太陽


『キミはまた逃げるのかい?』


『キミはいつも逃げてばかりだ。』


『どこまで逃げてもキミは逃げられない。』


『だってキミはキミのままだから。』


『それでもまだ逃げるのかい?』


私は読んでいた本を慌てて閉じた。

地下には誰もいないはずなのに、誰かに見られているような気がしたからだ。

私は逃げてなんかない。

逃げているのは…太陽の方じゃないか。



生徒指導室に入ると、今日は小夜ちゃんが先に来ていた。パンフレットに使う絵を描いているみたい。


「小夜ちゃん、お疲れさま。」


「お疲れー。」


集中しているのか、思っていたより淡白な挨拶が返ってきた。

小夜ちゃんの隣の席に座ろうとすると、机の上に山積みになった本が目に入った。


「それ、これまでの文化祭で作ったパンフレットだって。

今更だけど、一応目を通しておいてって月乃先輩が。」


私の視線に気づいた小夜ちゃんが教えてくれた。


「そうなんだ。」


特別意味があって出てきたわけではないけど、

ふいに月乃先輩の名前を聞いて私の中に緊張が走る。


「小夜ちゃん、もう読んだ?」


「読んでない。」


作業をしながら答える小夜ちゃんをじっと見つめていると、視線に気づいたのか小夜ちゃんは慌てて顔を向けた。


「えー!だってー!」


「なにも言ってないよ。」


自分でも知らないうちに、小夜ちゃんの優しさに期待していたんだろう。

いつもより淡白な反応の小夜ちゃんに寂しさを感じていることに、今になって気がついた。


「私が見ておく。小夜ちゃんパンフレットの絵とかデザインで大変でしょ。」


私は鞄を床に置いて席に着いた。


「私も目通しておかないと怒られるかな?」


「澪ちゃんに?」


「澪もだけど、月乃先輩に。」


「このタイミングで渡してきたなら参考程度にってことじゃないかな。」


「まぁ、それもそうか。」


パンフレットを手に取ろうとすると、一緒に数枚の紙が置いてあることに気がついた。

手に取って見てみると、この前月乃先輩に確認した差し込みページだった。


「あ、それも月乃先輩から。ごめん、忘れてた。」


「小夜ちゃん、月乃先輩が来たときも作業してた?」


「してた。」


「集中すると周りが見えなくなるタイプだ。」


「唯、怒ってるの?」


小夜ちゃんは疑うような眼差しで私を見ている。


「ううん。でも、ちょっと寂しかったかも。」


「えー!」


冗談っぽく言ったつもりだけど、小夜ちゃんはお構いなしに嬉しそうにしている。


「それより、月乃先輩に怒られないか不安になってた割に片手間に対応するなんて。」


「今考えるとヤバイことしたなと思うけど、

集中するとどうしてもねー。」


小夜ちゃんは腕を組んで考え込むような表情になった。


「どうして月乃先輩のことが怖いの?」


「どうしてって?」


「だって小夜ちゃんは怖いもの知らずって感じだから。」


「それ、絶対良いイメージじゃないよね。」


「私は良いイメージで言ってるけど。」


「んー、まぁ澪に対してと同じじゃないかな。

品行方正ってやつ?あー、この人には反論できないわってタイプ。

私なんて相手の揚げ足取って偉そうにしてるだけだから、取る足がない人間には弱いんだよ。」


「そっか…。」


私から見れば、小夜ちゃんも品行方正な人だと思うけど、自分に下す評価は人それぞれだし、小夜ちゃんはそうすることで襟を正しているのかもしれない。


「でも、月乃先輩はそれだけじゃないかも。」


相槌を打つのも忘れて話の続きを待っていると、

小夜ちゃんと目が合った。

そして、小夜ちゃんは自分の持っているペンに視線を移して再び話しはじめた。


「月乃先輩って、普段はすごく優しくて温かい雰囲気の人だけど、ときどき怖いくらい冷たい表情するときあるんだよね。

怒ってるとは違うし、むしろ感情を感じないから怖い。」


私も同じように感じた。だけど私は…


「でも、そんなもんだよね。」


「え?」


「人って、たくさんの感情や思考が入り混じってできてるでしょ?

いつどんなときでも、誰が相手でも、同じように接することができたらって思うけど、それって言うほど簡単じゃないよね。

自分や他人が作った理想に苦しめられる。

優しさだって " 贈る人 " と "受け取る人 " の優しさの価値観で変わる。状況や感情で変わる。

人が人に抱く印象なんて、不確かで曖昧なものだよ。」


小夜ちゃんは背もたれにぐっと体重をかけた。


「そういえば、月乃先輩ってなんか妙な噂があったような…」


「噂…どんな?」


「忘れた。」


「そういうの興味なさそうだもんね。」


「というか嫌い。その噂が本当だとしても、

結局は他人の価値観でしょ?

そんな曖昧なものに流されたくないから。

私は私の目で見て感じたことを信じたい。」


「月乃先輩のことはどう思う?」


「んー、どうだろ?ハッキリ答えられるほど月乃先輩のことを知らない、ってのが正直なところだけど。」


小夜ちゃんは私の顔色を伺うように視線を向けた。


「良い人っぽい。ってとこかな。」


間の抜けた答えに、思わず頬が緩んだ。


「私に惚れたろ!」


わざとらしいキメ顔をして指差してきたので、

私は差してきた指をギュッと握って答えた。


「これがなければ惚れてたかもね。」


「えー!」


そのまま2人でケタケタと笑った。


「あ、そういえば月乃先輩さっき私に…」


_作業の邪魔してごめんなさい。

 絵、すごく綺麗だね。無理しないで頑張って。


「…って言ってくれてた。」


そういえば…言ってくれてた…。


「小夜ちゃんは何て答えたの?」


「覚えてない。」


「小夜ちゃん、きらい。」


「えー!」




はじめて志倉くんと話してから1週間くらい経っただろうか。

授業を抜けて花壇に行ってみたけど、志倉くんはいなかった。

今から地下に向かっても途中で誰かに会ったら面倒だし、このままここにいよう。

この前ここに来たときと同じように、花壇の前にしゃがみ込んで花を見た。

志倉くんはこの前話してた個別授業を受けているのかな。

1人でここにいて気づいたけど、ここは地下と似ているようでちょっと違う。

地下は色も音もなくて、まるで世界から切り離されたような静けさがある。

だけど、ここには風や僅かながらも人の存在を感じる音がある。

太陽の光も、花の色も匂いもある。

ここは、世界と繋がっているんだと感じることができる。

私は…やっぱり逃げていたのかな。

地下に行くのは、そこにいて居心地が良いと感じるのは、人との繋がりから逃げているからなんだろうな。

志倉くんがここを選んだのは単に先生に花壇の世話をすることを勧められたからかもしれない。

だけど、この場所に来ているのは間違いなく志倉くんの意思だ。

志倉くんは希望に立ち向かう勇気がある。

人と繋がることに希望を持っている。

私も全く希望を持っていないわけじゃない。

琴音ちゃん、澪ちゃん、小夜ちゃん、それに月乃先輩も。

私はみんなと繋がっていることが嬉しい。

だけどそれは、私が望んで生み出した結果じゃない。みんなが優しいから繋がれた。

ずっと友達でいたいって思うけど、私にみんなの気持ちを繋ぎ止めるほどの魅力があるとは思えない。きっとみんな離れていってしまう。

私は離れていくみんなに、そばにいてほしいって言えない。だって私は…私だから。

チャイムが鳴り響き、私は目が覚めたようにハッとした。

教室に戻ろうと校舎の方へ足を運ぶ。

気が重い…今日はもう帰ろうかとも思ったけど、文化祭実行委員の集まりもあるし授業も受けないと。

憂鬱な気持ちのまま角を曲がると誰かとぶつかった。


「わっ!」


単純に驚いたのと、授業をサボっていたことがバレる怖さで思わず声が出た。


「大丈夫?」


相手を見てホッとした。


「志倉くん。ごめん、驚いた。」


「僕もごめん。来てたんだね。」


「うん。チャイム鳴ったから教室戻ろうと思って。」


「普通は逆だけどね。」


「本当だね。」


「僕も人のことは言えないけど。さっきまで個別授業受けてたんだ。」


「うん。いなかったから、そうかなって。」


「あのさ、花もう少し見ていかない?」


「ありがとう。でも次の授業単位ギリギリだから出ないと。」


「そっか。」


「うん。」


「じゃあ、また来て。」


「うん、また来る。」


私たちはそのまますれ違って別れた。

どうしてかはわからないけど、私の心は跳ね上がってしまいそうなほど軽くなっていた。

今は、わからないままでもいいかな。



文化祭実行委員の作業中、月乃先輩のことをずっと目で追ってしまっていた。

あの日以来、はじめて顔を見たからだと思う。

月乃先輩の存在は、遠くて、近くて、不思議な存在になっていた。

意識しすぎて落ち着かない。

澪ちゃんや小夜ちゃんとの会話もどこか覚束ない。

幸い今日は作業に集中していて、2人も似たような感じだったので助かった。

余計な心配させたくないし、月乃先輩への気持ちをどう説明したらいいのかもわからない。

月乃先輩はやっぱりどこか元気がないように見える。

何かあったのかな。だけど、私は月乃先輩のことをよく知らない。

どんな月乃先輩がいつもの月乃先輩なのかもわからない。

そうして、そのまま今日の作業は終わってしまった。

終了の号令を掛けると、月乃先輩は早々に教室を出て行った。


「終わったー!私、今日はゾーンに入ってた気がする!」


小夜ちゃんは充血した目を見開いていた。


「怖い!怖い!あんた今日バイク置いて帰りなよ!」


「大丈夫だよ。今は平常心、平常心。」


「本当かよ。まぁいいけど。じゃあ帰るか。」


「おっしゃー!」


勢いよく立ち上がった小夜ちゃんに続いて、澪ちゃんも席を立つ。


「唯、帰るよ。」


「ごめん、澪ちゃん。私教室に忘れ物しちゃったから先に帰って。」


「そう…わかった。じゃあね。」


「うん、じゃあね。小夜ちゃんもごめんね。バイバイ。」


「うん、また明日。」


2人は鋭いから嘘に気づいていたかもしれない。

でも、月乃先輩のことが気になって心が落ち着かない。

昔のパンフレットや差し込みページを持ってきてくれた、お礼を言うだけでもいい。

月乃先輩は昇降口とは逆の方へと歩いて階段を登って行った。

勢いよく月乃先輩を追いかけたけど、

いざ声を掛けようとするとためらってしまう。

追いかけていた足も次第に止まってしまい、

金縛りのように身体が動かなくなった。

澪ちゃんと小夜ちゃんに嘘までついて追いかけたのに。やっぱり私は…

そのとき、微かにピアノの音が聞こえてきた。

その小さなピアノの音は、私の身体の緊張を解き、気がつくと再び歩きはじめていた。

その音の鳴る方へ、手を引かれるように、背中を押されるように。

ピアノの音がする音楽室に着くと、ピアノを弾いている月乃先輩が目に入った。

はじめて聴く曲。温かくて優しい太陽の光に包み込まれるような安心する曲。

だけど、どこか悲しみが付き纏う。

そう思うのは、曲を奏でる月乃先輩がとても悲しい表情をしているから。


『みんなが太陽の世界に行ってしまったら、

月はひとりぼっち。

だって月は、太陽に会いに行くことができないから。』



end.


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