、聞いてるの?」


「聞いてない。」


「何考えてた?」


「友達の愚痴を聞くのって、普通の女の子っぽいなって。」


「普通の女の子は友達の愚痴を聞きながらそんなことは考えない。っていうか聞いてなかったでしょ。」


「親身になって聞いてるフリをする。ってとこまで含まれるから。」


「なんで普通の女の子らしくなんて、らしくないこと考えてんの?」


「よく言われるから。」


「気にしてるの?」


「してない。」


「だろうね。あんたに普通の女の子らしさを求めるなんて不毛な連中だよ。

" 鋼鉄の女 " に普通の女の子らしくしろなんて、

犬に空飛べって言ってるようなもん。」


「その例え意味わかんない。」


「絶対に無理ってこと。」


「はいはい。部活ないなら早く帰りなよ。

部活ない日にわざわざ部活の愚痴言ってストレス溜める方がよっぽど不毛だよ。」


「なんだ。ちゃんと聞いてんじゃん。

姫奈ひなは帰らないの?」


「私はちょっと用事が。」


「なに?」


「資料室の掃除を頼まれてる。」


「誰に?」


「緑川。」


「なんで。」


「知らないよ。」


「理由もなく、よく承諾したね。」


「特に断る理由もなかったし、助っ人もいるって言ってたし…ってか、私が助っ人なのか。」


「まぁ、あんた学校生活に関わって来なかったし、たまには良いかもね。」


「それで、資料室ってどこにあるか知ってる?」


「頼まれたときに聞いときなよ。

確か、旧校舎3階の1番奥じゃなかったけ?

部室が並んでるとこだった気がするけど。」


「ありがと。」


私は席を立ち、鞄を肩にかけた。


「あ、旧校舎、幽霊出るかもしれないから気をつけて。」


彩が揶揄からかうように笑った。


「うるさい。」


教室を後にして資料室に向かっていると、確かに理由もなく掃除を押し付けられたのは理不尽なのかもしれないとも思えてきた。

とはいえ、何に対しても損得勘定や見返りを求めるような考え方は好まない。

旧校舎は部室棟とも呼ばれている。

どの部にも所属していない私には縁遠い場所だ。

3階の1番奥…。うわ、本当に人気がなくて気味が悪い。

いや、旧校舎とはいえ部室棟なら普段から生徒の出入りはあるはずだし…怖くない怖くない。

資料室に着くとガタガタと大きな物音が聞こえてきた。ちょっとビビったけど、冷静になって考えれば先に誰か来て掃除しているんだろう。


「失礼しまーす。」


控えめに挨拶したせいか、向こうは私の存在に気づいていないようだ。

その姿は確認できないけど、部屋の奥でゴソゴソと作業する音は静まらない。


「すみません!」


私の声に反応してピタッと音が止んだ。

そして再びガタガタと騒がしい音が響き、奥から女子生徒が顔を出した。


「やぁ、君が助っ人か。」


女子生徒の動きに連動するように、高く積まれた本がバタバタと崩れ落ちた。


「うわ。」


「あの、大丈夫ですか?」


「あぁ…大丈夫、大丈夫。本が無事なら大丈夫だと思う。」


「それも含めて聞いた…」


再び本の山が崩れた。


「…つもりだったんですが。」


「そうだよね。まぁ…大丈夫だろう。

長い年月を生き延びてきたんだから。

ごめん、ごめん。挨拶が遅れたね。」


そう言うと、女子生徒は崩れ落ちた本の山を跨いで私に近づいてきた。


「私は3年の緋凪陽ひのひかり。よろしくね。」


「2年の緒方姫奈おがたひなです。」


先輩は握手を求めるように手を差し出してきたけど、私はそれに応えなかった。


「うん。よろしく。」


気まずそうに手を引く先輩を見て、少し申し訳なく感じた。


「あの、先輩も緑川…先生に頼まれて?」


「いや、緑川先生から古い資料や詩集があるって聞いて、何か掘り出し物があるんじゃないかと思ってね。」


「それで、掃除のついでに探し物ですか。」


「いやいや、そうじゃないよ。掃除を条件に探して良いって許可をもらったんだよ。」


掃除の方がついでかよ。


「あの、そういう理由なら帰って良いですか?」


「忙しいの?」


「いや、そういうわけじゃ…」


「無理にとは言わないけど、手伝ってくれたら嬉しいな。結果的に掃除も引き受けちゃったし。」


面倒くさい。というのが素直な気持ちだけど、

確かにここを1人で掃除するのは大変そうだし…。


「わかりました。でも、私は掃除しかしませんよ。」


「ありがとう。巻き込んでごめんね。」


「別にいいですよ。」


先輩は嬉しそうにニコニコと笑っている。


「まずは窓開けましょう。埃っぽくて仕方ない。」


資料室にあるのは古いものばかりで、どれがどんな本なのか全くわからない。

しかも、いっそ全部捨ててしまおうかと思うほど汚い。

本の埃を払って、棚や床を水拭きして、本を大きさごとに棚に並べて、棚に入らない大きな本は段ボールに入れる。

淡々と作業をこなして、思っていたよりも早く掃除を終えた。


「結局、価値のあるものは見つけられませんでしたね。そもそも私たちじゃ何が価値のあるものかわからないですけどね。」


「それもそうか。」


先輩はしょんぼりしながら掃除用具を片付けている。


「そんな残念そうにしないでください。

全く期待してなかったこっちまでガックリくる。」


「ごめん、ごめん。」


「でも綺麗になって良かったじゃないですか。」


「そうだね。」


「もう二度と来ないだろうけど。

この掃除用具はどこに返せばいいですか?」


「用務員室に返せば大丈夫。」


「じゃあ私は掃除用具持って行くんで、先輩は緑川先生に鍵を返して掃除を終えたことを伝えてください。」


「わかった。」


「さすがにこれだけのことやったなら、ジュースくらいの見返り求めてもバチ当たらないですよね。

資料室が綺麗になったところで誰も喜ばない、どころか誰も気がつかないでしょうけど。

次に誰かが資料室に入る頃には、また埃だらけになってるかもしれませんね。」


資料室を出て、後ろを歩いているはずの先輩から全く反応がない。

振り向くと先輩は資料室の隣にある部室をぼんやりと眺めている。

正確に言うと、部室の上に書いてある

"ものしらべ同好会"という表札を見つめている。


「先輩?」


「君は、この同好会のことを知ってる?」


「いえ。」


「私も知らなかった。」


そう言って、何かに取り憑かれたように、

迷うことなく扉を開けた。


「ちょ、勝手に入ったらマズイんじゃ…」


部室は暗く誰もいない。

どうして鍵が開いてたんだ?

結局、私も先輩の後に続いて中に入った。

資料室を見た後だからってわけではなく、間違いなくこの部室は綺麗に片付けられている。

綺麗すぎて不自然さを感じるほど殺風景だ。

部員の卒業とともに廃部になったんだろうか。


「大切にされていたんですね。」


どうしてかはわからない。

でも、この部室を見てそう感じた。


「うん。だけど、悲しい想いが残っている。」


「悲しい想い?」


「_あの。」


突然背後から聞こえた声に驚いて振り向くと、

部室の入り口に1人の女子生徒が立っていた。


「驚かせてしまってすみません。」


「気にしないで。」


先輩の言葉を受け取り、女子生徒は小さく頭を下げた。


「それで…この部室に何か用でも?」


「あの、お2人はものしらべ同好会の方ですか?」


「私たちは違うんだ。」


「そう…ですか。」


「入部希望?見た感じ、今は活動していないみたいだけど。」


「いえ、入部希望ではなくて…この同好会は生徒の悩みを聞いてくれるって聞いたので。」


ものしらべ同好会はそういう活動をしてたのか。

なんで " ものしらべ " なんだ?


「私たちで良ければ、話聞かせてもらえないかな。」


「私たち?」


「…いいんですか?」


思わず声が出てしまった私に怯えるように、

彼女は先輩に聞き返した。


「もちろん。私は3年の緋凪陽。」


先輩が私に視線を送ってきた。


「2年の緒方姫奈です。」


「1年の葉山千春はやまちはるです。よろしくお願いします。」


挨拶が済むと、今更ながら電気を点けて、3人とも席に着いた。

部室は一般的な教室の半分くらいの大きさで、入り口から右手に本棚や教材用の棚があり、1番奥に窓、左手には腰の高さくらいの棚が並んでいる。

長机が2つ並んでいて左右に2つずつ椅子がある。

私と先輩が横並びに座り、先輩の前に葉山さんが座った。


「無理しないでいいからね。」


「ありがとうございます。」


気重そうな葉山さんを見兼ねて先輩が声を掛けると、葉山さんは安心したように笑った。

人に悩み事を話すというのは、存外気が重いものなんだろう。予定と違う相手に話すとなれば余計にそう感じるはずだ。


「よし、まずは窓を開けよう!ね、緒方さん!」


先輩は勢いよく立ち上がり、窓を開けながら私に語りかけた。


「さっき私が窓を開けたがったのは、掃除をするからですからね。」


「それでも空気の入れ替えは大事だろう?」


「この子が花粉症だったら?」


「げっ!」


外から心地良い風が入ってきた。


「もう手遅れですね。」


先輩は青ざめた顔で葉山さんを見る。


「大丈夫ですよ。花粉症じゃないですから。」


「良かった。」


ホッと肩を撫で下ろす先輩を見て、葉山さんは再び安心したように笑った。

そして、気持ちを落ち着かせるように小さく深呼吸をした。


「私、昔から人付き合いが苦手で。

友達ができてもちゃんと打ち解けられていないような気がしてて。」


葉山さんを見守るような視線を向けながら、先輩は静かに席に戻った。


「相手が何を求めてるのかって、余計なことばっかり考えて会話に集中できないんです。

気がついたら…フリ?ばっかりになってて。

聞いてるフリ、やる気があるフリ、楽しんでいるフリ、信頼しているフリ。

決して嘘をついているつもりはないんです。

だって…相手が何を求めてるかも、自分がどうしたいのかもわからない。

本心を見失った私は、嘘もつけなくなってる。

この学校でも、やっぱり上手く馴染めてなくて…。」


この学校でもって、まだ2週間しか経ってないのに。


「まだ入学して間もないのに、って思いますよね。」


この子を責めるつもりなんてなかったけど、

ほんの一瞬頭によぎったことを気取られてしまい、急に居心地が悪く感じた。


「そう感じることは間違いじゃない。

むしろ自然なことだと思うよ。」


先輩は葉山さんを真っ直ぐに見て話しはじめた。


「学校には知らない人が何百人もいるんだから、

馴染めないと感じることは間違いじゃない。

自分のことも、相手のことも、全く知らない人達に囲まれて、全く知らない環境で過ごして、何も恐怖を感じないなんて、私からすればそっちの方が不思議なことだよ。

自分がどんな人間なのか、どんな人間でありたいのか、大抵の場合それを自分で理解する前に、

お前はこういう人間だ、こういう人間になれ、って勝手な自分を押し付けられる。

君が言うフリっていうのは、それらに対する一種の防衛反応じゃないかな。

勝手な自分を押し付けられないように、

勝手な他人を押し付けてしまわないように。

自分の本心を見失ったように感じることは辛いこと。

友達に嘘をついているように感じることはもっと辛いことだよね。

だけど、そんな自分を責めないで。

君が苦しんでいるのは、自分と相手を思いやっているからこそ。

自分の優しさに、気づいてあげて。」


私は呆気に取られていた。

この気持ちはなんだろう。どうしてこんな気持ちになるんだろう。

気がつくと葉山さんは私の顔色を伺うような視線を送っていた。

そうか、この子は私みたいな人の目を怖がっていたんだ。

なんて言葉を掛けて良いかわからなくて、私はできる限り優しく微笑んでみせた。


「ありがとうございます。

なんだか気持ちが楽になりました。」


「良かった。」


安心したように笑う葉山さんを見て、先輩も嬉しそうに笑った。

そんな2人を見て、私も思わず表情が緩んだ。


「そろそろ帰らないと。」


時計を見るともう17時を過ぎていた。


「本当だ。もうこんな時間か。」


「すみません。こんな時間まで付き合わせてしまって。」


「気にしないで。話してくれてありがとう。」


葉山さんは照れくさそうな笑顔を見せた。


「あの…迷惑でなければ、また来てもいいですか?」


「もちろん。いつでも来て。」


「ありがとうございます。失礼します。」


葉山さんは深く頭を下げた。

そして、最初に見たときとは対照的に軽快な足取りで部室を後にした。


「いいんですか。あんな適当なこと言っちゃって。

私たちは同好会の人間じゃないんですよ。」


「そうだね。」


部室の扉をぼーっと見つめながら淡白な返事をしたかと思ったら、突然振り返り私の目を真っ直ぐに見た。


「私たちがものしらべ同好会の活動を引き継ごう!」


「私たち?いや、やるなら先輩1人で勝手にやってください。」


「私はやるなら君とやりたい。」


「なにも2人でやる必要はないでしょ?」


「そんなことない。緒方さんと一緒にやる必要がある。」


「どうして。」


「君は困っている人に手を差し伸べることができる人だから。」


「それは買い被りすぎです。」


「資料室での探し物も、無駄になるとわかってて手伝ってくれただろう?」


「あれは掃除をしただけで…」


「何も見つけられなくても、部屋が綺麗になったと言って無駄なことに意味を持たせてくれた。」


「だから、最初から私にとっては掃除が目的だっただけです。」


「あの子にも寄り添おうとした。」


「それは…」


ただ、私があの子に対して否定的な気持ちを持ってしまったことへの罪悪感ってだけで…


「一緒にやろう!」


そう言って先輩は手を差し出した。

私がやるべきではない理由、先輩が私に対して抱いている期待を否定したところで、きっと納得してはくれないと思う。

それに…

私は差し出された先輩の手を握った。


「ありがとう。」


緋凪先輩の笑顔見て、私は自分の気持ちが高揚するのを感じた。


「さっきの子に、嘘はつきたくないですからね。」



end.

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