月白


木村先生と生徒指導室で話しをしてから数日後のホームルームで、私が文化祭実行委員に決まったことが伝えられた。

あたかも私から立候補したかのような言い方に教室がざわめいた。

私の卒業や進路の為なので、先生に言われたから、では意味がないのはわかっている。

実際に文化祭実行委員として活動することよりも、立候補、という形が重要になるから仕方がない。

だけど、クラスのみんなからの懐疑的な眼差しは…やっぱり辛い。

琴音ちゃんから貰った本に選択することの大切さを語った一節がある。

月の世界から離れようとしないうさぎに対して、他の動物たちは侮辱的なことばかり言う中、友達のねこが理解を示した。


『私にとって人生は険しい山道でもいばらの道でもなくて、散歩道なの。

散歩するのにがんばらないでしょう?

疲れたら木陰で休んでもいいし、お腹が空いたらご飯を食べても良い。

歩くことが嫌なら、家でゆっくり昼寝していればいいしね。

大切なことは道を進み続けることじゃなくて、

選択することだよ。

休むことを選んだなら、それがあなたの道。』


先生に言われるがままに文化祭実行委員になり、嫌だと思っていても断れなかった私は、果たして何かを選択したんだろうか。

他の誰かにとっては海水浴に行く程度のことかもしれないけど、私にとっては太平洋のど真ん中に放り投げられたような気持ちだ。

同じ海でも、捉え方が全く違う。

ただ気が重くて、憂鬱だった。

はじめての活動日である今日も、早く終わってほしいという気持ちでいっぱいだった。

たくさんの人の意見が飛び交い、文化祭をより良いものにしようとする。

この空間が前向きな雰囲気に包まれれば、その分私の気持ちは沈んでいった。

もう、逃げ出したい…。


「はじめまして。3年2組の月乃桜つきのさくらです。」


そのとき、どんな声も届かなかった私の耳に、

透き通るような優しい声が聞こえてきた。


「立候補したとはいえ、皆さんに実行委員長に選んでもらえたことをとても光栄に思います。

正直に言うと、私は文化祭を楽しむタイプではありませんでした。

今もそうです。

だけど、今は楽しんでもらいたいと思う人がいます。

その人のために、文化祭を大切な思い出の日にしたい。

誰にとっても当たり前の1日なんてなくて、

毎日が特別で大切な1日です。

楽しい日ばかりではありません。

明日が来ることが怖く思うこともあります。

思い出したくない昨日だってあります。

辛いし苦しいけど、それは避けられないことです。

その全てを救ってあげたいけど、私には小さな荷物を預かることしかできません。

そう思うことすらおごりかもしれませんが、

私にできる限りのことをしてあげたい。

これが私の正直な文化祭への想いです。

それぞれの大切な思い出のために、思い切り楽しんでください。」


他の生徒は、突然はじまったスピーチに呆気に取られていたけど、私の心は奪われていた。

私は…月乃先輩に見惚れていた。


「美人だよね。」


「え?」


突然、隣に座っていた子に話しかけられた。


「月乃先輩、色白だしモデルみたいにスラっとしてるし、あんな髪短いのに色気があるってズルいよね。それに、あんな優しい言葉まで。」


「…うん。」


「5組の藤田さんだよね?」


どうしよう。この人は私のこと知ってるみたいだけど、話したことあったかな。


「大丈夫。はじめましてだから。

私、1組の清瀬澪きよせりょう。よろしくね。」


「は、はじめまして。藤田唯です。」


「で、こっちが4組の埜坂小夜のさかさよ。」


清瀬さんは隣に座る女の子を指差した。


「よろしくー。」


その子は小さく手を振り、優しく微笑んでくれた。

ピアスに、指輪に、ネックレス、制服も着崩して、首元が見えるくらいに切り揃えられた髪は、毛先だけ緑に染められて、軽く波打っていた。

不良なのかな。


「今、こいつ見て不良って思ったでしょ?」


埜坂さんとは対照的に、おしゃれよりも身だしなみを優先していると思わせる見た目の清瀬さんが言った。…エスパー?


「エスパーじゃないよ。」


「え?」


私は動揺して…ちょっとだけ怖くなった。


「やめなよ。当たってるみたいだよ。」


私が言葉に詰まっていると、埜坂さんが注意した。


「え?ごめん!そんなつもりじゃなかったの!」


「ううん、大丈夫。ちょっとビックリしたけど。」


「本当ごめんね!」


見た目こそ対照的だけど、2人とも優しい人たちみたい。


「それでは次に、それぞれ担当する業務を決めてもらいます。」


再び月乃先輩の声が教室に響いた。


「ねぇ、藤田さん。もし嫌じゃなければ、

私たち3人でパンフレット制作やらない?」


清瀬さんが遠慮がちに誘ってくれた。

どのみち何かしらの業務を担当しなくてはならないのなら、私も2人とやりたい。


「うん。私もそうしたい。」


「よし!じゃあ決まりね!」


そう言うと、埜坂さんは真っ直ぐ手を上げて立候補した。

不良みたいな埜坂さんが優等生の小学生みたいに手を上げている姿は、なんだか可笑おかしいけど、可愛い。


「2人は幼馴染なんだ。」


「そう、小さい頃から家が近所でね。

他にもそんな友達はいるけど、小夜とは腐れ縁ってやつかな。」


「あら、澪が私に付きまとってるのかと思ってた。」


「はぁ?」


「ねぇ。こういうの嫌かもしれないけど、唯って呼んでもいい?」


「ちょっと。いきなり踏み込みすぎ。」


清瀬さんは注意していたけど、埜坂さんみたいなタイプは、いきなり呼んでくると思っていたので意外だった。

埜坂さんも察しの良さそうな人だから、私の性格を考慮してくれたのかもしれない。

2人は気づいてないけど、そういう思いやりの部分が似ているから、仲が良いんだろうな。


「うん。いいよ。」


「本当に!?」


聞いてきた埜坂さんよりも、清瀬さんが嬉しそうに反応してくれた。


「ありがとう。唯。」


埜坂さんにそう言われて、少し照れ臭くなった。


「じゃあ!私のことも名前で呼んで!」


「踏み込みすぎなのどっちだよ。」


「うん。じゃあ、澪…ちゃん?」


「ぷぷ。澪ちゃんだって。似合わないの。」


「うるさい。」


「小夜ちゃんも、よろしくね。」


「えー!やめてよー!」


「ぷぷ。良かったね、小夜ちゃん。」


文化祭実行委員の活動初日は、思っていたよりも

ずっと楽しく終えることができた。

漠然とした不安が消えることはない。

それでも私は、またここに来たいと思っている。

くすぐったいこの気持ちは、期待というものだろうか。

ワクワクしているということだろうか。

わからないけど、正体不明のこの気持ちに出会えたことは良かったと思う。


「じゃあ、私バイクだから。」


バイク…小夜ちゃんはやっぱり不良なのかな。


「私も自転車だから、ここで。

今度は帰りにどっか寄ってこうね!」


「うん、楽しみ。バイバイ。」


2人がどうして私と仲良くしてくれたのかはわからない。

それでも、2人の世界に入れてくれたことが素直に嬉しかった。

嫌々引き受けた文化祭実行委員だけど、月乃先輩が話していたような、大切な思い出ができるかもしれない。

友達…そう呼んで良いのかは、まだわからない。

その自信のなさが、私の欠点。

でも、2人はその欠点を個性として受け入れてくれた気がした。

パンフレット作りは大変そうだけど、3人ならできるって思えた。

よし!もうやるしかない!がんばるぞ!

追い詰められてじゃない。

楽しくて、そうしたくて、自分を鼓舞した。

3人でやるなら役割分担が必要だよな。

澪ちゃんは人をまとめるのが上手そうだしリーダーになってもらって。

小夜ちゃんはおしゃれだからデザインをやってもらいたいな。

私にはなにができるかな?

最近たくさん本を読むから文章を書いたりは得意かも。

そうだ!明日、澪ちゃんに…


「藤田。」


昇降口を出ようとしたところで、木村先生に呼び止められた。


「今日、文化祭実行委員の初日だっただろ。」


「…はい。」


「どうだった?」


「問題なく…楽しくできました。」


先生は呆れたように、深く息を吐いた。


「そうか。楽しむのも結構だが、お互いの為にやってることを忘れるなよ。

お前はオレに指示されたことをやっていれば良い。実行委員ではどんな作業を担当するんだ?」


「…パンフレット制作を。」


「いいじゃないか。上手く評価が上がりそうだ。

その調子でやれ。」


忘れていた。私は自分でやりたくて文化祭実行委員になったわけじゃない。

私は何も選択していない。

何も選択していない私に喜びを感じる資格はない。

私が感じたやる気や達成感、喜びも、思い出も、

全部先生が選んでくれたから得られるもの。

全部、先生に奪われる。

私には…なにも残らないんだ。


「_先生。」


そのとき…再び暗闇を照らす、透き通るような優しい声が聞こえてきた。

月乃先輩はゆっくりと私たちに近づいてきた。

そして、木村先生の前に立ち止まり、睨みつけるような視線を送る。


「先生。どんな経緯で藤田さんが文化祭実行委員になったのかは知りませんが、実際に文化祭実行委員で活動しているのは藤田さん本人です。あなたじゃない。」


月乃先輩は私を見て微笑んだ。


「藤田さん。文化祭実行委員に入ってくれてありがとう。」


月乃先輩は私でも気づいていなかった、選択した道、を照らしてくれた。

前向きになりかけた気持ちを掻き消すように、再び木村先生の溜息が響いた。


「面倒は起こすなよ。」


「じゃあ、もう関わらないでください。」


しばらく2人は睨み合っていたけど、先生は何も言わずに立ち去ってしまった。

どうしてだろう。今の会話…なにか違和感がある気がする。

それに、今の月乃先輩はまるで心まで凍ってしまったかのように冷たい…。

月乃先輩は先生が歩いて行った方をずっと見ていた。

そして私に視線を移し、優しく微笑んだ。


「大丈夫だった?」


「は、はい。ありがとうございます。」


「良かった。先生に言われたこと、気にしないでね。」


「…はい。」


月乃先輩をはじめて近くで見て、どこかで会ったような気がしたけど…思い出せない。

同じ学校だし、以前すれ違ったりしたことがあるのかもしれない。

だけど、もっと最近話したことがあったような…。


「私、教室寄って行くから。また実行委員でね。」


「あ、はい。ありがとうございました。」


校舎を出て空を見上げると、隙間のない見事な曇天模様。

今、私が感じている気持ちはなんだろう。

今日は正体不明の気持ちにたくさん出会う。

だけど、悪い気持ちではないことはわかる。

だって、この空を…

まるで色を塗り忘れたかのように、

まっ白に染まった空を見て、綺麗だと感じたから。




end.


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