無音
2022年9月
生きる意味。いつだったかこんな言葉を聞いた。
生きる意味ってなんだろう。
生きる意味が見つけられない人は、生きている意味がないのかな。
生きているだけじゃ、だめなのかな。
子どもの頃から人と話すことが苦手だった。
本当はそんなつもりないのに、ずっと嘘をついているような気持ちになるから。
きっかけは覚えてないけど、たぶん自分と他人を区別して考えるようになってからだと思う。
他人にも気持ちや考えがあると理解してからは自分の本心より他人の本心を優先していた。
中学生になる頃には自分の本心なんて本当にあったのかわからなくなる程に、私の中には何もなかった。
"本当に楽しくて笑ってる?"
"本当に共感してくれてる?"
いつか見透かされるかもしれない。
怖くて、怖くて、私から私が失われていった。
高校に入った頃には、もう人と関わる気力すらなくなっていた。
糸が切られた操り人形。それが今の私だ。
高校生活の半分は学校の地下で過ごしていた。
半分は言い過ぎだけど、人が近くにいることが息苦しくなったときはよくここに来ている。
何に使うかわからない教室が4つ並んでいるけど、私の知る限り地下の教室が使用されているところは見たことがない。
廊下は明かりがついているけど教室はいつも真っ暗。
試しに全ての教室のドアを開けようとしてみても、やっぱり全部閉まっていた。
私はいつも長い廊下のちょうど真ん中あたりに体育座りして丸まっている。
私だけ別の世界に来てしまったのかと思うほどに、ここには学校のどんな音も届かない。
その疎外感は、私にとって居心地が良かった。
鞄に入れていたスマホが振動する音が聞こえる。
スマホを確認すると、
(帰ろ!)
(ってかまだ学校いるよね?)
気づけばもう放課後だ。
(いるよ。帰ろう。)
(昇降口で待ってて。)
(はーい)
琴音ちゃんは1年のときに同じクラスだった女の子。
ジャズクラブを経営しているおじいちゃんに弟子入りしたらしく、いつもベースを担いでいる。
小柄な琴音ちゃんがベースに押しつぶされないか心配になる。
そんなに小さくないって怒られるけど。
琴音ちゃんは身体は小さいけど、心が大きな人。
1年のとき、学校に馴染めなくて孤立していた私に声を掛けてくれた。
私が人と関わることが苦手なことを察してくれたのか、挨拶やちょっとした雑談だけの程よい距離感を保ってくれていた。
琴音ちゃんは明るくて優しくて、クラスの子たちから人気があった。
そんな子が私を気にかけてくれて、理解してくれていることに安心した気持ちになったことを覚えている。
だけど、それを快く思わない人たちもいた。
_ねぇ、あの子と話さない方が良いよ。
_無愛想だし、感じ悪いじゃん。
_何考えてるかわからないし怖くない?
そう言って笑っている声が聞こえてきた。
辛かった。琴音ちゃんとなら仲良くなれるかもしれないって期待してたのに。
誰かと仲良くなるためには、他のたくさんの誰かにも好かれる人間でないといけないんだ。
私が悲しい気持ちに耐えきれず、その場を離れようとしたとき。
_あっそ。何考えて、そんな感じの悪いこと言ってんのかわかんないけど、私は
そう、琴音ちゃんは短気だった。
言われたその子たちだけでなく、私まで唖然としてしまった。
驚いたけど、嬉しかった。
2年になってクラスが離れても、変わらずに私を気にかけてくれている。
「
声量の割に気の抜けた声が私を呼ぶ。
「大変。待ってる間にベースに押しつぶされちゃった。」
「誰がチビだって?」
「小さくて可愛いって言ったの。」
「唯ちゃんだって平均よりは低いでしょ。
今日どこ行く?」
「練習、時間大丈夫?」
「今日はお店休みだから、ゆっくりで大丈夫。」
「じゃあ、なにか食べたい。」
「甘いもの?」
「しょっぱいの。」
「おっけー。その前に本屋寄って良い?
漫画の新刊が出てるから。」
「宇宙に行くやつ?」
「そっちじゃない方。」
「宇宙に行くやつ、この前読んだよ。」
「え!唯ちゃんが漫画?」
「うん、図書館にあったから。面白かった。」
「ほー。じゃあ、これからは唯ちゃんにどんどん漫画オススメしていくか。」
「図書館にあったら読むよ。」
「私が貸すって。」
私以外の人にとってはありふれた会話でも、
私にとっては特別。
人間関係において最も重要なことは、他人との距離感ではなく、自分との距離感だと思う。
自分という人間を理解しているか。
自分という人間を信頼しているか。
自分という人間を許すことができるか。
ときどき、自分が自分ではないように感じることがある。
頭と心と身体、声も言葉も
普段、無意識に結びつけているものを意識的に繋ぎ止める。
そして、ぎこちないまま会話が終わっていく。
心を許している琴音ちゃんに対しても、そんな状態になることがあるから困る。
「唯ちゃん、はいコレ。」
ファミレスに入り注文を終えると、琴音ちゃんは一冊の本を差し出してきた。
「漫画?」
「違う。知らない?この本。」
琴音ちゃんが渡してくれた本は、
『月を照らす光』という児童文学小説。
著者は【
「確か…太陽が失われて、夜しかなくなった世界に生きる動物たちの話だったかな。
子どもの頃読んだきりだから、私もうろ覚えだけど。」
表紙にうさぎと月の絵が描いてある。
素敵な絵だけど、この絵を見ていると胸が苦しくなる。
何かを訴えるような、描いた人の感情が流れ込んでくるかのようだった。
「読んだことない。」
「なら丁度いい。唯ちゃんにプレゼント。」
「ありがとう。読んでみる。」
「結構有名だから、唯ちゃんなら知ってると思った。」
「なのに買ってくれたの?」
「まぁ、思いつきで。」
「ありがとう。嬉しい。
小説読みはじめたのは最近になってだから全然知らなかった。」
「意外。子どもの頃から本の虫なのかと思ってた。」
「ううん。全然。」
「本を読むようになったのは、地下に行くようになってから?」
「…うん。」
「あんまり無理はさせたくないけど、進級できる程度には授業出てね。一緒に卒業したいからさ。」
「うん。」
嬉しい気持ちと、苦しい気持ち。
私も琴音ちゃんと過ごす学校生活を続けたいし、
一緒に卒業できたなら私にとって宝物のような思い出になるはず。
だけど、私はその期待に応えられるのかな。
自信がない。
その先に幸せが待っているとわかっていても、目の前の恐怖に足が
私だって地下にずっと閉じこもっていたいわけじゃない。
あそこが幸せな場所だなんて、思ってない。
ただ…逃げているだけ。
「藤田、生徒指導室まで来い。」
翌日の放課後、担任の木村先生に呼び出された。
怒っているようにも見えたけど、木村先生はいつもそう見えるから本当の感情がわからない。
木村先生はいわゆる不良と呼ばれる生徒にも怖がられている強面の先生。
" ヤクザ " や " 殺し屋 " なんてあだ名が付くほど。
でも他の先生からは信頼されているらしく、何か問題があると大抵木村先生が火消しに役に選ばれている。
そして、見事に火消し役を務め上げている。
単に怖い雰囲気のせいなのか、人身掌握の能力が長けているのかは、あまり話したことがないので予想もつかない。
恐らく、今日が初めての会話と言っても過言ではないと思う。
「座れ。」
「失礼します。」
私と木村先生は長机を2つ間に挟み、向かい合うように座った。
「今度うちのクラスでも文化祭実行委員を選ぶ。
お前がやれ。」
「私は…そういうの向いてないと思います。」
「わかってる。向き不向きでお前を選んだわけじゃない。
お前、自分がどれだけマズイ状況かわかってるよな?
2年になってからほとんど授業に出てないだろ。
単位の計算はしているようだが、このままじゃ進級はできても、卒業や進路に関わってくる。
学校生活に前向きな態度を見せろ。」
「でも…」
「いいか、これはお願いじゃない。お互いの為に適切な指示を出してる。命令になる前に従え。」
これからは真面目に出席するから、勉強をもっと頑張るから、今更言っても手遅れだろう。
そもそも、その言葉は私でさえ信用できない。
「はい。」
「出席日数の割に成績が良いから提案してる。
誰にでも言うわけじゃないことは理解してもらいたい。」
「ありがとうございます。」
「よし。じゃあ、もう帰れ。クラスの奴らには今度のホームルームでオレから説明する。」
「はい。失礼します。」
私は席を立ち、生徒指導室を後にした。
先生の言う通り、先のことを考えるならもっと前向きに学校生活を送るべきだろう。
だけど、私は先のことが考えられるほど自分に期待していない。
消えてなくなりそうな今を、必死に生きているだけ。
「_アイツむかつくよなー。」
廊下を歩いていると、突然背後から声を掛けられた。
振り向くと女の子が立っていた。
ブレザーの代わりにダボダボのパーカーを羽織り、フードを目深に被っている。
リボンの色を見ると同級生みたいだけど…見覚えがない。
「えっと、あの。」
「
「はじめまして。藤田唯です。」
「知ってる。」
「はぁ…。」
「にしてもアイツむかつくよ。
自分が特別だと思って調子に乗ってるんだな。
どうする?殺しちゃう?」
「え?そんな。」
「良い案ひらめいた、とでも思ったのかね。
人の意見も聞かないで勝手に話進めてさ。」
「あの、聞いてたんですか?」
「聞いてるよ。全部ね。」
「全部?」
「たとえ親切心でも、人の気持ちを無視した行いなら、それは善行とは言えない。」
「そんなことは…」
「でも、飛び込むのもアリかも。
きっと良い出会いが待ってるよ。
じゃあ、またね。藤田さん。」
そう言うと、彼女は私が歩いてきた方向へと立ち去った。
何だったんだろう。
不思議な子だったけど、悪い子ではない気がした。
琴音ちゃんから貰った本の主人公は、
うさぎのボク、というひとりぼっちのうさぎ。
多くの動物たちは、月を照らす光、すなわち太陽を目指して冒険に出るけど、うさぎのボクは月の世界に留まる。
他の動物たちにバカにされても、うさぎのボクは動こうとしない。
うさぎのボクは月を見つめて語りかける。
『ボクには絶望に立ち向かう勇気はあっても、
希望に立ち向かう勇気はないらしい。』
end.
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