視線


「唯ちゃんが文化祭実行委員かー。

私もベースの練習がなければ、やりたかったんだけどなー。」


文化祭実行委員になることが決まったとき、

私はそのことを琴音ちゃんに伝えてはいなかった。

文化祭実行委員に対しても、自分に対しても、

前向きな気持ちがなかったからだと思う。

琴音ちゃんと話しているとき、ふと話したいと思えたのは、ほんの少しでも気持ちが前向きになったからだろうか。

前向き…本当にそう思えているのか自信はないけど。


「唯ちゃん?」


「ごめん。うん、私も琴音ちゃんと一緒にやれたら嬉しかった。」


琴音ちゃんは私の様子を伺うように、私のことをじっと見つめている。

そして、ふっと息を抜くように優しい笑顔になった。


「大丈夫?うまくやっていけそう?」


「うん、大丈夫。ありがとうね。」


琴音ちゃんはなんでもお見通し。

そして、そのことを隠したりしない。

私の気持ちがわかっていることを、私のために伝えてくれる。

琴音ちゃんは、やっぱり私にとって特別な存在。

友達だけど、ときにはお母さんやお姉ちゃんみたいに私を見守り、子どもや妹のように振り回す。

自由奔放なように見えて、不安定な私の気持ちに合わせてくれている。

まるで定まらない私の気持ちに寄り添ってくれている。



文化祭実行委員の活動に使われているのは偶然にも、この前木村先生と話した生徒指導室だった。

生徒指導室に入ると、数名の生徒がすでに作業をはじめていた。

見渡してみても清瀬さんたちの姿はない。

2人がいないだけで居心地が悪く、心細く思ってしまう。

月乃先輩もいないみたい。

とりあえず、私は私の作業を進めておくか。

3人で座れそうなスペースを確保して作業をしていると、2人の女子生徒が私に近づいてきた。


「ねぇ、藤田さん。パンフレット制作のスケジュール表ちゃんと出したの?」


先日、担当が振り分けられたあと、それぞれのフォローに入りやすいように、大雑把で構わないからスケジュール表を作って提出してほしい、と月乃先輩から言われていた。


「えっと…昨日、清瀬さんが提出してる、はずだけど。」


「はず、じゃなくてさ。出したのかって聞いてんの。人任せじゃなくて、ちゃんと把握しておいてよ。」


「ごめんなさい。」


「ごめんなさいって、それだけで全体の作業に影響するんだから謝って済む問題じゃないでしょ。

全校生徒だけじゃなくて、当日来てくれるみんなが楽しみにしてる文化祭なんだよ?」


「ごめんなさい。あの…」


「だから!ごめんなさいじゃなくてさ!」


そのとき、私の隣の席にドカッと誰かが座った。

怖くて、ビクッと身体が強張ってしまった。

恐る恐る視線を送ると、座っていたのは小夜ちゃんだった。


「なに?」


小夜ちゃんは私に詰め寄る生徒を睨みつけていた。


「いや、スケジュール表出したのか聞いてたの。」


「それなら昨日、澪が月乃先輩に渡したよ。

人にケチつけるなら、せめてちゃんと確認しろよ。それとも他に文句でもあんの?」


「いや、別に…」


「だったら向こう行って自分の作業してろ。」


女子生徒たちは小夜ちゃんの迫力に負けて何も言えずに立ち去っていった。

あの人たちは、私が文化祭実行委員になったことが嫌だったんだと思う。

クラスメイトに糸杉いとすぎくんという男子生徒がいる。ムードメーカーで、サッカー部でキャプテンも務めていて、男子からも女子からも人気のある人。

文化祭実行委員になれなかったことを悔しがっていたし、さっきの女子生徒たちは一緒に実行委員で活動できることを期待していたのかもしれない。


「唯、大丈夫?」


小夜ちゃんは俯いている私の顔を覗き込んだ。


「うん、ごめんね。」


「謝んないの。私はあれくらい平気だから。」


「ありがとう。」


「不良も、ときには役に立つでしょ?」


「不良だなんて、小夜ちゃん格好良かった。」


「なに?口説くつもり?」


小夜ちゃんも嫌な気持ちになったはずなのに、

きっと私を気遣って気さくに接してくれているんだ。


「唯に口説かれたら断れないし、困ったな。」


「口説かないよ。」


「口説いてよ。」


何だか不思議な会話になって、お互いじっと見つめ合ったあと2人してケタケタと笑った。


「あーあ、唯にフラれちゃった。」


おどける小夜ちゃんの横にギターのケースが見えた。


「小夜ちゃん、それギター?」


「そう。バンドやってるから。」


「軽音部?」


「ううん。校外のバンド。

中学のときの友達とか先輩とかで。」


「中学からやってたの?」


「うん。海外バンドのコピーだけどね。

最近はオリジナルもちょっと。」


「へー!すごい!かっこいい!」


小夜ちゃんは小さく溜息をついた。

なにか嫌なことを言ってしまったのかと不安になっていると、にやけた笑顔で私を見つめてきた。


「唯を見てると、イケナイ世界に引きずり込みたくなる。」


「あー、えっと…やめて。」




文化祭実行委員の活動は、澪ちゃんと小夜ちゃん、そして月乃先輩と出会えたおかけで、真面目に参加できている。

だけど、その分クラスの居心地はさらに悪くなったように感じる。

いつも通り地下に行くと、今日は珍しく地下の教室が使われていた。

もう授業は始まっているし、教室にも戻りづらい。

仕方なく、校舎裏に行くことにした。

校舎裏には花壇があり、遊具のない公園のようなスペースがある。

その上、校舎の窓なども面していなくて人目につかない。

多分、地下と同じように知らない生徒もいると思う。

角を曲がり、花壇のスペースに足を踏み入れたとき、花壇の前に人影が見えた。

マズイ、と思い足を止めて引き返そうとしたけど、足音で気づかれてしまった。

花壇の前にいたのは、確か…同じクラスの志倉しくらくんだ。

なぜ曖昧なのかというと、志倉くんは2年になって一度も登校してきていないからだ。

私たちはしばらくお互いを見ていた。


「大丈夫だよ。ここは誰も来ないから。」


志倉くんが声を掛けてきた。

私を覚えていたのかな?

私と志倉くんは、花壇の前にしゃがみ込んで、

2人並んで花を見た。


「志倉くんが育ててるの?」


志倉くんの隣に如雨露じょうろがあるのが見えたので尋ねてみた。


「うん。先生がやってみたらどうかって。」


「先生って、木村先生?」


「ううん。1年のときの担任の横山先生。」


「そうなんだ。」


「うん。」


会話は終わったと思えるほどの沈黙が流れたあと、志倉くんはすっと息を吸って話しはじめた。


「僕、学校に来るのが嫌で辞めようと思ってたんだ。

それを横山先生に相談したら、花壇の花を育ててみたらって。

まずはその為だけに学校に来れば良いからって。

最近は横山先生が色々がんばってくれて、個別で授業を受けて単位を取れるようにしてくれてる。」


「そうだったんだね。」


「藤田さんは授業出なくて大丈夫なの?」


「どうなんだろう。一応進級できるくらいの単位は足りてると思う。今のところ、だけどね。」


「そうなんだ。」


私たちはお互いの顔を見ることなく、花を見つめていた。


「名前、覚えてくれてたんだ。」


「うん。藤田さんも僕のこと知ってたの驚いた。」


「話したことあったかな?」


「多分、ないと思う。」


「そっか。」


「うん。」


私たちの時間は止まってしまったかのように、

静かな時間が流れた。

会話もなく、ただ花を見つめていた。

チャイムの音が鳴り、時間の経過に気がついた。

立ち上がると少し足が痺れている。


「じゃあ、行くね。」


「うん。」


しびれる足を慣らすように、ゆっくりと歩いた。


「ねぇ。」


角を曲がろうとしたとき、志倉くんに呼び止められた。


「良かったら、また来てよ。」


私は志倉くんと花壇を交互に見た。


「うん、また来る。」


志倉くんは安心したように笑ってくれていた。

多分、私も。




「唯、ごめんね!」


パンフレット制作の作業をしていると、澪ちゃんは顔を合わせて早々に謝ってきた。

きっとスケジュール表のことを小夜ちゃんから聞いたんだろう。


「そんな!澪ちゃんが謝ることなんて何もないよ。」


「いや、ちゃんと唯にも伝えておけば嫌な思いさせなくて済んだのに。」


「伝えてくれてたよ。私が自信を持てなかっただけ。それに小夜ちゃんが助けてくれたし、もう大丈夫だよ。」


「そもそも私がちゃんと実行委員に出るべきだったよ。私がいれば、そいつら全員半殺しにしてやったのに。」


すごく物騒な言葉を結構真面目に言っているので驚いたけど、本当にそんなことするつもりはないだろうし、それだけ私を心配してくれていると思うと素直に嬉しく思えた。


「道場に行くって、小夜ちゃん言ってた。

空手やってるなんてすごいね。澪ちゃんの硬派で真面目なイメージにピッタリ!」


「ううん。全然すごくない。

この前の大会でも思うような結果出せなかったし、もっと頑張らないと。」


真剣な雰囲気の澪ちゃんに圧倒されて言葉を失っていると、私を見て照れくさそうに微笑んだ。


「少し、私の話しして良い?」


「うん。」


「私ね、勝ちたい相手がいるんだ。

その子は同じ道場にいる同い年の女の子。

道場に入ったときから1番強くて、大会でも小学生の頃に優勝してからずっと連覇してる。

間違いなく同世代では最強だね。

ある程度のレベルじゃないと男子でも勝てないと思う。

その子ね " 鋼鉄の女 " って呼ばれてるんだよ。」


「鋼鉄の女?なんかすごそう…っていうかすごいのか。」


「でも、最近その子道場来てないんだよね。

この前の大会にも出てなかったし、目標を失ったせいか私も調子出なくて。そういうところが私の弱さなんだろうな。」


自分の間違いや弱さを認めて克服しようとがんばれるのは、強い人だからできること。

私にはできない。私は逃げてばっかり。


「ごめん!こんな話しされても困るよね!」


「ううん。話してくれてありがとう。」


「お礼を言いたいのは私だよ。ずっとモヤモヤしてたし、唯に話し聞いてもらえて気持ちが軽くなったよ。ありがとうね。」


「そんな、私はなにも…」


「お?私はありがとうを受け取ってもらえるまで、ずっとありがとうを言い続ける女だよ。」


そう言うと澪ちゃんは、くしゃっとした笑顔になった。その笑顔を見て私も自然と笑顔になっていた。


「どういたしまして。」


「はい、それでよろしい。

そうだ、助けられついでにパンフレットのことで唯に聞きたいことあるんだけどさ。」


「なに?」


「月乃先輩に差し込みお願いされてたのあるでしょ?予定稿見てて思ったんだけど、なんか抜けてる気がするんだよね。」


私は澪ちゃんに手渡された予定稿に目を通した。


「確かに…なんか変だね。」


「唯、何か聞いてる?」


「ううん。私の確認漏れかもしれないし月乃先輩に確認してみるよ。」


「ごめんね!困ったことあればすぐ呼んで!」


「唯ー!お疲れー!」


私が席を立とうとしたとき、小夜ちゃんの明るい声が響いた。


「なんで唯だけに挨拶すんの。」


「それは色々あるから。ねー、唯。」


「え?」


「ううん。全然何にもないよ。」


「えー!ゆーいー!」


「もう、何なのあんたたち。」


「小夜ちゃん、私をイケナイ世界に引きずり込もうとしてるんだって。」


「は?」


「いや、それは違くて。ちょっと、ゆーいー!」


「さ、仕事、仕事!」


私は席を立ち、澪ちゃんに詰め寄られている小夜ちゃんを横目に月乃先輩のところへ向かった。


「月乃先輩。少しお時間大丈夫ですか?」


月乃先輩は、ぼーっと何もない空間を見つめている。


「あの、月乃先輩?」


私が少し顔を近づけて声を掛けると、月乃先輩は驚いて振り向いた。


「え?藤田さん、どうしたの?」


「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、今大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫。ごめんなさい。」


「パンフレットの予定稿のことで確認したいことがあって。月乃先輩に頼まれた差し込みのページに抜けてるところがあるみたいなんですけど。」


私は予定稿を月乃先輩に渡した。

木村先生とのことで助けてくれて以来、ちゃんと話しをするのは今日が初めてなので少し緊張する。


「本当だ。ごめんなさい。確認して、後日また改めて持って行くね。それで作業は問題なさそう?」


「はい、大丈夫です。ありがとうございます。」


「あの…藤田さん。」


私が軽く一礼して2人のところに戻ろうとすると、月乃先輩に呼び止められた。


「はい?」


「あの、他にも何か困ったことがあったら何でも言ってね。どんなことでもいいから。」


月乃先輩はどこか動揺していて、不安そうな表情をしていた。


「はい。ありがとうございます。

月乃先輩すごく頼もしくて安心するんで、何でも相談しちゃいます。」


私は月乃先輩を励ますように精一杯明るく答えた。


「うん、ありがとう。」


「月乃先輩は私にとっての月明かりです。」


「え?」


私の言葉を聞いた月乃先輩の表情から感情がなくなった。私は慌てて言い訳するように続けた。


「すみません!最近読んでる本にそういう一節があって、読んだときに月乃先輩のこと思い出したんです。月を照らす光っていう本なんですけど…」


「やめて。」


月乃先輩は静かに話しを遮った。


「あの…すみません。」


「ごめんなさい。」


月乃先輩はそのまま教室を出て行ってしまった。

そのとき私の中に生まれた感情は、罪悪感、後悔、そんな具体的なものではない。

色も音も失い、空っぽになった私は、

ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。




end.

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