罪業


『キミが月を見上げているのか。

月がキミを見下ろしているのか。』


『月はキミを見守ってくれているのか。

月はキミを監視しているのか。』


『キミが月の下を離れないのか。

月がキミを捉えて離さないのか。』


『にげろ、にげろ。』


『手遅れになる前に。』


『にげろ、にげろ。』



「文化祭まであと1ヶ月を切りました。

各チーム、再度スケジュールを確認して予定通り作業を終えられるようにしてください。

私も可能な限りフォローに入るので遠慮なく声を掛けてください。

又、先程配布した当日の作業シフトですが、みんなにも文化祭を楽しんでもらえるようにシフトを組みました。もし変更など希望があればそちらも遠慮なく声を掛けてください。

では、今日もよろしくお願いします。」


私は、この前なんて答えたんだろう。

ううん、なにも答えることができなかった。

なにも言葉が出てこない私に、見兼ねた月乃先輩が答えを待たずに言葉を引き取った。


_気にしないで。何か困っているようだったから 聞いてみただけなの。


月乃先輩は会話の内容まで聞いていたんだろうか。

それとも言葉通り、話している様子を見ていただけなんだろうか。

どちらにしても、来ていないはずの教室に月乃先輩は来ていた。


「私たち、当日は受付か。」


「パンフレット配って名前を記入してもらう。

なかなかに楽な仕事だ。」


「楽しようとすんな。でも3人なら休憩も問題なさそうだけど、みんなで見て回れないのは残念だね。」


「私は唯と一緒にいられるなら、最高の文化祭になるよ。ねー、唯。」


「あ、うん。」


「冷たっ!」


「でも、1日だけ3人同時に休憩入るタイミングがあるよ。」


私は作業シフトを指差して2人に見せた。


「本当だ。月乃先輩1人で受付やる気…

ってか全チームに対して同じことしてんじゃん。」


「これは、いよいよ月乃先輩1人で文化祭回せる説あるな。」


「ないよ。でも、確かにそのくらいの存在感はある。口だけじゃなくて、全チームにずっとフォロー入ってるし。」


「月乃先輩、休憩なさそうだけど大丈夫かな。」


「_私がなに?」


その声に、3人の背筋がピンと伸びた。

月乃先輩は静かに背後に立っていた。


「私の心配はいいから、作業を進めて。」


「はいっ!」


私たちは声を揃えて返事をした。


「でも、ありがとうね。」


月乃先輩が離れて行くのを見て、小夜ちゃんは溶けたように机に項垂うなだれた。


「あー。びっくりしたー。」


「埜坂さん。」


「はいっ!」


また伸びた。


「先生が埜坂さんを受付に立たせるなら、

身だしなみを整えさせろって言ってきたんだけど…」


「…はい。」


「気にしないで、いつも通りで大丈夫だからね。」


「月乃先輩、愛してます!」


小夜ちゃんはグッと親指を立てた。


「尻軽女。」


「なんだって?」


「いいえ、なにも。ねー、唯。」


「ねー、澪ちゃん。」


「嫌味な女たちだよ。」


月乃先輩は私たちを見守るような笑顔を見せると、自分の席に戻って行った。

文化祭が近づてきて、澪ちゃんも、小夜ちゃんも、そして私までもが楽しみで気持ちが高揚していた。



私は文化祭に浮かれるその足で花壇に向かった。

志倉くんが文化祭に参加するかわからないけど、

何らかの形で思い出を残すことはできないかと思って。

文化祭に参加できなくても、文化祭の話ができなくても、今の時期に志倉くんと過ごすことができたなら、それはもう文化祭の思い出になるような気がした。


「おい!聞いてんのかよ!」


花壇の近くまで来ると、日常生活では聞くことのない怒鳴り声が響き渡った。

私は…恐怖で身体が固まってしまった。


「お前、なんで授業出ないの?」


この声は…糸杉くんだ。

それに、他にも何人かの話し声や笑い声が聞こえる。


「あ!?聞こえねーよ。」


私は少しだけ顔出して様子を見た。

志倉くんが糸杉くんを含めた5人の生徒に囲まれている。


「オレらが毎日真面目に学校来て授業受けてんのに、お前はこんなとこでサボってても卒業できんの?それって不公平じゃね?

おい!なんとか言えよ根暗!」


糸杉くんが志倉くんの身体を強く押した。

どうしよう…助けないと。


「言っとくけど、お前がここにいることオレらに教えたのお前の彼女だからな?

藤田ってお前の彼女だろ?根暗同士お似合いだもんな。」


「藤田さんはそういうのじゃ…」


かばったって意味ないって。お前は仲良くなったつもりでも向こうは気持ち悪いって思ってんだよ。

じゃなきゃオレたちに教えないだろ?」


違う…違う…。

あのときだ、琴音ちゃんに話したのを聞いてたんだ。

私が話さなければ、私のせいで…


「藤田さんはそんなことしない。」


「うるせーよ!」


糸杉くんは志倉くんを蹴り飛ばした。

志倉くんは花壇に倒れ込んだ。立ち上がろうとする志倉くんに追い討ちをかけるように、何度も何度も踏みつけるように蹴っている。

志倉くんの唸り声が聞こえてくる。土で汚れ、大切に育ててきた花もボロボロになっていく。


助けないと。


助けないと。


助けなきゃ…


助けて…


誰か…助けて…


恐怖で身体に力が入らない。


まるで、自分の身体じゃないみたい。


身体の震えが止まらない。


怖い…


怖い…


怖いよ…


気がつくと、私は全力で走って逃げていた。


私を信じてくれた志倉くんを見捨てて…


私は…私のために逃げている。




翌日、花壇に来ても志倉くんはいなかった。

あるのは踏み荒らされてグチャグチャになった花壇だけ。

私があのとき止めに入っていれば、何かが変わっただろうか。

私が止めに入っても何も変わらなかったというのは、言い訳にしかならない。

私が勇気を出していれば、私のことを信じてくれた志倉くんの気持ちは守れたはずなのに。

琴音ちゃんと小夜ちゃんに私は助けてもらった。

澪ちゃんは友達を助けるために行動した。

それなのに…私は何もできなかった。

私は…みんなの友達でいる資格がない。

悲しくて、悔しくて涙が止まらない。

罪滅ぼしのつもりなのか、私はグチャグチャになった花壇を少しでも綺麗にしようと土を整えて、潰れてしまった花を寝かせるように端の方に並べていった。

そして、祈るような気持ちで無事に残った花に水をあげた。

はじめて志倉くんと過ごしたときのように、

私は花壇の前にしゃがみ込んで花を見つめた。

これからどうするべきなのか、考えようとする気持ちと、考えたくない気持ちとで、私の心は落ち着くことはなかった。


「うわ、本当にいるよ。」


その声を聞いて、私の身体は一気に強張った。


「花壇直してるし。気持ち悪。」


足音が近づいてきて、私の後ろで止まった。


「藤田、お前に話あんだけど。」


私は怖くて何も反応できない。


「おい!聞いてんのかよブス!」


私の背中に強い衝撃が走り、私は花壇に向かって倒れ込んだ。

水をあげたばかりの土で顔も制服も泥だらけになった。それを見てゲラゲラと笑う声が聞こえる。

それでも私は動けない。


「お前さ、昨日オレと志倉が話してるところ見てただろ?それ、誰かに言ったりしてないよな?

言ったらマジで殺すよ。こっちは大事な大会近いんだからさ、余計なこと言って、これ以上人に迷惑かけるなよ?」


今度は後頭部に衝撃が走った。


「聞いてんのかよ!」


そのあとも、怒鳴り声を上げながら志倉くんのときと同じように何度も何度も踏みつけるように蹴られた。


「返事しろよ!聞こえねーんだよ!」


「…はい!誰にも話しません。」


「わかりゃいいんだよ。行こうぜ。うわ最悪、靴も制服も汚れたわ。弁償してもらおうかな。」


みんなの笑い声が少しずつ遠ざかっていく。

私はずっと動けないままだった。

もう悲しくも、悔しくもない。

もう…何もかもがどうでもよくなった。



私はしばらく学校に行くことができなかった。

だけど、文化祭が近づいてきていることと、琴音ちゃん、澪ちゃん、小夜ちゃんが心配して連絡してくれたから、仕方なく学校に行こうと思った。

私の中は空っぽのままだった。

文化祭も全然楽しみじゃないし。

正直、琴音ちゃんたちと会って話すのも億劫に思っている。

数日は頑張ってみたけど、最近は学校に来てもずっと地下に引きこもっていた。

みんなからの連絡もずっと無視している。

このままにしていれば、きっと私を嫌いになってくれるだろう。

それでいい。それが一番楽な結末だ。

そもそも私に友達なんて相応しくなかったんだ。

もう、いらない。


「糸杉くん大丈夫かな。」


「両足骨折でしょ?」


「それだけじゃないんだって!

他にも何箇所か折れたりヒビ入ってるらしいよ!

顔も身体もすごいあざだらけだって!」


「うそ!ひどい!事故にでも遭ったの?」


「本人はそう言ってるらしいんだけど、

詳しい状況が全然わからないんだって。」


「なにそれ、怖くない?」


糸杉くんが…事故?


「藤田さん。」


聞き覚えある声。月乃先輩だ。


「良かった。心配してたんだよ。」


月乃先輩は私を抱きしめて、耳元で小さくささやいた。


「もう大丈夫だからね。」



end.


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